羽生21世紀の将棋

著者 :
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感想 : 7
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  • Amazon.co.jp ・本 (194ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784255970141

感想・レビュー・書評

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  • 書道とも、ひいては「生」とも、親和するところがある考察だなと思った。

    ●以下引用

    個性、スタイルとは、可能性を狭めるものだと考えている

    個性とは事後的にしかわからない

    寄せにおける最善手というのは、対局者が「考える」ものではなくて、「見つけ出す」ものなのだ。それは人間の主体的に任された自由な手順なのではなくて、局面に隠されている手順なのだ。

    ねらいよりも深いところに一局の法則がある

    曲というものの主導権は作曲者ではなくて、曲それ自体にある

    絵画でも、詩でも小説でも映画でも、すぐれた芸術作品というのは、すべて作者の意図を超えて、その作品固有の運動・法則を持っている。作者の仕事とは、いわば、自分が作り続けているその箇所が、当面出来上がっているところまでの運動を損ねることがないか、目をこらすこと

    芸術というのは、すべて作者個人の意図を超えて、作品固有の運動性を持つものなのだから、完成するはるか以前、作り始めてかなり早い時点から、作品は作者の手から離れている

    作品が作者の意図を超えて動き出すときが、作品が声明を吹き込まれるとき

    個人の、こうしたい、こうしたくない、という意図を超える

    最前手はそこまで指した手が決めるもの

    最善の手順が実現されていくことにこだわる

    形勢判断にも棋風にも読みの根拠を求めず。ただそれが最善であるかどうかということだけを考えて読み続ける

    すべての可能性を網羅しないで、不要なものを考慮の対象にしないで切り捨てられることは、将棋に限らず、何かに精通することにおいて、非常に重要な能力

    これらの性質の異なる要素を、明快に、誰もが納得するように、客観的に、評価する方法はない

    形勢判断は常に主観的なもので、曖昧さ、不確かさから逃れることができない

    駒の幸せを考えていれば、駒から愛され、駒は自然と働いてくれる

    非の打ちどころがなく論理的だ、しかし論理的でしかない

    羽生は、網羅的な思考法とは違う思考法をとる。

    カンは、通常の言語化の範囲を超えた、その人自身にさえも言語化しえない要素を見ている。つまりそれは論理の側にある。

著者プロフィール

1956年、山梨県に生まれる。小説家。早稲田大学政経学部卒業。1990年『プレーンソング』でデビュー。1993年『草の上の朝食』で野間文芸新人賞、1995年『この人の閾(いき)』で芥川賞、1997年『季節の記憶』で平林たい子文学賞、谷崎潤一郎賞、2018年『ハレルヤ』所収の「こことよそ」で川端康成文学賞を受賞。主な著書に、『生きる歓び』『カンバセイション・ピース』『書きあぐねている人のための小説入門』『小説の自由』『小説の誕生』ほか。

「2022年 『DEATHか裸(ら)』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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