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断片的なものの社会学

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著者 : 岸政彦
  • 朝日出版社 (2015年5月30日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (244ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784255008516

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断片的なものの社会学の感想・レビュー・書評

  • 大きなストーリーに組み込まれない、ささやかで大切だったり大切でなかったりする生活の一部分が詰まった本。良い。

  •  様々な個人の生活史を社会学の立場から分析する著者が、学問の枠組みには収まらない事柄について書き連ね、思考したもの。「世界のいたるところに転がっている無意味な断片について、あるいは、そうした断片が集まってこの世界ができあがっていることについて、そしてさらに、そうした世界で他の誰かとつながることについて」(p.8)書かれた本ということだが、これまで生きてきた人生や世界の見方を変えさせる、違う視点を教えてくれるような本だった。
     まず無意味なことが無意味なままであることの美しさ、ということがこの本の主題の1つであると思う。表紙や各ページに挿入されている写真が、無意味であるが故の美しさを表しているのではないかと思った。
     人が物語を生きる、というのはよく言われる話だが、物語が「中断され、引き裂かれ、矛盾をきたすときに、物語の外側にある『なにか』が、かすかにこちらを覗き込んでいるのかもしれない」(p.62)の「なにか」について考えを巡らせる視点に気づかせてくれた。
     他にも、人や人生にまつわるあれこれについて、思案されている。「どうしても逃れられない運命のただ中でふと漏らされる、不謹慎な笑いは、人間の自由というものの、ひとつの象徴的なあらわれである。」(p.100)とか、「何も特別な価値のない自分というものと、ずっと付き合って生きていかなければならないのである。かけがえのない自分、というきれいごとを歌った歌よりも、くだらない自分と言うものと何とか折り合いをつけなければならないよ、それが人生だよ、という歌がもしあれば、ぜひ聞いてみたい。」(p.194)という部分は、だからこそ、とてもつもなく人間は自由だ、ということだろうか。さらにその自由の逆の概念としての暴力についての思考の部分も印象的だ。例えば「規範」の暴力から逃れるために、「良いものについてのすべての語りを、『私は』という主語から始める」(p.111)、「良いものと悪いものとを分ける規範を、すべて捨てる、ということだ。規範というものは、かならずそこから排除される人びとを生み出してしまうからである。」(p.112)といったことや、だからと言って、「幸せが暴力をともなうものだとして、それでは私たちは、それを捨ててしまうべきなのか」(p.114)という部分などは、その暴力を振るうことも幸せならば自由なのだ、ということになるのかもしれない。同じように、「それについて何も経験せず、何も考えなくてよい人びとが、普通の人びとなのである。」(p.170)という部分も規範に関することだ。また、自由ではない状態、という意味では著者自身の肉体労働の経験から導き出された思考の部分で、「決められた時間のあいだ、ある感覚を感じ続けることに耐え、その引き換えにいくらかの金をもらう」(p.139)、「肉体を売る仕事とは、感覚を売る仕事であり、そして、感覚を売る仕事とは、『その感覚を意識の内部で感じ続ける時間』を売る仕事でもあるかもしれない」(同)が、自由ではない状態についての思考である。
     そして最後に、我々には何が足りないのか、という部分として、「この社会にどうしても必要なのは、他者と出会うことの喜びを分かち合うことである。こう書くと、いかにもきれいごとで、どうしようもなく青臭いと思われるかもしれない。しかし私たちの社会は、すでにそうした冷笑的な態度が何も意味を持たないような、そうしているうちに手遅れになってしまうような、そんなところにまできている。異なる存在とともに生きることの、そのままの価値を素朴に肯定することが、どうしても必要な状況なのである。」(pp.187-8)、「しかし、また同時に、私たちは『他者であること』に対して、そこを土足で荒らすことなく、一歩手前でふみとどまり、立ちすくむ感受性も、どうしても必要なのだ。」(... 続きを読む

  • 社会学者がフィールドワークの中で出会った「解釈できないこと」を集めたエッセイ。物事の断片を自分の納得のために擬人化したり意味づけしたりせずにそのままにしておくところはレイモンド・カーヴァーの短編みたいだった。

  • 戸川純に「諦念プシガンガ」という名曲があり、彼女をボーカルに迎えたONJE(Otomo Yoshihide New Jazz Ensemble)によるアレンジバージョンが非常に好きなのだが、この曲を聴いて以降、「諦念」という概念に心惹かれ続けている。

    それは何となく考えていた、「特別な自分」というものはこの世に存在せず、自分というものが歌詞の一部を借りるなら「牛のように 豚のように 殺してもいい 我 一塊の肉塊なり」に過ぎないということが、明確に言語化されたからかもしれない。

    気鋭の社会学者であり、マイノリティーとされる人々へのインタビューをベースに彼らの社会学的位相を明らかにする著者による随筆である本書は、そのタイトル通り、道端の小石のような断片的な事象を一切の解釈を挟むことなくそのまま描き出す。「諦念プシガンダ」を思いだしたのは、本書にある次のような叙述が、まさに自身が考えていた「諦念」に非常に近いものであったからである。

