河村作品で男性主体の佳作群には、一つに本三位中将・平重衡が挙がる。
殊に感嘆したのが、この巻の「方塞がりの辻」。
聡明かつ潔い美男の重衡と、強気な跳ねっ返り娘・千手(ちひら)の交流は、隣り合わせの死の影を反映し、穏やかに淡い。
「平家物語」では千手前(せんじゅのまえ)の純情な奉仕が重衡の傷心を癒し、彼の懺悔と求道心に彼女も心を揺す振られる筋立てになっており、造形は異なろうと漫画版でも独自の感慨を持たせてくれる。
また、通説は乳母子・後藤盛長は命惜しさに主君を見捨てたことになっているが、ここでは重衡を助けるために囮となる展開。
生け捕りにされた重衡が、自害を選ばなかった根拠に見所がある。
圧巻は、囚われ先の鎌倉にて、源頼朝の前で洞察してみせた『時の流れ方』。
“権力を持つ者たちの身分は、どんどん低くなっていくしかない”と断言し、“名もなき民にまで…それが及びかねない”ことを肯う語りは後世を言い当てる。
国民の選挙権が保証された現代をこの時代から眺めるならば、確かに権力の堰が壊れた状態に映るのかもしれない。
初恋模様にしては幼いものの、「斧の柄」にて義兄妹として心を通わせる、千松丸(松平広忠)と於大はとにかく可愛い。
戦国の混乱に引き裂かれた彼らが、再び巡り会い、結ばれる絆。
再会場面の鮮やかな木漏れ日は、映像が目に浮かぶよう。
二人の間に生まれた子供(家康)がやがては戦乱の世を終わらせることを鑑みれば、まさに運命の夫婦と言える。
他、ネタ元に縛られずに、ファンタジーに仕立てた話は余韻を伴う。
表題作、斎藤時頼と横笛の「衣がえしの君」は、身分を超えた純愛物として良く纏まっている。
「布引き」にて、平通盛の後を追って自死した憲子は、幻想的な最期を遂げる。
「竹葉」で、平清盛の寵愛を受けながらも贅に慣れぬまま引き際を弁える祇王は、芯の強さと清廉さが美しい。