蹴りたい背中

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著者 : 綿矢りさ
  • 河出書房新社 (2003年8月26日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (140ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309015705

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蹴りたい背中の感想・レビュー・書評

  • 芥川賞にありがちな「大して興味もなさそうな人が、話題になっているし、きっと全方位的に素晴らしい作品に違いない、という先入観を抱きつつ読む」という悲劇に見舞われているが、高校生の心象を描き出す筆力は10代と思えないほど素晴らしい。今読んだほうが作品の面白さを冷静に味わえるのではないか。

  • 高1のハツは、生物の時間のグループ分けで、同じく「余り者」となったにな川に、何気なく興味をもつ。彼はモデルの「オリチャン」の熱狂的なファンであり、オリチャンを見たことがあるというハツに、熱心にその場所を尋ねる。余り者同士の二人の奇妙な関係が始まる。

    綿矢りさ、ぴちぴちの(←死語)19歳にして芥川賞の最年少記録を更新した作品。

    すごく話題になった作品なので、発売時にたぶん読んだと思うんだけど、あまり印象は残ってないので文庫を買ってもう一度読んでみた。
    今読むと、自分と同年代で、19歳のときにこれを書いたというのはすごい感性だなと思った。
    「余り者」の道を選びながら「さびしさ」を感じずにはいられない彼女の気持ち、にな川に感じる凶暴な気持ちや苛立ちが、今読んでみるとよくわかる。でも、渦中にいるときはそういう気持ちをこんな風に言葉であらわすとかできなかったし、読んでもしっくりこなかった。
    綿矢りさは本当に緻密な観察者で巧みな表現者だ。そして本当に可愛い。何度も言っちゃうけど、この可愛さでこれ書いちゃうギャップがすごい。

    いろんな見解があって当たり前だけど、にな川に感じていた気持ちが恋愛感情なのかというと、私はちょっぴり違うんじゃないかと思う。

    ハツは、群れるくらいならひとりでいることを選んだんだけど、本当は級友たちのことが気になるし、自分を見る周囲の目も、自分の立ち位置も気になるし、グループを作ってしまった絹代と一緒にいたいのに、それを言うこともできなくて、強がってみても本当は「さびしい」、嫉妬や羨望を抱えながら、ぎりぎりの孤高を保っているのだ。
    対するにな川は、本当に級友のことも自分の立ち位置も気にならず、「オリチャン」のことしか頭にない。自分とオリチャンとその他の、確固たる世界で生きている。
    にな川と友達になればいいのかも、と表に出さずとも弾んだ気分でいたハツに、にな川はオリチャンのラジオが始まるからといって背中を向ける。
    自分は少なくとも「余り者」としての連帯感を感じているのに(そしてにな川よりは上にいると思っているのに?)、にな川は周囲のことなど意に介さず全く自分に興味も持ってない…、そのみじめさというか、いろんな意味の強烈な「ヤキモチ」というか、自分への憤りというか。
    そんなのがにな川の背中を見たとき、ぶわっとあふれ出て、蹴りたい、痛がるにな川を見たい、内出血してる痣を押したい、なんて攻撃的な気持ちになるのかなと。
    いや、実際に蹴ってますけどね(笑)

    なんてエラそうに書いてしまった、ごめんなさい。
    すぐ読めるし、でも読むたびに沁みる部分もあって、3回も読んでしまった。

  • あかん、こら名作や。
    どうも話題性先行だったような、そんな当時の印象がおぼろげにある。しかし、これ本当に凄い作品。
    結構王道なテーマ扱ってるのね。もうびっくり。疎外感と共感とディスコミュニケーションとほんの少しの成長がまた見事に描かれてて、確かになあと思わせる質感。
    内容はまあよくあるので、きっと評価点は感性と描写の瑞々しさでしょう。
    たとえば『さびしさは鳴る』っていう文頭。ぱねえ。もう誰も使えなくなってしまったわけです。それだけのインパクト。このレベルの表現、何を表してるんだか一瞬わからないけれど読者に感覚で無理矢理わからせてしまうような絶妙かつ的確な表現を、しかも連発する。もうね。
    ぱねえ。19歳、ぱねえ。

  • ハツは高校に入ってクラスメイトとも所属する陸上部の部員たちにもなんとなく馴染めない。クラスにはもう一人、溶け込めていない男子生徒がいた。その男子生徒にな川は、彼が好きなモデルをハツが見かけたことがあると聞き、ハツに話しかけるようになる。

