服従

制作 : 佐藤優 
  • 河出書房新社
3.55
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感想 : 112
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  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309206783

感想・レビュー・書評

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  • 2022年、イスラーム政権が誕生するif世界のフランスが描かれている。小説だけどルポルタージュのようでもあった。揺れ動くフランスで失職する大学教授の主人公フランソワ。イスラームに屈しない人々や、反対に迎合するインテリたちが子細に描かれていて面白かった。

  •  私の周りにはウェルベック好きが意外に多い。そうしてこの作家が好きだという人たちはみな、ウェルベックのことをキワ物、クセ者として捉えていて、だからこそ好きだというへそ曲りな読者が多い。荒唐無稽な設定や決して上品ではない性描写から、例えばノーベル文学賞を与えられるような正統派とは全然違うところが魅力であるらしい。
     一方でこの最新作の『服従』は、2015年の1月7日が本国での発売日だった。イスラム過激派に12人の編集者や風刺画家が射殺されたまさに凶行当日の紙面は、ウェルベックの顔が第一面を飾った。そこで彼はいかにも意地悪な毒舌家らしく醜く誇張して描かれていた。ウェルベックを知る人たちはその偶然にしては出来すぎの紙面をニュース映像で見て驚き、それ以外の人は一体これは誰だ、と思った。フランスにイスラム政権が誕生するという物語の設定と相まって、一冊の本としては異例なくらいのセンセーションを巻き起こしている。翻訳版の発売直後東京の大型書店では、最新の芥川賞作品2冊、直木賞作品1冊と並んで一番目立つところに平積みにされていたところもあった。又吉の受賞や秀作揃いの受賞作だったことから、大盛り上がりだった日本の出版界だが、そこに、話題のエンタメ系物語やビジネスの指南書なんかじゃない純然たる翻訳小説が肩を並べて売られていることはとても珍しい。

     今まで敬遠していたこのアクの強すぎる作家の作品を私が初めて読んだのも、やっぱりこの事件があったからだ。興味本位からの入り方だったと馬鹿にされても仕方ない。しかし、一読後の私の感想は、キワ物作家の話題作という印象とは全く反対極の、コレはヨーロッパの歴史と未来を大上段から捕えた正統派文豪の一大傑作ではないのか、というものだ。 
     そこまでの褒め言葉が相応しい作品かどうかは、ぜひ実際に読んで各々が判断してほしいのだが、私からは象徴的なシーンをひとつだけ紹介する。

     主人公の失職した大学教授が、イスラム政権発足後に就任したイスラム教徒の学長から改宗を迫られる終盤のシーンだ。主人公は、アラーに帰依すれば国立大学への復職も、元の3倍の給与も、何人もの妻を同時に持つことも可能になると勧誘される。
     それに先立つ物語の前半、主人公は様々な事柄の“衰えと終焉の予感”を痛感する。
     文学研究者として、研究対象としてきた作家にも作家としての頂点とその後の凋落期があったこと。
     常に繰り返してきた、二十代の若い教え子と自由な恋愛関係を維持して行く“自らの男性機能の衰え、男としての情熱の衰え”。
     自らの研究者としての“仕事の頂点にあることの自覚とその後の没落の予感”。
     そうして何よりも“キリスト教を土台にしたフランスの、ひいてはヨーロッパの凋落の実感”。
     以上のような諸々の事柄を前提として、主人公が学長から「人類の文明の頂点にあったこのヨーロッパは、この何十年かで完全に自殺してしまったのです」と説得される。学長はまた、「古代ローマ人は、自らの帝国が崩壊する直前まで、自分たちが永遠の文明であると感じていたであろう」とも言う。
     そうしてそのシーンの舞台となったのは、ソルボンヌ大学にほど近いリュテス闘技場を窓から見下ろす学長の家の一室なのだ。私はこのシーンのこの場所の一点に注目する。
     パリの史跡のひとつリュテス闘技場は日本語のガイドブックには一切記述がない。だから日本人観光客は誰も行かない。しかし、パリが古代ローマ帝国の辺境であったことの証であるこのコロッセイウムのミニチュア版の遺跡は、パリの地元では小中学校の移動教室で必須の見学場所である。
     「ここは、パリが古代ローマ帝国の一部であったことの証です。そうしてこの建築様式はローマがギリシアから受け継いだものです。そして、ここが発見され発掘された150年前、パリは文明の完成度では世界の頂点にあったのです」
     と説明を受けたことがパリジャンならば必ずあるはずなのだ。
     それは東京の子供たちが、現在の皇居は150年前には江戸城だったと自明に知り切っているのと同じなのだ。
     また、ヨーロッパの人々にとってイスラムの脅威が歴史的潜在意識であるのと同時に今そこにある危機であることも自明だ。
     
