ジブリの教科書6 おもひでぽろぽろ (文春ジブリ文庫 1-6 ジブリの教科書 6)

制作 : 文春文庫編集部 
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (318ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784168120053

作品紹介・あらすじ

スタジオジブリの隠れた名作、登場!私はワタシと旅にでる。――27歳と小学5年生の自分との間を行き来しながら、タエ子は何をみつけるのか、岩井俊二らが読み解く。

感想・レビュー・書評

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  • 『おもひでぽろぽろ』の教科書を読むのをとても楽しみにしていた。
    きっと解説が欲しかったのだと思う。
    『おもひでぽろぽろ』は私にとってなんだかよく分からない話だった。
    たしかテレビ放送を「思い出編」のタエ子と同じくらいの年齢の時に見たのだったと思う。
    唯一鮮やかに記憶に残っているのは「ひょっこりひょうたん島」のシーン。
    それ以外は年齢が近かったはずの「思い出編」でさえあまり記憶に残っていない。

    今回ジブリの教科書を読んでその理由がなんとなく分かったような気がする。
    「思い出編」のタエ子が感じているちくちくした居心地の悪さをあの時の私は感じ取ったのではないか。
    安心して見ていられたのは「ひょっこりひょうたん島」の場面だけだったのではないか。
    そう考えると『おもひでぽろぽろ』をその後一度もちゃんと見返したことがないことも、そのことと無関係ではないような気がしてくる。
    理解出来ない27歳のタエ子と、小学5年生のタエ子の不安が怖かったのかもしれない。

    去年だったか「もう私たちはタエ子より年上だよ」という話を先輩とした。
    その時の驚きをどう表現したらいいのか。
    え?タエ子っていくつだったっけ?とまず思い、確かに今の私よりはきっと若いだろうと考え、フリーズ。
    だからどうしたとか、今の自分とタエ子を比較してみるとか、そんなことは全く出来ず、ただただ真っ白。
    「あ~、そうですね~」とかそんな言葉を口にしていたような気がする。よく覚えていないけど。
    その時はタエ子は23歳くらいだったかなとか思っていたけど(話を覚えてないからこんなアホな勘違いをするわけで)、27歳ならまだそんなに変わらないじゃん(そう思っているのは私だけかもだが…)なんて開き直ったりもする。
    それでもやっぱり27歳のタエ子は私よりも(精神年齢が)大人だったような気がして仕方ない。
    本当のところどうだったのか。
    この疑問はもう一度見ないと解決出来ないはず。
    出来るだけすぐ見よう。
    そう決意した。

  • ジブリの教科書6
    『おもひでぽろぽろ』
    ナビゲーター・岩井俊二
    ノスタルジーの正体

    Part1 映画『おもひでぽろぽろ』誕生
    新生ジブリと『おもひでぽろぽろ』
    鈴木敏夫 高畑勲と宮崎駿。二人の巨匠の「分かれ道」
    宮崎 駿 大ナマケモノの子孫
    映画『おもひでぽろぽろ』演出ノート
    ・viewpoint・香山リカ
    「あいまいな娘」と複雑な父親の存在

    Part2 『おもひでぽろぽろ』の制作現場
    [美術監督] 男鹿和雄「どこにでもある風景を、緊張感のある画面で」
    紅花──その歴史的な魅力を探る
    [キャラクター色彩設計] 保田道世「思いきって真っ白な画面に挑戦してみた『思い出編』」
    [キャラクターデザイン・作画監督] 近藤喜文「人間の顔の微妙な曲面と必死にとり組んだ日々」
    [場面設計・絵コンテ] 百瀬義行「細やかな表情や動作のなかに“その人らしさ”をこめたい」
    [撮影監督] 白井久男「高畑監督の粘りある演出のもとで仕事がしたかった」
    「作画」の流れ 一枚の絵コンテが動き出すまで
    今井美樹・柳葉敏郎スペシャルインタビュー
    [監督] 高畑 勲 反響の大きかった映画 意見の分かれたラストシーン
    高畑 勲の音楽のはなし
    ぽろぽろ事典
    映画公開時の掲載記事を再録!