    世間の流行から遅れること10年、やっと読んだ。
    確かにどうしようもなく荒削りな作品だけど、彫刻刀を差し込んだポイントは決して間違っていないと思う。

    Amazonのレビューで「高校生の日記(または交換日記)を読まされた気分」という表現をチラホラ見かけたが、それは少なくとも比喩としては間違っている。こんな、自分は一人で平気という顔をしたいけどしきれない気持ち、どうしようもない男を好きになってしまう自分への苛立ち、その男を壊してしまいたくなる衝動、こんなことは交換日記には少なくとも書けないし、高校生だけでなく大人も自分のこんな感情を認めて客観的に文章に書くことなどできない。

    色んな小説や映画を読み、観る度に、作り手は、何故こんな目を背けたくなるような自分の醜い感情と向き合い、しかもそれを表現できてしまうのだろうといつも不思議になる。そんな勇気ある作業を弱冠19歳が成し遂げたというのは、やはりすごいことだと思う。

  • なんとも不思議な読後感に浸る作品です。

    感想はうまく言えませんね…なんていえばいいんだろう。

    オリチャンのことしか覚えてないな…。

    蹴りたい背中っていうタイトルも独特な感じですよね。
    綿矢りささんの作品には実に不思議な空気が
    流れていますね。

  • 素直に解釈すれば、タイトルの「蹴りたい背中」の意味は、にな川に対する初実の歪んだ愛情表現とも思えますが、踏み込めば、初実に対する綿谷りさの激励のようにも感じます。初実は周りと上手く取り繕えず、素直に、にな川にも気持ちを伝えれません。更には、そんな自分を大人だと思い、群れる同級生を見下しています。まさに、若いが故の勘違い。でも、自分にもそんな時期がなかったと言えば、嘘です。今思えば、本当に調子乗ってたと思います。そんな初実の背中を蹴って、いかに馬鹿なのかを気づかせてやりたいという綿谷りさの気持ちがタイトルに込められているのではないかと思います。もしかしたら、綿谷りさ自身も初実のように周りを穿った目で捉えていた時期があり、そんな自分を初実に投影して、過去の自分の背中を蹴ってやりたいと思っているのかもしれません。「蹴りたい背中」は単なる青春時代の痛みだとか屈折した思いにとどまるのではなく、それらをギミックとして、世の中を知った気になった若者が陥る、恥ずかしいほろ苦さを表していると思います。だからこそ、個人的には昔の自分を思い出し、懐かしさもありましたが、初実に共感を覚えるのではなくフラストレーションが溜まりました。

  • 本を読んでいて、最初の1ページとか2ページ目で引きつけられる、
    その世界の中に入り込んでしまえることを、私は「吸引力の強い本」
    だと感じるわけですが、この本の冒頭

    さびしさは鳴る

    たったこの7文字に引きつけられてしましました(笑)

    余りものと表現された、友達のいない主人公私と、
    やはりクラスの余り者のにな川。
    でも、この私は友達はいなくてもその世界は外に向いているのに対して、にな川は、オリチャンというモデルに向けられている。
    というかオリチャンにしか向いていない。
    似ているようで似てない二人。
    そこには素直に表現できない恋愛感情が隠されてるのかな。
    それで思わず蹴ってしまったのでしょうね。
    そんな二人を、簡単に恋愛というジャンルでくくろうとする友達、絹代。

    ばらばらなんだけど、なんとなくその世界が成り立っているような
    不思議な人間関係。

    この作品は2作目だという作者は、なんと19歳!ぉお(゚ロ゚屮)屮。
    小説の技巧とかテクニックという点では、物足りないかもしれないが
    19歳でこの表現力はものすごいことだと思います。
    只者ではないです。

    普通の高校生だったら、なんかウザいとか、だるい。と
    表現するところを、こと細かく書くと、こういう風になるのかしらね~?


    小説を書くというのは、絶対人生経験豊富な年配の人のほうが
    有利だと思っていた私の考えを、ちょっと軌道修正しなければ、と
    思わされましたね。

    若い感性に、
    この作者のような表現力、それにテクニック
    これがそろえば最強かと・・・(*⌒∇⌒*)♪

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  •  本書を初めて読んだときは2004年、8年前のこと。8年目私は読み終えることができなかった。1ページすら読むことができなかった。一段落目の5行目に(苦笑)という表現が使われているのを見て、読まなくてもいいかなって思ってしまった。きっとその先を読んでも当時中学2年生の私は純文学なんてこれっぽっちも理解できなかっただろう。

