非道に生きる (ideaink 〈アイデアインク〉)

著者 :
  • 朝日出版社
3.93
  • (107)
  • (153)
  • (103)
  • (12)
  • (2)
本棚登録 : 1253
感想 : 155
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (180ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784255006772

作品紹介・あらすじ

極端だから、人をひきつける。
こんなの映画じゃない。『愛のむきだし』『冷たい熱帯魚』『ヒミズ』……性・暴力・震災など
現実に切り込む衝撃作で賛否両論を巻き起こし続け、最新作『希望の国』では日本最大のタブー、原発問題に真っ向から挑んだ鬼才映画監督・園子温(その・しおん)。
社会の暗部を容赦なく明るみに出す刺激の強すぎる作家が「映画のような」壮絶な人生とともに、極端を貫いて道なき道を生き抜いた先の希望を語る。「これからのアイデア」をコンパクトに提供するブックシリーズ第4弾。
画期的なブックデザインはグルーヴィジョンズ。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 「リサーチやマーケティング、とにかくそうした類いのものから作品を発想しないこと。」
    「『量より質』ではなく『質より量』で勝負することです。自分の作品が認められない、と時代を嘆くのではなく、自分の作品を無視することができないくらいに量産して時代に認めさせればいいのです。」
    「たとえ他の奴がマスターベーションだのナルシストだのと言ったところで、平気のへいちゃらで自分が面白いと思うものだけを追求すること。」

    上記のような、映画監督でなくても考えさせられる金言の数々に背筋が伸びる。
    自分だけの「非道」を確固として進み続けられるようになりたい。
    とはいえ、この本は2012年初版だから、常に刹那に生きている園子温監督は、もう全然違う地平にいるのかもしれない。

  • 園子温作品が大好きで、この本を手にとったのですが、この人は本当にスゴイ‼子供の頃からなんたるバイタリティ‼既成概念をぶっ壊し続ける本物のパンクな人だ!下手な小説読むより全然面白いですよ♪

  • 映画監督園子温の半自伝。破天荒な思春期を経て映画の道へと進んでいった道程、不遇時代の生活ぶりや果敢に売り込みを図っていくようすなどが綴られている。映画という表現形態に求めているものや映画製作のスタンスについて、ぶれることのない信念を持っていることを再確認できた。誰になんと言われようと、どんなに悪評されても、自分が表現したい、発露したい感情や言葉をそのまま創作にぶつけること。そして「質よりも量」を目指し、たった1人でも10人分の作品を生み出せばムーヴメントを巻き起こしていくことができるのだ、そうするのだと、あらためてここで宣言されている。

    ”報道やドキュメンタリーでは取材する相手をカメラに収め、彼らの言葉を収めていきます。しかし、その言葉はすべて過去形で語られます。「あのとき、何が起きたか、どうだったか」――決して、現在進行形で「その刹那」が語られることはありません。いま現在の体験を描くこと。これが、実話を基に僕がドラマを作る理由の一つです。”(p114)

    ”映画に込めるべきは「情報」ではなく「情緒」です。(・・・)出来事の追想ではなく、出来事の真っただ中にいるときの気持ちや情感を、貧弱な言葉でもいいからそれで綴ること、それがドラマ映画にあるべきスタンスだと思います。映画は「事実の記録」ではなく「情緒の記憶」なのです。”(p135-136)

    これらの言葉は、くしくも、その回顧展で感動させられたばかりのフランシス・ベーコンの芸術論を想い起こさずにはいられない。画家いわく、鑑賞する者に呼びかけるのには、彼らの「脳」(思考や言語)にではなく、「神経システム」を経由して、すなわち情動によってそうしたい、と。ベーコンが抽象芸術同様に、説明的な物語的な芸術を拒絶するのは、それらは「脳」に働きかけるだけで「神経システム」に働きかけないからである(ベーコンが用いる「脳」は高次機能を司る大脳皮質を指し、「神経システム」とはそれ以外を意味していると思われる)。
    対象を極端に歪めたり分解して描いているのは、そうすることによって鑑賞する者の感覚領域そのものを押し広げたり変容させることになるからだとベーコンは言っているし、歪めて描かれた対象そのものがむしろ鑑賞者自身の「歪められた神経システム」を表現しているともいえるだろう。