    Part3 作品の背景を読み解く
    村山由佳 人の手業が超えるもの
    朝倉あき 冷静な視線と、冷静さを保てなくなる瞬間
    from overseas
    イグナシオ・フェレーラス 『おもひでぽろぽろ』について私が思うこと
    伊藤 悟 「ひょうたん島」が寄りそってくれた時代
    川崎賢子 『おもひでぽろぽろ』の記憶と想像力──文化映画の系譜に連なることと踏み越えること
    山田太一×高畑 勲 これからの時代を切り開いてゆくヒント
    大塚英志 『おもひでぽろぽろ』解題

    出典一覧
    映画クレジット
    高畑 勲プロフィール

    ■岩井俊二。頭の中の思い出はSOSのよう。過去の自分は死者に似ている。(……大林宣彦と通底)
    ■鈴木敏夫インタビュー。企画段階で駿激怒。27歳は勲の娘の年齢。内容と表現手法を一致させることに取り組み始めた作品。間に合わなさそうで駿激怒、震えが止まらず三日眠れず。
    ■勲による演出ノート。★原作は一般に十歳児のルポタージュ。レトロ気分は情報化社会の表れ。精神の病を治すために過去に探りを入れて分析。27歳タエ子のコンセプト、笑顔の現実適応について。
    ■香山リカ。★おとなのタエ子は、父親の理想の作品。あいまいな娘。父の呪縛が出来上がる以前を思い出す。
    ■男鹿和雄、保田道世、近藤喜文★……超トップ級のスタッフの苦心。
    ■勲インタビュー。★否定的批評は当人への鏡。ラストは嫁に行くのではなく、あと一日でもトシオと付き合いたいという思い。
    ■勲インタビュー。★音楽について。音楽にとどまらず映画はすべて「引用」。過去を知る、トシオが農業を学ぶ、原作マンガを引用する。このときトシオが好む音楽はヨーロッパのもの。【各曲の解説】
    ■ぽろぽろ事典★
    ■川崎賢子。★新・文化映画。農村賛美と印象批評してしまいがちだが。農村とは作られた場所である、歴史も伝統も過去も記憶も作られたものである、そのうえで自然と人間の関係を結びなおしたい。ひょっこりひょうたん島を、香と経済成長期の東京のタエ子と、農業基本法の山形の少年トシオは、それぞれに受容していた。1960年代の意味はふたりにとって異なりねじれている。
    ■勲、山田太一との対談。
    ■大塚英志。駿も自作に饒舌だが、言動に矛盾や乖離があり、そこに人は惹かれ批評を生む。かたや勲は理論家として作るので、語りづらい。駿の主人公はみな「特別な子供」で「普通の部分」を描くのが問題だった。勲では「普通の子供」の日常を描き、死さえ日常であり、「特別な子供」のドラマに冷や水を浴びせる。例外は「ホルス」だけ。駿は物語(その中で男の子の英雄を忌避し、女の子のビルドゥングスロマンを洗練→魔女宅)、勲はドキュメンタリー。魔女宅で駿は勲から高畑離れし、おもひでで勲は駿離れの覚悟を決めた。新文化映画について今村太平曰く、劇映画のシナリオ文法が不要なわけではなく、物事を理解する論理的プロセスそのものがシナリオなのだ。劇映画シナリオとは駿の冒険活劇のような物語、またたとえば時代劇とか。新文化映画に言及した柳田國男、紅花作り、「柳川掘割物語」。手に包む場面が大事だが、本作では素手で紅花の棘に触れる、その後ゴム手袋で作業する。人の自然への働きかけ。自然には人の手が入っている。自分=大塚は、記号化=アニメーションという約束事を懐疑しつつも、懐疑しきれずにいる勲に困惑(のちに「かぐや姫」で達成されるが)。「笑い顔」は「不気味の谷」のよう。「自動化」した「ノスタルジー」を「異化」。そもそもタエ子が自嘲するほど「ひねくれていた」とは見えない。親や姉により疎外されている、子供には言語化できない理不尽さが繰り返し描かれている。また民俗学の調査で、「ムラ」の本質は監視社会だと知った。必要以上にスポイルされているからこそ、ノスタルジーを必要としている。「退行」の先が「過去」から「農村」に入れ替わる。キキにはライナスの毛布があったが、タエ子にとってライナスの毛布であった「五年生の私」は私を田舎に連れ戻す。「ばあちゃん」の絡め手。勲作品において女性は「死者の国」から救われない。

