- Amazon.co.jp ・本 (328ページ)
- / ISBN・EAN: 9784270002346
作品紹介・あらすじ
ナチスに協力した売国奴か、一泡吹かせたヒーローか。歴史上最も有名な贋作者の一人となったファン・メーヘレンの栄光と挫折の生涯が、膨大な資料を踏まえ、スピードとスリルに満ちた文体で甦る。
感想・レビュー・書評
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贋作は世界で二番目に古い職業なのだそうで。
騙す側の、人を偽る暗い喜びと、騙される側の、大いなる自己欺瞞が組み合わさって、面々と受け継がれてきた職業なのですね。
この本は、フェルメールの贋作で知られるファン・メーヘレンの自伝的特徴を保ちつつ、世界大戦後に起こった一大贋作事件のルポとして描かれています。
フェルメール作品の特徴を出すための試行錯誤部分は、ちょっと読んでて眠りそうになってしまったのですが、(なんか教科書読んでる気分だったんですもの・・・)事件が起こってからの部分は興味深く読ませてもらいました。
フェルメール好きな方は読まれるとよいかもしれませんね。
私もちょうど国立新美術館にフェルメールを見に行く事があったのですが、この本を読んだ上での予備知識もあって、いつもと違った視点で絵画を鑑賞できたのでよかったです。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
九州産業大学図書館 蔵書検索(OPAC)へ↓
https://leaf.kyusan-u.ac.jp/opac/volume/650660 -
映画インセプションでトム・ハーディが偽造師役をやる参考として、クリストファー・ノーランがメーヘレンに関する本を渡したということを知って読んだ。この本かはわからないけどね。
(映画で偽造師はfogerだったけど贋作者も同じと知ってちょっと嬉しかった)
偽造師が美術界への復讐心を持っているという認識はなかった。金銭目的だけではないのか。
そして絵の贋作だけやってれば良いのかと思っていたけれど、証明書類なども偽造しなきゃいけないし、絵の具の調合やニスを本物らしくするために化学的知識も習得しないといけないし、「とはいえ、何をさておいても贋作者に必須の技は、嘘をつく才能である。」とのことだし、思ったより贋作というのは大変そうだ。
けして出来のいい贋作ばかりではなかったのに、それでも権威がお墨付きを与えてしまえば本物扱いで、メーヘレンが贋作だとバラした後も中々信じてもらえないって美術界の問題が浮き彫りになっている。科学的分析が色々出来るようになってきてもまだそんななんだね…
メーヘレンの究極の選択が、史実として一個人が迫られた選択としてありえないほど小説的で、そして亡くなるタイミングもあまりに出来過ぎで。現実って時々滅茶苦茶面白いストーリーを書くよね本当に。 -
1945年5月ハン・ファン・メーヘレンはナチス・ドイツのヘルマン・ゲーリング元帥に国宝のフェルメールの絵を売ったとして、対独協力罪で逮捕された。ハンが売った相手はオランダ人画商で絵を返却するために入手元を教えれば罪には問われないがハンは答えられない。それは自分がでっち上げたフェルメールの贋作だからだった。投獄された6週間の間新聞はハンを「オランダのこのナチ芸術家」と痛烈に批判した。ハンの主張はその代金の支払いにゲーリングはオランダ中の公私のコレクションから盗んだ200点の絵画を返却したレジスタンスの行為だったと。7月12日捜査官のピラーに対し遂にハンは告白する。「君は、世間の奴らと同じくらいに愚かだ」「君は私がフェルメールをナチのクズ野郎のゲーリングに売ったと思っている。でも、フェルメールなんてなかったんだ。あれはファン・メーヘレン作品だったんだ。私があの作品を自分で書いたんだ。」ハンは一転して「ゲーリングを手玉に取った男」としてヒーローにまつり上げられた。
現在フェルメールの真作と認められているのは32〜36作、”専門家”の評価によってある作品の価格は乱高下する。2004年サザビーズのオークションで「ヴァージナルの前に座る若い女」が2700万ドル相当で落札された。専門家達は「ある程度まで他の画家達の手が入っている」ことを認めつつ、その作品がフェルメールであるのは「ほとんど・・・・確かである」「作品には、部分的に、おそらくは2〜3年後のことだろうが、完成後に描かれたところがある」という。半世紀の間この作品はハン・ファン・メーヘレンのものと言われていた。この本の訳者の小林頼子は後書きでこの作品がフェルメール作品ではないとの意見を支持し、いかに大枚が動こうが真作の証明ではないと言っている。
17世紀の画家フェルメールは同時期のレンブラントと並びオランダを代表する画家だが作品数が少なく、そのほとんどが個人のコレクションになっていたころから一度ほぼ忘れ去られていた。当時最も有名だった「デルフトの展望」は1822年オランダ政府に購入され開館して間もないマウリッツハイス美術館の所蔵品になったがフランス人批評家のテオフィル・トレがフェルメールを「再発見」するのはさらにその30年後だった。
