リハビリの夜 (シリーズ ケアをひらく)

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著者 : 熊谷晋一郎
  • 医学書院 (2009年12月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (255ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784260010047

リハビリの夜 (シリーズ ケアをひらく)の感想・レビュー・書評

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  • この本を読んでいるあなたと一緒に転倒したい。ケアを生業にしている人は必読だろうか。
    優れた精神科医だったミルトン・エリクソンがポリオで小児麻痺だった事から、人の仕種や動きのシグナルに敏感だった。この著者もムーン・ウォークを妹にさせるために、動作をどのように表現すれば良いのか詳細に分析しているシーンがあり興味深かった。
    自己観察が主体の本なので、そちらに強く興味を持てず読み飛ばしてしまいました。

  • このように自分の脳性麻痺のことを文章にされて本にされる方がいらっしゃるということが、介助がなくては生活ができない人たち、今のところ介助なしで生きていける多くの人たち双方にとって、ありがたいことだなぁと思う。

    ご本人も書いておられるが、「文字で表すことが困難な体感のようなもの」をよく文字で表してくださった。

    特に印象に残ったのは、リハビリキャンプでの出来事、電動車椅子を使用し始めた時の気持ち、一人暮らしを始めた時のこと、排泄のこと。

    高齢化で体が自由に動かせない人と一緒にしてはいけないのかもしれないが、介助を必要とする人としない人との共存をもっとしっかり考えなければ行けない時代ではないかと思う。介助される人が少数派ではなくなっているはずなのに、どうしても外出の困難があるため、人目に触れないところにいて、わからなくなっている。
    電動車椅子がたくさん街を走っている様子が頭に浮かんで来た。体が不自由でも、もっと外に出かけて楽しめる社会がいいな。

    この本の感想としては違うのかもしれないが、そういうことを考えた。

  • 著者が全霊で外界と対峙していることには敬意を表するが、観念の世界、独自の世界がいささか強すぎる。簡単に言ってしまえば頭でっかち。10年後ぐらいに御自分で読み直していただければわかっていただけると思う。とはいえ、当事者が発する声、というのは貴重で「アルビノを生きる」「死んでいきかえりましたれぽ」とともに、一度は読んでおきたい本でした。

  • 健常者の視点で障害者を図れない。というか図ってんじゃねぇ。

    それは「多数派」ならではの傲慢であり、
    障害者をとりまく環境を健常者をベースにして作ってもしょうがない(健常者ベースにする必要性がない)じゃんね。
    確かにそうだ、そっちの方がごく自然なのに。
    そのひとありきの生活が、より良いものであるように。
    認めあおう隣人への理解を深めるオープンなマインドは人生に必要だ。
    って、言ってったって健常者だって意識と行動が必ずしも一致するわけじゃない。

    もうそうなってくると障害者健常者の仕切りは薄くなってきて、
    どっちが優劣とかは遠回りにすぎず、
    よりよい人生のためにはしんどいことも時に呑み込んで消化しなくちゃいけないわけで、そこに脳性まひと健常者の仕切りはないはずで、助け合って、暮らしていきたいと思った。

  • 名著

  • とても難しく、理解できたところは私には少なかったかと思う。
    「敗北の官能」「ほどきつつ拾い合う関係」「まなざし/まなざされる関係」「加害/被害関係」と、自身の体験を、体系立てて著し、伝えている本だと思う。
    私はほんの少しだけれど、トレイナーの立場に立った経験がある。自分の行動や思いはあの時のトレイニーにとってふさわしいものだったのか、この中ではどの関係だったのか、当たり前だけどトレイニーにも気持ちがあり、その気持ちに寄り添えていたのか、自戒の念も湧いてきた。

  • 人権啓発冊子「TOKYO人権vol.56(2012年冬号 (公財)東京都人権啓発センター発行)」のインタビュー記事で著者を知った。
    表紙は電動車いすに乗り微笑む著者の写真。肘と手首とがほぼ逆方向に曲がっている。
    記事を読むと、自分の考えを明晰かつわかりやすく伝える著者の能力の高さに驚いた。
    “現代日本の混迷を救う若き知性の一人”になりうるポテンシャルを感じた。

    そういう知的な著者が、この本では機能回復訓練よりも、終わった後に床に寝そべるしかできない自分自身のほうに心地よさを感じ、失禁してしまった後、自分の対処できなさを改めて思い、官能的な思いに満たされる。
    ヌメヌメとも言えるこの感覚。読み手の感性に直接舐めつけてくるような。
    でも、私は啓発冊子のほうを先に読んでいたから、ピンときた。
    熊谷さんは、わかってて、やっている。
    体験できない人に自分の体験をそのままの形で伝えるのは難しい。
    だから熊谷さんは、だれもが体験可能な官能への訴えかけという手法をとったのだろう。

    啓発冊子によると、熊谷さんが幼い頃は「“健常な動き”ができるようにと、自分の身体には合わない動きを強いられるリハビリ中心の生活」。
    そのような強いられた生活-まるで見つめられるような-から抜け出たいという希求が、床に転がることの安心感や、失禁するまでの焦りよりも失禁後の絶望感に快楽を見出すような感覚につながったのでは、と思う。
    つまり官能への訴えかけは、世間一般の障がいに対する先入観を叩き壊すために最も手っ取り早い方法ってことなんだろう。
    まるで、熊谷さんがその曲がった腕でハンマーを持って、見えない世間の強固な壁を完膚無きまでに打ち壊そうとする姿が見えるようだ。

    そして著者は、健常な動きを目指した、単線的で目標が1つしかないリハビリの手法を「遊びや隙間がない」と表現し、逆に障がい者の生活スタイルは本来、多くの遊びや隙間を持つことで「健常化」するという論を進める。
    著者自身が絶望や失敗から受けた官能から、いわゆる正攻法のリハビリによってではなく、遊びや隙間にユルく入り込むような様々な試行によって新たに意味を持つ1つの動作として形が出来る様は、健常者側が抱く不安や疑問から、共有できる知的な理論へと、まるでオセロの一手で黒から白へ一気に色が変わるような劇的な展開として現れる。

    先に書いたハンマーで壁を壊す話、実際に曲がった腕でハンマーを振り回すのは困難だ。
    でも熊谷さんなら、遊びや隙間をうまく使って、何らかの方法(それが他人を使うのか、あるいは道具を付け足すのかは問わないけど)を組み合わせることで、ハンマーで壁を壊すという結果を最終的に手に入れられるに違いない。そんな思いにまで至る。

    啓発冊子にはほかに『ガチガチに固定されているシステムは、揺らぐことができる「余白」、その場の状況に応じた選択・決定を可能にする余地や余裕がないために、リスクが高く、効率も悪いものです』、『たった一人で抱えてきたことを他人に話し、分かち合うことができるようになって、「もう大丈夫」と思えるようになった』という記述もある。
    これらの熊谷さんの発想は、障がい者に限らず、私たち全体にも広く応用できる有用なヒントになりうるはずだ。
    (2013/2/20)

  • さらささん
    これは日本近代文学の臨界点だと思いました。「ゆらぎ」の言語化のの試みです。

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