     主人公がヨーロッパ文明の「自殺」を思い知らさられる場面の舞台は、ギリシアもローマも近代フランスの栄華も一瞬の幻に過ぎなかったことを象徴する場所であるのだ。しかも、その瞬間に、主人公自らの肉体の衰えの始まりと、精神の終焉の始まりとがぴったりと重ね合わされているのだ。
     これほどの壮大なスケールの物語を見事に巧みな舞台設定で描いているこの作品を、私は正当な文豪の大作だと思わないではいられない。
     テロ事件や難民の大流入で欧州全体が揺れている今よりむしろ、この一冊の真価が証明されるのは、何十年か後なのかもしれない。

  • 「服従」(ミシェル・ウェルベック : 大塚 桃 訳)を読んだ。
    
うーん、これはまいったな。
    
フランス大統領選挙において、ファシストかイスラーム主義者かの選択を迫られるというところから始まる。
    
それだけでなはないさまざまな問題を提起する衝撃的な物語となっている。
    
主人公がユイスマンス(あの『さかしま』のユイスマンス!)の研究者であるというところもミソなんだよな。
    
本書が問いかけるこれらの重苦しい問題に私は私の中に確たる答えが存在しないことを認めざるを得ない。
    
ある登場人物が語るこの部分が印象に残る。(肯定的な意味では決してない)
「『O嬢の物語』にあるのは、服従です。人間の絶対的な幸福が服従にあるということは、それ以前にこれだけの力を持って表明されたことがなかった。それがすべてを反転させる思想なのです。」(本文より)
    
「アベンジャーズ」の中でロキが同じようなこと言ってたな。
『ひざまずけ』って。
    
《表紙の翻訳者名大塚 桃 より解説者名佐藤 優の方が活字が大きいってなんだ?》

  • [我が身と文明とを委ねて]2022年、フランス。その年に執り行われた大統領選は、社会の緊張という追い風を受けた極右政党と、カリスマ性を備える党首に率いられたイスラーム穏健派政党の一騎打ちに。国家のファシズム化を恐れた国民はイスラーム政党に傾き、フランス初のムスリム大統領が誕生するのだが、それとともに大学教授を務めるフランソワの身の回りにも変化が生じるようになり......。シャルリー・エブド事件当日に発売され、フランスを中心として大反響を巻き起こした作品です。著者は、本書の影響もあり、警察の保護下に置かれたとも言われているミシェル・ウエルベック。訳者は、現代フランス文学の翻訳を多数手がけられている大塚桃。


    そのあらすじだけで若干引いてしまうぐらいの破壊力があるのですが、読んでみるとイスラームがどうというよりは、フランスないしはヨーロッパの「退潮」、もっと言ってしまえば「疲れ」のようなものがテーマにある作品だと感じました。11月も半ばに入りずいぶんと年も暮れてきましたが、2015年というタイミングで読んでおくべきものは何かと問われれば、私は間違いなくこの一冊を推します。


    原著のタイトルが「Soumission」(注:「イスラーム」というアラビア語の単語が持つ意味をフランス語に置き換えたもので、英語にすると「Submission」に相当)であることから「服従」という日本語訳タイトルが付けられているのだと思いますが、下記の一文などと合わせて、なぜ著者がそれをタイトルに持ってきたかを考えながら読むのも興味深いのではないかと思います。まだまだ書きたいことはたくさんあるのですが、とりあえずオススメですのでぜひ読んでみてください。