     大学4年の最後の論文を書き終え、時間があるので本を読みあさる毎日。本棚の奥から見つけた本書をもう一度読みなおそうと思った。芥川賞受賞作品をとった純文学作品を理解できるほど私は成長できたのか確かめるために。一段落目の5行目の先に広がるであろう世界の素晴らしさを信じて。

     ハツは陸上部に所属する高校1年生。気の合う者同士でグループを作りお互い馴染もうとするクラスメートたちにハツは溶け込むことなく独りでいた。そんなハツが、同じクラスの余り者である、にな川と出会う。彼は、自分が読んでいるファッション雑誌のモデルにハツが会ったことがあるという話に強い関心を寄せる。にな川の自宅で、初実は中学校時代に奇妙な出会いをした女性がオリチャンという人気モデルであることを知る。にな川はオリチャンに関する全ての情報を収集する“熱狂的”なオリチャンファンだった。

     吉田修一の芥川賞受賞作「パークライフ」を読んだときと同じ気持ちになった。面白くはないんだけど、深くて味わいのあると感じる作品。悪く言えばお洒落な自分を演出するために苦手なコーヒーを飲むのと一緒。ただ好きになると中毒性があるコーヒーのような小説。

     ハツは気の合うグループでつるむ同級生や周りの人間を上手くとりこもうとする部活などの生活に溢れる民族意識にうんざりしていた。でも本心からうんざりしていて、嫌だったのだろうか。本当はグループに入って、彼女の中学校からの友達である絹代のように友達を作りたかったのではないかと感じた。

     それに比べてにな川はハツとは逆に本心からクラスの人などどうでも良かったのではないか。家族とも半分隔離された部屋で生活している。孤独の生活にオリチャンという存在がどういう意味を持つのか。ただのアイドルが好きという感情を超えた宗教における神の存在がオリチャンだったのだろう。周りのことを気にせずに“そのままの自分”でいることができるにな川にハツは嫉妬し苛立ったのだと私は思う。決してにな川のことが好きという気持ちではない。嫉妬と苛立ちからにな川のことを正面から向き合うことができずに、背中を蹴ることしかできなかったんだろう。これが自分なりの解釈だけれども、解釈なんか自由なんだと思う。有名な書評家の解釈があたかも正しいとされるが、読書という行為は自由でいいし、考えを束縛される必要のない道楽だと思うし、ずっとそうであってほしい。

  • 高校生の微妙な心の揺れの表現がすばらしい。

  • 愛しいよりも、いじめたいよりも
    もっと乱暴な、この気持ち
     高校に入ったばかりの“にな川”と“ハツ”はクラスの余り者同士。
     臆病ゆえに孤独な二人の関係のゆくえは……(帯より)

    そうかなあ?「孤独な臆病者」ってハツだけじゃない???

    にな川って別に孤独じゃないと云うか、むしろ「孤高」だと思いました。好きなものを思う存分愛でてるだけ。何かを好きになるのに仲間なんて必要ないでしょ。
    クラスの中で浮いてる「異物」みたいな感覚でオタク属性を与えたのかなあとも思ったんですけど、初版が発行されてから15年弱が経過した今、男性のアイドルファン自体珍しい事ではなくなっちゃいましたしね。

    それより何より、ハツのかまってちゃんぶりが辛い!!!
    なんかもう……面倒臭い!!!

    こんなの「お腹がすいて一歩も動けないけど好物しか食べたくないから誰か私の口までスプーンで運んで」って言ってるようなもんですよ。
    その上、友人に向かって「私が餓死しても構わないのか」なんて脅迫してみたり、それが叶わないと悟るやいなやすっくと立ち上がって(実際動けないほどの空腹でもない)誰も積極的には食べたがらないゲテモノをつまみ食い、「マズッ」って言いながら何かそのマズさが癖になる、みたいな話ですよこれは。

    私も私でいい歳こいて何をこんなに熱弁しているかと言うと、ええそうですよ、完全に同族嫌悪ですよ。ハツの幼稚な自尊心には、身に覚えがありまくり。辛い。辛いです。

    薄暗い部室に染みついた汗臭さ、下足箱付近に漂う独特の臭い、家に帰ってから制服を嗅いだ時に感じる学校の残り香みたいな、甘酸っぱさよりも埃っぽさを感じる「負」の青春小説だなあと思いました。

  • 図書館のリサイクル本。話題になった作品読むのはなんだか気恥ずかしいー!とか言いつつ、これからはこんなんもいっぱい読むからね!!芥川賞だしそんなに好みから外れてないはず…!

