テクテクノロジ-革命: 非電化とスロ-ビジネスが未来をひらく (ゆっくりノートブック 2)
- 大月書店 (2008年9月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (167ページ)
- / ISBN・EAN: 9784272320325
感想・レビュー・書評
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2023年1-2月期展示本です。
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【動機】藤村さんの著作を読んで「非電化」のことをより知りたかったから
主題の部分だけを見て手にとった本書。利益を上げることの大切さにも言及していておもしろく、もっと考え方の部分が知りたいと思った。ビジネスを考えるときに読むと考えがより発展しそう。 -
本書で知った「非冷却冷蔵庫」、シンプルな原理な凄い大発明、衝撃でした!
発明家である著者は元大手企業の科学者の方ですが、凄いアイデアマンな方だなと思いました。
その一方自分は悲しくも著者とは真逆で、そういった創意工夫・発明的アイデアを全然思いつけてない。。。なので、すごい感心と驚きに合わせて、ほんのちょっとだけですが正直嫉妬もあったかな。
まあ閃くことの得意不得意はされど、もっと勉強したり関心のアンテナをもっと伸ばしたり、色々頑張らないとと思いました。
あと「アフリカはそんなに貧しいのか?」と強い疑問を呈してるところは、凄く共感しました。そして「過剰に高すぎる生産性を抑えていく!」という人類の大事な課題にも気づかされました! -
藤村さんの考え方がわかる対談集、モンゴルでの非電化冷蔵庫の話など面白いが、「月3万円ビジネス 100の実例」の方が新しいせいか、単独著者のためか、より面白い。
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元企業研究者で、2007年に「非電化工房」を立ち上げた藤村靖之さんと、辻信一 さんの対談集。
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高度経済成長の時代に考えたユートピアは、すでに実現されているという。
がむしゃらに生きてきた、と、当時主力となった世代はいう。
望み通りになったのか?と聞くと、
笑顔で答える者は、私の周りにはいない。
何かがおかしいという。
何かが失われてしまった、という。
それでも私たちは懸命に生きた、という。
でも、何かがおかしい、とも、いう。
グローバリズムが席巻する中、
道具やノウハウを独占する者は、
不本意なパワープレイに追い込まれ、
ついには力尽きてしまう時代になった。
答えは一つではない。
当たり前のようで、ずっと直視してこなかった答え。
選択肢は常に複数用意する。
その中で最善の選択をするには、
100年と言わず、1000年先に想像を膨らませ、
胸を晴れるモノを選ぶ事かもしれない。
蝶の羽ばたきが、大陸を超えて竜巻を生み出すダイナミックな世界に私達は生きているのだ、
それくらい飛び越えた想像力位持っていないと、
この世界に振り回されっぱなしになる。
自然は自ずから美を目指す。
生命は自ずから美を目指す。
人間の知恵と行動もまた、美を求めずにはおけないのだ、
と、桂冠詩人はいう。
美しく生きることは、特別な事ではなく、
日々の逞しくも弛まぬ地道な生活の中にこそ、
積み上げられていくのだろう。
大きな力に追い込まれてはならない。
肩のチカラをフッと抜いて、
深く深呼吸。
眼差しをあげ、
目の前をよくよく見渡そう。
選択肢は、一つではない。
しかも、選択肢は、
自身で作り出す事だって可能だ。
諦めてはダメだ。
希望を見出せる選択肢でなければ、掴んではダメだ。
無ければ作ろう。
仲間をつくり、現状にへこたれない位の楽しみを見つけながら、
したたかに積み上げていこうじゃないか。
先達は、そうやってありとあらゆる苦難を退けて、私達まで命をつないできたのだ。
ここまできたからこそ、為せる事、
果てまでみたから、選べる事があるのだろう。
過去にしがみつくのは、無理がある。
全ては変化、変化の連続だからだ。
繰り返す事もあるだろう。
だからこそ、やり直せる事も、またあるはずだ。
人生が満足のいくものであるように。
願わくは、美しき人生であるように。 -
久しぶりに深い部分でワクワクする本に出会えました。
サステナビリティーや地域での環境や雇用の課題に関心がある方にはかなりオススメ。
本当はほうっておけない地方の課題に取り組みたいけど、収入の問題が。。。という人に勇気を湧かせてくれる本です。
来月からの沖縄での仕事に活かしたいです。 -
大事なことがたくさん書かれています。
便利になりすぎたこの社会や謙虚さを失った科学者・技術者への警告。
藤村さんは、非電化製品の発明家。発展途上国と日本で、本当に必要とされている「道具」をその社会に合った形で発明されてます。
快適便利を得ると何かを失う、という哲学をもって。
私は、彼の作っている製品がシューマッハーのいう中間技術とかぶってる気がする。