    「かけがえのない自分というきれいごとを聞いたときに反射的に嫌悪感を抱いてしまうのは、そもそも自分自身というものが、ほんとうにくだらない、たいしたことない、何も特別な価値などないようなものであることを、これまでの人生のなかで嫌というほど思い知っているからかもしれない。」
    (本書p194より引用)

    しかしながら、これだけであれば単なる厭世主義/シニシズムで終わってしまうところであるが、私が言いたいのはそういうことではなく、「自分自身が本当に下らない存在であるということを認めた諦念の元で出来ることもある」ということである。断片的でフラジャイルで取るに足らない存在であるが故の可能性と美しさ。

    本書では先の文章に続いて次の一文が語られる。

    「ただ、私たちの人生がくだらないからこそ、できることがある」
    (本書p195)

    誰もが何となく感じながら言語化をためらってしまうことについて、その断片性を隠すことなく、断片として提示すること。それが本書に心を惹かれる最大の理由である。

  • 必要以上の意味付けをせず、フェアな立場でとりあえずそのまま置かれたような、そして私自身の心の中にもとりあえず判断を下さずにそのまま置いておきたいような、そんなことごと。
    これを読んだことで得られた視点が、これからの人生のいろんなタイミングで生きてくる気がする。
    人間は断片的ながらくたたちで出来ていて、模倣の寄せ集めで、人生はかけがえのない大切なものなんかじゃないからこそ何かに掛けられる、とか。

    普通に身の回りで起こっているありふれたこと、それぞれの生活史。
    社会学って、生活の中に当たり前に存在する内容なんだな。
    具体的なエピソードが多くてわかりやすく、社会学が身近に思えた。

  • 2017年4月9日に紹介されました!

  • 断片的な人々のストーリーがただ書かれているものと興味を持ち購入したが、主に著者自身がフィールドワークを通して抱いた矛盾と気づきを淡々と述べていくものであった。それはそれでおもしろく、僕自身の仕事における戸惑いとも通じるところがあり惹き込まれた。

  • 普通に読んだらかわいそうと思う最後の章の文章たちが、通して見ると断片的だけどどこか美しい物語に変わる。

  • 読んだ後に目に入るすべてのものが
    なんとなく愛しくなってしまう本というのがたまにあるけれど
    そういうかんじ

  • 岸さんの視線はきちんと行き来してる、あるいは自分から他者との隔たりを理解してわかりあえることとそうではないことについて、見たり聞いたりしたことを書いている。書くと事実からは嫌でも自分に寄るけど、できるだけフラットに書いていてその温度が自分と他人の間の永遠に重なることのない気持ちに似てる気がして心地いい、だって僕らはそんなものだから。

  • 味わいある文体。ところどころ爆笑した。

  • 若干ねちっこい。社会学者が聞き取り調査をし、結果とか過程とか関係なく意味もなく、ただそこにあった存在していた断片的な物語の数々をまとめたエッセイ。怖さはないし全然違うんだけど「遠野物語」のような空気を感じた。

    「あとがき」が一番心に響いた。「誰にも隠されていないが、誰の目にも触れない」、「土偶と植木鉢」、「笑いと自由」、「普通であることへの意志」が特によかった。本の雰囲気がふわっとあたたかいような気がした。


    堅苦しいようなエッセイで、これはエッセイではなくて一種の語りのような気がしたし、著者の自意識の欠片みたいなものを感じて読みにくいなぁ…とか思いつつも読了。序盤と終盤は濃かった。中盤はくどいよ…と感じた。心にしみる内容もあり読み終えて時間が経ってから、自分は内容がある物語よりもあまり意味がなさそうで「だから何?」と思える欠片のような話が好きなんだと改めて気がついた。

    読むか読まないかは別として、この人の(岸さんの)小説(『ビニール傘』)ってどうなんだろう…と、とても気になった。。。他…作品中でも紹介されていたし巻末にも掲載されていた末井昭さんのエッセイ『自殺』も気になる。

  • この著者の「考えてはいるんだけど、ほんとうにわたしにはわからない」という姿勢に共感できる。
    マイノリティとマジョリティ、レベルをはること・はられること。
    マジョリティとは、それを意識しない立場の者、ということにはなるほどと納得。
    図書館で借りた本で、予約があったからメモをせずに返しちゃったのだけど、機会があれば再読したい本。

  • タイトルに社会学とあるが、中身はエッセー。読んでみて、納得できるものも、納得できないものもあるが、著者は優しい人なのだろうということは分かった。小説が芥川賞候補になっている。注目の人だ。

  • すぐそばに存在する、誰かの何気ない日常。特筆すべきものはないけど、何故か惹かれるたわいもない逸話。

    社会学者である岸政彦氏だからこそ出逢えた「断片的な」物語や、それについて岸さん自身が感じたことなどがとりとめもなく書かれている。

    日陰に佇んで、ともすれば誰の目にも触れられることのなかった物語たちに心を打たれるのは、岸さんの客観的かつ優しい(でも無駄に褒めそやしたりもしない)視点を通して書かれてるからなんだろうな。