    学校のグループの女子らの立ち位置とかやりとりとか、なかなかリアルで面白かった。若い人に勧められそう。
    孤独さってたったひとりでぽつんと居るときに感じるものじゃないのよね。周りにたくさん人がいて、自分が際立ってはじめて独りやと思うのよね。

    あとメインキャラ二人に関しては、もっとかわいそうになれとか、好きなことだけならいくらでも喋れるとか、字面だけなら共感できることがあった。わたしはかわいそうだと愛おしくなっちゃう!もっともっとかわいそうになればいいのにと思って、そんなかわいそうな人をニヤニヤしながら見下ろしたい。そうなってようやく好きじゃわあとなる。へんたいじゃ。(今のところ二次元限定ですが)
    長々と気色悪いことを書いてしまったが、みんなへんたいなんだよ。へんたい。

  • クラスでどのグループにも属していないハツとにな川の話

    教室にも部活にも自分の居場所がなく、周りの人間をよく観察していて、自分の立ち位置などもすごく気にしているハツが、クラスに居場所がなくても、全く気にせずに自分の好きな「オリちゃん」を追い続けているにな川を少し羨ましいと思っている。
    にな川が好きなオリちゃんにあったことがある自分の中に「新しい自分の居場所」を作ろうとしていたと思う。

    最後のページのハツがにな川の背中を蹴るシーンは、ハツなりのにな川に対する愛情表現?

  • この本は一冊使って、蹴りたい背中とはどういう背中かを説明した辞書である

  • 話の内容は全然違うんだけど、芥川賞を同時受賞した金原ひとみの『蛇にピアス』と雰囲気が似ているなと思いました。
    彼女達は当時同じ年齢の19歳。表現の方法は違うけれど同じ様な空気、感情を感じました。

    高校生という子供でもない大人でもない微妙な年頃の、どこか冷めた気怠い気持ちがよく表現されていると思います。
    周りから一歩引いて、自分は皆とは違うんだと何もかも分かった様な態度をとってしまうけれど誰よりも孤独になるのを恐れているハツ。
    それとは対照的な絹代の皆に溶け込もうとしている行動は、私からみたらとても自然な事で彼女を愛おしく思えました。

    10代の頃に感じた感情や友達との距離感は理解できますが、もうそういう時代を通り過ぎてしまった私はあまり共感する事ができませんでした。

  • 再読。大人になればハツのにな川に対する感情に相応しい名前を付けられると思っていたのだが、どうやら無理そうである。でも、やっぱりこの小説が持ってる青春のもやもやしたフラストレーションとか、ちぐはぐな感じとか、学校という狭い空間に流れる生温い空気感とか好きだな。表現の生々しさが絶妙。人間関係を溶液に例えてしまうなんて。昔は周囲の言葉がハツの居場所をぎゅっと狭くする場面が印象に残ったけど、今は二人で桃つつきながらクラスメイトについて語るシーンが印象的。

  • 小学生のころに、友達に貸してもらったのが綿矢さんの作品との出会いでした。
    その頃はちょっと難しかったなあ^^;

    この「青い」感覚は一言で言い表したり、名前をつけられるもんじゃないけど、
    「蹴りたい背中」っていう名前はひとつの正解かも。

  • さくさく読める青い春でした。学校・にな川ん家・絹代で展開され、主人公の社会に対する棘だらけの心を描いた作品。毎日一緒にいた親友が裏切ったという場面から始まるわけだけれど、誰しも、環境が変わっても関係はそのままだなんて経験ないと思う。どちらが先に現状況に応じてゆくかで、残された側は疎外感を感じるものだ。何気なく大人になっていくことなんて絶対ない。今わたしたちの周りにいる友達も、その場その場の環境で掴んできた友情だ。取り残された感覚を拭えないまま高校生活を送るハツに対して、絹代の順応能力は高い。さっそくグループにハツを招き入れようとするところから、ハツにかける言葉ひとつひとつをとっても、大人だと言える。それゆえにハツは一層幼く映る。
    青い春。自分の醜い心に気付く春。それと同時に、芽吹く種の種類も多いからやっかいだ。どうにもならない「人を思う気持ち」は、愛しているとも憎んでいるとも捉えられる、そんな季節の真っただ中。
    わたしたちが一途に人を愛せるようになったのは、こんな濃いまでの青い春を経験したからだと言える。

