茶色の朝

  • 大月書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (47ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784272600472

作品紹介・あらすじ

心理学者フランク・パヴロフによる反ファシズムの寓話に、ヴィンセント・ギャロが日本語版のために描いた新作「Brown Morning」、哲学者高橋哲哉のメッセージが加わった日本だけのオリジナル編集。突然「茶色のペット以外は飼ってはいけない」という法律ができたことで起こる変化を描いた反ファシズムの寓話。

感想・レビュー・書評

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  • 大きなものに取り込まれそうになった。そのとき自分に何ができるのか。この短編ともいえないショートショートが刊行された当時のフランスの社会的背景を少し調べたが、これは今日本で生きる自分たちにとっても他人事ではない。

    自己保身、他人への無関心、思考の放棄。

    時に政治家へ批判の矛先が向かうことがあるが、では自らはどうなのか。何かを変えるための行動を起こしているのか。諦観していないだろうか。

    政治的主張は控えるけど、政治でなくても身近な家族や友人、会社の関わりをイメージしながら読めると思う。

    茶色の朝を迎えないために読んでおくと良い一冊。

  • 静かでこわい話。自分はきっと「俺」のようになってしまうだろうなと思った。そうなりたくはないけども。メッセージの内容が最近のことだと勝手に思ったので、2003年初版に少し驚いた。そして2003年より悪化している現状に暗澹たる気持ち。メッセージの部分がなければ、自分は考えようとしないままだったかもしれないなと思った。

  • 読み終えると「茶色の朝」というタイトルにゾッとする。これは私たちの物語だ。そう思った。

    奥付を見たら出版が2003年になっていたけれど、2021年現在もまぎれもなく状況は変わっていない。
    むしろ本著でいうところの世界の「茶色」は濃くなっているかもしれない。それがまた恐ろしい。

    私の体験話だが、昨年Twitterで政治的な内容のつぶやきをした。
    私にしては珍しいことで、普段は面倒ごとになるのが嫌でなるべく口に出さないようにしている。でも思うところがあったから思わずつぶやいた。
    でも私は10分後にその投稿を消した。

    これには2つの理由があって、一つは一つのメディアの偏った情報で、自分が政治的な主張をすることに違和感と恐怖を感じたためだ。

    もう一つの理由は、政治的な主張は反対の意見を持つ人から叩かれるから面倒だし、政治家も大変な中で精一杯の対応をしているのだろうという同情もあったし、また過激なことや誰かに不都合なことを言うと、ある権力から目をつけられるかもしれないという漠然とした不安があったためだ。

    思い返すと、2つ目の理由はまさにこの「茶色の朝」の主人公的な思考だった。私もしっかりと「茶色」に守られようとしているではないか。

    だから本編の後の高橋哲哉さんのメッセージは心にザクリとささった。
    昨今は政治や他人に無関心な人が多いとうたわれる。でも世の中の人の多くは無関心なのではなく、何が真実かわからなくて、複雑で簡単に答えが出ない物事ばかりの中で、わかりやすく気持ちの良い意見に便乗したり、自分にはどうにもならないと「思考停止」しているのだと思った。私も含め。