    〜人間の絶対的な幸福が服従にあるということは、それ以前にこれだけの力を持って表明されたことがなかった。それがすべてを反転させる思想なのです。〜

    読んだ誰かとすぐに話をしたくなる類の一冊です☆5つ

  • 示唆に富む小説である。著者の作品は『素粒子』しか読んでいないのだが、それに比べると、ずいぶん読みやすくなっている。小説の核となる部分は近未来を扱っているが、それほど遠い未来ではない。舞台はフランス。主人公はパリ第三大学教授フランソワ。専門は若い頃から愛読してきた作家、『さかしま』で知られるジョリス=カルル・ユイスマンスである。

    ユイスマンスといえば代表作『さかしま』が、あまりに有名なことからデカダンスの作家のように受け止められているが、その後の著作、『彼方』や『出発』などを読めば分かるように、世俗の快楽を追求する生活からカトリックへの改宗に至る、自身の改心を文学上の主題にした作家である。わざわざそういう作家を専門とする大学教授を主人公に据えたのは、当然主人公の生活をユイスマンスのそれと重ね合わせるつもりがあってのことだろう。つまり、世俗的な快楽の追求から宗教的改心へと至るストーリー展開が透けて見える。

    事実、主人公の人生はパリ第四大学に提出した博士論文『ジョリス=カルル・ユイスマンス、または長いトンネルの出口』を書き終えた時点で頂点を迎える。論文は高い評価を得て、彼は第三大学准教授に迎えられる。高い社会的地位、安定した収入、学術雑誌への寄稿、フランソワは望みうるものはすべて手に入れた。彼に出世欲はなく、常に社交がつきまとう学内政治にも無関心である。どだい政治というものに関心がない。人嫌いの無神論者で興味があるのはユイスマンスを除けば酒、煙草、料理、と性交の対象としての女につきる。

    しかし、さすがに四十台を過ぎると肉体的機能は衰えを感じ、性欲も減退気味。ミリアムという女子学生との関係は保っているが、結婚には懐疑的である。自分の人生はこれからどうなるのかという漠然とした不安を感じはじめた時、突然それは起こる。二〇二二年、大統領選挙で第一党をとった極右の国民戦線を抑えるため、第二党を争う社会党とイスラーム同胞党が手を結んだ結果イスラーム政権が誕生する。共和国政府で長年くり返されてきた、中道右派と左派が政権を交換するというシステムが崩壊したのだった。

    イスラーム同胞党を率いるモアメド・ベン・アッベスという人物が魅力的に描かれている。穏健なイスラームであるベン・アッベスは、シャリーア実行を唱える強硬派とは異なり、左派である社会党との連携を保ちながらも、フランスを緩やかにイスラーム化していく。まず手をつけるのが教育である。学内でのスカーフ着用を禁じた報道が世界の関心を集めたが、共和国であるフランスでは教育の場で宗教色を誇示することは禁じられている。それではというので、公立学校に対する国家予算を大幅に減額し、イスラーム教育を行なう私立学校を設立。アラブのオイル・マネーを使い、良質な教育を求める学生を集める。果てはソルボンヌ大学までイスラーム化され、大学では女性教授は講義を許されず、男性もイスラーム教信者でなければ教授になれない。

    これらのことがあれよあれよと進む様は、自国のクーデターめいた政局の変化を鑑みるに、なるほど大衆というのはそれまで当然と思っていたことが覆されることに、ほぼ無力であるなあ、とあらためて感心させられる。主人公が内戦を恐れ、パリを離れている間にユダヤ系であったミリアムはイスラエルに移住し、同僚の女性教授は退職、自分もまた退職して年金生活者となる。この間徐々にイスーラム化されてゆくフランスの風俗が描かれる。キャンパスではブルカ姿の女子学生が増え、街の女性からはスカートやワンピースが消えてゆく。主人公が食べる物もレンジでチンするインド料理からケータリングできるレバノン料理に変化している。

