不浄の血 ---アイザック・バシェヴィス・シンガー傑作選

  • 92人登録
  • 3.88評価
    • (2)
    • (13)
    • (1)
    • (0)
    • (1)
  • 9レビュー
  • 河出書房新社 (2013年3月20日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309206172

不浄の血 ---アイザック・バシェヴィス・シンガー傑作選の感想・レビュー・書評

並び替え:

表示形式:

表示件数:

  • アイザック・バシェヴィス・シンガーはポーランド生まれのユダヤ系アメリカ人である。イディッシュ作家として知られている。イディッシュ(語)というのはドイツ系のユダヤ人に話される言葉で、ユダヤドイツ語とも呼ばれる。文字は伝統的にはヘブライ文字を使用するが、近年はラテン文字表記もされるようになっている。
    この言語を話す人々は、ナチスのホロコーストによって激減した。
    シンガーは、1935年、兄の後を追って渡米、43年にアメリカに帰化しているが、一貫してイディッシュ語で物語を綴り続けた。1978年、イディッシュ作家としては初めてノーベル文学賞を受賞している。

    本書はシンガーの16編の短編を収める。
    ポーランドの小さな街に住むユダヤの人々の暮らしを描くものが主だ。
    その日々はトーラーと呼ばれる律法に支配され、人々は目に見えぬ神の怒りを畏れつつ、「正しく」つましい暮らしを送る。礼拝ばかりではなく、髪型、服装、婚姻、口にする食物の正しい処理、と、暮らしのさまざまな局面で律法が顔を出す。故郷を持たない民族である人々のすがる寄る辺がそれなのか、と感じさせる。
    とはいえ、人々はしゃちほこばって息を潜めて暮らしているだけではなく、やはり押さえても押さえても突き上がってくる欲望も反発もあるわけである。
    不道徳に身を染めるものもいれば、故郷の小さな暮らしを捨てて新天地に望むものもいる。
    イディッシュが醸すものなのか、ポーランドの森に潜むものなのか、その衝動はどこか、「魔」とつながっている。この線の上を歩め、外れたら闇に落ちる、と言われても、線から外れざるを得ないことはあるのだ、おそらく。望むと望まざるとにかかわらず。

    表題作や表紙が想起させるのは、どろりとした血の生暖かさである。
    ユダヤの戒律では、食肉は認定された屠殺人により、「正しく」処理されなければならない。
    生きるために肉を食う。しかし、肉の処理には必ず、血が流れる。その血を如何に「清浄」に近い状態で流すかが屠殺人の腕である。教義に則って処理されれば、生きるための「正しい」肉、そうでなければ惨殺された「不浄な」肉となる。
    表題作の最初の一文がすごい。
    血への情熱と肉欲が同じ根っこをもっているということは、カバラー(*)学者なら誰でも知っている。だから殺してはならないのすぐ後ろに姦淫してはならないが来るのである

     *引用者注:ユダヤ神秘主義
    表題作は、姦通と、さらに深い背徳を絡めている。魔の咆哮のように、原初的な高まりを誘う1作であり、なるほど、表題作とするにふさわしいエネルギッシュな名作であるかもしれない。しかし、これがイディッシュ文学としての特性なのか、著者個人の特性なのかは疑問が残る。敬虔なユダヤ教徒には受け入れがたいとされているようであるし、ドラマチック過ぎていささか戯画的にも思える。
    表題作以外にも「血」や「魔」がたっぷりな作品が何作かあるが、著者自身は菜食主義者だというのもなかなか興味深いところである。

    本書中で個人的におもしろかったのは、「ちびの靴屋」、「ギンプルのてんねん」、「黒い結婚」の3作。
    「黒い結婚」は父を失い、心ならずもある男に嫁ぐことになった娘の物語。傍から見れば狂女だろうが、哀れな境遇に胸が痛む。
    「ギンプルのてんねん」は、みんなから「バカ(=てんねん)だ、バカだ」と言われている男の話。女房にも虚仮にされ、浮気もされているのだが、ギンプルはまったく意に介さない。女房を愛し、子供をかわいがり、せっせと働く気のいい男。ちょっと待て、この男がバカなのか? 周囲がバカなのか?
    「ちびの靴屋」は、田舎町の靴屋のなかなか壮大な年代記である。代々続く靴屋を継ぎ、真面目につましく働いてきた男。男は7人もの息子を授かる。このまま誰かが跡を継ぎ、教義を守って末永く暮らしていくはずであったが、長男がアメリカに渡ると言い出した。それを機に息子達は次々と親元を離れ・・・。一度は失意のうちに一生を終えるかと思った靴屋は、最後に平穏を手に入れる。靴屋が逃避行のうちに見る聖書物語の場面、父と息子達が歌う歌に胸を打たれる。
    3作に共通するのは、こちら側から見る物語と向こう側から見る物語がまったく違って見えることかもしれない。シンガー自身、ユダヤ教徒という背景を抱えつつ、アメリカという新世界を見ているわけで、多層的な視点は作者自身の境遇と無縁ではないだろう。

    シンガーは、当初、イディッシュ語のみで創作をしていた。これが世間に知られるためには、やはり英訳される必要がある。初めは別の訳者が全面的に訳していたが、そのうち、英語が上達してくるにつれ、シンガー自身も英訳に参加することになる。英訳に際して、付け加えられる部分、改変される部分もあり、訳者との共作のような形となるものもあった。一般的には、英訳されたものが最終形とされるが、この邦訳は、英訳を参照しつつ、原則としてイディッシュ語オリジナルにこだわっているという。このあたりの事情を解説する、巻末の訳者解題も非常におもしろい。

