出発点―1979~1996

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著者 : 宮崎駿
  • スタジオジブリ (1996年8月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (580ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784198605414

出発点―1979~1996の感想・レビュー・書評

  • 「コクリコ坂から」の著者、高橋千鶴さんのファンだと告白した章が最高に面白かったです。映画で一仕事終わると、森の中の隠れ家に車で行き、姪の置いていった「なかよし」や「りぼん」を一人で何度も読みふけるとか。

    記憶に基づいて書いてるので、漫画の雑誌名や「姪」だったかは不明ですが、宮崎さんの面白さが爆発した文章は楽しかったです。

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    所在記号:778.77||ミヤ
    資料番号:10233082
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  • キャラクターの解放。
    法隆寺へあるいていく意味。
    鳥には風が見えている。
    寿命について、人と人、人と獣、人と蟲たち。

  • 途中までは頑張って読んだけど、半分過ぎたインタビューあたりから辛くなってきた…
    いつか全部読みたい。

  • 勝手からずっと積みっぱなし。
    映画に関して云々だった気がする。

  • 主題をはっきりとさせる。主題というと、文明批評とか、世界平和とか大袈裟な看板を考える人もいるが、ここでいう主題は、もっと単純で素朴で、つまり根源になるものだ。世界平和で正当化した死臭漂う戦争マンガ、真面目に生活している人間…だからありきたりだし平凡な人々…への軽蔑に裏打ちされた英雄の美化、大きな看板ほど、いい加減な作品の隠れ蓑になりやすい。大切なことは、しっかりと裏付けのある人物たち、その人間たちが生きることを肯定している人たちであること、その人間の願いや目的がはっきりしていること、そしてできるだけ単純で無理のない筋の運び、だと思う。

    実に多くの場合、メカと呼ばれるものへの関心が、無意識の、力への志向によってかきたてられている。

    通俗作品は、出会いの瞬間に意味がある。作品の内容と同じ重さで、受け手である観客が、どのような精神状態にあるかが作品の意味を決定づける。問われるのは永続的な芸術としての価値ではない。自分を含め観客は常に中途半端な理解力や、重要な兆しを見落としがちな能力しか持っていない。その観客が、日常のガンジガラメや、やりきれなさから解放され、鬱屈した感情を吐き出し、思いもかけぬ憧れや素直さや、肯定を自分の中に見出して、少しは元気に日常へ戻っていく。それが通俗作品の役割なのだと思う。たとえ数分後に、その映画のセンチメンタリズムを嘲笑したとしても、作品は自分にとって意味を持つのである。だから通俗作品は、軽薄であっても真情あふれていなければならないと思う。入り口は低く広くて、誰でも招き入れるが、出口は高く浄化されていなければならない。

    映画を観て、あそこよかったな、というのはクリスマスツリーで言えば、輝いてぶら下がっているサンタクロースとか、光ってる星とかね、提灯とかローソクとか、そういうものを観て、あれはよかったとか言うのと同じなんですよ。で、そういう物ばっかり作る人がいるんです。星とか、そういう物を並べれば、面白がるんじゃないかと思ってね。これ駄目です。それ、クリスマスツリーになりませんから。クリスマスツリーっていうのは、木がないと駄目なんです。幹がないとクリスマスツリーにならないでしょ。幹がいるんです。立派な幹がね。ドーンと通っていて、、そこに葉っぱがついていて、だからデコレーションがくっつけられる。その葉っぱもなければ、葉っぱは付いていても、幹がなくて枝も付いていなかったり、葉っぱとそのデコレーションだけぶら下げたりして、これじゃクリスマスツリーにならないから駄目だって言うと、今度は幹だけ来るんですよ。「人類の運命は……」とかですね、こんな太い幹だけが、丸太がドーンと立っていて、枝も葉っぱも何も付いていないんです。重いあたる節がある方もいらっしゃるんじゃないかと思うんですけど(笑)、そういうシナリオがものすごく送られてくるんです。僕も高畑さんも、なんかエコロジストだと錯覚してる人がいて、そういうテーマさえあれば、メッセージさえあれば、映画は出来ると思ったりする。とんでもない間違いですね。

