明日は遠すぎて

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制作 : くぼた のぞみ 
  • 河出書房新社 (2012年3月13日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (205ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309205915

明日は遠すぎての感想・レビュー・書評

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  • 著者はナイジェリア生まれ。奨学金を得てアメリカの大学で学び、現在はナイジェリアと米国を行き来しつつ、作家として活躍する一方、書籍出版や作家を育てる活動などに精力的に取り組んでいるという。
    本書は、訳者が編んだ日本限定の短編集という。

    「読ませる」短編集である。

    前半は、ナイジェリアと米国の両方を知る著者らしく、物語の舞台もナイジェリアと米国を行き来する。エキゾチックで賑やかなナイジェリアの生活スタイルや習慣は、特別なものとしてではなく、さらりと描き出されている。異国の読者に取っては、そのそっけないほどの匙加減がむしろ垣間見の魅力となっている面もある。
    前半の作品群は、表題作が象徴するように、大まかに言って、「ここではない『どこか』・今日ではない『明日』」の物語であるように感じられた。手が届きそうで届かない、逃げ水のような明日。それを希望と呼んでも夢と呼んでもよいけれども。手に入れられそうで手に入れられない、明日への焦燥。
    個人的には、そんなことを考えさせられる前半数編だった。

    後半に進むにつれ、徐々に地域色が強まっていく。
    大都市ラゴス。ビクトリア島。上流階級のスノッブな暮らし。警察の腐敗。新たに入ってきたキリスト教と土着の信仰とのせめぎ合い。
    普遍的なテーマで著者のうまさを知った後で、ややディープな視点にもすっと入っていける。
    日本オリジナルの短編集とのことなので、著者が意図したものではないのだろうが、この配列はなかなか心憎い。

    表題作「明日は遠すぎて」-蛇の名の由来の使い方が鮮やかである。
    「先週の月曜日に」は繊細で正直な物語。ささやかな期待と失望。そういうことってある。
    「鳥の歌」-裕福な男の愛人となる主人公と自分では、まったく共通点がないといってよいほどだが、主人公の「焦燥」がよく描けていて共感する。この話、結構好きだ。
    「ジャンピング・モンキー・ヒル」-物語の中の物語の二重構造として読めて(あるいはさらに著者自身とも重ね合わせられる三重構造の可能性も秘めていて)おもしろい。著者の鮮やかな手腕を堪能できる1作。各国の作家たちが集まるセッションといった形式には、個人的に、水村美苗の『日本語が亡びるとき』を思い出して楽しかった。
    「がんこな歴史家」。最終作で、視点はナイジェリア人老女にある。導入としては前半の作品群の方が向いているのだろうが、作者の真骨頂はこちらにあるのではないか。現地人である老女の思考の「通訳」が絶妙で、非常におもしろかった。

    訳者あとがきによれば、著者は、将来的には、奴隷にされた者の家族・されなかった者の家族を対比した長大なサーガを描きたいと語っているそうだ。
    複眼的で重厚でありつつ、心地よさを感じさせる描写力を持つ著者が書き上げれば、きっとおもしろいものとなるだろう。
    まだ見ぬ大作に期待したい。

  • 「アメリカーナ」がテレビで取り上げられたから注目度が高まったアディーチェ、私も今まで読んだことがなかった。海外をルーツにする人の英語文学は最近バリエーションが増えているが、これはナイジェリア。アフリカと一口に言っても多様だ。筆者の出自を活かし、アフリカと欧米を行き来する重層的な視点で描かれている。「ディネーセンはダメ(「アフリカの日々」を指すのだろう)」など従来のアフリカ文学ならぬ「アフリカについて書かれた西欧人の本」も槍玉に挙げるのだが、さもありなん。
    ストーリーテリングも巧みで「がんこな歴史家」などとても面白かった。

  • 図書館で。
    アフリカの…というかこの本ではイボ語なのかな?の名前の付け方が素敵。
    まあそれを言ったら他の国の言葉でもきちんと語源があり、意味はあるんでしょうが。

    明日は遠すぎて
    どこも長男というか男系の子孫は大事にされて可愛がられるんだなぁ。
    特に女性の親族はそう言う気持ちが強いんだろうか。彼女もある意味被害者なんだけど…でも実際に人を傷つけたら加害者だよなぁ。

