フォトドキュメント 特攻と沖縄戦の真実

著者 :
制作 : 太平洋戦争研究会 
  • 河出書房新社
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感想 : 4
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  • Amazon.co.jp ・本 (287ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309226316

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  • 特攻と沖縄戦という太平洋戦争の中でも最も過酷で辛いテーマを扱っている。写真が中心と思いきや、文章は主題の本質まで深く切り込んでいる。多数の参考文献を当たり、様々な角度や証言から特攻そして沖縄戦に繋がる数々の意思決定、さらには責任者の当時の思いをあぶり出している。

    特攻の生みの親と言われる大西中将について関係者の証言などを紐解くと、彼は特攻の成果を天皇に報告した際に「かくまでやらせねばならないことは遺憾であるが、しかしながらよくやった」との言葉を受けた事は知られている。このとき、中西は内心天皇から「もうやめろ」と言われる事を期待していたことを戦後に語っている。自分はやめろと言われなかった。だから特攻は継続したという責任のがれの考え方には閉口した。

    また、天皇がそれをよくやったと言ったことで特攻に歯止めがきかなくなったのであれば、やはり天皇の責任も同じく逃れることは出来ないと思う。

    回天、桜花、震洋、マルレ

    本書で知り得た意外な事実の一つとして、特攻は配色濃厚となった戦局において苦し紛れの戦術として立案されたものと思っていたが、意外にも開戦当時から開発が進められていたものだと知ったことである。

    太平洋戦争の明暗は工業力の差だったという考え方は定説であるが、具体的な数字を見て驚く。同戦争で最も威力を発揮したのは航空機とそれを洋上で展開する空母である。アメリカはガダルカナル攻防戦があった1942年末から終戦までに80機搭載のエセックス型正規空母を17隻、2ヶ月に1隻の割合で就航させた。小型の護衛空母にいたっては100隻以上、週に1隻のペースで就航している。ガ島以降、日本は正規空母3隻と軽空母6隻と航空機450機で米艦隊に決戦を挑まなければならなかった。

    航空機は1943年に日本が16600機を製造したのに対しアメリカは85800機、1944年には日本も2万機と頑張ったものの、アメリカは9万機と圧倒的な投入量の差があったという。

    マリアナ沖海戦では、日本は相手機動部隊の航続距離の外から攻撃を仕掛けるアウトレンジ戦法を使って350機発させたが、敵に落とした爆弾は2発のみ。ほとんどが撃ち落とされ450機あった航空機で生き残ったのは50機だけだったという。アメリカはレーダーを用いて事前に日本側の動きを察知し、空母の前に戦闘機を、海上には戦艦と駆逐艦を待ち伏せさせた事による。そして対空砲火にはVT(Variable Time)信管という時限爆発する新型の弾を投入したのである。この戦いは、たとえ日本が空母部隊を持っていたとしてもアメリカの空母部隊に勝てないという決定的な事実をつきつけられた。その最大の敗因は、アメリカの戦闘技術と戦略がそれまでと様変わりしていたということだった。現代の企業間競争でもアメリカ企業は迅速に新しいやり方を導入する一方、日本企業は変化に対応できないといった、同じ様な事が繰り返されている事を考えると、先の手痛い敗戦から何を学んだのかと思ってしまう。

  • 5800余にのぼる若い戦死者を生んだ信じがたい無謀な戦法、県民15万人と兵員9万人が犠牲となった唯一の地上戦場。いかに生き、いかに戦ったか。「ふくろうの本」の合本版。

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著者プロフィール

に1942年生まれ。大平洋戦争研究会所属。著書『証言記録 大東亜共栄圏』『硫黄島・玉砕の記録』『図説 日中戦争』『図説 特攻』『図説 沖縄の闘い』など。

「2017年 『図説 日中戦争』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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