    かつての物語の主人公たちにとっては、艱難辛苦の末、獲得する経済的自立が精神的自立そのものでした。今日、フリーアルバイター、モラトリアム、トラバーユ等の流行語が示すように、経済的自立は必ずしも精神の自立を意味しません。貧困は、物資的貧しさよりも、心についてより多く語られるべき時代なのです。親元を離れるのも通過儀礼というには軽すぎ、他人の中で生活するにも、一軒のコンビニエンスストアで足りてしまう時代に、少女たちが直面する自立とは、いかに自分の才能を発見し、発露し、自己実現するかという、ある意味でより困難な課題なのです。

    宮崎駿は極端な照れ屋である。彼は本来子供のように無邪気で純真でわがままで直情的であり、したがって欲望は... 続きを読む

  • 創造とはどのようなことか、創造のプロセスはどのようなものか、創造の秘訣などについて、文献から学んでください。特に、物語をつくるときに、先が見えないなかで時間展開を追いながら書いて/描いていくという「つくり方」について意識的に読んでみてください。

  • 10年以上前、父親と一緒に行ったジブリの原画展で買ったものを宮崎駿監督引退を機に本棚から引っ張り出して読んだ。

    冒頭の方で宮崎駿が作品をつくるに至る原体験を知ることが出来、ジブリ作品の主人公に少女が多いことの理由がわかる。

    全編に渡って感じた事は宮崎駿は職人であり、リアリズムの人であること。
    個人的にジブリ作品には、物語の展開に疑問を持つものがいくつかあるが、それも、監督よりアニメーターという仕事にこだわる宮崎駿のスタンス、仕事のやり方から窺い知れば理解できる。

    著名人との対談も多数収録されているが、中でも司馬遼太郎との対談で
    『もののけ姫』の舞台となった室町時代の農村の話やら当時の階級やら自然の話は、両人ともどれだけの知識量を持っているんだろうと感服する内容だった。

    後半には環境問題は自分が実際に身の回りの川を掃除したりした方がよっぽど気持ちが良いみたいな発言があるが、そこもまた実践を重んじており、宮崎駿自身のリアリズムを追求した作風と通ずるものがあって、説得力があった。

  • 宮崎駿ってほんとにすごいんじゃないかと、今さらながら気がついて、彼の書いた文章や、言葉や、考え方に触れてみたくなって手に取ってみた本。
    これを読むと、宮崎駿がこの世界の動きや、人々の心の中をよくよく感じ取って作品を作っていることがよくわかる。
    また、彼の作品がそのために存在しているということもよく分かる。
    ジブリの作品が、宮崎駿の映画がなかったなら、日本は今よりもぐっと元気のない国だったんではないか、そう思えてくるほどだ。

    「伝えたいこと」「哲学」「世界を観る視線」そんなものがしっかりと彼の中に根を下ろしているにも関わらず、その映画は誰がみても楽しめるエンタテイメントなのだ。
    それが、本当にすごい。

    私がこの本を読んで分かったことは、私にはその世界をみる視点がないということ、その目を養うための訓練をずっとしてこなかったということだった。
    借り物はいやだ。
    私も、自分でこの世界をきちんとみてみたい、感じてみたい。
    それでないと、自分の人生を全うできない気がする。
    存分に生きられない気がする。

    勉強することは、そのために必要だったのだ。
    高校生のときとかに分かっていればなあとも思うけど、
    その時は分かんないんだよね。

  • 偏屈爺ということがよくわかるという点で、良い。インタービューワーによっては明らかにいらついている。

  • 風立ちぬを観て久しぶりにジブリ熱が上がりに上がり、原画展に行き、DVDを買い、それでも飽き足らずDVD借りて観たりする毎日。
    そんななか本書も通勤中にちびちびと読んでいたのですが、とにかく重い。ひたすら重かった。

    ・アニメーションを作るということ
    ・しごとの周辺
    ・人
    ・本
    ・好きなこと
    ・対談
    ・企画書・演出覚書
    ・作品
    ・エロスの火花(高畑勲)

    どーんと、580P。ぎっしり。
    33年分、文章として残っているものを全部詰め込んだ感じ。
    映像ではなく、言葉で宮崎駿という人物が具体的にどう凄いのかがわかる本だと思いました。
    でも本人は絶対そんなつもりでこの本を出したわけではないと思うし、
    多分鈴木さんにそそのかされての事なんじゃないかなあなんて思ったり 笑。