    震え
    ホモセクシャルな男性と女性って実は物凄い仲良しになれるんじゃなかろうか。直面している問題が違うと感じ方も変わるんだろうか。世界の見方も。

    クオリティ・ストリート
    貧富の差はただ一時、施しをすればいいというものではない。母親はいかに自分が上流階級に属しているかを示そうとやっきになり、娘は自分が金持ちだという事実を恥じている。中々難しい。でも娘さんが富を放棄するわけでもないのが問題の根深い所だと思う。

    先週の月曜日に
    子育てに正解はないと思うけれどもあまりにも子供の未来に不安な父親と放任すぎない?という母親。ベビーシッターって立場は子供側に立つ訳でもなくかといって大人側でも無い。不思議な立ち位置だなぁ。

    鳥の歌
    とは言え。カネモの愛人とか魅力的なんだろうな。
    まあお金持ってない男と浮気するよりは確実に持ってる方が良いもんなぁ。そういう話でもないけど。

    シーリング
    男性も女性もきっとないものねだりなんだろうなぁ。
    元カノと付き合いだしたら彼女とのやり取りにつかれて妻や娘が恋しくなるのかもしれない。人間って勝手なものだから。

    ジャンピング・モンキー・ヒル
    確かに外国人に「アフリカらしくない」とか言われたくはないだろうなぁ。でもきっと言われるんだろうな(笑)多分彼らにしてみたら外国で受けるアフリカのお話、というのを求めて居るという事なんだろうけれども。

    セル・ワン
    裕福な家庭の子供たちも非行に走るんだなぁ…
    仕事しようよ。

    がんこな歴史家
    諸外国がこぞって「近代化」を押し付けて最良と思われる教育を行って結局どうなるのか。日本人はバナナなんて呼ばれてたけれどもアフリカも結局は「欧米化したアフリカ人」を作るだけなのだろうか。
    難しい問題だなぁ。

  • ナイジェリア人の視点で世界をみると。

  • どの作品も少しばかり苦味が感じられました。『がんこな歴史家』は短編でありながら、スケールの大きさに魅了されました。アフリカ(ここでは主にナイジェリア)の人びとの抱える問題が浮き彫りになっています。初めてのアフリカ文学作品との出逢いでしたが、楽しく読めました。当たり前のことですが、作者には相当の知性を感じさせます。

  • 『明日は遠すぎて』“Tomorrow Is Too Far”
     とても切ない話。アフリカ系アメリカ人の母親とナイジェリア人の父親をもつ少女の秘密について。存在するだけで十分すぎる空間を占めてしまう兄ノンソ。善悪を知らない王国にいた蒸し暑い夏、彼にちょっとしたいたずらを仕掛ける。

    『震え』“The Shivering”
     不法滞在をしている男性と、失恋したばかりの女性の話。「あなたの信仰って、ほとんどけんかみたいね」「なぜ神はあいまいな方法であらわれて諸事をきっぱり解決することができるの?神が謎であることにどんな意味があるの?」「それが神の本質だからだよ。創造主としての神の本質が人間のそれとはちがうという基本的な考え方を理解すれば意味がわかるよ」

    『クオリティ・ストリート』“Quality Street”
     母と娘の意見の衝突。母は娘をアメリカのカレッジなんかにやるんじゃなかったと思い、娘は母を「太ったブルジョワ」と呼ぶ。迷信なのは、雨払い人かロザリオの祈りか。最後に「スイート・マザー」という曲が流れるのがソークール。

    『先週の月曜日に』“On Monday of Last Week”
     アメリカに移住したナイジェリア人女性は、6年ぶりに夫と暮らし始めるも、気持ちが晴れない。そんな中、ベビーシッター先のオーナー女性に心奪われる。アメリカ人の子育てに対する冷たい視線が印象的だった。

    『鳥の歌』“Birdsong”
     不倫の話。ロクでもない男が魅力的に映るのも、不遇な扱いに苛立ちを覚えるのも、アフリカだろうが日本だろうがあるあるなんだなあ。

    『シーリング』“Ceiling”
     配偶者に満足していない男性の話で、これも不倫へ片足突っ込もうとしているやつ。結婚して子どもを持ったら否が応でも人は変わる。昔(元カノ)が恋しくなってしまうなんて、どこの国でも同じようなもんなんやな。

    『ジャンピング・モンキー・ヒル』“Jumping Monkey Hill”
     アフリカ人の若手作家たちがケープタウンでワークショップに参加する。日本から見たアフリカは、ヨーロッパから見た東アジアもそうであるようにそれぞれの違いは認識しづらい。でも、それぞれに文化や特色があるのだ。

