イザベルに: ある曼荼羅

  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309206714

作品紹介・あらすじ

ポルトガル・サラザール独裁政権下で姿を消した、謎の女イザベル。『インド夜想曲』『遠い水平線』の著者が遺した最後のミステリ姿を消したひとりの女性の軌跡を辿りながら、語り部の現実と幻想の糸で織りなされる彩り豊かな曼荼羅の中を、私たちは旅をする。――ヤマザキマリ(漫画家)

感想・レビュー・書評

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  • タデウシュにはイザベルの言葉が納得のいくものだったみたいだから思うのだけれど、人を動かすものの非合理を自分は過小評価しがちなのかもしれない。

    何かにこだわると自分は動けない方に傾きやすいから、事態打破のためには割と感情を封印する方向に行く。自分がコントロールできないことにはこだわりたくないし、こだわりそうになったらなるべく整理しようとする。だから、タデウシュのように逆方向の傾きを持つことについて考えたことがなかった。『レクイエム』のときは「自分はこんなことしないけどきれいね」と思ったのだけど、『イザベルに』はもはや人じゃなくて思念が主役だから。思念だけでここまでする設定で書くのかタブッキは、と驚いた。

    タブッキが世界中で読まれているということは、世の人は非合理な感情を大事にしているということでもあるだろう。そうか人間は気持ちがそんなに大事なんだなという驚き。気持ちが大事じゃないと思っているわけじゃないのだけど、大事にすると生き残れない気がする。何かを感じてる暇があったら皿を洗わなくてはとか、そういう気持ち。

    この本のまとっている雰囲気は「禁欲的でない萩尾望都」で、タブッキは飲み食いもきれいな女の人も景勝地も好きだったんじゃないかな。人生が喜びに満ちていたから、思いを残すことについての美しい小説が書けたのかと思う。『レクイエム』ほどおいしそうな食べ物は出てこないけれど、今思うのはマカオに行ってエッグタルトが食べたいということです。小説にエッグタルトは出てこなかったけれども。

  • 登場人物の誰もが、気温の高さに反して根の国を流れる川みたいな低い体温を持っているように感じられた。たから彼らが動くと空気は揺れ、温度差によって風が生じる。
    イザベルとあなたの姿が重なった。
    あなたという一人の人間を取り囲むようにして同心円状に幾人もの幽霊が立っている。わたしはあなたの幽霊の一人だ。薄れていく記憶の手触りを物語る。わたしはあなたにさよならを告げたくないのです。できればまたねと伝えたいのです。風はいまも吹いている。まだ永久の無に抱きとめられてはいない。擦れ合う砂の音に混じって囁き声が聞こえるから。

  • 名作「レクイエム」の姉妹作品。「レクイエム」での「私」に死者として過去を語るイザベル(実際に何を語ったかは書かれていない)とタデウシュが、この小説では自殺した失踪者と、罪の意識からその真相を知ろうと探索する人物(の魂)として再登場する。曼荼羅の外周から中心へと近づくように、多くの証人に会うことで真相に接近していくタデウシュ。リスボンからマカオ、スイスからイタリアへ、旅を重ねたタデウシュの前についにイザベル本人(の魂)が現れる。クライマックスは生前の2人の最後の別れと二重写しになるような船の上のシーン。涙なしではとても読めない。

  • 『レクイエム』より先に読んでしまった。
    虚構の面白さ。小説ってなんでもできるんだ。

    “死ぬことはみえなくなるだけのこと”

    霊魂の存在を私はあまり信じていないが、死後の肉体が、あるいは魂が電気のような波となって残ったとしても不思議ではない気がした。

    自分が創造した世界やその中の人物たちに対し、作者はつねに何か心残りがあるのだろうか。

    時間も次元も越えて変幻自在に宇宙を飛び回り、いつしか読者という境までもが消えてしまうよう。

    無限からイメージする冷たさはない。そこにはいつも誰かの目があって優しい感じがします

  • 読み進めるにつれて、イザベルをめぐる過去へと遡っていくのかと思いきや、しだいにこれは死者の国へと赴いているのではないか、とか、あるいは夢の世界に迷い込んだのではないか、とか思わされ、めまいに似た感覚をおぼえた。
    本作は小説ではなく、実は散文詩じゃなかろうか。

