- Amazon.co.jp ・本 (223ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309245706
作品紹介・あらすじ
あらゆる日本人に深い衝撃を与えた東日本大震災。3.11以来、誰もがみずからの生き方を問い直している。かつて、福沢諭吉が著し、人々に生きるヒントを与えた「学問のすすめ」の精神をふまえて、現代を代表する知性が、同時代の人々へ送るメッセージ。
感想・レビュー・書評
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【選書者コメント】科学史の立場から、現代の学問の実践的側面を改めて見直すこの一冊。
[請求記号]0020:202詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
かつてドイツでは教養ある人たちはフランス語をしゃべっていた。
知識人とは、自分が確立されているからこそ、他者に自らの仮託することができる可能性が広がる。
大学こそ広く自分の可能性を試し、その中から自分の将来を形成する洞察力と実行力を身につける場所である。PhDをとるためには自分の専門領域で学位申請論文を書くだけでは足りず、博士号請求有資格者(Ph.D. Candidate)になるためには、専門外のいくつかの関門をクリアしなければならない制度になっている。 -
まえがきにもあるとおり『あらためて教養とは』の姉妹編と捉えることができる。そちらがかなりしっかりした内容であるのに比べ、こちらは今日的な視点でトピックが設定される中でも親しみやすい体裁になっている印象だ。
表題から受ける印象でないものの福沢諭吉の『学問のすすめ』をモチーフに、筆者が筆者自身の言葉で諭すように語りかけてくる。例えば以下のようなフレーズだ。
「学問をすることで、確実に差が生じる、それが大切なのだ、と強調するのです。」(P.2)
「近代的な世の中で成功するために、「学問をすすめ」ました。しかし、広い意味での学問の効用は、まさに、このように、自分の世界を広げ、豊かにすることこそ、あるのではないでしょうか。」(P.34)
「人間を自由にし、心的構造の「ゆとり」あるいは「遊び」の部分を豊かにし、自分の枠組みを自在に検討できるように準備するために、「学問のすすめ」が必要だと考えるのです。」(P.53)
「人は平等だ平等だと言われるけれども、学問をするとしないでは、はっきり違ってくる、だから学問をしなさいよ、といことに尽きるのでした。」(P.129)
最近の専らの関心事は「教養」の考え方だ。大正の教養主義と現在の市民のための教養を区別することは、なんとなくわかってきたが、まだしっかり仕分けしきれない。ただ大学の教養教育が、文系の人に科学研究を、理系に人文・社会の実体を相互に理解を重ねさせることを強いる装置の役割をしていることは、本書での理解も手伝ってだいぶ腹に落ちてきた。とりわけ筆者は、「文系人間に科学的な素養を培う努力こそ、今私たちがしなければならないことの第一ではないかと思っています。」といっている。
オマケ
本書を読んで、積読状態にあるオルテガの『大衆の反逆』を読むよう促された。
オマケ2
勤務先の脳研の先生が「エセ脳科学になってはいけない」と事あるごとにおっしゃっているが、著者も極めて婉曲にそのことをいっている。婉曲も教養だな・・・ -
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」は嘘である。
大いに誤解されていることがある。『学問のすすめ』に有名な一節、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」というものがある。これを福沢の主張であると勘違いしているひとは多い。しかし、そのあとには「と云へり」と続くのである。つまり、人は平等だ平等だというけれども違うということをいってるのである。その違いを決めるのは何か?それは学問である。だからこそ学問をしなさい。といっているのだ。
本書は、何も学問を追及することで、学者や研究者になることをすすめているのではない。文字通り、学び、問うことで自分の世界が広がることは何にもまして愉快なことであるのだということを、その入り口まで案内してくれる極めて親切な取り組みである。(余計なお世話だと思うような人はそもそもこの本を手にとって読んだりしないだろう)
第一章 知ること
第二章 知識人とは
第三章 理科と文科
第四章 環境問題の難しさ
第五章 脳と心
第六章 デモクラシー
第八章 文芸を巡って
第九章 メメント・モリ
それぞれ、章ごとに機知に富んだエッセンスが詰っているので参考になる。 -
示唆に富む本である。
「学問のすすめ」も読んでみないと。
2011/12/24図書館から借用;2012/01/03から読み始め;正月休みで読書ペースが遅いので,5日までかかった。