    自分自身の驚きや疑問や違和感を大切にし、考え続けること。
    それは面倒だし、苦しみを伴うかもしれないけど、それをやめてはいけない。

    大きな流れに棹さすことまではできずとも、まずはただ流されるだけはやめたい。
    そう心に決意した読書体験だった。

  • それは民主主義の体を保ったまま少しずつ少しずつ変化していく。私たちにできることは違和感をやり過ごさないこと。

    日々のいろいろに疲れてしまって何も考えたくない気分になっていたので、この本を今読めてよかった。

    ヴィンセント・ギャロの絵がアクセントになって視覚的にも頭に残る。もっと話題になってほしい本だな。

  • 『街の流れに逆らわないでいさえすれば
    安心が得られて、面倒に巻き込まれること無く、
    生活も簡単になるかのようだった』

    『守られた安心、それも悪くない』

    他人事で居た毎日、自分には関係無いと、
    やり過ごしていた日々がある日突然、一変してしまう。


    個人的には、1度は読んで欲しいなと思う本。
    今の時代に警鐘を鳴らす内容だよ。

    今は、ネットで手軽に情報が入る。
    多数の人は、その情報を疑わない。

    でも世に溢れる情報は、時に偏向的で、
    意図的に操作が可能で、改ざんも改変も出来てしまう。
    発信者の意図により事実を歪曲する事だって出来る。

    だからこそ、情報に対して疑問を感じ、
    考えて、真実を見極める目が必要だと思うんだ。

    古代ローマの政治家“ガイウス・ユリウス・カエサル”
    の言葉を引用すれば、

    『人間はみな自分の見たいものしか見ようとしない。』

    だから、興味を惹くように伝えるんだよ。

    でも事実と真実が違うこともある。
    主観的、客観的でも、解釈が変わることだってある。

    だから、情報はまず疑わなくちゃいけない。
    ありのまま受け取るんじゃなくて、
    【心の目】っていうフィルターを通さなくちゃいけない。

    情報を安易に受け取ることがどんなに危険か、
    分かりやすく教えてくれる一冊だと、僕は思います。

  •  10年前に買って読んだ本。
     久しぶりに再度読んでみた。
     なぜって,今の教育現場が,あまりにも窮屈な感じがしたから。
     以前の先生達は,実にいろいろな服を着て学校に来ていた。授業参観や研究授業ともなると,低学年担当のおなご先生達は,可愛い服を着てきて,軟らかい雰囲気で授業をしていた。
     が,しかし,最近は,逆。お客様が来るというので,女性先生達も男性先生達もスーツ姿である。しかも,黒。だれかに,黒にしろ…と言われたわけでもないのに…である。
     いろんな研修会では,スーツを着ることがいつのまにか,当たり前になってきていた。とくに,年間20回以上もある初任者研修を受けてきた若者たちは,いつもスーツで出かけている。いつのまにか,そういう世界が学校の「普通」になりかけている。
     最初は,別にたいしたことがない…,私が合わせればいいんだから…と思っていたことが,あとでふり返るととんでもないことになっている。
     この学校での服装と,戦争とが関係がないと,本当に言えるのだろうか。スーツがふえるとともに,職員会議での発言が減っているのが,気になる。上意下達が,当たり前になってきた教育現場に,違和感を感じている。
     今,国全体が,茶色の朝を迎えようとしているのではないか。気づいたときには,もう,おそい。

  • こんなに短い物語が、こんなに強く、こんなに激しく語りかけてくるとは。
    10年以上前に書かれた筈なのに、描かれているのは「今」であり「ここ」。目を背けてはいけない事実を、そして目を背けてしまっている自分を、この物語は深く深く抉り出す。
    高橋哲哉氏の解説にも深く共感。とにかく今すぐ読んでほしい一冊。

  • SNSで「今こそ、茶色の朝を読もう」というイベントの書き込みを知った。

    2014年12月31日。一年の締めくくり、次の年へと向かうエネルギーが急速に集束を見せる今この時に、一緒に、静かにこの本と向き合ってみませんか。そういった趣旨のこの呼びかけに出会えたことを、心のうちに、とても感謝する。

    それは、いかにも大晦日にふさわしい。集まるでもパレードでもない。年の瀬こそは、内なるこころの動きに、耳を傾けるべきときなのだから。

    「茶色の朝」は、社会にいつの間にか潜む全体主義、民主主義の剥奪への警戒を描いている作品だ。「茶色」でないものは、「茶色でない」という理由によって、その存在を否定される。そして、そういった事態に痛みや違和感を感じるけれど、とりわけ声を荒立てるでもなく、静かに順応していく、私たち。

    ときどき「なんなの、それ」と声を荒げたりもするが、そんなことにわざわざ声を上げるほどには、社会も時代も自分ごとにはなっていない、私。

    その「気持ちの悪さ」を、もっといちいち、噛みしめるべきなのだろうか。他にももっと、なんとかしたい「気持ちの悪さ」がいっぱいであるときに?

    茶色の朝は、普通の人の無関心への警鐘して、世界で広く読まれている作品である。この本の背景は、日本語版の後半に記されている「メッセージ(高橋哲哉氏)」に詳しい。

    「やり過ごさないこと、考えつつけること」と題されたこのメッセージこそ、茶色の朝に添えて、今の私たちは目を通すべき文章ではないかと、私は思った。

    特定機密保持法、集団的自衛権、収束しない原子力発電事故となかったことにされる議論。

    やり過ごさないこと、考え続けることを「厄介で取るに足らないこと」とする風潮の一部になってはだめだ。

    人々の尊厳を踏みにじるような横柄な態度、その横柄さを生み出してしまった心の奥底にある闇(それは、私たち一人一人の奥で確かにつながっている)に、目を背けてはだめだ。

    感情という、ともすればもっとも忌み嫌われるようなものを、私という個人の中において、しっかり、受け止め、次の一歩を自分で選ぶ。

    その、繰り返しなのだと思う。

    SNSよ。その存在は素敵であり、同時にとても恐ろしい巣窟だ。「私を見てよ」のうごめきが、人を飲み込もうとする。茶色への反対の陰にある(私を見てよ)(私もすごい)の声。そこへの霹靂した気持ちが、私たちを「社会」から遠ざけている側面もあるだろう。

    人が自分に不満を抱えているとき「社会」というのは時としてちょうどいい憂さの晴らせる場所だからだ。

    「茶色の朝」を訪れさせてはいけない。そしてそのためには、孤独な社会戦士としての自分を、ひとまずは受け止めることではないかと、私は、自分は、思うのだ。

    「癒されるほか術を知らない、孤独な社会戦士としての私」。癒す力が自分にあることを知らずに、あなたにもあることを受け止められずに、「社会」という聖域を使って、「正義」という安全な剣を振りかざして、孤独のままで生きていく。

    それでは、持たないと思うのだ。

    茶色の朝はくる。

    やり過ごさないこと、考え続けこと。

    やり過ごさないための、ずるくない方法を感じ、自分のものとしたい。

    考え続けること。そして、考えの罠に捕まる前に、感覚を研ぎ澄ましていくこと。

    そういうことを、心がけていきたい。

  • 着々と「茶色」に染まりつつある今の日本社会に危機感を覚えるなかで、読みたかった本

    「茶色」 は一見、心地いいかもしれないけど
    浸ってるだけじゃ「心地よさ」 は維持できない
    私も常に「茶色」 に抗い続ける人でありたいな

  • 「思考停止」の恐ろしさを突きつけられる。

    何の疑問を持たず誰かが決めたことに従うのは、一見すると楽かもしれない。周囲と同質化し、浮くこともない。疎外感を感じることもない。

    けれど、一見すると自由に見えるこの自由は、真の自由ではないのではないか。

    決めたのは誰か?なぜそう決まったのか?それによって不利益を被ることはないのか?など、問い続けることによってのみ、本当の自由を得られるのだと思う。

    ハンナ・アーレントの有名な言葉、「悪の凡庸さ」、大衆の思考停止こそが社会的罪、が頭をよぎる。

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