  • 社会学かエッセイかカテゴリ迷いましたが、エッセイに。

    素敵な文章も書ける社会学者って、最高だと思います。岸k

  • 『私たちは、遠いひとたちに冷酷で、近いひとたちに弱い。』

    読めば読むほどわかるような、わからなくなるような感覚がとてもよい。生きるとはそういうもんだと思いながら正解を探したくなったりするもんな。

  • 僕はこの本が好きだ。安心する。

    〇以下引用

    私の狭い理論や理解から外れるようなもののほうに、ほんとうに印象的な語りやエピソードがある

    全体化も一般化もできないような人生の破片に強く惹かれる

    それはいつも目の前にあって、いつでも触れることができる

    この世界には、無数のだーがーがいる

    通りすがりの人と植木鉢について話を交換すること

    普通であること

    何も特別な価値のない自分というものと、ずっと付き合って行きていかねば

    私たちの無意味な人生が、自分にはまったく知りえないどこか遠い、高いところで、誰かにとって意味があるにかもしれないのだ

    それは完全な論理ではないが、それが不完全であることを理解した上で、それでもやはりじぶんの意見を表明する

    社会がそれを聞き届けてくれるかどうかはわからない。しかし、社会にむけてコトバを発信し続ける

    自分が感じることがほんとうに正しいかどうか確信のないまま、それでも働きかけて行く。そして、たまに、海のむこうから、、、

  • 社会学者のエッセイ。

    人生は、断片的なものが集まってできている 
    誰にも隠されていないが、誰の目にも触れない 
    土偶と植木鉢 
    物語の外から 
    路上のカーネギーホール
    出ていくことと帰ること 
    笑いと自由 
    手のひらのスイッチ 
    他人の手 
    ユッカに流れる時間 
    夜行バスの電話 
    普通であることへの意志 
    祝祭とためらい 
    自分を差し出す 
    海の向こうから 
    時計を捨て、犬と約束する 
    物語の欠片 

  • 社会が寛容でなくなっています。じゃあ、寛容になりましょう、多様性を認めましょう、と、一筋縄ではいかないのが社会。でもそれをあきらめず、やさしい言葉で社会の断片を見せてくれる本だった。

  • 「普通」ってなんだろう?は、ひとまず脇に置きたいのだけれど、
    読んでいる間中、そのことが頭から離れない。
    「社会学」という学問のつかみどころのなさ、分析とか理論からはみだしたエピソードの数々に引き込まれて、一気に読了。
    私たちの社会は、いろいろな人がいろいろな偶然でたまたまこの場に存在してできているんだな、とその不思議さにいまさら驚く。
    著者の岸政彦さんの猫好きは承知していたけれど、ミニチュアシュナウザーとの思い出話には(個人的な事情と重なり)涙、涙。文章もとても好み。

    紀伊國屋じんぶん大賞2016

  • 著者の社会の捉え方が印象に残る。でもそれは特別な世界観ではない。けれど、言葉にされたことで思い起こされるものだった。

    P.21 
    その世界にひとつしかないものが、世界中の路上に無数に転がっているのである。

    P.188
    異なる存在とともに生きることの、そのままの価値を素朴に肯定することが、どうしても必要な状況なのである。
    しかし、また同時に、私たちは「他者であること」に対して、そこを土足で荒らすことなく、一歩手前でふみとどまり、立ちすくむ感受性も、どうしても必要なのだ。

  • 「手のひらのスイッチ」「普通であることへの意思」「自分を差し出す」の章が特に心に残りました。人のライフスタイルが多様化している今「幸せ」についての箇所は特に考えてしまいました。「どうしていいかわからない 」というフレーズがぐるぐる回ります。

  • 人を尊重するということと、人と距離を置くということが一緒になっている。大切にしょうとするときにそっとしておく.......昔はもっと面と向かって話していたのでは
    私達の人生の繋がりの脆さを感じる。
    主語を語る必要性をのべていたのに同感しました。

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断片的なものの社会学の作品紹介

路上のギター弾き、夜の仕事、元ヤクザ……
人の語りを聞くということは、ある人生のなかに入っていくということ。
社会学者が実際に出会った「解釈できない出来事」をめぐるエッセイ。

◆「この本は何も教えてはくれない。
  ただ深く豊かに惑うだけだ。
  そしてずっと、黙ってそばにいてくれる。
  小石や犬のように。
  私はこの本を必要としている。」

一生に一度はこういう本を書いてみたいと感じるような書でした。
ランダムに何度でも読み返す本となりそうです。
――星野智幸さん

どんな人でもいろいろな「語り」をその内側に持っていて、
その平凡さや普通さ、その「何事もなさ」に触れるだけで、
胸をかきむしられるような気持ちになる。梅田の繁華街で
すれちがう厖大な数の人びとが、それぞれに「何事もない、普通の」
物語を生きている。
 * * *
小石も、ブログも、犬の死も、すぐに私の解釈や理解をすり抜けてしまう。
それらはただそこにある。[…]社会学者としては失格かもしれないが、
いつかそうした「分析できないもの」ばかりを集めた本を書きたいと思っていた。(本文より)

断片的なものの社会学のKindle版

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