- Amazon.co.jp ・本 (53ページ)
- / ISBN・EAN: 9784198616366
感想・レビュー・書評
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本書は、「おもしろ荘の子どもたち」、「川のほとりのおもしろ荘」に登場した姉妹、「マディケン」と「リサベット」の描き下ろし絵本を元として、原画はそのままに縦書きの読み物として出版されたものだそうですが、ほぼ全てのページに付いている美しい絵と、目の離せない物語が一体化した素晴らしさで、あっと言う間に読み終えてしまう楽しさには、絵本さながらの魅力を感じられ、その子どもたちの共感を最大限に引き起こしてくれるような、絶妙なストーリーテリングには、さすがアストリッド・リンドグレーンだと思わせるものがあった。
以前読んだ『長くつ下のピッピ』は、子どもたちの「こんなことがあったら面白いのになあ」という、どちらかというと、子どもたちの夢を乗せたファンタジーよりの痛快な物語というイメージだったが、本書の場合は対照的に、とても現実的だからこそ、思い切り共感出来るものがあって、更にその中には、家族それぞれの思いを満遍なく滲ませてあることにより、子どもも大人も相互に、自分以外の家族の気持ちを考えさせられる点に、児童書に留まらない読み物としての普遍性があるようで、それはおそらく、いつの時代に読んでも、ハッとさせられて、最後には思わずホッと胸をなで下ろす、そんな誰もが子どもの頃を体験しているからこそ共感出来る、変わることのない普遍性だと思う。
物語のポイントは、とてもシンプルで、妹のリサベットが帰り道の分からない森に置き去りにされた、ただそれだけであり、そうなった理由は、お手伝いのお姉さん「アルバ」の言い付けを守らなかったからと聞くと、なんだ自業自得じゃないかと思う方もいらっしゃるかもしれないが、そこに至る過程を知ることと、大人になった方も子どもの頃は、どんな気持ちで日々遊んでいたのかを考えれば、もしかしたら、その印象は変わるのかもしれないと思わせた点に、本書のメッセージがあるような気もする。
子どもと大人の違いというのを、敢えて挙げるとするのならば、時に予測できない事態に立たされたときに、それを解決しようとする選択肢の数だと、私は思い、それは石井登志子さんの訳者あとがきの『子どもの頃は、毎日毎日が一大事の連続』からも感じられた真剣さのあまりに周りが見えなくなる、視野の狭さによって、どうしようもない事態に陥ることもあって当然だと感じ、まして、それが男の子に出来ることならば私にだって出来ると、つい対抗意識を燃やしてしまうのが発端なのだとしたら、そこに宿るものこそ、子どもにとっての仕事でもある、全力で遊ぶことへの純粋な感情なのだと思うし、そんな負けん気が、後の自分を形作る要素にだってなり得るのであれば、その結果そうなったのだとしても、決して悪いこととは思えないのである。
とはいえ、そのひとりぼっちになってからのリサベット(たぶん5歳)の描写は、読んでいて、とても痛々しいものがあり、最初は力の限り走り出すが、泣きながら走るのはとても大変で、ついに雪の中に立ち尽くし泣き叫ぶ姿は、見ているのが辛く、おそらくお子さんがいらっしゃる方ならば、もっと入り込んでしまうのではないかと思ってしまうくらい、切々と訴えかけてくるものがあり(その後のひとときの温もりを経てから、またひとりに立ち帰る決意も切ない)、その要因の一つには、リンドグレーンの殆どの作品を手がける、イロン・ヴィークランドの絵もあると思われた。
それは、そこで長く暮らしているからこそ描けるような、確かな説得力を感じさせられた、その密集する木々や雪の一粒一粒も濃密な表紙の絵にも表れており、そこで楽しそうに雪合戦をしている二人の姿を見守るというよりは、その幻想的雰囲気も相俟って、どこか超然としながらも確固とした存在感のある様に、改めて自然の底の知れない美しさと怖さの同居した神秘性を窺わせ、それは、森の雪道でひとりぼっちになったリサベットを見下ろす森の絵の、この世ならざる幽玄とした達観ぶりにも表れていると感じられた。
しかし、彼女の絵にはそうした雰囲気とは真逆のものもあると思い、それは、どこまでも果てしなく深い森の雪景色の中にもしっかりと存在する、人や動物の姿であり、その場面のリサベットの心情を映し出した描写には、たとえ暗くなった森の雪景色を寒色系で描いたものであっても、上記した、昼間のひとりぼっちのそれとは全く異なる、ほのかな温かさが絵から立ち上るようであり、それは、人や動物の優しさが自然に働きかけることによって、共に温かい気持ちにさせてくれた、まるで子どものために世界が一体化したような、そんな喜びを与えてくれる感覚であった。