    噛みしめるとじゅわりと味わいが広がる短編集である。

  • 色々な意味でとても刺激的な読書体験だった。作家のアイザック・バシェヴィス・シンガーは、ノーベル賞を受賞したイディッシュ語作家だ。ユダヤ人の言語だということは知っていたが意識したことがなかった・・・東欧のマイナー言語で絶滅が危惧されているという。そうか、ユダヤ人国家のイスラエルはヘブライ語だった。イディッシュ語はユダヤ民族の宗教と文化に濃密に結びついた言葉でありながら、ディアスポラの歴史と辺境の烙印を押されているのだ。シンガーの文学も、イディッシュ語であることと不可避である。
    ユダヤにまったく興味がない人はこの作家を読めないだろう。旧約聖書の宗教観に貫かれ、現実ともファンタジーともつかない民話的な語りには悪魔の類いが跳梁跋扈する。ユダヤ固有の固有名詞がばんばん出てくる。そして聖地イスラエルから離れ、ヨーロッパやアメリカに散り、ナチスの迫害を受けた流浪の民族の宿命が、内側から描かれる。
    私もイスラエルに行く前に読んだら混乱していただろうし、行ったからこそ余計面白く読めた。彼らが、古代から連綿と続く、かくも独自の宗教と文化を共有していることに感嘆。そして、国家なき民族としての強烈なアイデンティティと、それが生み出した世界の混乱について思いを巡らせる。

  • この本はもともとイディッシュ語というほぼ死活したユダヤの言葉で書いてあるらしい。言葉はその人の思想、宗教、民話、家族を司るもの、つまりアイデンティティであるということ。そのアイデンティティが物理的に失われるとは、どういうことだろうか。この本に出てくるユダヤの悪魔がこんなことをいう。「もしユダヤの文字がこの世から消えたら、そのときはユダヤの悪魔もこの世からおさらばだ…」

  • 最後の方はあまりイディッシュ作家的なカラーは薄く、最初の方がこの著者らしい作品と言えるのでしょうか? 作品はどれもテンポよく、ユダヤ人問題とかイディッシュ語作家としてのアイデンティティとか、そういったことは知らなくてもすらすら読んでいけますし、どれも一癖も二癖もあって面白い作品集です。現代中国の作品を読んだ時とは似ているようで異なる閉塞感も感じられてかなり楽しめました。

  • ▼福島大学附属図書館の貸出状況
    http://www.lib.fukushima-u.ac.jp/opac/opac_details.cgi?lang=0&amode=11&bibid=TB90286765

    (推薦者:佐野 敦至)

  • ユダヤ教の慣習を色濃く交えた短篇集。屠殺に手を染めて狂う点は同じながら、その心持が正反対の表題作と「屠殺人」が、特に印象に残った。その他、悪魔に連れ去られたり、死んだ男を甦らせたり、夢中になりかけた恋が思いがけない結末を迎えたり……そんな衝撃の連鎖の中、素朴で寂寞とした世界が輝きとぬくもりを取り戻していく「ちびの靴屋」に、妙な愛しさを覚えた。

  • 1978年ノーベル文学賞作家の傑作選。素晴らしい。イディッシュが理解できたらなあ!と思うくらい。ユダヤのマジックリアリズムというかマジック!幻想的で、でも普通でその辺によくある話のようで、官能的。「ゴライの悪魔」が読んでみたいです。

  • ユダヤ人の社会と信仰が垣間見える、イディッシュ語作家の短編集。ユダヤ人独特の宗教観が反映されていて、日本人からすると新しく感じられる。あるユダヤ人靴職人一族を描いた「ちびの靴屋」と望まぬまま屠殺人となった男が狂気に落ちていく様を描いた「屠殺人」が良かった。

  • 子どもの本「お話を運んだ馬」や「やぎと少年」が好きでした、それから映画になった「愛のイエントル」も、、、

    河出書房新社のPR
    「悪魔や魑魅魍魎が跋扈するノーベル賞作家の傑作短篇を精選。怪奇と超自然、エロスとタナトス渦巻く濃密な世界が、めくるめくようなストーリーで展開される。イディッシュ語原典から初邦訳。」

全9件中 1 - 9件を表示

アイザック・バシェヴィス・シンガーの作品

不浄の血 ---アイザック・バシェヴィス・シンガー傑作選を本棚に「読みたい」で登録しているひと

不浄の血 ---アイザック・バシェヴィス・シンガー傑作選を本棚に「いま読んでる」で登録しているひと

不浄の血 ---アイザック・バシェヴィス・シンガー傑作選を本棚に「積読」で登録しているひと

不浄の血 ---アイザック・バシェヴィス・シンガー傑作選の作品紹介

愛と血と欲望と悪魔うごめく世界。ノーベル賞作家の傑作短篇からさらに精選。「永遠の法則」を追いつづけた人生の終盤で、思いがけない恩寵にめぐまれる初老の男(「スピノザ学者」)、実直で少し抜けていて、みんながからかうギンプルが出会う、信じがたい試練の数々(「ギンプルのてんねん」)、ポーランドの僻村に暮らす靴屋の一族の波乱万丈な流離譚(「ちびの靴屋」)、年老いた夫の目を盗み、牛を切り裂きながら愛人との肉欲に耽る女の物語(「不浄の血」)…。エロスとタナトス渦巻く濃密な世界を、滅びゆく言語(イディッシュ語)でドラマチックに描いた、天性の物語作家の傑作集。

ツイートする