ラブラドールの誓い (ランダムハウス講談社文庫) (ランダムハウス講談社 ヘ 2-1)
- 武田ランダムハウスジャパン (2007年4月28日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (432ページ)
- / ISBN・EAN: 9784270100950
感想・レビュー・書評
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ハンター家で飼われているブラックラブラドールのプリンス。
「人間の家族を守る」というラブラドールの誓約を守ることを最優先に生きている。
ハンター家にはプリンスがハンター家の一員となる前から崩壊の要素が生まれていたが、そんな事を露ほどにも知らないハンターは最近近所に越してきたサイモンとエミリーが家族の脅威と考え、必死で愛する家族を守ろうとする。
結果、誓約を破ってしまうほどにー。
犬は、人間と心を通わせることができると思っています。
また、犬は人間をとても好きでいてくれる動物であるとも思っています。
この作品は確かにフィクションですが、ラブラドールを飼った経験がある方なら誰もが自身の愛犬とプリンスを重ねて読み進めるでしょう。
愛する家族の顔を舐めるプリンス、
帰宅した家族の匂いを懸命に嗅ぐプリンス、
珍しく粗相をするプリンス、
来客に吠えるプリンス。
すべてに家族を守る為の理由がある。
そう思うと、彼らと言葉を交わせないことが本当に切なく思われます。
犬の視点で語られる物語にはどこか無垢すぎて、リアリティに欠けるものもありますが、本書は是非、沢山の大人に読んでほしいと思いました。
2014年22冊目。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ラブラドールラバーホイホイな改題が許せん!(T_T)
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図書館で。
ラブラドール好きにはたまらないお話かもしれない。
個人的には動物の優れた所はニンゲンの言葉や習慣を理解しているからではなくて犬には犬の、猫には猫の独特の素晴らしい能力があるから魅力的なんだ、と思う方なので犬はニンゲンの言葉を全て理解している、と言われてもそうですか、としか言いようがないな…。まあ確かに密に暮らしていると分かり合える所はあるとは思うんだけど。それは別に言葉という概念に頼ったコミュニケーション方法ではないと思うんですけどね。
という訳で家族の崩壊をラブちゃんが一人…じゃなくて一犬が身体を張って止めようとする話、というか。プリンス君は良い子なんだけど彼の飼い主はことごとく共感がもてずナンダカナ、という感じでした。人間はアホってことでしょうかねえ。自分には合わなかったです。 -
好き嫌いが分かれそうな作品だと思います。
物語は、飼い犬のラブラドールレトリバーの視点で
周囲の人間達の間で起こる色々な事が語られていく感じで、
日常的な物事から、非日常的な事件レベルまで。
結末は何とも言えないやり切れなさと言うか・・・
私はすごくテンション下がりました。
(日常的な物事辺りは、動物視点に良くある面白さです。) -
「これは悲しいことだけど、破滅の兆しはすでにいたるところに出ているわ。家族の崩壊はもう避けられないことなのよ」
「大丈夫だ、安心してくれ。この家にはラブラドールがいる。だから、家族はこれからも安全だ」
犬と暮らしている人なら多かれ少なかれ感じる機会があるはずだが、時々愛犬の表情や目の動きやバカげた行動に「コイツ、本当は何もかもわかっていて、わざとやっているのではないだろうか??!!」と思わずにはいられない時がある。
これは世界共通なんだなあ、とマット・ヘイグという英国人によって書かれた「ラブラドールの誓い(原題:英国の最後の家族)」を読んで実感した。
かつてあらゆる犬は人間の家族を守るという大義に殉じて生きてきた。
「一つの家族を守ることは、すべての家族を守ることになる」という信念の元に、ひそかに人間社会を陰から支えてきたのだ。
しかし、ある時代にスプリンガー・スパニエルが「スプリンガーの反乱」と呼ばれる変革を犬社会にもたらした。快楽主義者である彼らは、首輪を抜け(スプリンガーって首輪抜けるの上手いの?)、犬自らの快楽を求めて行動することは許されるとの新たな思想を堂々と実行して、世の中の犬たちを煽動したのだ。
多くの犬たちは、この「スプリンガー主義」を受け入れ、次第にかつての義務を放棄し変貌を遂げていった。つまり、「主人を喜ばせるかわりに自分が楽しむために棒切れを取ってくるようになった」のである。
犬の加護を失い、家族は徐々に崩壊を始めたが、人間たちはその真の理由に気付かなかった。彼らは、自分たちの家庭生活の崩壊が他の原因によるものと考えていたからだ(共同体の終演とか、長時間労働とか、食生活の堕落とか.....)。
そんな中、英国のある公園を出発点に「ラブラドールの抵抗」と呼ばれるムーブメントがまき起こった。元盲導犬のラブラドール・リトリーバー「オスカー」が「人間を見限ることは、われら自身を見限ることである」と訴え、やがて全14条からなる「ラブラドールの誓約」が制定されたのである。
現在では、多くのラブラドールが(そして、ほとんどラブラドールだけが)この教えに従い、現世の快楽を追求する「スプリンガー主義」に抵抗を試み、人間の家族を崩壊の危機から救おうと奮闘している。彼らは、人間の家族を守るならば死後の世界において与えられるという「永遠の恵み」を信じているのだ。
そして、レスキューされたラブラドール「プリンス」が暮らすハンター家にも、ある危機が訪れつつあった。果たして彼は、誓約にしたがって愛する家族を守ることが出来るのだろうか?
