- Amazon.co.jp ・本 (257ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309000800
感想・レビュー・書評
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全く歯が立たなかった、助けてくれ!
個人の幻想が〈性〉的な対幻想へ、そして共同幻想論へ転じていく過程も、そこにいたる遠野物語はじめいくつもの伝承の考察も、文学の退けかたも、なにも分からず逃げ出したい苦しいそれでも読み進める。
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ぼくが真実を口にすると ほとんど全世界を凍らせるだろうという妄想によって ぼくは廃人であるそうだ(廃人の歌)
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所詮はどこまでいっても借り物の自分の言葉はどこまで真実に近づけるんだろう、自分の言葉には絶対的な責任を持ちたい。言葉を突き放したいし、連れて行かれたい。おわり詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
<共同幻想としての国家>成立の根源を追い、長い歴史の射程の中に天皇制を解消してしまう野心的な試み。
<遠野物語>に準拠して、<自己幻想>、<対幻想>、そして<共同幻想>が立ち現れる機制を論じて、読む者を震撼させる。
マルクスは<資本論>において、観念、思想、イデオロギーを扱う上部構造を括弧に入れ、下部構造すなわち経済に集中して議論すると宣言、実践してみせた。
そのマルクスの目指した最終目的は国家の廃棄だった。
その国家とは観念であり、上部構造に含まれる。
上部構造に属する国家を廃棄するためには、観念としての国家の分析が必須だ。
残念ながら、吉本が1000年に1人の天才と呼ぶマルクスは、下部構造の分析だけを行なって、死んでしまった。
そこで、我らが(?)吉本は、マルクスのやり残した課題、上部構造の分析を自分でやってしまおうと立ち上がったのだ。
したがって、吉本の課題は、上部構造を構成する言語、イデオロギー、社会、民族、そして国家の分析におる。
言語の徹底的な分析を<言語にとって美とはなにか>で行い、自己幻想の在り方を<心的現象論>で追い求め、遂に共同幻想である国家成立の分析に挑んだのがこの<共同幻想論>だ。
マルクスの衣鉢を継いだ吉本の歩みは、正に巨人の歩みだ。
吉本の議論が突出しているのは、<自己幻想>から<共同幻想>が生まれるという単純な、水平展開の議論ではなく、その間に男女の性的幻想という<対幻想>を想定したことだ。
この発想の元にあるのは、邪馬台国の卑弥呼、更にその後を継いだ台与が、ともに兄弟を共同体統治者としたという歴史的事実があるのだろう。
天武•持統朝が作らせた<古事記><日本書紀>においても、姉である天照大御神と弟の素戔嗚による共同統治が描かれている。
吉本の発想にはこうした特殊日本的な歴史的事実を想定出来るが、そこから<対幻想>という独特の概念を抽出して、それを豊穣化させたことで、なぜ初期の<共同幻想>である原始共同体が生まれたのかという謎を解明することに成功した、と言える。
決して古びることのない古典的思想書。 -
【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/25487 -
遠野物語と古事記、そして時にフロイトやらヘーゲルやらの言説などをもとに、全幻想領域≒上部構造がどのように生まれるのか、それがどのようにして国家という共同幻想に発達するのかというところを掘り下げている。禁制、憑人、巫覡、巫女、他界、祭儀、母制、対幻想、罪責、規範、起源の各章。国家や制度、他にも通貨などが共同幻想であるという議論は珍しくないが、それをかなり詳しく調べ深く考察しているのが凄い。
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この人はやっぱりブッ飛んでる
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60年代学生運動時に非共産党系左翼の理論中枢を担った本。リュウメイさん。
柳田国男の『遠野物語』をベースにして「自己幻想」「対幻想」「共同幻想」について論じた。
理系チックな論理展開は流石。「共同幻想」の部分がピックアップされることが多いけれど、実は「対幻想」の概念をもってきた所が凄いらしい。
もうちょっと理解が深まってからレビュー更新しよう。 -
高校生くらいの時、古本屋で黄色に変色したボロボロのやつを買って読んだ。 異常に共感した記憶があるが、よく覚えていない。 ただ、「対幻想」だけが理解できなかったことを記憶している。
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吉本隆明氏の著作。 一時期、大犯罪を犯したカルト宗教を養護する発言をしていたので「この思想家は死んだか?」と思い、以後、氏の著作には全く興味が無くなった。 こんなすばらしい作品を残す実力あったのにね〜