    思考や物語的読解を拒み、情緒を揺さぶることを志向する態度が彼らには通底している。この立場はむしろ現代アートにおいてはしごくまっとうで正統であるように思えるが、商業的であることが製作の前提とされている映画の世界においては、すでにいま社会に分かりやすく充満している欲望を満たす物語が資本に要請されているのが現状である。心地よいストーリー、涙を誘う展開。そこに驚きやあらたな広がりをもった世界は、ない(共同出資による「○○製作委員会」システム=合議制をとりわけ園は批判している)。芸術家としては王道である園子温は、映画監督としてはいつまで異端児なままなのであろうか。

  • 園子温によって語られる園子温のこれまで、そして「刹那」に生きてきた今までの人生が本人によって語られている。

    園子温映画によるモノローグの集中砲火(『紀子の食卓』など)が前半にあるためにその登場人物が後半にどう動くかが違和感なく観客に受けいられていくように、その『非道に生きる』を読んでいくと園子温という人がなぜ映画監督として突出しているのか、なぜそのフィルモグラフィーがあるのかがすうっと入ってくる。

    まず、これは生き方の本だ。これは創造する人の本だ。

    周りの顔色に合わせて同じ青信号でなければ渡らないのであれば他者との差異は絶対に生まれはしない。それは協調性のある国民性によるガラパゴス化がうまく発揮されない現在において自分がどう生きるかを考え刹那に動こうとする時に周りなんか関係ない。今、何信号であろうが必要があれば走ってしまえばいいし、あるいは東京ガガガのようにその交差点すら幕で囲んでしまって交差点という特異性を封印してしまえばいいのだ。

    昔お会いして話を聞いている時にバブル後ぐらいにエアマックスとかスニーカーが流行ったから買い漁っていた連中のほとんどは今や仕事を失ってたりして無惨なことになっていると言われていた。
    これはスニーカーを買い漁っていたのが問題ではなくて、ただ流行っているからという理由だけで買い漁っているような周りを見て動いているやつは結局沈む時には周りと同じように沈むんだよって教えられた気がしていた。だって、未だにスニーカーが好きで好きで面白いやつが出たら買って履いてを続けている人は彼らとは違う、もはやスペシャリストですらあるんだから。

    周りなんか気にしせずに突き進んでいいくとそれが特異なものに武器になる。それにはもしかしたら覚悟が必要なのかもしれない。世間とは違うのだから。園さんのような生まれ持った天の邪鬼気質ではないと難しいのかもしれない? いやそんなことはないはずだ。

    僕はやりたくもない仕事をしてそれが給料も安定していてボーナスが出ても仕事のストレスで結局は心身ともに壊れていくのなんかお断りだ。人生について考えればそんな生き方をしていて自分は楽しいとは思えないから今みたいな状態になっている。

    二十代中頃で園さんの『ハザード』を劇場で初めて観た衝撃は僕の人生の中で忘れられない出来事だった。あの時に感じた事がここで書かれていると読みながら思った。僕はあの映画の中でオダギリジョーさんが演じたシンの刹那的に生きる衝動に惹かれ、周りなんか気にしないで自分が面白いと思う事に対して咆哮し彷徨したいとあの日渋谷で思ったんだ。

    園さんの視線は彼の作品について語られるようにエログロなものではなくて他者を排除しようとか敵意をむきだしなんてことはない。四畳半の生活の中でそれでもずっと続けてきてどん底と呼ばれる生活を得て様々な人と向き合ってきたその視線はとても優しい。

    園子温作品は人に夢を見せないで夢から醒まさせる、そう覚醒を促す。覚醒したものはもはや過去の自分には戻れるはずもない。しかし覚醒した世界でその五感は以前よりも敏感になっている。だからこそもっと前よりも自分の「個」がより際立ってくる。