  • 思春期の人間関係。周囲になじめない気持ち、でもグループに属していないと居心地悪い、感情。女性モデルにのめり込む同級生に、興味しめすも、気持ち悪い人と上からみる目線と、同類であることを認めざる得ない同感してしまう気持ち。さまざまな思春期の感情がみずみずしく描かれている・・・といえば好意的な感想なのだが、小説の特殊な非日常設定を日常感覚で話がすすんでいくのだが、ストーリー自体にはドラマチックな展開が希薄なように感じる。
    ここがミソで、普通な出来事に感じるのだが、結構変なおはなしである、そこが旨い・・・ということなのだろう。

  • 周りの同級生たちをどこか冷めた目で見ているところは、わたしもそうだったなと共感しました。ただわたしとこの主人公の違いは、主人公は自分を通して自ら一匹狼でいたところ。わたしは怖くていつも誰かに媚びていたような気がして、主人公のプライドと行動力に憧れました。

  • この方の本、なんか好きだなぁ

  • 大人になったら恥ずかしくなるかんじの 考え方をする主人公。でもなんだかリア ルな高校生の感性。ひとりでいたいのに 独りは嫌みたいな。共感はしなかったけ どすんなり読めた。

  • 高校生のハツはクラスメイトに馴染もうとしない。理科の実験でグループを作るときも余ってしまう。そんなこと気にしないふりを続けるハツの前に現れたのは、ファッションモデルのオリチャンに固執するにな川。
    ふたりは教室では誰とも話さない。もちろんふたりも話さない。
    にな川に興味をもったハツに対し、にな川はオリチャンのライブにハツを誘う。

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    距離感の話だと思う。
    主人公のハツは中学から一緒の絹代にしか心を許せないが、絹代は高校生だからと男女混合グループに参加してしまう。ひとりでいることの恥ずかしさみたいなものとの葛藤で、授業間の休み時間10分を過ごすハツはどこにでもいる思春期少女。自意識すぎて他人との距離が測れない。他人との関係がうまく築けない。

    一方、にな川は自分がいる現実に何も求めていない。自分に価値がないこともわかってる。その点ではハツより大人なのかも。にな川の興味のベクトルは雑誌ラジオTVの世界のオリチャンにしか向いていない。自分に何も求めず、憧れの対象だけをただただ求める毎日。だから、遠すぎる存在だったオリチャンが目の前に現れたとき、彼のなかで何かが崩壊したんだと思う。憧れとの距離がなくなったのに、その瞬間、一番遠く感じてしまった。

    中高生のころの気持ちのベクトルは本当に大きい。そのベクトルが運動や恋愛みたいなものに向けられれば輝かしい青春が送れるんだと思う。けど、そのベクトルが自分に向けてしまって、どうしようもないほどの自尊心を育ててしまったり、雑誌の向こう側のモデルにベクトルを向けてしまって、その欠片を集めることだけが生活のすべてになってしまったりする。そういうひとたちもいる。輝いてはいないけど間違っているわけじゃない。

    にな川はオリチャンに恋したり、性的対象として見てたんじゃなくて、純粋に憧れていたんじゃないだろうか。好きすぎて、その人になりたい的な、そういう憧れ。
    (それだとハツがにな川の部屋で発見した自作アイコラ写真の説明できないけど)
    にな川の部屋に泊まった夜、ハツは距離がわからないから、にな川を蹴ったんだと思う。恋だ。輝かしい。

    何回も読んだけどやっぱり思う。
    これはすごい。

  • 綿矢りさすごいなあ

  • 思わず高校時代を思い出してしまった。
    10代にこの本を読んでいたら、さぞかし衝撃的だっただろう。

    ところどころ、きれいな表現があって心惹かれた。

    40代の私には、やっぱり若すぎて…
    10~20代にはオススメ出来る作品。

    青い、若い、切な痛い…繊細な作品。


    私は金屋ひとみさんの『蛇にピアス』の方が共感できる。

  • 聞いていた評判より、ずっと素晴らしいと思った。

    女子高校生の主人公の、閉じた主観の世界がストーリーの基調となる。これ自体、リアリティのある描写だが、やや疲れる感がある。

    けれど、そんな小さく閉じた世界から、自分でも知らなかった自分、見えているようで見えていなかった広い世界がチラリと覗く瞬間が、なんとも自然で、みずみずしいのだ。

    茶道が、隠すことで美を浮き上がらせるように、自意識や嫌悪感で埋め尽くされた背景の中に、わずかに生じる真心や無意識的なものが、光を帯びて浮き上がる、その感じがとてもいい。

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蹴りたい背中の作品紹介

愛しいよりも、いじめたいよりももっと乱暴な、この気持ち。高校に入ったばかりの"にな川"と"ハツ"はクラスの余り者同士。臆病ゆえに孤独な二人の関係のゆくえは…。

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