- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309025803
感想・レビュー・書評
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自分としては著者の小説よりもこのエッセイの方が面白かった。
著者の夫が「家父長的」価値観から真逆の人で、子育てと仕事を夫婦で協力してうまく両立している。
なんといっても夫の愚痴や子育ての辛さの記述は全然無いのが読んでいて気持ちいい。
子がキウイやバナナを皮ごと食べてしまった話があったが、
うちの子も小さい時、カットされた皮つきスイカが目を離した隙に丸ごと消えていた事件があった。どこも似たことあるのね。
抱っこ紐を買いに行ったときに著者が目をつけていたものでなく、夫が選んだものを尊重したのはちょっとすごい。びっくりした。
夫のことを決断力が無い、所得が低い、と言いつつ、本当に対等に子どもの親として夫をみている。
それと作家業や子育ての過程を、それそのものとして楽しんでいるという話も好き。
お金や賞のため、子どもの将来のためとかそういった目的のための「手段」でなく、
書くこと、育てること自体が「目的」という考え方いい。理想。
「今、一所懸命に自分のために書く。それだけでいいじゃないか、という気持ちになってきた。
それと同じで、赤ん坊と過ごしている時間が、この先に何にもならなくてもいい。
私が今、赤ん坊と一緒にいて楽しい、それだけでいい。」
あと、自分が大学生の時に勉強した発達心理学の発達過程についての記述が目につく。学術的にでなく普通に平易な文章で「こういうことしてるからこうかも」とかだけど。
「さすが作家さん、心の変化を確実に捉えている」と思った。
自己の意識の認識とか、対象物の永続性の認識とか、未来過去の感覚がつかめてきたりとか。
続編あれば読みたいな。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「母ではなくて、親」か。
わたしが育休中は夫に働いてもらい、わたしは家のことを頑張ろう、と思っていた。いわゆる、母になろうとしていた。夫もわたしも「父親」「母親」という像にとらわれず、同じ親という立場でいたい、と思った。子どもを預けてわたしが働いてもいいし、夫に育児を任せてカフェに行ったりもしたい。
ナオコーラさんの赤ちゃんの月ごとの成長も可愛すぎて、まだ産まれていないけれど、子育てが楽しみになるエッセイだった。 -
ちょっと変わった子育てエッセイです。
著者のナオコーラさんはひたすら考えます。
お産をすること、夫婦で育児をすること
子どもが泣くということ・・・
何もそんなことまで細かく考えなくてもと思う程
真面目に考えて考えて
子どもと、そこにある社会の常識と
向き合っていくのです。
彼女の場合、その真面目さ真剣さが
そのまま子どもへの愛なのでしょう。
ちなみに遥か昔に経験した私の育児では
考えると腹が立ってやってられなくなるので
子育てをしない夫や癇癪を起して泣き止まない子どもを前に
ひたすら頭の中を空っぽにし、何も考えないことだけを心掛けていました(笑)
ナオコーラさんがこの先どんな風に子どもを育てていくのか、
ぜひ続きが読みたいです。 -
社会通念へ迎合しない姿勢が至る所で炸裂。
ほのぼのとした子育てエッセイではない。
賛否はあるとして、こういうことを深く考えて発信するというのも作家さんの社会に対する役割なのだと思う。
相手の経験の有無で話題を変える必要はない
→わかるけど、子供がいない人に子供の話ばかりするのは気が引ける…でも育休中は子供のこと以外にあんまり喋ることがなかったり。子供を持つことについてはオープンにしていないプライベートな事情があるかもしれないから躊躇するところもある。それは決して子供がいない人を軽んじてるわけではない。相手が話しやすい話題を振る(人によって話題を変える)というのも配慮なのではないか。
かわいそうな人を助けるのではなく、困っている人を助ける(いわゆる努力が足りないような自己責任の人も助ける)それは自分のため
→作者の言う通り、困っている人をスッパリと2種類に分けることはできないと思うし、がんばってないのに支援を受けている人を疎ましく思う気持ちもわかる。でもそういう人たちが路頭に迷うことのデメリットを考えると支えるしかないのかとも思う。最低ラインは国が保障し、それ以上のいわゆるがんばる困っている人にはさらなる支援があると良いと思う。