    結果的に主人公は大学に戻ることになるのだが、そこに至るまでの経緯が面白い。ファウストを誘惑するメフィストフェレスさながらのこれもまた魅力的なパリ=ソルボンヌ・イスラーム大学新学長ロベール・ルディジェが登場する。フランソワは、とことん受身でセックス以外にやる気を見せない男だが、能力的には優秀で、例のユイスマンスの論文は学内外で評価が高い。多くの優秀な教授に退職されたパリ第三大学としてはフランソワに戻ってもらいたい。そのためには彼の改宗が必要だ。ベン・アッベスを信奉するルディジェはイスラーム教によってヨーロッパをローマ帝国化するという考えを諄々と説き聞かす。それによれば、キリスト教国家を中心とする今のヨーロッパは最早終焉しつつあり、これを生き返らせるにはイスラーム教しかない。南のモロッコやトルコ、アルジェリアなどはすでに射程に入っており、その規模は北方にも広がるはず、という拡大ヨーロッパの版図は危機に瀕する現在のユーロ圏をはるかに凌ぐものだ。家父長制の復権、家族という単位の重視、と次々に発せられる施策は反動的に思えるものばかりだが、ルディジェの口から聞かされるといちいちもっともに思えてくるから不思議だ。

    徹底したノンポリの無神論者で女好き、アルコール好きの元大学教授というおよそイスラム教とは無縁の輩を攻め落とすルディジェの説得力ある議論がこの小説の眼目だろう。最後の決め手は一夫多妻制度、というのも皮肉が利いていて洒落れている。フェミニストならずとも、普通の女性は好感はもたないだろうし、その他の人種にもまずは反感を抱かせるだろう小説を皮肉や諷刺、苦いヒューモアをたっぷり利かせ、読ませる小説に仕立てたところがミシェル・ウエルベックならでは。蛇足ながら、表紙に訳者よりも解説者の名を大きく載せるのは如何なものか。解説自体それほどのものでもない。「訳者あとがき」でよかったのでは。 

  • ページターナーだし問題提起はしている。けれど、「もしこうなったら」の部分が大雑把なので完全に入りこんでは読めなかったし、「これ小説でなくても良かったのでは」と思ってしまった。信心が薄くてもお見合いシステムがあった国の者としては特に。それに主人公の孤独はお嫁さんが来ても確実には癒やされないのでは? 駄目だったらこの人どうするんだろうか。

    独りぼっちの辛さの表現はウエルベックらしく胸に迫るものがあったし、ヨーロッパの弱体化に対する危機感も伝わってきた。この読みやすさは作者の読者に届けたい意志の表れだとも思う。だからこそ、もっと緻密な小説にしてほしかった。

  • フランスの、ヨーロッパの、いや世界的な政治の流れについてほとんど何も知らないし、フランス文学についても、教育制度についても、イスラム教の社会制度についても知らないことがほとんどなので、理解できたとは言えないが、読みやすくはあった。

    読みやすいと言っても、10ページ読んでは意味を推しはかり、10ページ読んでは知識の片りんを探し、などしていたのでずいぶんと時間がかかってしまったけれど。
    でも、こういう本にしては不思議なほど文章が上滑りしていくことはなかった。

    2022年、フランスの大統領にイスラム政党の党首が選ばれ、フランスの国が徐々にイスラム化していく話といえば、大規模なテロの流血のシーンを思い浮かべるかもしれないけれど、この作品はあくまでも徐々に変わっていく社会を書いているので、そこがまた怖いところでもある。

    主人公は家族の愛情を知らずに育ち、結婚することもなく、毎年新しい女子大生を恋人にしながら孤独な日を送っているパリ大学の教員。
    日ごろ政治に興味を持ったこともない。

    けれどイスラム政党の党首が大統領になるかもしれないと聞いて、パリから逃げ出すことにする。
    恋人は家族と一緒にイスラエルに脱出したので、つられて…と言ってもいいかもしれない。
    主人公はあまり主体性がない。