そして、その喜びの一方で、リサベットがいなくなったことを心配する家族の悲しみとの対照性も、更に際立つものがあることから、今度は子どもが改めて知る家族の真摯な思いであり、その、「こんな気持ちにさせてしまうのだな」ということから実感させられた家族の素晴らしさは、姉マディケンの、『あきれた子ね。でもだいすきよ』からも感じ取れた、たとえ何をしてもその子を認めてあげることが大切なのだといった、一人の人間としての存在を、信じることの大切さを教えてくれたように思われたのが、何よりも印象深かった。
また、それは、訳者あとがきに書かれていたリンドグレーンの言葉である、
『必要とする時にいつも両親がそばにいてくれるという安心と、かまわずに遊ばせてくれる自由というふたつが、楽しい一生を生き抜く力を与えた』
からも肯けるものがあり、その安心と自由から生き抜く力を得るというのは、本書のみならず、まさに『長くつ下のピッピ』そのもの(ピッピの場合、両親が天から見守ってくれていると固く信じているし、信頼できる友だちもいる)ではないかと感じられて、そんな実体験があるからこそ、彼女の作品は子どもたちに大きな共感を呼ぶのであり、また、14歳でエストニアからスウェーデンに亡命してきた、ヴィークランドが、彼女とこんなに長く一緒に楽しく仕事が出来たのは、自由に描かせてくれたからだというエピソードにも肯ける(見返しの、空から俯瞰した「六月が丘」の優しくも緻密な箱庭感も凄い)、彼女が両親から得た、子ども時代の色褪せることなく輝き続ける力が、やがては世界中の多くの子どもたちに届けられて、更にそれを読んだ子どもたちが大人になって、また子どもたちへといった、そんな普遍的で素敵な思いがいつまでも受け継がれていく夢のようなことも、リンドグレーンの作品ならば、きっと可能だろうと思える、そんな力が物語のそこかしこに、ささやかなエピソードとして確かに息づいているからこそ、彼女の作品は忘れられることなく、いつの時代に於いても読み続けられるのでしょう。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
越高綾乃さん紹介
クリスマス -
マディケンとリサベットシリーズは、私の中ではピッピシリーズより上にくるのだが、その理由は内容もさることながら、ヴィークランドの絵にもあると思う。(ピッピはどの絵もしっくりこない)
これはヴィークランドの絵の美しさが堪能できる本。
スウェーデンの雪の森、暖かい台所、小さな子供部屋。そして、なにより子どもの愛らしいこと。リサベットの勝ち気で大胆だけど怖がりで、人懐っこい様子が、文章からも絵からも伝わる。
見ているだけで幸せになる本。 -
現代で、もし、こんなことがあったら、新聞沙汰!
・・・というお話が、何事もなく描かれる、古き良き時代の絵本。
イロン・ヴィークランドの絵が、息を呑むほど、美しい。
(エストニアから14歳で亡命した画家さんだそうな、どこかそんな香りが♫) -
死んじゃうって思ってても、怒ってるところが
強いな~って(^^; -
かわいい。
絵がいい。 -
〈六月が丘〉に初雪がどっさり積もった日曜日、5歳のリサベットはおねえちゃんのマディケンと大はしゃぎ。
でもマディケンはそのせいで翌日には熱をだしてしまい、リサベットはお手伝いさんとふたりで町へクリスマスプレゼントを買いに出掛けます。
お手伝いさんが買い物を終えるのを待つ間に、リサベットは薪売りのおじさんのそりの後ろに乗り込んでしまいますが、お酒を飲んで酔っ払っているおじさんのそりはどんどん進み、森の中までやってくると、そこでリサベットを降ろしていってしまいます。
家から遠く離れた森の雪道でひとりぼっちのリサベット。
暗くなっても帰らない妹が心配でたまらないマディケン。
どうしたらいいの……?
「長くつ下のピッピ」「ロッタちゃん」シリーズなどで著名な『子どもの本の女王』リンドグレーンが描く、小さな姉妹の物語。 -
クリスマス前のワクワクした気持ちが伝わってくる、本の中の歌がいい!
「いかなる時も 神にまもられ
なやみくるしみに であうとも
ものみな 神の み手にやすらえば
子どものように おそれることなし」 -
クリスマス前に迷子になってしまうリサベット。心配する家族。降り続く雪の絵がとてもきれい。