- Amazon.co.jp ・本 (476ページ)
- / ISBN・EAN: 9784198938994
作品紹介・あらすじ
時は藤原道長が権勢を誇る平安時代。若き仏師・定朝はその才能を早くも発揮していた。道長をはじめとする顕官はもちろん、一般庶民も定朝の仏像を心の拠り所とすがった。が、定朝は煩悶していた。貧困、疫病が渦巻く現実を前に、仏像づくりにどんな意味があるのか、と。華やかでありながら権謀術数が渦巻く平安貴族の世界と、渦中に巻き込まれた定朝の清々しいまでの生涯を鮮やかに描く。第32回新田次郎文学賞受賞作。
感想・レビュー・書評
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大好きな澤田瞳子さんの作品だが本作はいまいち。最近造仏の話を読んでいたので定朝にとても興味を持っていただけに主人公(で良いのか?)の定朝の造形が少し物足りなく感じた。
本作は若き日の定朝とそれを支える内供奉の隆範の交流から始まるも早々に身分を背景に二人の仲は亀裂。そこから中務と敦明親王を巡るドタバタ騒動を経て定朝が本当の仏の姿を見つけるというストーリー。思い返しても「事件」と定朝の成長の繋がりは無理があるように感じる。「本当の仏の姿」を模索し成長していく定朝を正面から描いて欲しかったなという思い。
本作に登場する彰子の存在が非常に気になった。どちらかと言うと悲劇の中宮定子のライバルというイメージであまり良い印象はなかったが、本作でもキャラが立っており、「国母」というパワーワードも強烈に残った。冲方丁さんの『月と日の后』を読みたいと思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
平等院鳳凰堂にて若き日の自分を思い出す定朝。
阿弥陀仏を見るとき、この物語を思い出してうるっとくるんだろうなあ( ´^`° )
それぞれが違う理由でこの世の地獄にいらだつ。
そしてちょっとずつかみ合わなくなり疎遠になったり、ふとしたきっかけで近づいた人との縁で人生が開けたり。
仏像など作っても世の中は救われないという心中を吐露した定朝に「おぬしは愚かじゃ」と語った甘楽丸の言葉が素晴らしかった。
隆範の牛飼童滝緒、彰子の女童小諾(こなぎ)といった端役も光る温かい話。
ほぼ1000年前の話だなあ。末法の世は先年続くのか -
仏師を題材にした歴史小説は初めて読んだ。非常に興味深かった。歴史学者である著者の知識だけでなく、1000年も昔の情景を容易に想像させてくれるような描写に、感心しっぱなしだった。
他の著書も全部読んでみたいと思った。 -
時は平安中期、藤原道長全盛の時代の話。主人公は仏師定朝と内供部の僧侶隆範。彼ら2人の視線を通じて平安時代の情勢、仏教感、貴族の権謀術数、市井の暮らしぶりなどが描かれています。時は末法の世が近く、平安京の治安は最悪と言っていい状況。その中での仏教の役割とはどいうものだったのでしょう。仏教があるからこそ救われる心と、所詮宗教では病気を治癒できない冷酷な事実と、仏師や僧侶という登場人物を通じて考えさせられるものがあります。貴族の優雅な暮らしの影で、多くの市民が野垂れ死ぬ世の中。そこに一筋の光を届けるのは、仏教や仏像なのでしょうか。それとも仏教を信じる人の心にあるのでしょうか。
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藤原道長人生終盤頃の時代背景。平安時代の仏教、貴族や庶民の仏教感をわかりやすく物語られていた。
仏師の定朝の若い頃から平等院鳳凰堂に阿弥陀如来像を安置する晩年期頃までが舞台。
登場人物 中務。他登場人物(定期、敦明、隆範、彰子、道雅…)の心に宿ることとなる菩薩な存在の偉大さに愛を越える慈悲をみた気になった。
又読み返したいと思う小説だ。
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登場人物が多すぎて、途中でわけわからなくなりました。そんなに多くの登場人物は物語上、必要でしょうか。描写も詳細で割と物語に入れるかと思ったのですが、読むのは断念しました。
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仏像は大好きだけど、じゃあ仏師は当時どんな暮らしをして、どうやって仏像を作っていたのかはほとんど知らなかったなと思った。平等院に行くといつも飛天にばかり心を動かされてしまっていたけど、今度はちゃんとご本尊も拝観しよう。それにしてもこの時代の系図は複雑で誰が誰だかちょっとわからなくなった。
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平安時代を題材にした歴史小説を読んだのは初めて。仏像や和歌に対する深い知識がなければこれだけの中身の小説は書けないだろう。優雅さと猥雑さで混沌とした平安時代の情景を味わいながら読んだ。