- Amazon.co.jp ・本 (144ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309023373
感想・レビュー・書評
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大学を卒業したが、進学も定職に就くこともせず、バイトと小説の執筆だけで日々を過ごす主人公の本間。ある日、その小説も自分の意図に反して主人公・モイパラシアが死ぬという展開に陥り、書くこともやめてしてしまう。本間は原稿用紙と「死んだ主人公の腕」を庭に埋めようとするが、そこからは小説内でモイパラシアが飼っていた、トカゲのアルタッドが現れるのだった。同時期に庭に現れた同じく小説内のサボテン・アロポポルもアルタッドもある意味「普通の」動植物だが、ともに生活し彼らを見つめるうちに、本間は少しずつ変わっていく。(続
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bound proof 未校正版にて。
「書くこと」とは何か。そのことに対する逡巡。これはとても素敵な、そしてとても大切な作品だと思った。
書きたいけれど書いたことがない人は論外として、小説を書き始めたならば、避けては通れない問題がある。なぜ書くのか。いかにして書くのか。小説世界は作者が創るものだとしても、作者の思惑通りにすべてが進むわけではない。作者が創ったはずの登場人物たちにはそれぞれに感情があり、それぞれの為すべきことを為す。だから作者は、書き手であり、同時に第一の読み手でもあるのだ。本間は書き始め、モイパラシアの死によって書くことの孕む問題に突き当たり、そして怖くなって物語を葬る。しかし既にモイパラシアもアルタッドも、そしてアロポポルも存在を始めており、物語を葬ったところで、その事実は覆せない。それは強迫観念であり、また同時に希望でもあると思う。それは、本間が再び書き始めるための、希望だ。
モラトリアム、と言ってしまうことは簡単だ。しかし人間には、人間らしく生きるために思索の時間が必要なのだと思う。ただ思索をするためだけの時間が。その思索の時間を経るからこそ、次に進むことが出来る。それで再び書き始めることが出来ないならば、それまでのことだ。
書くことの歓喜と恍惚。書くことによって汚される物語世界。言葉とは、何か。書かなければならない人間は不幸だ、と誰かが言っていたけれど、これは書きたいとか書きたくないとかの問題ではない。「書かなければならない」のだ。書かずに済ますことは出来ない。書かないことは死を意味する。だから、書く。歓喜と恍惚を与えてくれるような言葉。本間と亜希が点描によってアルタッドの生きた証を描き出したように、書くことで何か大切なものを掬い取れるかもしれないから、そんな奇跡のような一瞬を求めて、書くのだ。
この作品の中で一つ気になったのが、「さて」と「ところで」の使い方だ。この二つの接続詞によって、所々文章が分断されている感じがする。この接続詞だけが宙に浮いているような。これはわざとそうしているのだろうか。
しかしこの作品は間違いなく、美しい小説だった。 -
サンプル版を拝読。
大学院入試を控えて卒業後の時間を祖父の残した家で過ごす本間。
彼は小説を書いて生業をたてるということに一歩踏み出せないでいる主人公と思った。
時間があるって残酷だね。自分に対して過大な期待をしてしまう。
でも、生み出すという恍惚とした瞬間に立ち会える感動を手にしたい分かち合いたいっていう気持ちもわかる気がする。
現実は本間のフィルターを通して語られるのだけど、本間の気持ちの有り様ですぐに虚構の世界に飛んだり自分の内面世界に飛んだりする。
出版社でバイトしている本間、書きかけの小説に頓挫している本間、アルタッドと生活して虚構の世界に逃避している本間。
現実と非現実の間に居たいという本間の気持ちがアルタッドを生み出したのか、アルタッドの存在が世界を繋いでいるのか。
リンダ・シャーロックの声がこの物語に味付けをしているのか。
不思議と違和感のない書き方が、こういうのが苦手な人でもすんなりと世界に入れるように思った。
心のなかにアルタッドがいる限り、本間はこの先も書けるだろうな。
この作者の世界に意識を飛ばせるいい作品だった。
言葉がきらきらと光っていて、本間の生きている世界と、アルタッドというトカゲの存在を通して本間の描いている作品の世界との境目にふわふわと漂うのが気持ちよかった。
本間の作品が完成したらどんな話になるのだろう。アルタッドの夢、かな。
次作はあまり気負いのない作品を期待したい。