- Amazon.co.jp ・本 (213ページ)
- / ISBN・EAN: 9784198620066
作品紹介・あらすじ
古典から現代まで、児童文学の流れがコンパクトに頭に入る画期的ガイドブック登場!世界14カ国の児童文学47作品を一挙解説!各作品ごとに著者略歴とあらすじを掲載!それぞれの作品が書かれた時代の、世界の動きがわかる関連年表付き。
感想・レビュー・書評
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子供の頃から児童文学には触れてきたが、それでも膨大な数がある本の中でまだまだ読めていない本がたくさんある。そんな中、本書は、知っているようできちんと読めていない本や、大人の目で読むと「そんな読み方もできるのか!」という新たな発見があることを示してくれていた。
本書を通して、子供を取り囲む環境の時代変性や、子供自身には選べない環境を作り出しているのは大人だと痛感した。
いま一度、子供のように読み返すのも良し、人生経験を重ねた大人として読むも良し、まさに「大人のための児童文学講座」だとおもいます。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
久々に、3度目。児童文学を大人が読んでみることのおもしろさを伝えたいと著者は言っています。同感。
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世界14か国の児童文学作品47が掲載されている。
小さいころ読んだ記憶のあるものが、こんなにも深い意味があったのだと衝撃を受けた。
その時代背景から、孤児や女性像、離婚、等を物語る上での児童文学が、書かれている。
ピーターラビットは、父親が、出てこない。
食べられたことになっている。
この本でも、若草物語は、父親の影が薄い。
キティちゃんのパパにしてもしかりである。
読んでなかった本もあり、児童文学は子供へ書かれた本だと思っていたけど、大人になって読み返してみると、今まで見えなかったことが理解できることがわかる。
スマホの画面ばかり気にしている人たちへ、本への面白さを知ってほしい。
今朝の新聞で、小学生から、スマホ教育のように書かれていたが、、、本の楽しさをわかってほしいものだ。 -
迷うことなく★5つ。
『大人のための児童文学』は、児童文学が好きな人だけでなく、すべての“大人”にオススメしたい!
児童文学が好き、という気持ちから手に取った本書『大人のための児童文学』だけれど、
児童文学が好きな人だけでなく、全ての大人にオススメしたい作品だ。
「児童文学」と言えば、間違いなく、子どものために書かれた作品のことである。
けれどそれは、大人が読んでもつまらない、というものではないし、
むしろ「大人が子どもに向けて書いた」ものであるからこそ、その時代の背景や、著者の考えや生き方に対する姿勢が、どうしても滲んで見えて来てしまうものである。
つまり児童文学は、大人の視点で読んでみても、十分に興味深いものだと思うのだ。
個人的には、「子どもを甘やかしていない」作品が好きだ。
つまり、手加減や見くびった視点のない、まっすぐにぶつかってくるような作品。
そうした児童文学のスゴイところは、子どもでもすんなりと理解できる言語を使っているのに、どこまでも真摯に向かってくるところだ。
作品によって、ではあるが、小難しい言葉を並べただけの、展開のディテールを練って詰めただけの大人向けの小説なんかより、ずっと重いパンチを喰らわせてくることが多々ある。
それが児童文学だと、私は考えている。
この本では、そういった良作が数多く紹介されている。
「家族をめぐって」と「子どもを考える」の2種類に分類し、時代背景や著者のメッセージや思想に切り込んで行くカタチで、それぞれの作品が紹介されているのである。
『赤毛のアン』『あしながおじさん』『海辺の王国』『床下の小人たち』『フランダースの犬』『トム・ソーヤーの冒険』『車輪の下』『ピーター・パン』『秘密の花園』『銀河鉄道の夜』『マリアンヌの夢』『モモ』『宇宙のみなしご』などなど……。
幼い頃に読んだこれらの作品と、私は本作のおかげでもう一度、出会いなおすことができた。
しかも、当時ではわからなかった視点で。
当時とは、随分と違った姿で。
ここであげたのは、この本で紹介されている本の半分にも満たないものだけれど(全部で47点ある)、
今でも印象に残っている、時々は思い出す、印象深い作品ばかりだ。
本作の解説というカタチではなく、もう一度あらためて、手に取ってみようと思っている。
……この本自体、実は図書館で借りたものなのだけれど、非常におもしろかったので、本屋で発注をかけてもらう予定でいる。
もしくは、Amazonで探してしまうか。
この1冊は、ぜひ、ぜひ手元においておいて、またいつでも出会えるようにしていたいと思う。