    だから周りなんか気にしないでいい、刹那に非道に生きれる。

  • 園監督作品との出会いは「ヒミズ」
    以来、「希望の国」「地獄でなぜ悪い」と立て続けに観ています。

    この「ideaink 〈アイデアインク〉」シリーズ自体が面白いかも。
    他のも読んでみよう。

    1961年生まれで、なんと三谷幸喜と同い年と。
    すごいな、1961年生まれ。

    生きてきた時代の臭いがプンプンする内容でした。
    バブルがはじけ、就職超氷河期、リーマンショックなどの風をもろに受け、
    保守的に生きてきたわたしには、いささか理解しがたいところもあるし、
    「その当時はそんなのも許せただろうね」と、ちょっと冷めた視線で読み進める青春時代の件も否めませんが、
    歳と経験を重ねた今、出会い、時代が追いついたのか、
    はたまた時代がそれを求めてるのか、
    今提示される作品のひとつひとつが、
    わたしにはとってもかっこよく見えたりします。

    過去の作品、とっても怖いもの観たさですがやっぱり観たい。
    (「地獄でなぜ悪い」もぎりぎりだったからなぁ。「冷たい熱帯魚」とか・・・冷汗)

    • tzwさん
      愛のむきだしからお願いします。
      愛のむきだしからお願いします。
      2013/11/14
    • onionさん
      コメントありがとうございます!
      「愛のむきだし」からいこうと思います。
      「モテキ」観る前に、出会うべきでした。
      アドバイスありがとうご...
      コメントありがとうございます!
      「愛のむきだし」からいこうと思います。
      「モテキ」観る前に、出会うべきでした。
      アドバイスありがとうございます!
      2013/11/15
  • いや、彼はまだ自身が成功したとは思ってないだろうし、オレも成功者だとは思ってない。強烈に面白い人だとは思う。子供の頃からのバイタリティは変わらずあるんだろうけど、文面からはおごることもない落ち着いた「いい大人」という印象。でも、熱い。熱すぎる! 「恋の罪」が今まで観た映画の中でいちばん好きなのだが、あれは女性目線だったのか。発見。

  • 歯ぎしりで充血するくらいに「今にみてろよ」とお天道様にいびつな微笑みを返して生きることは、常に刹那でしか生きてこなかった証である。刹那によって、突き動かされてきたんだと思う。「刹那」とは僕にとってすでに日々の日常なんだ。(「はじめに」9p)

    彼の作品はまだ「ヒミズ」しか見ていない。「私と同年代(一歳年下)で、まだこんな人間がいたのか!」という言い方は説明不足なので、付け加えると、小学生で羽目を外し、主な洋画を全て観て、17歳で東京へ家出、そこで出会った女性に心中かレンタル家族になるかの選択を強いられる、「蛍雪時代」などに詩の投稿、特選常連に(私は選外の常連だった)、高校を出て飯を食うために統一教会と左翼団体に入る。そのあと、大学に入ってぴあのPFFに入選、一躍自主映画の監督として有名になったあとに、「東京ガガガ」などのパフォーマンスもしながら、長い「売れない時代」。私の世代で、まだこんなドラマのような半生を送った人間がいたのだ。

    人間は「時代」にある程度は規定されて生きる。青年の彼が生きた時、既に三里塚は壊滅寸前だったし、統一教会はヤバくなる寸前だった。世の中はしらけ世代が蔓延し、バブルのねーちゃんにーちゃんがうようよしていた。その中を彼は時代を栄養として「吸収」し、「染まる」ことなく疾走していたのだ。

    現代の彼も情報化時代を逆手にとって、時には時代を先取り、創造している様に見える。これからも、失敗はするかもしれないが、無視出来ないものを作り出すだろう。

    以外、幾つか印象に残った処。

    SMAPの「世界に一つだけの花」は、自分たちは特別なものであってもいいが、特殊なものではあってはならない、という世界なのだと彼は喝破する。

    「希望の国」では、先ず福島の人と溶け合った上で脚本に着手したという。
    福島以外に住む人々がテレビや雑誌や本でしか認識していない情報を、彼ら自身に体験させるということ。「僕らはみな、福島のことは知っているけど、経験はしていない」という事実に気づかせること。(115p)

