さすらう者たち

  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (381ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309205373

作品紹介・あらすじ

1979年3月、一人の年若い女性が国家の敵として処刑された。友の無実を知るかつての同級生は、夫と幼い息子との幸せな家庭を捨て、友の名誉回復のため、抗議行動を決意する…前作をしのぐ感動をよぶ、著者初の長編。

感想・レビュー・書評

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  • 文化大革命終結後、29才の女性政治犯が10年収監ののち処刑される。
    文化大革命に関する話を読みたいと手にしたが、「人々は歴史の中で生きているとは思っていない」と著者は言い、歴史的事実を巡って絡み合った街の人々の生活や感情に光を当てた。

    市井の人々には日々の暮らしがあり、生きていくのに必死だ。高潔だけでは生きていけない。善も悪も合わせ持った人々の心の機微を丁寧に描くことで逆に当時の怖さを身に引き寄せられた。

    子どもが政治的活動に向かう親の気持ち、娘が処刑された父親と母親の気持ちの違い、女だからと捨てられる赤ん坊を7人拾い育て、取り上げられた親、障害者の娘を持つ親、様々な親の悩みと痛みが描かれている。愛だけじゃない、打算や欲までも。

    立派な大人になる信念を持ち努力している小学生トンは、純粋なぶん当時の空気に素直に染まる。文化大革命の紅衛兵の若者たちも同じだろう。

    状況に合わせて変わる人々。
    人の心はなんて不安定なんだろう。
    生きていることの寄る辺なさを覚える。『さすらう者たち』タイトルの意味は、そんな人々のことなのか。

  • 原題は"The Vagrants”で、『さすらう者たち』は、ほぼ直訳である。ところで、その「さすらう者たち」は、いったい誰を指しているのだろう。というのも、どれも一筋縄ではいかない人物たちの中で、唯一好人物といっていい、ゴミ拾いや掃除を仕事としている華(ホァ)という老夫婦が、通りすがりの二胡弾きにかつては自分たちも放浪者であったことを明かしているが、その盲目の二胡弾きを除けば主な登場人物は、舞台となる中国の新興工業都市、渾江市に定住する者ばかりだ。

    毛沢東の死後、江青ら四人組は逮捕、紅衛兵による「文化大革命」が批判され、改革開放政策が叫ばれ出した頃である。一九七九年の春分の日。この日、教師である顧(グー)師の一人娘珊(シャン)が、反革命分子の罪状で公開処刑されることが告知されていた。珊はかつては紅衛兵として両親や近所の大人たちを批判、足蹴にするなどの暴力行為をくり返した罪で獄に囚われ、十年を獄中で過ごしたが、獄中から共産主義の誤りを批判した手紙を送るなど改悛の情が見られないことを理由に、この日の処刑が決まったのだ。

    この物語は事実に基づくフィクションである。リーがネットで読んだ事件についてエッセイを書いている。その前半の要旨が「訳者あとがき」にある。ストーリー紹介としては、ほぼこれに尽きる。

    一九六八年、湖南省に住む元紅衛兵の十九歳の女性が、文化大革命を批判する手紙をボーイフレンドに送ったところ、密告されて逮捕され、十年収監された。そして一九七八年、臓器移植のため麻酔なしで臓器を抜かれた後、銃殺された。女性の遺体は野に放置され、ある男に死姦のうえ損壊された。それからしばらくたって彼女の名誉回復のために数百名の市民が抗議行動を起こし、その結果、二歳の男の子の母親だったリーダー格の三十二歳の女性を含め、全員が処分の対象とされた――。

    顧珊(グーシャン)が処刑される日、市では数箇所で批闘集会がもたれ、各集会所を引き回された後、珊は人目につかない場所で処刑される。過去に珊に関わった人々、この日の処刑及び臓器移植や死体損壊に関わった者たちが、それぞれの場所で動き出す様子を、リーは、まるでその場にいたかのように生き生きと描き出す。その人物像のリアルさはどうだ。

    かつて妊娠中の母が珊に蹴られたことが原因で体に障害が残る十二歳の娘、妮妮(ニーニー)は、障害のせいで両親に疎んじられ、赤ん坊の子守をしたり、家族の食事を作ったりするほか、駅での石炭拾いから野菜屑拾いを命じられる。いつも腹をすかせている妮妮に優しいのは華老夫婦と顧師夫妻だけだ。ただ、娘が殺されるこの日、顧師の妻はいつものように妮妮のために食事を用意する余裕がなかった。死んだ娘があの世で寒がらないように、辻で服を燃やす準備で忙しかったのだ。妮妮は、ここでも自分が嫌われ行き場をなくしたと思い込む。

    放送局でアナウンサーとして働く凱(カイ)は、少女の頃、珊と同級生だった。二年生の歌と踊りのコンテストで優勝したのが凱の方だったため、演劇学校に通い、ヒロイン役で人気を得たが、親の勧めもあって土地の有力者の息子と結婚した。場合によっては珊と自分が入れ替わっていた可能性もあり、珊のため行動を起こすことを考え、同調者と連絡を取っていた。

