随所で「衝撃の展開」って言われててワクワクして待ってた最終巻。読んだ。たしかに衝撃の展開。
でも様々な伏線が張り巡らされていたんだね。
私は「想くんに罰を」らへんでやっと、これ…シリアスにもっていくんかな…?ってなったアレやけど。だってネグレクト感強めの親って割とどこにでもおるから…。
そんで内海はASD(自閉スペクトラム症)やった。
私は福祉関係の仕事についてることもあって、自閉とかアスペルガーの子と話すことも多い。アスペルガーの子は確かに色んな言葉を吸収してて、色んなこと知ってる。喋るの大好きな子が多い。その喋りに独特のセンスが加わったりするから、話聞いてるとめっちゃ楽しい。
規則性もそう。自分の中に決まったルール、ルーティーンみたいなものがあって、それが崩れると何もできなくなったりする。折り合いをつけるのが苦手。でもみんなそれぞれに規則性なんてあったりするんちゃうかなと思うけど。折り合いをつけるのが上手いだけで。
あと感想文とかも苦手やったりするから、内海も自分の気持ちを上手に言葉にできへんかったのはそれなんかなって。
人の気持ちくみ取るのも苦手な子多い(人が傷つくことも傷つくと思わずスルッと言っちゃったりする)から、瀬戸が自分の気持ちをバンバン言ってくれて助かったやろうな。そしたら気持ちくみとる必要ないし、傷ついたことさえも言ってくれるし。
なーんてぐだぐだ言うてますけど、私は内海のこと気付きませんでした。
これっぽっちも分からんかった。最終巻でそれ告げられるまでぜーんぜん気付かんかった。そういう仕事してんのに。
でもそれは瀬戸のせいやと言い訳したい。
瀬戸が、内海に違和感を抱くことなく、普通に会話してたから。だからおもろいなぁ、って、ただそれだけやった。
ていうかそれだけやねん。ほんまに。実際は。
人間なんて性格それぞれやし。自閉とかアスペルガーを病気やって押し付けて理解してくれへん内海の家族みたいな人間も一定数おるけど、それは基本的に知識と理解が足りてないのに偏見だけが強いパターン。
別に普通やのにな。あれが苦手これは得意って誰でもあるのにな。
でも、そう思わないで「あいつは自分達とは違う」って線引きする人はたしかにおるねん。
でもこのセトウツミには、最終巻までそんな人は出てこーへんかった。あいつは病気やからって線引きする人はおらんかった。
一巻から内海がASDやってことを知ってたら、たぶん読者がそうなっていた。読みながら、ああ内海はASDやからこんな考えになるねんな、って線引きしてた。私もそう思ってたかもしれん。今こんだけぐだぐだ語ってるしな。知識があるぶん、たぶん素直に読まれへんくなってたと思う。
だからこその最終巻。最終巻での発覚。
ほらな、別に普通やったやろ、って作者に言われたような気分。
だってあんだけ楽しかってんから。それが全て。
これは内海を救う物語のように思うけど、瀬戸を救う物語でもある。
それはもちろん色んな部分で。でも今巻では、内海の異変に気付いて、助けたこと。
気付いて、自分のできることを全力でやったこと。自分の行動で内海が救われたこと。内海が事件を起こさなかったこと。友達に罪悪感を背負わせなかったこと。内海の存在を肯定できたこと。
この、一見すると内海のために思える全てが、実は瀬戸のためでもあると思う。
次男は大変やから。基本人に頼られへんし、期待されへんし、生まれたときから兄貴の大吉と名前で差ぁつけられてるし。
そんな自分が友達を救った。
友達と一緒におれる未来を自分らで作った。
それは成功体験として素晴らしいんじゃないかな。自分には何もないと思ってた瀬戸には余計に。
そんでしれっと内海、最後にラインのアイコンもらった写真に変えてるしな。あーーもーーー!!最高やー!!!好きーーー!!!
これは完璧なエゴやけど、内海が東京に行ってもああやってラインとかで会話しててほしい。たまに会って、東京案内とかもしてもらって、いつかはお酒を飲みながら、またあの場所で。