ち-ちゃんはちょっと足りない (少年チャンピオン・コミックスエクストラもっと!)

著者 :
  • 秋田書店
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感想 : 140
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  • Amazon.co.jp ・マンガ (219ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784253130431

感想・レビュー・書評

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  • 帯裏には「中2女子・ちーちゃんとナツの日々日常。」と書いてあり、確かに3話まではその通りなのだが4話から重い空気が漂い始め5話で作品のトーンがガラリと変わってしまう。

    元々そういう流れで描かれていたのかもしれないが、普通に考えたら これって人気の出ない作品のテコ入れに伴う路線変更とも考えられるけど……
    最終話にしても、ちーちゃんの存在でナツの心が救われただけでお金の事が全く解決されてないし、お姉は出掛けたきり帰って来ないちーちゃんを心配しただけだし、旭と藤岡はいつの間に友達になったのか?とか色々と未整理な(はしょってる)部分があって打ち切り?的な印象を受けてしまう。

    作者の作品はこれしか読んでいないので他の作品がどういう感じなのかは分からないが、この作品だけに関して言えば中途半端なイメージしかない。

    これが今の少女マンガの一つの形だと言われればそれまでなのだが、自分には理解出来ない部分がある。

    ひょっとして、「ちーちゃんはちょっと足りない」のではなく自分の読み方がちょっと足りないのかもしれない。………のか?

  • ・「ちょっと足りない」の意味が変容していく
    ・オツムが「足りない」アホの子ちーちゃんの、ホンワカ萌え漫画のごとく始まる
    ・パッと見、表紙絵もそのホンワカ印象を助長している(よく見ると描かれているのは、100点・ゲーム機・お金・・・)
    ・しかし「足りない」のは、私だけが恵まれていない、私は人より劣っている、というような欠乏感を指すようになっていく
    ・ナツはちーちゃんより「もっと」足りない。ちーちゃん「は」ちょっと足りない、これはナツと対比してのこと
    ・ちなみにナツは携帯を持っていて、ちーちゃんは持っていなかったりする
    ・ちーちゃんってアホの子キャラに対するアンチテーゼになってる? ガチでアホな子は、人の金を盗むくらい倫理観がない可能性があるよ、そんないいもんじゃないよ、っていう
    ・ストーリー後のナツの学校生活を考えるに、絶望しかない
    ・私はあまりナツに共感できなかったが、それでもこの漫画には心を抉られる思いがした。「ナツの気持ちがわかる」と言っていた友人は、読んだ後2、3日立ち直れなかったと話していた

  • 作者による「私」(ナツ・読者)への断罪(もちろんお金を盗んだことへ、ではなくその「足りない」と思い込み世界に要求し続ける罪悪への断罪)。ものすごい強さ
    で糾弾するためにかかれた漫画。

    軽い気持ちで読みはじめて、知恵遅れの「足りない」ちーちゃんが笑えないし微妙だな……、と思って読み進めていたら、(お金を渡されたシーン・ナツの部屋が映し出されたシーンで)突然、ナツちゃん(つまり ちーちゃんを傍観していた「私」)に視点が切り替わって急にステージの上に引き摺りあげられたことに耐えられなくて本を閉じた。
    それから再開して、ちーちゃんが「とった」と言った瞬間にもう一度本を閉じた。小学生とか中学生とかのときに悪事がばれたときと同じ感覚だった。
    読み進めて、ちーちゃんが許されたこととちーちゃんが「ナツにあげた」と言わなかったことにひどく安堵した。
    ここまできて、完全にナツ視点で「読まされる」ための日常パートだったことをここで理解した。作者はたいへん上手な漫画家だと思う。(それは仮の主人公であるちーちゃんは「足りない」子なので、感情移入を誘わない・未知の生命体として描かれている)(旭ちゃんはお金持ち頭がよい正義感が強いと意地悪だけれどたいへんポジティブに描かれている・ナツが彼氏のことについて「旭ちゃんに取り残された」と考えているシーンがあるところでナツ視点で物語が展開しはじめる)

    私はナツちゃん側で、毎日の生活をナツみたいな心を(多かれ少なかれ気分の浮き沈みはあれど)抱いて生きている。
    もしも私がナツちゃんならそれからちーちゃんが許されたという事実に更なる(自分はつらい思いをしているのにちーちゃんは周りに愛されて甘やかされて厳しくされてつまり愛されていることに対する)「足りなさ」を感じるんだろうな、と思ったら断罪される気分になって、ナツちゃんが黒くなったり歪んだり世界がぐにゃんとしたりするものに同調してしまった。