    宮崎駿について一番手っ取り早く理解できるのは巻末に描かれたパクさんの文章で十分。そのくらい素晴らしいあとがきというか解説でありました。
    でもやっぱり宮さん自身が何を思って何がしたくて作品を作っているかとか、あの映画のあのキャラクターはどうして生まれたのかとか、そういう細かいことも含め、本文がとても興味深かったです。
    対談もえらい豪華だったし。批判もいっぱいしているけれど、理由が明確だし、なんというか、すべてにおいて信念の強いひとだなと。
    個人的に口だけのひと...言うだけで行動しない人が一番嫌いなんですが、宮さんの場合は言うけど、やる。
    今の日本は駄目だと言いながら、毎朝近所のゴミを拾い、子供のために映画を作る。
    正しいか間違ってるかは別として、私はすごく好感を持ちましたね。
    映画ではなく、宮崎駿と言う人間がさらにすきになりました。

    小学生の時、初めて映画館でナウシカを見たときの、強い衝撃。
    あの時の自分が何を感じ何を思ったのかはもう忘れてしまったけれど
    なんかすごいものを観たという感覚だけが残っている。
    それから数十年、いい歳した大人になってもジブリに夢中なんてきっと宮さんは良いことだとは思わないし。喜びもしない。
    だけど、72歳になってもアニメーションがやめられない宮さんと一緒で、私もやっぱりジブリ好きはやめられない。そう思いました。

  • 先の見えない高校生の頃。
    現実で行き詰まっている訳ではないのに、たぶん人生の中で一番苦しんで、じたばたしようにもできなかった頃。

    この一冊に救われた。

    大人って、捨てたもんじゃなかったんだって思えた。
    すごい、かっこいいって思えた。

    いろんなことを知りたい。
    世の中をちゃんと見たい。

    そんなことを思って、救われた一冊。

  • 本書は「宮さん」ことアニメーション映画監督・宮崎駿の書いたエッセイや企画書に演出覚書さらには司馬遼太郎らとの対談にくわえインタビュー等90本を収録したまさに「思想書」とも呼ぶべき一冊でございます。

    本書は宮崎駿監督が1979年から1996年まで綴ったエッセイや企画書、さらには演出の覚書や私淑する司馬遼太郎らなどの対談やインタビュー記事を90本にもわたって収録したまさに『思想書』とも言うべき膨大な記録となっていて、その内容のあまりの濃さに読み終えた後はしばらく放心状態になっておりました。

    具体的な作品に関してはスタジオジブリ製作前の「パンダコパンダ」や『アルプスの少女ハイジ』に始まってナウシカ、ラピュタ、紅の豚などの代表作に始まり「コクリコ坂から」についても触れてあって、「あぁ、この頃からあの企画は暖めてあったんだ」という思いと、後に「300日戦争」とも言われる息子・宮崎吾朗氏との相克の理由がなんとなくわかるような気がいたしました。

    さらに、解説ではパクさん(スタジオにいつも遅刻ギリギリに入ってきて水道水を飲みながらパンをパクパク食べていたことから命名)こと高畑勲監督による宮崎駿監督評もこれまた秀逸で、その中でも一番驚いたことはあのハードワークといわれるアニメーション製作をしている宮崎監督の『休息方法』とはなんと、スタジオの経営やスタッフの席替えなどの陣頭指揮、さらにはジブリ美術館の設計図を自ら引くなどの『別の仕事』が彼にとっては『休息』という普通の人が聞いたらド肝を抜かれそうな仰天エピソードが書かれてあって、表紙にも描かれているくわえタバコにギンギンの顔で机に向かっている自画像はまさに当時の筆者そのものなんだなぁと思いながらページをめくっておりました。

    この本を読んでいる途中、テレビで『風の谷のナウシカ』が再放送されており、結末はわかっていてもつい最後まで見ておりました。ここには、ナウシカ製作当時のウラ話や作品にこめたメッセージが当時のインタビューにこめられていて、同時進行していたマンガ版のナウシカとの兼ね合いや、二人三脚で歩んできた高畑勲監督をはじめとする製作スタッフとの緊張関係にわたるまで、本当にはじめて知るようなことがてんこ盛りの内容でした。

    そして、尊敬する司馬遼太郎との対談や、手塚治虫が他界したときの追悼メッセージに書かれた彼への『訣別』の思いなども収録されており、アニメーションを芸術の域にまで消化させた人間の生々しいまでの『息遣い』が収録された一冊であると思います。

