人形になる (徳間文庫 や 30-1)

著者 :
  • 徳間書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (203ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784198928414

感想・レビュー・書評

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  • 私は気持ちの揺れ動きを、正確に、できるだけ簡易な言葉で表現しようと努力する作家が好きで、この人もその系列だ。限定された人間関係で、相手に愛されるために自分を制限して相手の思う型になろうとする夏生は「生の喜び」を見出す。それが側から見て「違う」と思われても彼女の生きがいならそれでいいのでは。いや、健康な体があれば違ったのだ。いや、もっと重い障害を得ようと誤って命を失くした人の気持ちも分かる。正解を見つけるのではなく、あなたはこう生きて幸せなのね、と認めることが大切なのか。価値観の沼にどんどんはまっていく。
    もう一編は、新人、超新人の登場がまだよく腑に落ちないのでこれからもっかい考えるとして、萩尾望都も言ってたようにすごい母親については、ああ、分かるな、と思った。どの娘も母に対して同じように感じているのであれば、女は同性に対して支配しようとする本能がキツくあるのではないか、と思ってしまう。嫁姑も同様。母は話がわかるふりをして、娘が実践しようとすると上から虫をつぶすようにバンバン手のひらを広げて叩いてくる。それを思い出した。 95

  • これも解説が萩尾望都で、エッセイ集に収録されていたのを読んで興味を持ちました。表題作と「二重螺旋を超えて」の中編二作。どちらも心理描写が丁寧で、突拍子もない展開にも説得力があり面白かった。

    呼吸器と介助者なしで生活できず、自分で動くこともままならない主人公が、障害者に偏見を持たない親切な青年に恋をする「人形になる」は、タイトルがネタバレというか、タイトルでオチが想像できてしまうのが勿体ない気が。印象的な良いタイトルですけどね。

    どちらかというと「二重螺旋を超えて」のほうが展開が読めない面白さがありました。こちらは毒母から逃れられず独身のまま自宅暮らしをする30代女性が主人公。排卵期になると卵子が伴侶を要求するので、急に男漁りがしたくなる。しかし臆病なので結局何もできず。しかし卵子は毎月、いいかげん伴侶をくれ、細胞分裂をさせてくれと要求してくる(という強迫観念に追われている)。このへん独り者としては身につまされるなあ。自分の遺伝子も自分の代で終わりか、とか、毎月毎月生む予定もない卵子を排卵することに虚しさを覚えたりした時期はやっぱりありましたから。

    そして世にも恐ろしい毒母。第三者にはわからない、じわじわと娘にだけ効いてくる毒、これはほんとに恐ろしい。主人公が同窓会でちょっと再会しただけの男性に突然妙な期待を抱いたり、甥っ子が超能力新人類みたいになっちゃうのはさすがに唐突すぎた気もするけれど、全体的にとても怖くて好きでした。

  • ヒヤリとする感じ。

  • 1997年度女流新人賞

  • 生々しくエグいはなしだが、サクサク読めた。二作品収録されているが、どちらも結末にもう一ひねり欲しい。

  • 歩くことも出来ず人工呼吸器が手放せない私。
    双一郎に恋をし世界が広がる。パートナーとして苦楽を共にしたい、人間として生きたい。しかし双一郎が求めているのは人形のような相手。
    一人でいる空虚さに押し潰されるより私は双一郎といることを選ぶ。心を持たない人形になって。それが私の生きている証拠だから。
    愛の定義はそれぞれだがもっと別の生きている証はないのだろうか。ぞっとする愛の形だ。

  • 久々にはずれ。
    ありきたりな展開が悪いとは思わないし、文章が素晴らしければ、平易な展開なんて気にならないけれどこれは別。安直で倒置法ばかりの文章にイラァ……。

  • 初めて読む著者の作品。表題作『人形になる』は数ページ読んだだけでわかってしまった。無理を承知で分類すると、「アベイショフィリア」でもなく「ペディオフィリア」でもなく、やはり「ピグマリオニズム」なのだろうな。『二重螺旋を超えて』は読んでいて全く結末の予想がつかなかったので、こうなるのか〜、と感心した。

  • 「お人形さんみたい」

    と、いうのは褒め言葉なんだろうか。

    お人形、というのはたいてい目鼻立ちが整っていて、
    髪の毛も麗しく、美を真骨頂とする
    「人」の「形」を模したもの。だから、褒め言葉には違いないのだ。
    だって、後に続くではないの。
    「かわいいー」
    って。

    「かわいい」は嬉しい。
    愛でられているから。そこに、言葉に課視線にかは定かならずとも、
    わずかでも愛を感じる。
    愛されるのは嬉しい。

    でもちょっと待て。
    「かわいい」には「かわいそう」とか「不憫だ」といった
    憐みの情もある。意味としては通用する。
    憐れみは、=愛とはなり得ないのではないか。

    少しずつ少しずつ話が横道に逸れていっていますが。

    この間「お人形さんみたい」と言って頂いて
    褒められたことに嬉しく恐縮し
    相手の方をばしばし叩いてしまったのだけれど、
    そのとき、ふと思い出したのが去年読んだこの小説でした。

    医療系のエッセイやら小説やらを探して貪ってた時期があって
    「人工呼吸器なしでは生きられない女のひとの恋」という枠組みと、
    萩尾望都の帯文に
    好奇心をぞくぞく、撫でられて購入。帰りの電車と、寄り道したカフェで
    一気に読み終わってしまった。

    不快感が残った。

    それは恐怖にも似ているかもしれない。
    スティーヴン・キングの「ミザリー」を読んだ時の恐怖に、少し似ている。
    身体の芯をぐっと掴まれて、それこそ身動きできない状態にされ、
    じわじわと麻痺していく中で相手の声と舌なめずりだけが耳の奥に響くような
    生理的な不快感。
    誤解なきよう、
    「つまらぬものを読んでしまった…」というそれとは、
    まったく別種の、文章によって生理現象を支配されてしまう!という
    幸福な体験を、この小説でしたわけです。

    そして、
    身動きが取れない中で一つの事実に遭遇する時の火花は
    ブリジット・オベールの「森の死神」の、痛ましさの中の閃きにも通じる。
    ただ、前者には事件解決の希望が握られているが、
    この作品では、主人公に痛ましい決意(その名は、諦めという)を迫る。

    一貫して主人公・夏生の視点で描かれているので、
    彼女の気分によって周囲の登場人物描写が変貌し、転回ていく様がたまらない。
    これだけ恐怖と不快感と悪意に満ちていながら、ストーリーが重たい、
    シリアスなだけのドラマにならないのは、
    夏生の視点がひどく純粋で、偏見に満ちながらも醒めているからなんでしょう。

    かわいい悪意もあったもんだ。

  •  初の矢口敦子でした。<br>
     「人形になる」はちょっと予想通りの展開すぎて退屈だったかな。どちらかというと「二重螺旋を超えて」の方が面白かったと私は思う。新人対超新人っていう構図がちょっと突拍子もなく出てきちゃってた気がするけど、まるで別個の人格を備えてしまったかのような卵子とネズミの胎児の目がこええ。<br>
     両方を通じてこの作者のいいところは、女性特有の感じ方とか、ドロドロした内面を的確に捉えそして表現できるところだと思う。

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