    八十(パーシー)は、パイロットだった父が悲運の死を遂げたことで、政府から家や生活費を給付され、仕事に就くために勉強する必要がなかった。年頃になっても女性と出会う機会がなく、一度でいいから女性の秘所を見たいと思い、小さい女の子を手に入れることを考え、市中を徘徊していた。女性に餓えた八十と安らぎの場を求める妮妮が出会うのは必然ともいえた。食べ物と石炭をもらえることで妮妮は、八十の家に入り浸るようになる。

    この少し足りない(と周りから見られている)二人のコンビは、周囲が見ているほど、愚鈍でも無能でもない。二人の会話は、知性の輝きが仄見え、未来に対する展望に溢れ、このやりきれないほど惨酷で息が詰まるような物語の中で、わずかな開放感をあたえてくれる。イノセントな二人が生の欲動に突き動かされ、「禁じられた遊び」というか、「穢れなき悪戯」というか、いかにも幼い性の交歓に及ぶ場面は、微笑ましいようなやるせないような微妙な感情を読む者に抱かせる。

    田舎から街に来たばかりで、仲間に入れてもらえず、「耳」という名の黒犬だけしか心通わせる友だちのいない童(トン)は、革命の小英雄に憧れる勉強熱心な少年だ。迷い犬を探すうち、八十と出会い、前後の見境なく抗議集会で署名をしてしまう。この童を含め、真面目に熱心に学問し、革命や民主主義といった理念に動かされる凱やその他の人物は、いかにも生硬で、主たる役割を持つ人物ではあっても魅力に乏しい。

    それにくらべ、八十や妮妮という、どちらかといえば道化やトリックスター的な役割を担わされた人物の方は、外見は良くないが、エネルギッシュで、ユーモアを忘れず、憎まれないキャラクターをあたえられている。それは、珊の死体を葬るために顧師に金で雇われた昆(クエン)のような信じがたい悪党にまでも付与されている。一党独裁による共産主義国家である中国のような国で、人間らしく生きていくには、アウトサイダーの位置に自分を置くしかない。共同体の中に身を置く限り、密告や裏切り、監視といった相互監視システムの一員とならざるを得ず、自分の思う通り、話したり動いたりすることはできないからだ。

    しかし、アウトサイダーでいることは人並みの暮らしを捨てることでもある。物語の最後で、八十と昆は刑務所に収監されてしまうし、華じいさんと華ばあさんは、束の間の定住生活を棄て、以前のように「さすらう者たち」の仲間入りをすることになる。自分の欲望に忠実に生きたため、結果的には妹に家と親兄弟をなくすことになる妮妮もまたその旅に同行する。

    「さまよう者たち」とは、狭義には彼らを指すのだろうが、広い意味で考えれば、揺れ動く国家の教義に右往左往させられる民衆全般を指すもののようにも思われる。それは知識人階級であるか、一般大衆であるかどうかを問わない。前者は意識的かつ主体的にさまよい、後者は何の意識もなく客体としてさまよう。どこに差異があろう。

    イーユン・リー、初めての長篇小説である本書は、ウィリアム・トレヴァーゆずりの短篇小説の名手というリーの評価を改めさせるに足る完成度だ。リーのストーリー・テラーぶりが遺憾なく発揮され、陰惨なストーリーが、中国の一地方都市の風物や伝統的な文化と綯い交ぜになって、陰影に富む物語となっている。

  • “ちゃんと彼らをみて”と本の向こうからイーユン・リーが語りかけてくる。“目をそむけないで“と。
    だから僕は、痛みと哀しみに満ちた時代に生きる人々の物語を読む。
    単純に共感できたり、入れ込める人物はいない。党という暴力装置に誇りと家族を奪われて擦り切れて行く老人、虐げられ世間に唾を吐きかける少女、英雄に憧れる世間知らずの少年、蔑まれ軽んじられている小児性愛傾向がある青年。
    だが、繊細に描かれた彼らの心の震えを追っていくと、僕の心も強く揺さぶられる。いつしか遠い見知らぬ誰かではなくなる。寝ぼけた価値観が蹴飛ばされる。

    中国全土を混乱に陥れた政治運動「文化大革命」の終結が宣言されてから2年。中国建国初の民主運動として、首都で民主の壁運動(北京の春)が起きる。政治の思惑で許された束の間の言論の自由は、たちまち弾圧されていく。
    そんな時代背景を纏って作中で渾江市民がとった行動は、1989年天安門事件、2014年雨傘運動、2022年白紙運動と続く隣国の苦しみに続いている。
    ニュースが伝えることの後ろに、一人ひとりが抱える葛藤や怯え、迷いがあることに思いを馳せる。
    リーが語る通り、人々は歴史の中ではなく、それぞれの今を生きているのだから。