良作。すばらしい!! -
何気に手にとった本だけど、読んでみれば結構衝撃的でした。
前書きより「子どもは自分の思いどおりに生きていけるわけではありません。自分が育つ家を選べるわけでもありません。与えられた居場所で生きるしかないのです。そこは子どもにとって居心地がいいのか、そうではないのか。子どもはそこにいた方がいいのか、そうではないのか。児童文学は、そうしたことを検証する資料でもあります。 この本では、「家族像」と「子ども像」に焦点を合わせて読むことで、児童分がkがそれらをどのように描いてきたかを考えてみました」
後書きより「たとえば『富むは真夜中の庭で』。「孤独」や「喪失感」、そしていささかほろ苦い「再会」の感動。人の心の中で起こるそうした感情を、文学がこれほどシンプルでありながら微細に描けるとは、思ってもいませんでした。それもむずかしい言葉や描写を使用することなく、トムと同じ年齢のどくしゃにもわかる書き方で。 児童文学は、子どもを読者対象とすることで、その他の文学とは別の手法を発展させてきたのではないか?」
若草物語 虚栄心の強いメグ、自己主張の激しいジョー、内気すぎるベス、自分勝手でわがままなエーミー。読者の大半は、そのどれかに思いあたる節があるように作られています。
最終的には「小さな婦人」つまり理想の家族像や女性像を得る物語ですが、そのメッセージを無視して、たいていの読者は自分の考えをはっきりと述べて行動するジョーを支持しています。彼女のようになりたいと思って。そのために父親は不在で、自立した女の子を描いている。
赤毛のアン 孤児のアンは想像力によって「私の世界」を築いている。物や風景に名前をつけるのは、それらを所有することと同義です。家族の中で居場所を確立するに従って、アンの想像力は奥にひっこんでいく……。
少女パレアナ 児童文学は恋愛結婚支持派。「隠された恋愛」
男の子は旅に出て、過酷な状況を経て、家に戻って大人の男になる。野生を手放し、文明・理性・科学という役割を得る。
自分の足跡を世に残したいのは男の願望。歴史はHis Storyが語源。
女の子は 想像力を手放し、現実・実務・日常という役割を得る。
疑似家族の体験を通して、「自分がだれなのかは、自分で見つけなければいけない」。自分にふさわしい新たな家族を探す旅。家族の形を自分で選択する。
父親は時として、子どもの成長(もしくは秀でた能力)を認めることができない。
<子ども像>
家にいながら、「外の世界」をどれだけ知っているか、どれだけ憧れているか。
ワンダーランドのナンセンスは、頑固な論理によるナンセンス(ほぼ日常)。
子どもは人形などの小さな物をあやつる「大きな私」を楽しむ。
大人を基準にした論理を子どもに押しつけられるのが、子どもは不満。
「学校の子ども」像。子どもらしい子ども、子どもらしくない子ども。
文明社会を享受し手放すつもりはないのに、自然に憧れる。それは理想のまぼろし。
「無垢のかたまり」だと信じられている子ども。
「子ども時代」はピュアであってほしいという願い。
家の中に居場所がある子どもは永遠に子どもでいることはできない。居場所のない子どもがピーター・パンになる。
「ここにいるのに、ここじゃない」っていう気持ち。
ふうー。なんだか暗いなあ。私にとっては、自分の子ども時代や家族を掘り下げていくのは本当につらい。でも、ここで挙げられた物語たちもそうだよね、暗いよ。
児童文学は「子ども」についてよく描かれているわけで、やっぱり本は対象者のことをよく考えた上で書かなきゃだめだよなあと強く思いました。
ラノベを書くなら、中高生の気持ちを。一般なら一般の中でもさらにそのターゲットを絞って、考えて書いたほうがいいなあ。
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児童文学作品を「家族」「子ども」を基に読み解く。
大人になってから読み返すと見えてくるもの。時代に沿って提示されるので、社会に於ける(社会が望む)家庭像や子ども像の変遷も見える。
さあ児童文学を読もう。面白さの切り口はたくさんある。 -
子供のころワクワクしたりして読んだ本を、大人の目線で見ると違って見えてくる。
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「日本児童文学」誌で、「子どもの選択権」というキーワードで2012年の児童文学を振り返ったひこ田中さんの言葉が印象に残って購入。
これも現代的な目線で有名な過去の児童文学を振り返る。よく知る物語がまったく違うものに見えてくる。時代と作品の価値観を結びつけ、時代の変遷とともに作品の変化が語られる。単純化すればここまで見事な文学史。階級や男女差別、家庭の役割など社会学的な姿勢で文学の舞台が鮮やかに解説される。