  • 天才はいかにも大きな矛盾を抱えながら取り敢えず現実とも折り合いをつけながら創造してゆくものなのだなぁ、と思いました。自分でも所詮マンガ映画という視点を強烈に持っているところが強いような気がする。

  • 「宮崎駿は矛盾のひとである。そして作品より本人の方が面白い。」
    やはり人間がおもしろくなければならない。

  • 矛盾を常に抱えた姿はリアリティがある。
    権威を誰よりも憎んでいるのに権威になっている。
    殺し合いは愚かだ!と怒りつつ戦車や戦闘機が大好物。
    子育てをしなかったくせに子育てを語る。

    そんなムチャクチャな人だから面白いものを作れる。
    発言に滲み出ている激情こそが映画を作る原動力なんだなぁ。

    「自分の極論に拮抗して弁証法を発展させるべき手応えのある相手を欲している」という高畑勲による宮崎評は面白い。
    それがジブリ内にいない故の葛藤。
    司馬遼太郎に懐いたのは自分を遥かに超える知の人だったからか。

    昔のインタビューでクソジジイになりたいって言ってるけど、見事になったのは笑える。

  • きたない絵になるところを、とるに足らない程度であっても、ましな画面にしていくこともできる。そして、相手が油断して、スキができるのを狙いつづけるのだ。
    言い訳を止めて、日常的に努力している者にだけ、そのスキ間が見える。...
    ...そして、君はそのときはじめて作品をつくる、あのおののきを感じることができる。
    スキを狙いつづけ、いつでも走り出せる準備をしておくこと、それがこの職業の"希望"ということなのだ。 (p54)

    他人が面白がりそうなものではなく、自分自身がみたいものでなくてはならない。ときには一大長編が、少女の首のかしげ方のイメージから始まってもいいのだ。(p57)

    いい古された話ですけど「法隆寺に行きたい人は、はるか彼方のところで汽車を降りて田舎道を歩いていくべきだ」というのがあります。長い時間をかけて歩いていくと、松林の向こうに法隆寺のてっぺんが見えてきて、しだいにその全容が見えてくるわけですね。
    自分の足で、たずねていったから味わえることなんです。法隆寺に行くまでの自分の行為が困難であればあるほど、その出会った感動は大きいということです。今の日本の文化状況で足りないものは、この"自分でたずねていく"という行為じゃないかと、ぼくは思っているんです。(p79)

    うんと困ってると、もう少し奥の脳が考えてくれるんです...と思うしかないんですよ。自分の記憶にない過去の体験とか、いろんな物が総合されて、これなら納得できるっていう、それが自分の能力の限界だと思うんですけど、そういうのがポッと出てくるもんだと思うんです。
    だから、要はそこまで自分を追いつめられるどうかなんです。それが一番大事なこと。(p140)

    ぼくは結婚してから、十年以上、寝床で必ず読む本があったんです。小さな国の軍用機ばかり集めた本で、もうボロボロになりましたけどね。(p351)

  • 2作目の「折り返し点」より、
    こっちのほうがずっとよかった〜!!!

    後半の作品についての語りのサラリーマン時代の話は
    アニメの技法など専門的な話が多くちょっとダレたけど、
    それ以外はすべて読み応えたっぷり。

    キャラクターを「解放」してあげることを気にするんだとか、
    (“いい子”であるサツキを爆発→号泣させてあげるとか)
    主人公は理想的である必要とか、
    アニメは“虚構(嘘をつくこと)”だから、“リアリズム”が必要とか、
    (見る人に「そういう世界もあるな」と思ってもらえる嘘)
    機械に感じる献身的なピュアの話…
    (だから男の人はメカとかが好きなのかも?)

    たくさんありすぎて、早速忘れてしまっているけど、
    ハッとさせられたり、なるほどな~と
    思わせてくれる言葉ばかりだった。

    司馬遼太郎さんにぞっこんラブな宮崎さんは新鮮で、
    お父さんが随分いいかげんというか軟派な人だったらしく、
    (分裂してる宮崎さんが、それなりに自分と折り合いを
    つけられているのは、お父さんの影響かな)
    宮崎さんにとって司馬さんは、
    心理的な「理想の父」の姿だったのかな、と思った。
    人に対してある程度の距離感と「自分」を
    持って接してる人なのに、
    司馬さんに対してはかなり感情的な愛を感じた。