  • 文化大革命の終期にあたる時代の転換期、まさに中国全土がさすらっていた頃。
    ある女性が無実の罪で、生きたまま腎臓を取られた状態で処刑された。
    女性の同級生だった人気アナウンサーは、地位も名誉も夫も幼い息子も捨て、抗議運動を起こす。
    それは、女性の両親や同じ町に住む平凡な人々を巻き込んで思わぬ方向に進んでいく。
    凄い筆力でぐいぐい読ませるが、残酷なシーンも多く読むのが辛かった。
    辛いからこそ、読むべき本とも言える。

  • 読むのが辛かった。中国共産党の抑圧の闇とかその中で立ち上がる勇気とか、天安門事件に触れるのはいまだにタブーとされている国の歴史の一部を書くことで作者は大丈夫なのか、等々。
    日本もかつて五人組とか治安維持法とか同じような事をやっていたので、他人事ではない、とも思う。
    立ち上がり、そしてつぶされてしまった人々の感情、それを見て見ぬふりをする大多数の人々。
    絶望的な展開だけど、八十と妮妮の二人には未来を感じられる。庶民の強さというか。
    自由を求める心を押さえつける事は出来ない。
    それにしても親とは辛いものだなぁ。
     

  • 最初はなかなか寄り添える人物がでてこず複雑な気持ちで読み進めましたが、後半、ナルホドこれが表面には出せないけど熱いものを持った当時の中国なのだと理解しました。

  • 文化大革命終了からすこし経った中国で、実際に起きた悲惨な事件をもとに書かれた長編小説です。ここで描かれている文化大革命時代の中国社会の恐ろしさはずいぶん前に読んだワイルド・スワンを思い出しました。あちらはエリート階級の話でしたが、この小説では社会の底辺から上流まで様々な階層の人々が描かれていて、文化大革命とその後の政変がエリートだけでなく下々の人々の生活に大きな影響を及ぼしていたんだなぁということがわかります。こういう話を読むたび、共産主義に関わらずイデオロギーや宗教などすべての超越的な思想はまとめて豚にでも食わせてしまえと思いますが、何らかの理想がないとまとまっていかないのが人間社会なんだろうし、今もこれからもこういったことが繰り返されるのかと思うとせめて自分の娘、孫の世代くらいは風通しのよい社会でおだやかに生きていってほしいもんだと思います。

    三人称の語り口で、ある地方都市に生きる様々な世代、階層の人々の行動・思考を丁寧に描いたこの本には、英雄は登場しません。例えばもっとも英雄的行動をとる女性(友人の名誉回復のため抗議行動を決意する)もその行動のエゴイスティックな面もしっかりと描かれ、単純に英雄視できるキャラクターにはなっていません。また同様に、もっとも悪役として描かれるべき人間にも情状酌量の余地を残します。あらゆる人を感情的に一定の距離を保ちながら、群像劇として描く作者に、その底力を感じました。

    読む前には、ぼんやりとして少し暖かく感じられた表紙の絵が、読後には寒々しく寂寥として感じられ、描いた祖田雅弘さんという方の良い仕事ぶりに感銘を受けました。

  • 前半は、文化大革命後の地方都市に暮らす市井の人々の暮しのリアル感のある描写が続き、なかなか読み進めませんでした。が、おぞましい陰の理由から若い女性が処刑されたことを巡り、後半に登場人物たちが意図せず権力の思惑に巻き込まれていく様子がじわじわと恐怖感をつのらせ、ぐいぐいとひきこまれていきました。自己中心的に生きる人たちの中で、ゴミ拾いの放浪者華(ホア)ばあさんと夫の存在にほっとさせられます。読み応えありの著者長編第1作でした。

  • おそろしなるかな全体主義国家。

    改革解放路線になったとはいえ、著者はこれを書いた後、中国に帰れているのかしら。

  • 「千年の祈り」に心を動かされて、イーユン・リー2冊目。
    元紅衛兵だった若い女性の処刑をめぐる物語。
    予想より陰惨な事件や当時の社会状況にちょっとショックを受けたが、何故か嫌な気分にはならない。
    おそらく登場人物たちが非情や裏切りや悪意にまみれていても、愛情や義理堅さや正義感等の熱い心もどこかにあって、どこか納得できるからかもしれない。
    舞台が平和で民主的な日本では、まず生まれ得ない凄みのある文学。貧困の恐ろしさも伝わってくる。
    ところで、中国にも日本と同じく「情けは人の為ならず」のような諺があるらしいが、迷信?扱いされているとか。
    親以外は信用するなと幼いころから教えられる社会ってやっぱりハード。
    今回もつい一気読み。さて3作目は何を読もうか。 

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著者プロフィール

1972年北京生まれ。北京大学卒業後渡米、アイオワ大学に学ぶ。2005年『千年の祈り』でフランク・オコナー国際短編賞、PEN/ヘミングウェイ賞などを受賞。プリンストン大学で創作を教えている。

「2022年 『もう行かなくては』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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