というのが、この小説の骨子。
あらゆる単語に「クソ」をつける粗暴なロットワイラーとか(ラブラドールはもちろん馬鹿丁寧な敬語で話す)、「自分自身のために生きるべき」とプリンスを誘惑するスパニエルの魅惑的な姉妹とか、知的で美しいアイリッシュ・ウルフハンドの野良犬とか、カリカチュアされた犬種像がちょっと笑える(人によっては怒るだろう)。
プリンスと一緒にハンター家で飼われている猫のラプサンと彼の会話も、さもありなんという感じか。
「人間の家族に近寄りすぎると、最後には彼らとともに破滅するということよ」
「悪口を言うつもりはないけど、きみはやはり猫だ。忠誠心とか義務感とかいうことは、猫には理解できない領域だと思う、ちがうかい?」
「たしかに、そうだわ、プリンス坊や。でも、あたしたちは、苦悩のことなら知っているわ。人間の家族のことも理解しているわ」
スプリンガーの血をひくフォールスタッフは、最終的な局面になって、それまでの軽薄な言動とは異なる別の貌を露わにし、その毒舌を通して、「スプリンガー主義」が決して堕落的で奔放にしか過ぎないというわけではないことを示唆する。
「おれたちは何ものでもない。息をしている飾り物だ。トイレットパーパーの宣伝をして、幸福な家族の夢を売りつける道具だ。だからその仕事を適当につとめながら、自分たちの楽しみにふけっていい」
「人間の家族は滅びる運命にあるのだ」
そして、ラブラドールは。ラブラドール・リトリーバーのプリンスは、あくまでも無垢で誠実だ。
「愛だ。愛を感じるのだ。愛が部屋の隅々から漂ってくる。化粧タンスやテーブルに、卓上ランプやスツールに、壁紙や額縁の絵に、部屋のなかのあらゆるものに、愛がふくまれている。センチメンタルと思うかもしれないが、ほんとうだ。しかたがない。わたしはラブラドールだから。
私の知っていることはすべてがセンチメンタルだ。」
思うに、この純真さを(愚かさ、と言ってもいいかもしれない)愛せるか否かが、人がラブラドールという犬種を好むか否かの分かれ道なのかもしれない。
もっとも、動物によって語られるほとんどの物語と同様に、もちろんこの小説が本質的に風刺しているのは「人間」についてである。
「私もいまは理解している。私たち犬と人間とのあいだに根本的な違いがあることを。そしてその違いこそ、彼らが私たちの援助を必要とする理由を明らかにしている。その違いとはこういうことだ。犬は本能を押さえることを学習できるが、人間はそれができない。その見込みがまるでないということだ。」
「彼らはいくら過ちを経験しても、教訓を学ぶことがないのである。」
「人間は死と性欲を支配する必要を感じている。それは私たち飼い犬に対する彼らの態度を見ればわかるだろう。彼らは私たちが自然死する前に命を奪い、あるいは睾丸を切りとって去勢したりする。しかしそれは飼い犬を自由に支配するためではなく、実際には彼らの生活を支配する双子の力、死と性欲を支配しようとするためである。つまり、私たちを生来の衝動から救おうとしながら、現実には彼ら自身をそれから救おうとしているのである。」
そしてもちろん、物語は悲劇的な展開をみせ、やがてその結末を迎える。
つねに、人は愛のために罪を犯す。あらゆる戦争は、家族や同胞への愛という概念のない世界には存在しない。
残念ながら、世界はラブラドールが夢みるほどシンプルではない。
そのことを、他ならぬラブラドールのプリンス自身が体現することになるのだ。