    マンガ映画をクリスマスツリーに例える話は、いつか年寄りになったら、物語を書いてみたいと思っている私には、すごく参考になった。

    『一番目につくデコレーションのキラキラピカピカをだれもが楽しむし、つくり手も力を入れたがる。しかし、デコレーションは枝と葉がなければつけられない。その枝葉も外からは見えない幹と根があってはじめて繁る。どんなにデコレーションの星や人形に工夫をこらしても、幹がなく根がないためにうすっぺらな作品みなってしまった例はたくさんある。根がないことをさいわいに、幹に竹をつなぎ、鉄やプラスチックをハンダづけして、新奇をこらしたつもりが、結果的には少しも楽しくないおもいつきの陳列になった作品もある』

    宮崎さんがどういう気持ちで映画を作って、
    どこに執着していて、
    何を求めて作っているのかが、随分よくわかるようになった。

    ずいぶん偏っている人だということも…改めてよくわかった。

    宮崎作品、片っ端から見直したいな〜
    (ファンのわりに、手元にひとつも映画作品が無い…)

    ああ、もうひとつ書き留めておきたい箇所があったんだけど、
    探し出せなかった。(仮想敵?の話。他の本と同じことが書かれていて、すごく気持ちよかったのだけれど…)

    図書館でか貸りた本だけど、絶対買う!

  • パヤオの哲学書。こんなずば抜けた慧眼を持ったアニメーターは二度と現れまい。

  • なんだか昔からあんまり好きなおっさんじゃなかった(偉そうだし、全体的にみるといってることが首尾一貫してない)けど、でもそういうのはエネルギーの表れなんだなって思えた。口でべらべらしゃべってても作ってるものはすごいんだから、まあ尊敬できる。たぶん基本的には自分と同じ部分があって、その部分が自分のいやなところをみているみたいで落ち着かないんだろうなあと思った。興味深かった。

  • 自分の根源

    エネルギーが湧くところを支えてくれる

    弱気になったときに叱咤激励してくれる

    幼いときから今までずっと

  • さかのぼって、再読。

  • この本には「通俗文化」という言葉がよく登場する。
    この言葉の意味するところはつまり、中身のないアニメ、爆弾や鉄砲といった小手先の道具で子供たちの関心を惹き、メッセージ性が欠如したアニメのことである。テレビアニメ全盛期において、大量のアニメを効率よく生産するために、一つ一つの作品が真剣に描かれなくなったことで、アニメはその価値を落としたと宮崎駿はことあるごとに語っている。当時、20~30代の働き盛りで、野心に燃えていた宮崎駿はこの状況に憤慨し、「自分は二番煎じではなく、新しいものを作る!」という信念が今のスタジオジブリの原動力となったと言っても良いだろう。

    最近の作品でこそ、宮崎駿の思考回路が複雑化し、観客の共感が得られにくくなっているとは言え、その姿勢はスタジオジブリ創設当初は強固なものだったのだろう。その一端は本書にも掲載されている企画書からも伺える。映画会社に所属する人間として、あんな熱い企画書は見たことがない。「勇気」とか「希望」とか、当たり障りの良い言葉がまかり通る中(しかも、それが企画書として通ってしまう!)、観客に迎合し過ぎることなく、しかし、確かな信念を持った企画書に正直惚れ惚れしてしまうのであった。

    しかも、企画書自体にはそんなに難しい言葉は出てこない。宮崎駿自身が身近で感じたことの延長線上に『ナウシカ』や『ラピュタ』や『トトロ』の壮大な物語があるのである。「人生に必要なことは半径3m以内に全てある」とは言うは易し、凡人には中々気付かないことも多い。しかし、類まれなる洞察力・観察力を持った宮崎駿はその気付きのきっかけを観客に与えようとしているのである。


    さて、宮崎駿は信念を持った映像作家であることは本書を通して良く分かったが、その作り方はその信念とは無縁の型破りである。まず、確固たるテーマがあるにも関わらず、脚本やシナリオを書かない。いきなり絵コンテを書き始め、スケジュールが間に合わなければ、絵コンテが完成する前から、作画を始める始末。しかも、その絵コンテも人物の髪質がどうとか、モノの配置はどうとか、ディテールから入っていくというから驚き。

    なかなか一括りには語れない多面性を持っているのが、宮崎駿なのだ。これを機に是非「折り返し点」も読みたい。

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