  • 何読んでるの?読んで聞かせて、と4才の息子に邪魔をされながら、細切れに読み通した。声に出して読もうとすると、セリフが誰のものかわからなくなることがあった。少し混乱しながらも、これぞタブッキと思った。

  • 独裁政権下の、謎めいたイザベルの生涯。完成したと思ったら跡形もなく風に吹き飛ぶ砂で描く曼荼羅。

  • 初めて読んだタブッキが「供述によるとペレイラは」であったこともあり、作家の言葉のなかに常に体制に抗う芯の強さのようなものを読み取ろうとしてしまう。物語はまさに抵抗運動に命を懸けたものたちへのオマージュのようにして幕を開ける。しかし、徐々に探索の旅が進むにつれ、ある証人から別の証人へと繋がる道筋はそれほど確かなものではなくなり、時に時代を超越し空間を超越しながら繋がってゆく。まるでカルヴィーノの作品のようなしなやかさ。曼陀羅に準えた旅の意味は何かと、次第にタブッキの作品に対して勝手に抱いていた期待が削がれるのではないかとの不安が膨らむ。しかし双六の上がりのように中心の円に物語が辿り着く時、一瞬にして白が黒にひっくり返り、全てが無に帰するような展開を(それは半ば想像することが可能であったとはいえ)目の当たりにすると、言葉ではなく感覚として全てが府に落ちる。この探索の旅がなぞっていたものはウロボロスのようなものであったのか、と。

    若い頃に誰かに聞いた。革命とは若さをエネルギーとして進むもの、と。それは革命が暴力的とも言える力そのものを頼りにすることを言い表しつつ、そのエネルギーが消費される一方のものであることも言い当てている。更に言えば、革命の宿命的な構図も言い表している。訴追する側もやがて訴追される側になるのだ、と。自らを白を代表するものと考え、それに反対するものを黒と思い定める。その構図は分かり易いが、過分に単純化されているとも言える。黒と思われるモノを排除した後に起きるのは、各々に異なる白さの中での過剰な白黒の峻別だ。そうなれば、容易に地は図となり、図は地となる。色即是空、空即是色。

    タブッキが曼陀羅の構図に見たものは、円環、あるいは輪廻のようなものでも、ましてや解脱でもなく、自らの尾を喰らう蛇の循環、あるいは永遠に同じ探求を繰り返す無限地獄のようなものであったのか。これが、不寛容の跋扈する今の時代に、遺稿第一作として問われることに不思議な廻り合わせを感じずにはいられない。

  • タブッキらしい、謎めいた雰囲気を持った長編。舞台がポルトガルからマカオ、スイスアルプス、ナポリと、次々と変わっていくのも面白かった。

  • タブッキ没後の刊行。
    時は老いを急ぐ、に比べると驚くほどスッキリと読みやすく、インド夜想曲やレクイエムを彷彿とさせる旅記ふう。
    だれかの人生を追いかけるのがタブッキの旅だけど、これはレクイエムでは語る側だった人物の物語。
    とゆうか、本人の言う通り曼荼羅かな。
    わたしが魅了された、タブッキの曖昧で幻惑的で詩人のひとりがたりのようなストーリー、なのにはっとするほど鮮明な風景や匂いや味覚や温度、全部ここにある。
    やっぱりタブッキは短編より長編が好きだな。
    これからまたレクイエムを読み返して、真夏の世界へ迷い込みたいと思う。

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著者プロフィール

1943年イタリア生まれ。現代イタリアを代表する作家。主な作品に『インド夜想曲』『遠い水平線』『レクイエム』『逆さまゲーム』(以上、白水社)、『時は老いをいそぐ』(河出書房新社)など。2012年没。

「2018年 『島とクジラと女をめぐる断片』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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