読了後まず感じたことは、「ドンくさくてお人好し」というラブラドールのイメージは本家本元のイギリスでも変わらないんだなあ、ということ。
そして、イギリス人男性というのはつくづく根がクラいなあ、ということである。
彼らの歪んだユーモア感覚というものは、時に不愉快ですらある。
「<<ラブラドールの誓約>> 第十四条 永遠の恵みを信じよ
この地上で人間の家族を守るならば、われらは死後の世界において、おのれ自身の家族と一つに結ばれるであろう。
これがわれらに与えられる褒美、「永遠の恵み」である」
たとえその辛辣さが真実をほぼ正確に描写しているとしても、個人的にはハリウッドの脳天気さといかがわしさの方が好きかもなあ、と思ったりもして。たぶん。なんとなく。
まあ、そう感じてしまった時点で、すべてを戯画化してみせようという作者の策略に見事はまってしまったということなのかもしれない。
はぁ。 -
「これは悲しいことだけど、破滅の兆しはすでにいたるところに出ているわ。家族の崩壊はもう避けられないことなのよ」
「大丈夫だ、安心してくれ。この家にはラブラドールがいる。だから、家族はこれからも安全だ」
犬と暮らしている人なら多かれ少なかれ感じる機会があるはずだが、時々愛犬の表情や目の動きやバカげた行動に「コイツ、本当は何もかもわかっていて、わざとやっているのではないだろうか??!!」と思わずにはいられない時がある。
これは世界共通なんだなあ、とマット・ヘイグという英国人によって書かれた「ラブラドールの誓い(原題:英国の最後の家族)」を読んで実感した。
かつてあらゆる犬は人間の家族を守るという大義に殉じて生きてきた。
「一つの家族を守ることは、すべての家族を守ることになる」という信念の元に、ひそかに人間社会を陰から支えてきたのだ。
しかし、ある時代にスプリンガー・スパニエルが「スプリンガーの反乱」と呼ばれる変革を犬社会にもたらした。快楽主義者である彼らは、首輪を抜け(スプリンガーって首輪抜けるの上手いの?)、犬自らの快楽を求めて行動することは許されるとの新たな思想を堂々と実行して、世の中の犬たちを煽動したのだ。
多くの犬たちは、この「スプリンガー主義」を受け入れ、次第にかつての義務を放棄し変貌を遂げていった。つまり、「主人を喜ばせるかわりに自分が楽しむために棒切れを取ってくるようになった」のである。
犬の加護を失い、家族は徐々に崩壊を始めたが、人間たちはその真の理由に気付かなかった。彼らは、自分たちの家庭生活の崩壊が他の原因によるものと考えていたからだ(共同体の終演とか、長時間労働とか、食生活の堕落とか.....)。
そんな中、英国のある公園を出発点に「ラブラドールの抵抗」と呼ばれるムーブメントがまき起こった。元盲導犬のラブラドール・リトリーバー「オスカー」が「人間を見限ることは、われら自身を見限ることである」と訴え、やがて全14条からなる「ラブラドールの誓約」が制定されたのである。
現在では、多くのラブラドールが(そして、ほとんどラブラドールだけが)この教えに従い、現世の快楽を追求する「スプリンガー主義」に抵抗を試み、人間の家族を崩壊の危機から救おうと奮闘している。彼らは、人間の家族を守るならば死後の世界において与えられるという「永遠の恵み」を信じているのだ。
そして、レスキューされたラブラドール「プリンス」が暮らすハンター家にも、ある危機が訪れつつあった。果たして彼は、誓約にしたがって愛する家族を守ることが出来るのだろうか?
