愛することからはじめよう―小林提樹と島田療育園の歩み

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著者 : 小沢浩
  • 大月書店 (2011年4月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (283ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784272360680

愛することからはじめよう―小林提樹と島田療育園の歩みの感想・レビュー・書評

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  • 昨春いちどチェックしたのに、取り紛れて忘れていた本。近所の図書館には所蔵がなく、リクエストするとヨソからの相貸で届く(買ってほしいな~)。

    小林提樹は、重症心身障害児者の施設を民間の草分けとしてつくりあげた人。去年読んだ『この子らを世の光に』の糸賀一雄とほぼ同世代で、「西の糸賀(近江学園)、東の小林(島田療育園)」というような人だったらしい(『おんもに出たい』にも、2人の名が揃って出てくる箇所がある)。

    かつては死病だった結核を医学部の学生時代に患い、故郷の長野で療養していた小林の心のよりどころになったのが聖書だという。同病の同級生が何人も死んでいくなか、幸運にも小林は回復し、命をとりとめるとともに、信仰に入った。医者になるか牧師になるかを大いに悩むなかで、キリスト教の仲間がひらいていた土曜学校で子どもと接し、将来は小児科医になろうという気持ちが芽生える。

    昭和10年に医学部を卒業し、小林は小児科医として障害児にかかわってゆく。お国のために産めよ殖やせよといわれた時代、嫁して3年子なきは去れと跡継ぎを産むことが女のつとめだった時代に、障害児をもった母の涙の理由を小林は考える。

    ▼その子どもが障害児であると告げられたとき、この母親はその宣告をたった独りで受けとめなければならない。世の中のさまざまな荒波をともに歩んでくれる人もいない。それはあまりにも重い。でも、それを支えてくれる社会体制は何もない時代であった。(p.23)

    軍医として招集された戦争が終わり、小林は日赤産院で働きはじめる。産院では捨て子が増え、中には障害児も多かった。目の前にあるいのちを見捨てることはできないと、小林は空いた病室に子どもらを入れて育てた。食糧確保にもっとも苦労したこの経験から、小林は学ぶ。

    ▼子どもを育てるのには、まず育てるものの方が空腹であってはならない。子どもを育てるのはもちろんであるが、裏方である職員の生活が十分保障されなければならない。一方の犠牲の上に成り立つ体制は、長くは続かないのである。(pp.44-45)

    1948年に発覚した寿産院事件をきっかけに、児童福祉法が制定された。だが「すべて児童は、ひとしくその生活を保障され、愛護されなければならない」とうたったこの法律が、障害児を苦しめることになる。

    児童福祉法をうけ、日赤産院は乳児院となり、ついで障害児病棟が設けられる。病棟には常時20数名の心身障害児が入院していた。障害児のいのちを守りつづけるために、子どもらの笑顔のために必要なことだった。

    だが、健康保険局からは「医療に値しないこの子どもたちに健康保険証を使って入院することは不適である」というお達しがくる。児童福祉法が定めた乳児院は「健康な乳児を収容して介護」する場で、健康保険では「治癒の見込みのない病気や障害は入院治療に値しない」というので、病院では受け入れられず、障害児はどちらからも「枠外」にされてしまうのだった。しかも乳児院は乳児期間の終わる満1歳で措置解除となり、安心して預けられる養護施設もない。

    結局、障害児はどこにも受け入れてもらえないので、乳児院で引き続き育て、捨て子の障害児も次々と収容された。行き場がない障害児を、児童相談所が頭を下げて頼み込んでくる。一方で、1歳を過ぎた障害児の退院を迫る健康保険局。小林は「行き場の保証」を求めて児相からの受け入れを頑強に拒否したこともあるが、結局は折れた。

    「いい加減に妥協しても当事者がほっとするだけで、体制作りにまでは発展しないし、私の奉仕が体制作りを阻止していると、あえて強く拒否したかったのである。が、子どものことを思うと結局また負けてしまった」(p.52)との述懐が引かれている。

    小林にとって何より大切だったのは、目の前の子どもたち、そのいのち。だが、役人は法律をたてに、法を守れというばかりで、子どもたちの先行きはどうでもいいのだ。そのことに小林は憤り、この子らをどうするか、「児童福祉法に措置されない矛盾」を社会へ訴えることにした。

