再読。
30年ぶりくらいの再読なので内容をほぼ忘れていて、初読の気分で読み進めた。
なかなか攻めている小説なのであった。
それは、三島が自伝的な内容を隠さずに描き切っている赤裸々さ、だけではない。
中盤、ときに観念的な内面と思考の過程を、徹底的に突き詰めているその攻め具合である。
尖っているのだ。
ざっくり言うと三島の「ヰタ・セクスアリス」である。
4章で構成。第1章は幼年期。第2章は高校時代(旧制中学)。第3章は大学生となった青年期。
青年期に到り、三島は自身の嗜好が「異形」であることの自覚を積み重ねてゆく。
一方で、園子という女性と過ごす時間に、ある種の心地よさを感じることを自覚。
この二つの状況のせめぎ合いに対して、三島は自身を徹底的に追究してゆく。
自分は異性(女性)に対する肉欲を抱くのか、試したりする。
あたかも、自らの観念や嗜好を解剖する如し、である。
自分自身の内面を、徹底的に腑分けしてゆくさまは、客観的、科学的な様相すら感じさせる。
ヒリヒリするような切実さ、峻厳さ、凄みで迫ってくる。
さらには、小説の時代背景は、終戦間際で空襲が繰り返される東京である。
その死の日常も「私」の思考に絡みつく。
自身がやがて戦死することで、その煉獄のような状況から解放されることも夢想する。
この断章が「私」の思考にさらなる重層的なものを与えている。
文も巧い。
思考や事象を、形而上で捉え直すためか、新鮮な表現がいくつもある。例えば…
「雪景色はいわば新鮮な廃墟だった。
(中略)この贋の喪失の上に…」
そう。例えば、喪失感にしろ、失意にしろ、徹底的に腑分けする。表層的なフェイクな仮構の失意なのか、あるいはもう一段深層での本質的な根源的な失意なのか。
または、同性を求める嗜好の地平での観念と、異性愛という「正常な」価値観を仮構するうえでの判断なのか。それらを精密に解剖するごとく峻別し記述してゆく。
ちなみに、
本書は「初版本完全復刻版」なるもので、刊行時の付録もついている。
そこに、担当編集者の一文も載っている。
「仮面の告白」を書かせた編集者は坂本一亀氏である。
本書を読んでいて、期せずして坂本龍一氏の訃報にふれた。
その関連記事で一亀氏は有能な編集者として高名であり、龍一氏の実父であったことを、初めて知った。