    私がこれを読んだとき物足りないと思った点として、「ちーちゃんがあっさり許され過ぎている」というところと「ナツが誰にも責められない」ところをあげておく。前者はその前に書いた通り「足りない(と思い込んでいる)ことへの要求」なので断罪対象。後者はあまりにナツ=自分が気持ち悪かったので、作中で断罪されたかった(つまり本という媒体で完結させたかった・現実に拡張したくなかった)のだろう。しかし作者はこうすることであえて物語を現実に拡張させ、作外で作者が断罪を行ったんだろうと思われる。

    更に特筆すべきところは、だれも悪くない、いいところと悪いところをそれぞれが持っているということを書いているという点だ。
    それはナツも例外ではなくちーちゃんの面倒を見続け(「足りない」子の面倒を押し付けられているという描写が前半はほぼなくも後半も少なかった)ているよいこな面を持っている。それに中学二年生が1000円をもらってしまう、なんてものもいわゆる「よくある悪事」程度の他愛もないものだろう。
    しかし、ナツの最悪なところはお金を盗んだことへの悪びれが1ミリたりとも存在しておらず、それどころか自分を「与えられていないかわいそうな人」だと思い込んでいる。
    さらにいけないのは、そのすべてが無意識的であるので、そこに対して改善の見込みが見受けられないところだろう。欲しかったものを手に入れても周りに迷惑をかけて要求しても、ナツちゃんは飽くことなく世界に「足りない」(と思い込んでる)ものを要求し続ける。これが私(あるいはわたしたち)の嫌悪感を掻き立てる。なぜならそれが私の姿のままであるからだ。

    ナツちゃんの部屋に沢山の浪費の影が散乱しているところがまた上手い。(5000円のリボンを捨てるシーンもその増幅だろう)「足りない」と思い込んで(与えられているものには少したりとも目を向けないで)貪欲に世界に「足りない」片鱗を要求する自分を鏡で見せつけられたきがして、思わず食欲・物欲・金欲のすべてを失った。ダイエットにはいいかもね。

  • モノの弾みで『大好きが虫はタダシくんの』と共に
    購入する羽目に(笑)。
    ド天然過ぎて少しオツムが足りないと思われる「ちーちゃん」と
    友人たちの日常に小さな罅割れが出来、
    そこから水が零れてドッと決壊――そんな感じの話だが、
    登場人物が何だかんだいって結局みんな善人なので軟着陸。
    ……この画風で悲惨な結末になるよりはずっといい、かな。

  •  スピリッツで連載している『月曜日の友達』の凄まじい才気の爆発ぶりに驚いて、とんでもない新人が現れたと思ったらけっこうベテランだった。この漫画は、知的障害の女の子が主人公で、非常に戸惑ったのだが読んでいくと友達のチエが心の闇の更に奥深くまで覗きこむような展開にびっくりした。表現の違う形で才気が爆発していた。最後のお互いに名前を何度も何度も呼び合って気持ちを通わせるところは、よくオレが運転していると子供が何度も何度も「パパ」と呼びかけて「はいよ、うーちゃん、なあに?」と返事するのを思い出して涙が出た。

     友達のメガネの子やヤンキーの子みたいにまっすぐ生きられたらそれはいいし、チエみたいなのがリアルだけど、彼女らも見えないところで闇を抱えているかもしれない。そんなことを肌に触れるように感じさせるすごい漫画だった。

     ちーちゃんがいなくなって、ナツが探し回ってうろうろするクライマックスの展開のクールなこと、かっこいい。これを通した編集者もすごい。

  • 学校内での人間関係が本当にリアルに描かれていて、怖いほどでした。
    阿部共実さんの作品に私は「ブラックギャラクシー6」から入ったので作品の温度差にびっくりしました。

    全てを文章で表現する小説と違い、漫画はセリフと絵で表現をする(と、私は思っている)のでナツの心情描写が当人の視界の変化などによって描かれていたのが私にはすごく衝撃的且つ印象的でした。