家族のためになんて恩着せがましい
子供と過ごす時間や家事の時間も全て自分の時間、その時間が何にならなくてもいい
→これは耳が痛い。効率的、要領よくが好きだからだろうか、延々と続く子供との時間にうんざりしてしまうことがある。〜してあげてる、なんていうのもこれに近いと思う。これじゃ見返りを求めてしまって余計にイライラするよね。 -
これまで読んだ作家さんの育児経験本、育児エッセイ本のなかで、一番楽しく読めました。
「母ではなくて、親になる」というタイトルの通り、山崎ナオコーラさんは母親らしさとかは全く意識してない。
親としての気負いというものもない。
実際、赤ちゃんの描写もあまり出てこなくて、お子さんの赤ちゃん期にナオコーラさんがこういうこと考えていたのね、という内容です。
ナオコーラさんは、多くの人が「考えたけど、堂々巡りになって、結局考えるのやめた!」っていうことを、読み手に伝わるようきちんと文章化できる人なんだな。
保活は、自分が他の人よりどんなに大変かをアピールして子どもを保育園に入れる活動、世の中の◯◯活のなかで、なんと生産性のないことか…確かにね〜。
子どもと自分のために、保育園を見学してどこが良いか見極めることを「保活」だと私は思っていたので、保活(というか見学)も大事なことだと思っていたけど、「なんとしてでも保育園に入れること」だけに意識を向かわせたら、他者を蹴落として自分が利を得ることにな
一時期マスコミが、保育園入るために偽装離婚する人がいる!親族の会社で働いてる事を偽装する人も!なんて報じてたけど、そういう滑稽なことも含めて、保活って一体なんなんでしょうね。
普通にしていても確実に入れるだろう点数がある人にとっての保活と、入れるかどうか微妙な人にとっての保活は、多少意味が異なってくるのかもしれない。
私は、よく食べる子どもを見るのが大層好きなので(我が子は少食なので無理に食べさせないようにしていて、逆になんでもよく食べる親戚の子を見るとすごく楽しくてずっと見ていられる)、
ナオコーラさんのお子さんが、キウイやバナナを皮ごと食べて、駄目だよと取り上げると怒って指に噛み付いた、という描写は、お子さんが可愛くてキューっときた。 -
大好きな山崎ナオコーラさんの0歳のお子さんに関するエッセイを見つけて、同じく0歳の子育て中なので楽しく読んだ。すると意外にも作家としての立場に迷いや不安を感じられていて予想外だった。
「赤ん坊と過ごしている時間が、この先に何にもならなくてもいい」「思い出を作る努力などしなくても、今は楽しめる」など、さっぱりとした潔い考え方をされていて、それは著者の小説でも感じられて、やはり好感が持てた。 -
夫が低収入であるくだりは読んでてあまり気持ちの良いものではなかったが、だんだん色々なことができるようになる赤ん坊の描写がたまらなく愛しくて夢中になって読み進めた。私自身フリーランスで仕事をしながら出産を控える身なので子育てしながら思い悩む作者の複雑な心情には心から共感した。
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2018 3/1読了。
徹底して「ステレオタイプ」を嫌う作者。母としてではなく親として、夫として妻としてではなく、できる方ができることをやる。男の子女の子ではなく、その子自身の人格を尊重する。こんなご両親に育てられてみたい。
信念があるのにちょっとブレたりする作者もかわいらしい。 -
私の行く図書館では著者はちゃんとあります。
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ナオコーラさんのエッセイというか、考えがやはりわたしとは合わないなと再認識した1冊。
育児エッセイなら、と思ったけれどどうも卑屈というか悲観というか、偏屈というか。もう相性なんだろうな。絶対友達になりたくないタイプ。
好きな作品もたくさんあるので毎回手にとっていますが、もうエッセイはやめようと思った。尽く合わない。
美しい距離、島清恋愛文学賞受賞おめでとうございます。これで少しは気持ちが前向きというか、まっすぐ向くといいなとおせっかいながら思いました。