18才のハンが初めてハーグを巡礼しデルフトの展望に見入られた頃もフェルメールはまだ全くの無名だった。ハンは5年に1度のデルフト工科大学絵画コンクールで最優秀作品に選ばれ画家として最初の個展にも成功した。そのころオランダ屈指の批評家カーレル・デ・ブルとその妻で女優そして後にハンの二番目の妻となるヨアンナ・ウレルマンスと知り合う。このころハンは修復の仕事を始めそしてたやすく贋作への一歩を踏み越えた。ハンが修復した「笑う士官」をマウリッツハイスの副館長デ・フロートはフランス・ハルスの真作と認めたがオークション会社はアーブラハム・ブレイディウスに再鑑定を求め贋作と退けられた。一人の男の直感に画家の運命が乗っかっている。ハンは打ちのめされた。次いで美術紙を創刊したがオランダ美術界の関心は引けずヨアンナとの不倫も仲間を減らす原因となりハンは40才になるかならずで自分のキャリアが崩れていくのを目にし、復讐を夢見るようになった。
ハンの復讐とは17世紀の作品を生み出し、作品を認めさせた上で自分の作品だとばらし自分の芸術家としての価値を証明しようとすることだった。最初のうちは。ターゲットはフェルメール、ようやくオランダ史上最高の芸術家としてレンブラントと並び称されるまでに評価は高まって来ていたが作品は少なくまだ埋もれた作品があると考えられていた。初期のフェルメール作品「マリアとマルタの家のキリスト」を鑑定したブレイディウスをはじめフェルメールの宗教画があると何人かの専門家は望んでいた。ハンの巧妙な所はフェルメールの気配を感じさせる作風でいながら今までには見つかっていないものを発見させたことだ。そうして出来上がったハンの最高傑作「エマオの食事」は徹頭徹尾ハン・ファン・メーヘレンの作品でありながらどこかフェルメールを思わせる所が有りついにはブレイディウスをだますことに成功した。17世紀の作品を模倣するためのハンの研究と努力は確かにすごいものがある。古い絵を使い乾燥法を工夫して自然なひび割れを作り、アルコールテストで絵の具が溶けないように発見されたばかりのベークライトで絵の具を固めた。顔料もフェルメールと同じものを揃えて使っている。贋作造りに熱中するハンの姿はある意味この本で一番面白い所だ。
ちなみにエマオの食事はハン・ファン・メーヘレン作品としてボンマイス美術館に収蔵されている。
http://collectie.boijmans.nl/en/collection/st-1
しかし当初の思惑とは違いあぶく銭は浪費し、更なる贋作に手を染めるとどんどん作品のレベルは落ちていった。それでも評論家達はフェルメールにも失敗作は有ると高い値をつけ続けていったのだ。後にハンが贋作を告白してからも「エマオの食事」を真作だと言張る評論家もいた。一方でハンに損害賠償を請求してもいるのだが。評論家の地位を地に落とすと言う意味ではハンの復讐もそれなりに成功している。
ハンは結局金目当ての贋作者だったのか、それとも美術界への復讐者だったのか。ここにエマオの食事を作成中にキリストのモデルを一介の労働者に求めた際の告白エピソードが有る。絵のモデルとなった労働者は半ばできあがった絵に描かれた自分の顔を見て訪ねた。「私は誰なんですか?」キリストとの説明に「私の様な罪人をキリストとして描くなんてわけがわからない」男は「自分はふさわしくないという怖れ」を棄てきれず、自分のために祈ってくれとハンに懇願した。ハンは20年来で初めて祈りを上げた。「神よ、もしいますならば、私の絵の中であなたに扮したからといって彼をお責めにならないでください。すべて私の責任です。そして、もしいますならば、私が自分の『フェルメール』に宗教主題を選んだことをお怒りにならないでください。冒険を企んでのことではありません。その主題を選んだのは、ほんの偶然のことなのです」しかし、ハンの生涯を追った様子から言えばこの証言も真っ赤な嘘だ。 -
フェルメール贋作事件。
ファン・メーヘレン―彼は歴史上最も有名な贋作者の一人となった。
なぜ芸術を愛している彼が犯罪に手を染めてしまったのか…
彼の栄光と挫折を克明に描いた一冊。
手書きPOPより抜粋 -
美術展を観に行ったら、展覧会の冠の付いた作家以外の作品を一番気に入ったりする、それで良し。美術鑑賞は能書き勉強せずに感覚で観たほうが幸せということか。
「かく観るべし」といわれたらそのようにしか見えない、そのように観なければいけないと思ってしまう。
その道の権威のお墨付きが一度間違えてしまうとその誤謬の伝播は果てしない。「誰々先生が言ったから」の信頼性は実際高いかもしれないが、それでも間違っている可能性を捨ててはいけない。 -
なんといっても翻訳の文章が明晰で読みやすい。違和感をまるで感じないので、翻訳ものを呼んでいるのを忘れてしまうほど。内容は新聞や記録映画のような客観的描写なのにとてもスピード感がある。絵画の歴史や手法を知るだけじゃなく、単純にストーリー自体が面白い。贋作をテーマにすると怪盗がでてくる小説のような本になりやすいようだが、この本は地に足が付いていると感じる。ノンフィクションという枠から逸脱せず、それでいて娯楽性をきちんと保った「読ませる」本。絶賛とまではいかないが、人生のどこかで読む機会があったら是非。