    純粋であるが故に自分の大好きな人達に手段を選ばず沢山尽くすちーちゃんを見て胸が痛みました。

    ちーちゃんを疑うクラスメイトの胸ぐらを掴んで旭が怒鳴るシーンは後の展開も含めて二度涙がこぼれました。

  • 誰かの「一番」になれない不安はいつまでも付き纏う。ちーちゃんとナツは同じ団地に住む幼馴染、優等生の旭とは中学からの連れ友。ちーちゃんのぶっ飛びキャラは読めば解るとして、ちーとずっと一緒のいるナツは、ちょっと足りないお騒がせ問題児なちーちゃんの事を心のどこかで蔑んでみている。旭は独立独歩で自分をしっかり持っていて、どんな相手にも自己主張が出来る。ちーちゃんは独特のキャラで、クラスのどんな相手にも「ちーちゃん」と言う存在として認められており、あちこちに窓口を持っている。ナツだけが、ちーちゃんを通してしか外界と繋がれない。それに気付いてしまって、学校に行きたくなくなったり、旭とは別世界の住人なんだと世を拗ねてみたり、消えてしまいたくなったりする。他者を通して否応なく突きつけられる自分と言うちっぽけな存在。表題は「ちーちゃん」なんだが、この作品の本質は大した特徴もない自分に気付いてしまうナツの物語。

  • 主人公はクズだ。
    語弊を恐れず断言するが、思春期の自意識と不公平感ばかりが肥大した実にリアルで、自分の黒歴史を蒸し返されてあちこち痒くなるようなタイプのどこにでもいるクズ。何故なら主人公のナツは自嘲と自虐はしても自省と自戒は絶対しない。自分の言動を反省し周囲に申し訳ないと装うモノローグも、結局の所ケチな自尊心を守るためのフリでしかないというのが後の描写で浮き彫りになる。
    同じ団地に住む幼馴染のナツとちーちゃん。中3になっても割り算もまともにできないおバカなちーちゃんを内心見下し、もっと上のランクの友達が欲しいと望んでいたナツ。
    その「何かが足りない」「本当は自分はもっと高い所へいけるはずだ」という不満が過剰なまでの饒舌さで語られる。ナツのモノローグは自嘲と自虐、現状への不満で埋め尽くされ、致命的に周囲への想像力を欠いている。
    あとほんの少し想像力を働かせて、近しい友人や家族への思いやりを持てば変われるのに、現状を蔑ろにし楽な方へ易き方へ無難に流されてばかりのナツは決してそれをしないのだ。
    彼女にも同情すべき点はある。が、それをさしひいても擁護はできない。彼女は恐らく旭ちゃんが離れていった本当の理由も見えず、ちーちゃんを独占してひと時の安息を得るはずだ。
    そしてそこそこの高校へ進み、中学の時と同じ失敗はしないと無理して背伸びし、新しい友人を優先しちーちゃんを蔑ろにする。そんなナツでもちーちゃんは赦すのだろう、多分。何度裏切られても繰り返し笑って迎えるのだろう。友達だから。大好きだから。そんなしょうもないナツの友達……もとい無条件の逃避先でいてあげられるのは「ちょっと足りない」ちーちゃんしかいないから。
    足りないもの同士が足りないものを補い合おうとする行為を人が共依存とよぶのだとしても。

    しかしナツにはちーちゃんしかいないが、ちーちゃんにはナツしかいない訳じゃない。
    おねえや旭はじめよき理解者に恵まれているちーちゃんが、あえてナツの友達でい続けてくれている理由に、ナツ自身が向き合う日はくるのだろうか。

  • このマンガはすごいです、まじで。

    前にどこかで書いたんだけど、
    ナツの狂気というか切迫感というか焦燥感というか孤独感というか渇望というかしかしどこか怠惰というか、
    そういう描写がこの作品の白眉だというのはもちろんそうなんだけど、
    この作品のこわいところ、すごいところは、ナツ抜きで事件が解決してしまっているところ。
    ナツの知らないところで、クラスでのちーちゃんの評価が変わっているところ。
    今までナツはちーちゃんを庇護している自負があったと思うけど、
    今やその立場は逆転している。
    ちーちゃんがそのことに自覚的かどうかはわからないけど、
    旭が抜けたことより大きなことはむしろそっちで、
    このラストの翌日以降を考えると、
    ナツの物語は、終わっているナツの物語は、逆説的にまだまだ続くんだよな。

  • うわー。わっかっるっわーこの気持ち。
    この人にとって自分って何番目なんだろう。
    あの人に較べたらまだましだよね。
    でも前あんなこと言われたし。
    この人と一緒にいる私ってどうなんだろう。
    じゃああの人にとって私って何番目。
    承認欲求といってしまえばひとことだが、
    この思考経路は振り返ってみれば迷宮だ。
    ナツにとっては絶望かもしれないが、これは一生続く。

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