というのが、この小説の骨子。
あらゆる単語に「クソ」をつける粗暴なロットワイラーとか(ラブラドールはもちろん馬鹿丁寧な敬語で話す)、「自分自身のために生きるべき」とプリンスを誘惑するスパニエルの魅惑的な姉妹とか、知的で美しいアイリッシュ・ウルフハンドの野良犬とか、カリカチュアされた犬種像がちょっと笑える(人によっては怒るだろう)。
プリンスと一緒にハンター家で飼われている猫のラプサンと彼の会話も、さもありなんという感じか。
「人間の家族に近寄りすぎると、最後には彼らとともに破滅するということよ」
「悪口を言うつもりはないけど、きみはやはり猫だ。忠誠心とか義務感とかいうことは、猫には理解できない領域だと思う、ちがうかい?」
「たしかに、そうだわ、プリンス坊や。でも、あたしたちは、苦悩のことなら知っているわ。人間の家族のことも理解しているわ」
スプリンガーの血をひくフォールスタッフは、最終的な局面になって、それまでの軽薄な言動とは異なる別の貌を露わにし、その毒舌を通して、「スプリンガー主義」が決して堕落的で奔放にしか過ぎないというわけではないことを示唆する。
「おれたちは何ものでもない。息をしている飾り物だ。トイレットパーパーの宣伝をして、幸福な家族の夢を売りつける道具だ。だからその仕事を適当につとめながら、自分たちの楽しみにふけっていい」
「人間の家族は滅びる運命にあるのだ」
そして、ラブラドールは。ラブラドール・リトリーバーのプリンスは、あくまでも無垢で誠実だ。
「愛だ。愛を感じるのだ。愛が部屋の隅々から漂ってくる。化粧タンスやテーブルに、卓上ランプやスツールに、壁紙や額縁の絵に、部屋のなかのあらゆるものに、愛がふくまれている。センチメンタルと思うかもしれないが、ほんとうだ。しかたがない。わたしはラブラドールだから。
私の知っていることはすべてがセンチメンタルだ。」
思うに、この純真さを(愚かさ、と言ってもいいかもしれない)愛せるか否かが、人がラブラドールという犬種を好むか否かの分かれ道なのかもしれない。
もっとも、動物によって語られるほとんどの物語と同様に、もちろんこの小説が本質的に風刺しているのは「人間」についてである。
「私もいまは理解している。私たち犬と人間とのあいだに根本的な違いがあることを。そしてその違いこそ、彼らが私たちの援助を必要とする理由を明らかにしている。その違いとはこういうことだ。犬は本能を押さえることを学習できるが、人間はそれができない。その見込みがまるでないということだ。」
「彼らはいくら過ちを経験しても、教訓を学ぶことがないのである。」
「人間は死と性欲を支配する必要を感じている。それは私たち飼い犬に対する彼らの態度を見ればわかるだろう。彼らは私たちが自然死する前に命を奪い、あるいは睾丸を切りとって去勢したりする。しかしそれは飼い犬を自由に支配するためではなく、実際には彼らの生活を支配する双子の力、死と性欲を支配しようとするためである。つまり、私たちを生来の衝動から救おうとしながら、現実には彼ら自身をそれから救おうとしているのである。」
そしてもちろん、物語は悲劇的な展開をみせ、やがてその結末を迎える。
つねに、人は愛のために罪を犯す。あらゆる戦争は、家族や同胞への愛という概念のない世界には存在しない。
残念ながら、世界はラブラドールが夢みるほどシンプルではない。
そのことを、他ならぬラブラドールのプリンス自身が体現することになるのだ。
読了後まず感じたことは、「ドンくさくてお人好し」というラブラドールのイメージは本家本元のイギリスでも変わらないんだなあ、ということ。
そして、イギリス人男性というのはつくづく根がクラいなあ、ということである。
彼らの歪んだユーモア感覚というものは、時に不愉快ですらある。
「<<ラブラドールの誓約>> 第十四条 永遠の恵みを信じよ
この地上で人間の家族を守るならば、われらは死後の世界において、おのれ自身の家族と一つに結ばれるであろう。
これがわれらに与えられる褒美、「永遠の恵み」である」
たとえその辛辣さが真実をほぼ正確に描写しているとしても、個人的にはハリウッドの脳天気さといかがわしさの方が好きかもなあ、と思ったりもして。たぶん。なんとなく。
まあ、そう感じてしまった時点で、すべてを戯画化してみせようという作者の策略に見事はまってしまったということなのかもしれない。
はぁ。 -
家族を守ると強く誓っているラブラドール、プリンスの孤軍奮闘記。
と、書くとほのぼのしそうな内容ですが、読後感は後味が悪いです。悲しいようなやりきれない気持ちになります。
ただし、ラストは飼い主のアダムと通じ合えたようなので……それだけは救いでした。
視点がラブラドールなので新鮮でした。
文章自体はイベントごとにタイトルが付いて分けられていたので、とても読みやすかったです。
『英国の最後の家族』の改題・文庫化