思想としての3・11

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制作 : 河出書房新社編集部 
  • 河出書房新社 (2011年6月21日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (206ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309245546

思想としての3・11の感想・レビュー・書評

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  • 17人の言説の集成。佐々木中、鶴見俊輔、吉本隆明の重なっているところが印象に残った。「文明の難民として」(鶴見)、「自分の今ここの何もなさから行こうじゃないかと」(吉本)、「いつかまた無惨に打ち砕かれるものであったとしても」(佐々木)。

  • 震災、原発事故から間もない頃に出版されています。現代日本の思想家たちの寄稿集ですが、高祖岩三郎や廣瀬純と行ったアナキスト系の人の文章も読むことができます。当然情報はまだ少ないし、特に原発事故に関しての検証は十分されていない時期ですから観念的でやや混乱した文章が多い印象を持ちました。その後少しずつ現地は復興に向かっていますが、原発事故周辺の復活の見込みはありませんし事故処理も進展しているとは言い難い状況です。その中で原発再稼働の流れは着実に進行しているわけで、もう一度現状の評価について彼らの評価を聞きたいですね。

  • 図書館本。 気象兵器説は誰も書いて/言っていない。 117

  •  根拠が動揺する、ということは、信じられなくなる、ということです。合理的なものであれ、たとえば美的なものであれ、根拠というものがないと信仰も成り立ちませんから。(p.20)

    堕落とは何か。すべての巨大な破壊、すべての膨大な死、すべての根拠の粉砕のあとで、すべての道徳が虚妄であることが暴露され、すべてが信じられなくなったあとで、それらが無根拠であることが底の底まで知れてしまったあとで、これからわれわれが創り出すものもまた無根拠であり非道徳的であり、何物にもならずにいつかまた無惨に打ち砕かれるものであったとしても、―それをまた創り直さなければならないということです。
    (中略)自殺は学問じゃないよ。子供の遊びです。はじめから、まず、限度を知っていることが必要なのだ。私はこの戦争のおかげで、原子バクダンは学問じゃない、子供の遊びは学問じゃない、戦争も学問じゃない、ということを教えられた。大ゲサなものを、買いかぶっていたのだ。
    学問は、限度の発見だ。私は、そのために戦う。(pp.28-9)

    われわれがまずもって守るべきものは、われわれ人間が作り、使い続けている物たちである。物は人間の世界を形づくっており、それに守られて人間生活が成り立つ。物が一定の耐久性をもち長く保たれていくことで、世界は人間らしい住まいとなる。(p.102)

    人々が放射能のないユートピアを語れば語るほど、そのユートピアからは「フクシマ」の当事者が排除されていく、という構図である。こうしたユートピアは、推論によってつくりだされた仮象である。(p.148)

    われわれは「福島」国民である。なぜなら「フクシマ」はわが家族だからだ。(p.151)

  • 3.11以後の我々は、あの出来事を自分なりに消化しないでは生きていけないのではないか?
    3.11の直後に、著者らが何を思い考えたのかを知り、自分の位置を再確認したい。

  • 加藤典洋のが興味深かった。

  •  アマゾンのお勧め商品から購入。

     雑感からいって、この前の保守陣営の論考よりは、ましだが、あまり哲学者、思想家と称する人の文章はまじめに読む気がしない。

     それでも、なんか説得力のある言葉はある。

    (1)吉本隆明:これから人間や人類は危ない橋をとぼとぼわたっていくことになって大変だよ。(p41)

    (2)池田雄一:われわれは「福島」国民である。なぜなら「フクシマ」はわが家族だからだ。(p151)

     自分としては、福島原発の問題、その放射能汚染の問題、そこからの復興の問題に逃げずに向き合いたい。

     これは、経済産業省が悪いとか東京電力が悪いとかいうのではなく、一役人として、一国民として、福島原発事故からどう立ち直るかに全力をあげたい。

     仕事として首をつっこんだら大変だという気持ちは、サラリーマンとしてわかるが、そういう問題ではないだろう、国家公務員として、日本人として福島を救わなくてどうする、そんな気持ちだ。

     そういうエネルギー、やる気の輪を広げていきたい。

  • 哲学者、知識人たちが311の震災をうけ、
    これからの日本はどんな思想をベースにすればよいかを語らっている本。

    あぁもう、苦手。
    震災以降の商戦に便乗したかたちの寄せ集め本に感じました。
    読めたのは佐々木中氏のくらいで、3人目まで読んでストップ。

    震災を冷静に概観するにはわたしにはまだ早いみたいです。

  • 佐々木中氏の「砕かれた大地に、ひとつの場処を」には引き込まれた・・・
    目眩に近いと言うべきか・・・

    読み応えのある冊子ですね。
    余計な感想は不要です。

    是非、手にとって読んでみて欲しい。

  • ※レビューというか感想です。2011/12/24読み終わり。
    3月11日に対する思想の集まりの本。哲学に対しての知識はからっきしなので、ドゥルーズやガタリを引き合いに出されても分からない。これは単に私の知識不足。

    複数の著者が、地震以前と以降は断絶されてしまった、もう以前のような日々は迎えられない、と述べている。その断絶の捉え方は各人によって異なり、例えばあえて古臭い共同意識を持たなければ(フクシマ国民というような)明日を迎えられないというようなものが述べられている。
    恥ずかしながら、核燃料保持の意味合いにはアメリカへの対抗カードとしての側面がある、という考えは知らなかったので、これは興味深かった。

    本の構成として、前半は割りと読みやすい文体と身近な例を用いたものが多く、後半になるにつれてより哲学・思想の専門性に溢れたものになっている。

    ただ、後半になるにつれて、反原発の話が多くなるのはどういうことだろう、と少し怖くなった。
    私は「反」反原発の立場ではない。今回の事故を受け、維持・稼動にこんな危険が伴うものは無理して持た無くても良いのでは、と思う。
    ただ、この本には冒頭から「反原発」の姿勢が明示されている訳ではないし、まして題名にも明示されていない。
    なのに、読むに連れ少しづつ「反原発」の色が見えてくるのにはぞっとした。中には途中にさらっと「われわれ原発に反対する者は」と書かれているものまである。おい待てよ、その「われわれ」って誰の事だよ。
    原発を維持するべきだと主張したい訳ではないし、様々な考えがあって然るべきだが、この本の流れには怖さしか感じない。最後の最後に「反原発のしるし」と来た。そういう姿勢なら、最初に書いておいてほしい。


    あと、本文の一つに「日本国民という自己同一性を解体し、そこから新たな主体化を、それを超出する世界変革に向けた主体化を形成する契機を孕んでいる」というものがあるが、これに対しては非常に懐疑的だ。
    年の変わらぬうちに既に「終わったこと」として忘れられようとしている震災なのに、そんな突出した考えや人物を生み出すものだろうか。

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思想としての3・11の作品紹介

あの日から何が変わったのか、何が変わらないのか、何を変えるべきなのか。生、死、自然、震災、原発、国家、資本主義…。思索者たちがいまこそ問う。

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