    小林は機会をとらえてくりかえし訴え、「想いを伝えることによって共感の輪を広げ」、ついには非公式であったものの障害児の継続入院が認められることになった。「無なれば創造する」というこの経験が、島田療育園への歩みにもつながる。

    日赤産院時代から「両親の集い」を始め、目の前の子どもらとともに、その親たちとともに、小林の足跡はつづく。そして、日赤産院の小児科部長を辞し、重症心身障害児のために身を投じた。島田療育園をつくるために親たちと各方面への陳情と請願を続けた。国とも交渉した。

    その場面で国からは「障害が重くて社会の役にたたないものには国の予算は使えません」という言葉が返ってきたという。「この子を残して死ねない。死ぬときは一緒に」を合言葉にしてきた親たちも必死で訴える。

    「たとえ、どんなに障害が重くても、ここに真剣に生きているこの命を守ってほしい」「社会のなかの一番弱いものを切り捨てることは、その次に弱い者を切り捨てることになって、社会の幸せにつながらないのではないか」(p.103)

    児童福祉法が障害児を谷間におとしこんだように、島田療育園は運営に国の予算がつくことになって、新たな谷間がうまれてしまう。「子どもを収容する施設」となったため、18歳以上は対象外となったのである。夢にまでみた国の予算が出るようになって、そのために資格を失う皮肉。

    小林はその中でも親たちに呼びかけ続けた。「お母さん、とにかく、大きな声で『助けて下さい!』と叫びなさい。恥ずかしいことではないんですよ。叫びすぎるくらい大きな声を出さないと世の中の人は気がつかないんですよ」「親の会を作って働きかけないといけません」(p.116)

    ▼…人々の力で社会の新しい枠組みを創造するときに、法律はいつも大きな壁として立ちはだかる。人間が作ったものなのに自縄自縛に陥ってしまったこの矛盾は、血の通った善意ある実力者によって打開するしか道は開けないのである。あきらめてはいけない。その想いで進むしかない。その姿を、見守り理解してくれる仲間は必ず現れる。(p.117)

    映画「普通に生きる」でも、理想の施設をつくりあげるために、壁をやぶった親たちの姿があった。

    心ある人たち、必要に迫られた人たちがはじめた試みが、やがて制度としてととのえられていく。しかし、その制度には往々にして穴があり、その穴をふさぎ、必要な人たちが使えるようにと、また声が広げられていく。そういう繰り返し、繰り返しで、今ここまできているのだと、島田療育園の歩みを読んでいても思う。

    ドイツからやってきた宣教師ヘンシェルによるディアコニア・キャンプ、そして通園施設のつばめ会。「障害児には人の心を変える力があります。この力をいかす。」というキャンプ。「子どもたちはある年齢に達すると必ず他児との接触を臨むようになる。障害児たちにもその場を」と始まったつばめ会。このつばめ会の成果が、厚生省による心身障害児通園事業につながり、後には養護学校義務化につながっていったのだとここには書かれている。

    養護学校義務化に対する反対闘争があったことも知っているけれど、We177号で下郡山和子さん(仙台つどいの家)の話を聞いたとき、養護学校さえ通える場ではなかった重い障害児とその親にとっては、まず養護学校設置の運動があったのだと知ってこのことを読むと、制度外とされた存在にとって、まずその中へというのは当然だと思えた。

    昭和40年代、島田療育園に組合ができる。待遇改善を図ろうとするものの人手もお金もないなかで、続けざるを得ない仕事、社会が豊かになっていき職員の意識も変わっていく。ストライキで職員が来ない事態になったときには、親たちが協力した。組合運動が掲げる正義と正論が、子どもたちのいのちや健康を守れない施設にさせてしまってどうするのだという思いのなか、組合交渉は解決の糸口を見いだせず、小林は島田療育園の園長を辞任する。

    この本には、古い資料などからの引用がたくさんある。中でも「両親の集い座談会」(pp.174-178)が印象に残った。悩みも暗い場面もあるけれど、この子どもをもってあかるい話もずいぶんあると語る親たちのことば。

    整理ができなくて机が書類の山だったという小林。「障害児にさまざまな枠をはめて特別な存在にしてしまう、そして世間から遠ざけてしまう、その根源は大人なのだ」と自分の娘から教わった小林。その姿も心にのこる。

    (4/16了)

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