    イスラム政党は与党となっても利権には興味ない。
    彼らにとって大事なのは、イスラム教に乗っ取った生活、イスラム教を主体とする国造りなので、重要なのは福祉と教育である。
    主人公は大学の教員なので、この作品はもっぱら教育方面からのアプローチとなる。

    大学は一度閉鎖され、再び開いた時は教員の選別がなされている。
    教員に必要な資格。
    それはイスラム教徒であるかどうか。
    主人公は解雇される。
    ほかの大学で教鞭をとらないのなら(つまりそれは反国家に立脚した大学である)、月に50万円相当の、しかも物価スライド制の年金が生涯保障される。
    主人公はあっさりそれを受け入れる。

    高等遊民となった主人公は、町を散策し、小さな違和を感じる。
    街中からスカートが消えた。

    主人公は修道院で修行生活を試みる。
    しかし彼にはキリスト教が絶対だったことはないし、この先もないと思われた。

    一度主人公を切り捨てた大学は、再び彼に接触をしてくる。
    なぜなら教員が不足しているから。
    教員として大学に迎え入れたい。
    そしてそれは、イスラム教への入信を意味する。

    中世のイスラム教は、他宗教に寛容だった。
    そして今回も、学食にハラルはあるが、今までの伝統的メニューも残されている。
    キリスト教の学生ももちろんいる。
    けれど、教員は全てイスラム教徒。
    多分数年後に、イスラム教とは爆発的に、しかし静かに人数を増やしてゆくのだろう。
    教育と福祉を抑えるということは、そういうことだ。

    ちなみに独身の教員は、希望があれば奥さんも斡旋してもらえる。
    仲人の専門家が、収入に応じて適切な妻の数を割り出し、用途に応じて必要な女性を紹介してくれる。
    主人公は年金の3倍の給与で教員に復帰する。

    さて、イスラム政党の政策が実行されるにあたっての金銭的支援はサウジアラビアが行っている。
    しかし、教育と福祉は金がかかる。
    いつまでその資金援助が続くのか。
    そして、女性たちはどう考えているのか。

    いちおうタイトルの『服従』は人間が神に服従する世界という意味のようだが、女性が男性に『服従』することも含まれているだろう。
    その上で、物質文明が行き詰まり閉塞感を増している西欧(日本も含む)から解放されるための手段としての『服従』でもあるのかもしれない。

    余談であるが、イスラム政党の目標は、イスラムによるローマ帝国の再興。
    地中海沿岸の国と同盟を組んで、ゆくゆくはヨーロッパ制圧をもくろんでいる。
    アウグステゥスの統治が目標。

  • 糞つまらん

  • フランスにイスラム政権が誕生するというストーリーを背景に、文学者である大学教授の行き方を通して人間の矛盾や、周囲の環境からの影響を描き出している。大統領選での極右とイスラムの対立からのイスラム系大統領誕生という国の大きな動きと、個人の職業や行き方というパーソナルな動きが、同時並行で絡み合わさっていて、本書のテーマがより際立つ。幸福を得ようとして、得られた幸福に服従する。自由を得ようとして得られた自由に服従するものなのである。年をとるごとにこの傾向が強くなると知って軽くショックを受ける。

  • 2022年のフランス大統領選でイスラム政権が成立したら-

    超近未来の、もしかしたらほんとうに起こり得るかもしれないディストピア?小説。
    具体的にかかれる政策が真実味があって怖い。
    政治に疎い無気力系(のように見えて、実は世俗欲の塊)インテリ層の主人公が徐々にとりこまれていくのも恐ろしい。

    むかし「選択の化学」を読んで、選択肢や自由がありすぎることと幸福はイコールじゃない、と思ったが、
    人類がほんとうに「幸福」になるには、選択肢を極端に減らして「服従」するしかないのか、、、
    不穏なラストにも考えさせられた。

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著者プロフィール

1958年フランス生まれ。ヨーロッパを代表する作家。98年『素粒子』がベストセラー。2010年『地図と領土』でゴンクール賞。15年には『服従』が世界中で大きな話題を呼んだ。他に『ある島の可能性』など。

「2023年 『滅ぼす 下』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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