機械化を進めて生産性を高めると、独占できてしまうから雇用を奪ってしまう。だからバランスのとれた「道具」を作ることが必要。
地域に根ざしてローカル化を進めていくっていうことの地道さに進むかどうか悩んでいたけど、日本がパニックになった時に備えてちまちまやってくれ、という藤村さんの言葉が元気つけてくれた。
後、私が企業活動に対して抱いていた懸念を解消してくれたのがこれ。
「利益をあげることが悪いわけではなくて、人を犠牲にしたり、そのお金を悪いことに使うのが悪いこと」 -
メモった言葉
・魔術師の弟子になったフンボルトはある時、先生の留守中に覚えたての魔法をつかってほうきに水汲みをさせようとする。自分でそうじをするのが面倒くさかったのだ。働き始めたほうきはせっせと井戸から水をくみ上げる。そこで、はたとフンボルトは気がついた。かけた魔法をどうやって解くのかをまだ習っていなかったのだ。ほうきがくみ上げ続ける水で家は洪水になってしまう。‥ペースが速ければ速いほど、科学技術は魔法に似てくる。今ではもう、試行錯誤なんてのんびりしたことを言っていられない。どうやって解くのかわからない魔法をどんどんかけるようなものだ。
・人間が最後の木を伐ったとき、最後の川を汚してしまったとき、そして最後の魚を焼いてしまったとき、やっとそのとき気づくだろう、お金は食べられないということを。
・文明人はこの200年、化石燃料のおかげで、それ以前の時代に比べて自分たちが100倍もの力を持っているという考えにすっかり捕われてしまった。石油が永久に続く、富を永久に増やし続けることができるという幻想の上に、社会のすべての仕組みをつくってしまった。
・「必要は発明の母」から「発明は必要の母」という言葉に代わってしまった
・経済を大きくしていくということは、人がどんどん消費を大きくしないといけない。その消費を補って余りある収入を稼がないといけない。つまり、経済を大きくしていけばしていくほど人は忙しくなっていく
・自然を動かしているのは‥、摂理です。先住民族にとってはこの摂理が神です。科学が、この摂理を認識して、解き明かしたものを法則と呼ぶのです。けれど、けっして法則は科学者が生み出したわけではなくて、自然の摂理を、ただ人間が部分的に認識にして表現したにすぎないんです。‥今日の多くの科学者は、‥自然をどうコントロールして、自分たちの現実的な欲望に沿わせるかに焦点があたっている。
・科学は万能ではない。何が悪いかわかっていれば、それが起こっていないかいないか突きとめることは、科学の力でできるけど、何が悪いか分かっていなければ、科学は無力です。たとえば、カドミウムが人間にとって危険だとわかっていれば、食品にカドミウムが入っているかどうかを分析することは、科学の力でできますね。でも、何が悪いかわかっていないけれどこれは安全か?と問われると、科学は無力です。科学はほんの一部しか表現できない。謙虚さを失ってしまうと、科学は暴走してしまいます。
・1980年代、「課長と部長はどう違うか」と日本人100人に聞くと、100人みな「部長のほうが課長より偉い」と答えます。アメリカ人100人に聞くと、「それは役割が違うんだろう」と。日本は封建時代が長かったから、物事を身分でとらえる文化が色濃く残ってしまった。アメリカ以上に階級上昇意欲が、とてつもないエネルギーを生み出した。
・自分の倫理観にふたをかぶせているわけでしょう。科学者、技術者としての良心より、自分の家族に物質的な豊かさを保証する、ということを最優先課題にしてしまう。
・経済成長と、消費と、地球の自己浄化能力
・わかっていることをやる、できるとわかっていることをやる、というのにはある種の傲慢さを感じます。わかっていない自分というのが見えなくなっている。
・人間って目的があるから生きているというだけの存在ではないでしょ。
・強すぎる目的志向というのは自由を拘束して、新しいものが生まれなくなる懸念が強いですね。
・「なんだ、やればできることはたくさんあるんだ」ということと、ハイテクがすべてではないということ。経済成長至上主義で、都会主義で、大企業主義でなくてもきちんとできることがあって、そういうことをテーマにしていけば、地域レベルで環境と雇用を両立できる。そこに可能性がある、という希望を見つけてほしい。そしてそれを自ら手がける勇気をもってほしい。
・二酸化炭素を減らさないといけないというのはまちがってはいないんだけど、二酸化炭素を出さないことを目的にしすぎると、原発は二酸化炭素を出さないからいい、となってしまう。~もとは地球を温めないことが目的だったのに、いつのまにか二酸化炭素を減らすこと自体が目的になってしまったでしょう。
・人類はずっと、自分の欲望で人を支配するようなことを2000年もやってみた気がします。それは、ひとつには科学技術に裏打ちされた武力をもつことで、人に対する力が圧倒的に強くなって、今度はそれに経済力を付け加えていって、自分の欲望で人を支配していくようになりました。
・道具の発明があって、道具だけではいろんな困難さが克服できないから、必要が生まれてきて、次に機械が発明された。だから、それ自体がいいことか、悪いことかという評価は必要ないと思うんです。労働そのものがつらかった、生きていくこと自体が苦しかった。