    「ヒミズ」のラストは原作と変えた。
    「がんはれ東北」「がんはれ日本」と、無数の「頑張れ」が日本に溢れました。しかし、僕は「頑張れ」というのは誰でも言える、無責任で好ましくない言葉だとも思っていました。リアリティのある「頑張れ」の使い方にはどんなものがあるだろう。「ヒミズ」の制作中に僕はそう考える様になっていたのです。(126p)

    映画は巨大な質問状です。「こうですよ」という回答を与えるものではないと思うのです。(132p)

    日本人が真面目だ、と言いたいのではありません。一般のレンタルビデオ屋に巨大なAVコーナーがあるのは日本固有の文化です。あるいは日本の青年漫画雑誌には裸とセックスが氾濫しています。そのくせ、テレビには深夜になっても裸もセックスもほとんど出てこないし、映画も同じ。「文化」と欲望を極端に水と油の様に分けてしまったため、いびつになったのだと思います。(146p)

    今だって僕が面白いと思う映画を他の人があざ笑おうが、その映画をずっと評価し続ける。自分の映画の評判だってどうでもいい。僕が面白いんだから、それでいいのです。それが最も着実、確実に「面白いものを発見」できる方法です。(166p)
    2012年12月14日読了

    【後日譚】
    映画「希望の国」を観た。今までの映画で、支配的だった暴力描写は一切無くなった。テーマによって作り方を大きく変える事がわかった。

  • 全部真実だったらとんでもない人間だが別に嘘だっていいと思えてしまうぐらい面白い。文体が独特でリズミカルで勢いがあってパンクだ。
    日本映画がダメなのは黒沢と小津、木下がいたからで、その偉大なお手本のもとにすべてがその価値範疇に甘んじてしまったという点は非常に頷ける。

  • 園子温監督の自伝。寝る前にベッドで一気に読んだ。セックスと死、やばいよ。人生の出来事を制作のタネにしてるんですね。中学時代の話なんて映画の演出そのままだ。

    「『ゴッドファーザー』や『バラキ』、『コーザ・ノストラ』といったマフィア映画も大好きで、教室で撃ち合いごっこをしていました。撃ち合いを面白くするためだけに教室でカジノを開いて、それを木で作ったマシンガンで襲撃すると、トランプが飛び散り、机や椅子が倒れる。水と絵の具で作った血をまき散らすのが大好きだった。ミシンでぐちゃぐちゃにして血を流させたりしていました」p20

    映画のシナリオや登場人物の元ネタもいっぱい出てくる。何かを作る仕事をしている人に役立つ力押し、あきらめ、泥臭さのtipsも豊富だ。

    あと監督は詩人だったとは知らなかった。最近、俳句や現代詩に興味が出てきて、いまこの本に出会って、もっとのめり込めと鼓舞されている気がする。

    個人的に好きな映画トップ5に入るのが『冷たい熱帯魚』。「生きるってのは痛いことなんだよ」に活力をもらって、いまの仕事ができている。

    見直そうかな。いまなら違う視点で見られそうだ。子どもに悪影響と妻に怒られそうだが。

    • murmurfyさん
      >子どもに悪影響と思われそうだが
      それな!!
      >子どもに悪影響と思われそうだが
      それな!!
      2020/04/29
  • 園子温の自分史。愛のむきだしや冷たい熱帯魚を見てきたけど、園監督の人生観をそのまま反映させた映画なんだなと読んで納得。フォーマットをぶっ壊すことに取り憑かれた男。

全155件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

1961年愛知県生まれ。大学中退後に自主制作映画デビュー。『自転車吐息』(90年)はベルリン映画祭に正式招待される。代表作に『冷たい熱帯魚』など。テレ東系列で放映中のドラマ『みんな!エスパーだよ!』も監督。

「2013年 『ナショナリズムの誘惑』 で使われていた紹介文から引用しています。」

園子温の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
ジョン・キム
ジュリアン・バジ...
ジェームス W....
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×