    『セル・ワン』“Cell One”
     両親から甘やかされた兄は、素行が悪く、ある日逮捕、拘留された。そこで見た老人への迫害を目にし、自ら犠牲になることを選ぶ。アフリカの古い家制度、差別などの根深い問題が浮き彫りになっている。

    『がんこな歴史家』“The Headstrong Historian”
     ヨーロッパから白人がやってきて銃とキリスト教をもたらすプロセスを、ンワムバという女性の視点から描いた物語。奪われた土地を取りもどすために息子に英語だけを学ばせたいと思う母親の意に反して、息子はどんどん西欧化、キリスト教化されていく。逆にその娘グレイスは、自民族の誇りを取りもどすことに目覚めていく。

     未知なる大地アフリカについて、ほんのすこし知ることができたように思う。世界中どこでも変わらない人間の側面と、文化が作り上げた特殊さが、印象的な一冊だった。アフリカ文学は初だったけど読みやすい。同作家の長編も読んでみたい!

  • 自分の知りたいナイジェリアの若者世代の感覚や問題意識がうまく抽出されて書かれていた。他者との感覚の違いを意識しながら書かれていて、筆者にとって外国人である自分にもわかりやすく書かれているのがいい。

  • 前作「アメリカにいる、きみ」に引き続き、日本向けに特別に編纂された短編集。

    数十ページの短い中に、人物やその心の動き、その地の文化までをいきいきと見せてくれる描写力に、ストーリーテラーとしてのセンスを感じる。

    アフリカンである以前に、ナイジェリア人、イボ人であるという矜恃からだろうか、アフリカという固定的な観念で見られることに対する反発、苦悩を強く感じさせられた前作より、自分が様々に評価されるに従って、だんだん苦悩からアフリカの客観視へと変化してきているようにも思えた。
    そのせいなのか、作風もよりくだけた雰囲気というか、いい意味で力が抜け、一層物語に奥行きが生まれている気がする。

    訳者あとがきを読めば、やはり国際社会におけるアフリカの存在について様々に心を砕き、作品を書く以外にも精力的に活動をしているらしい。
    これからの一層の活躍が楽しみな作家である。

  • アフリカ人が自分たちの物語として書くアフリカ 
    作者はナイジェリア生まれでイボ民族の出身、自国の大学から、奨学金を得てアメリカへ。彼女の物語は英語で書かれています。僕はその翻訳を日本語で読んだわけですが、楽しめました。九つの短編が収められています。僕はアフリカには行ったことがないし、映画や音楽や写真雑誌でしか知りません。彼女の作品を読むのは初めてだし、とくに異国情緒やプリミティブな出会いを期待したわけでもありません。近代市民社会の産物である小説が神話やバラッドからはるか遠くへと離れつつ、同時にはてしない近接を試みるといった実験であるとすれば、個性やキャラといったものはつまらないもので、僕が色々な国の小説を読むのも自己や他者といった殻をどこまでも壊し続けていく人間という概念に触れたいからなんでしょう。
    カルロス・フェンテスは社会学と民俗学の範囲内に収容できる文学とそうはいかない文学との違いについてフォークナーの作品をいくつか挙げこう書いています。「その神話的神髄からすれば中央アフリカの賢明な未開人、ヒマラヤ山脈の年老いた記憶守護者、記憶喪失症の魔神、あるいは良心の呵責に悩む神が書いたものであってもおかしくない」
     

     

  • ほとんど知らない未知の国・ナイジェリアの世界…。
    決して軽くないテーマが、深刻になりすぎずにさらりと書かれているという印象を受けました。

    その中でも、特に心に残ったのは、「鳥の歌」と「クオリティ・ストリート」です。
    「鳥の歌」は不倫の恋に悩む女性を描いた物語。
    女心は世界共通なのだと得心がいきました。

    「クオリティ・ストリート」は、価値観が異なってしまった母と娘の話。
    それでも、亡父との思い出、幼い頃の思い出を軸に、深いところで互いに思い合っている母娘に思わず涙してしまいました。

    同じ著者の長編も大変評価が高いようですので、読んでみようと思います。

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明日は遠すぎての作品紹介

あれはナイジェリアですごした最後の夏、きみが10歳の時のことだった-切なくも愛おしい9つの物語。最年少オレンジ賞受賞作家のO・ヘンリー賞受賞作を含む最新短編集。

明日は遠すぎてのKindle版

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