  •  映画は大人になってから初めて視聴。同じ体験をした記憶はないのに、なぜだかどのエピソードにも共感でき、思い出の中にある似たような記憶を辿り始めていた。シワと思っていた顔の線が頬骨だった、高畑監督は紅花に詳しくなりすぎて研究者にも一目置かれる程の凝り性だったなど、面白いエピソードが盛りだくさん。宮崎駿が冒険活劇を求めたのに対して高畑勲は日常生活を追求した。徹底的に細部までリアリティにこだわったのはそのためだったのか。山田太一さんとの対談が特に興味深い。断念することによって強くなり、得られる幸福感がある。もっと何回も観て味わいたい作品。

  • 魔女の宅急便と打って変わってすべて読み切れた。
    背景画の解説や評論が多く、著名人のものが少なかったのが救いか。

  • 映画「おもひでぽろぽろ」は、アニメなのに写実的に描こうとした作品で、誰もが主人公のわらいじわに違和感を覚えるものだと思います。そんな監督の高畠勲さんが、最終的に(最後かどうかはまだわからないのですが)「かぐや姫の物語」で、逆に水彩画の絵本のような絵にいきつくというのも、面白いです。

    しかし、あらためてこの作品を振り返ってみると、もう妙子の思い出の場面は、だいぶ水彩のようなタッチだったんですね。いまさら気付いた。要するにこの作品はまるでタッチの違う絵が一つの作品になっているという意味でも画期的で、そのときの苦労話を「耳を澄ませば」で監督をした故近藤善文さんが語る文章も面白いです。

    要するに、公開当初の記事から、書き下ろしの批評まで、まるごと一冊「おもひでぽろぽろ」本です。個人的には、村山由佳さんの文章が、作家さんらしい発想で書かれていて面白いです。

  • 私はワタシと旅に出る。

  • アニメ制作って大変だろうと頭では思っていたけれど、想像を絶する世界だなあと改めて。思いもよらなかった。白の表現の豊かさ、表情の描き方、録音の仕方、背景の動かし方、音楽への気配り、わずか数秒のために費やされる膨大な労力……。頭が下がります。

    それを知ることができただけで嬉しかったのだけれど、自分がエンディングを誤解していたことにビックリ! いやーアレは誤解する人のほうが多いのでは? でも、真実が知れてよかったです。

  • 【スタジオジブリの隠れた名作、登場!】私はワタシと旅にでる。――27歳と小学5年生の自分との間を行き来しながら、タエ子は何をみつけるのか、岩井俊二らが読み解く。

  • 私の一番好きなジブリ映画は、おもひでぽろぽろだ。
    ジブリ映画と括らずとも、好きな映画の中の一つ。

    そのおもひでぽろぽろを、いろんな人が、いろんな視点から語る本です。
    おもひでぽろぽろの制作に携わった人たちの仕事への情熱や、考え方や、必死さや、貫きようや、そして、その技術について。
    技術について、作画の方法を語っているのに、それは、一般的な仕事全部に当てはまる普遍的な仕事への考え方が伝わってくる。
    やっぱり、一心に、こだわって仕事するってすごい。


    そして、物語の分析もいろいろな人が。いやいや、それは違うよ!と思うよな解釈もあるが、どう捉えるかは、人次第ですからね。と思う。

    高畑勲のはもちろんだが、ひょうたん島のがとてもいい。
    人は傷ついたり、落ち込んだりしながら、なんやかんやして、なんとか、生き続けるのです。


    「ぼくはこの映画を、観て楽しんでもらっているうちに、自分のこもが思われて来て、映画とのフィードバックが繰り返されていき、いつの間にか結局自分について考えてしまう、というような映画にならないかなあ、と思って作ったんです。」
    P176

    その通りになりました。
    私はいつも、この映画を見る度に自分について考えてしまう。

    「この映画では、「思い出」にひたるという叙情的な事ではなく、過去を自分の歴史、自分の一部として、今現在に生きている自分の中に位置付けようとしていく心の動きとしての「回想」を大切にしたいからです。」p186

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