葬儀の日 (河出文庫 ま 1-3 BUNGEI Collection 初期作品集)
- 河出書房新社 (1993年1月8日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309403595
作品紹介・あらすじ
葬式に雇われて人前で泣く「泣き屋」とその好敵手「笑い屋」の不吉な〈愛〉を描くデビュー作はじめ三篇を収録。特異な感性と才気漲る筆致と構成によって、今日の松浦文学の原型を余すところなく示す第一作品集。
感想・レビュー・書評
-
詳細をみるコメント0件をすべて表示
-
十代女子がみっちりで嫌悪感すらおぼえる迫真の文章に脱帽。あの抜き差しならない距離感,あの身体感覚,あの葛藤,嘘,自己完結しきらないずるさ。一度通り抜けたら忘れられない,うしろめたい記憶をえぐるような虚構世界です。「葬儀の日」,「乾く夏」,「肥満体恐怖症」の3編。甲乙つけがたい。
-
「葬儀の日」での離れがたい片割れ、「肥満体恐怖症」の憎悪と牽制。わたしの中で何かがぴったりと嵌った感じがありました。こういうのが読みたかった。
他の誰でもない、唯一無二の存在。自分の片割れ。昂ぶってはじけるように散る。羨ましいと思わずにはいられない、生き方。
作者さん、とっても綺麗な方です。「葬儀の日」は19歳の頃の処女作だとか。いろいろと卑怯。 -
ナチュラルウーマン以外では一番好きな松浦先生の本。読んだのは大分前ですが宝物本のうちの一冊。
互いによじれ、見つめ、欲しながら生きていく対である泣き屋と笑い屋。互いが互いを必要不可欠とする存在に惹かれずにはいられませんでした。
恋人という枠ではくくりきれない、必要不可欠な対という存在が好きで、なぜ対なのか、対である二人の関係性をじっくり読んだり考えたりするのが好きなので、このお話は私の琴線に触れたのだろうと思います。 -
読後、心に何かがずしっとのしかかるような感じ。収録の3編ともに読み応えある作品。どれも主人公にひと癖あり設定も変わっているが、心の中の表裏という感じのテーマは似ている気がする。
『葬儀の日』
泣き屋、笑い屋という変わった職業、これだけで引き込まれるが内容は自分には難解…心の中の感情を擬人化してるなんて捉え方もあるかな?笑い屋を失うということは何を意味するんだろう。よくわからないけど独特の雰囲気から「もう一度読みたい」と思える作品。
『乾く夏』
彩子と幾子の関係が補完関係になっているのか。ちょっと理解しにくかった。でも放尿老人がなんだかいい味出してる。
『肥満体恐怖症』
この中では一番読みやすくかった。当初善良に見える唯子の異常さが次第に明らかになる流れは迫力ある。肥満への憎悪を増幅させるために服従する、というのはすごく響いた。 -
レビューを見てどうしても読みたくてアマゾンで購入。
3編からの短編集。
葬儀の日
葬儀で泣く泣き屋と、葬儀で笑う笑い屋。
二人はいつも一緒だったのにある日突然笑い屋が来なくなった。
わかりにくいんだけど、その独特の世界観。もう一回読んで理解しようと思う。
乾く夏
自己中な友達に振り回される主人公。でも振り回されるのは決して嫌じゃない。
私はあまり好きではない作品。
ラストの肥満体恐怖症が一番好き。
単純に面白い。女って怖いなあ。笑 -
ドッペルゲンガーですが仲良しでした。
「乾く夏」もよかった。冒頭の放尿老人は、何というか、すごく、快感なんやろうなあと思ってしまった。 -
「葬儀の日」「乾く夏」「肥満体恐怖症」の3つを収録。
「葬儀の日」は葬式に雇われて泣く『泣き屋』と
同様に葬式に呼ばれて笑う『笑い屋』の物語。
主人公の泣き屋の女の子と笑い屋の女の子は
お互いを自分の片割れだと感じる。
大人たちはうまく距離を取らないと破滅するぞと言うが
2人はブレーキを踏むことなく
お互いのピースがぴったりと当てはまるように
しっくりとくる関係の中で1つになることさえ望む。
そんな中で笑い屋の女の子が死ぬ。
最後にこの2人が1つに結合されるであろうことを予感させ
物語は終わりを迎える。
人生に自分の片割れがいたとして
もしその人と結合してしまったら
世界は自己完結してしまうのかもしれない。
あえてその人と結合せずに
お互いが長く生きることをよしとするのもよいだろう。
だけど僕は主人公の2人のような生き方が羨ましい。
一瞬で弾け飛ぶような臨界点ギリギリの密度に
僕は長く生きることよりも魅力を感じてしまう。
この物語では双方が描かれていて
どっちがいいとか悪いとか白黒つけてないのもいい。
たぶんそれは好みの問題だろう。
「乾く夏」がこの3つの物語の中で一番好きだった。
年頃の少し感受性が鋭い女の子の物語で
リストカットしちゃったり心中したがったり
本気かどうかは分からないにしても
友達に刃物を向けて襲いかかったりするんだけど
命のギリギリのところでないと
人と繋がってる感じがしないのは
僕もなんとなく分かるなぁ。
あまりにも強い経験をするとある種の耐性が出来るから
日常の範囲内での刺激では感じられなくて
そこから一線を越えないといけなくなるんやろな。
物語の対象が大学生の子たちなので
表現する方向が少女的な感じやけど
内側に潜んでるのはSM的なもののような気がする。
肉体的にではなく精神的に繋がることをよしとする感じ。
肉体も精神もバランスが必要やけど
僕は内的なものが好きなので
こういう内面に切り込むものは好みだった。
「肥満体恐怖症」は母親が太っていたために
太っているというだけで人を嫌いになる女の子の話。
でもそこには死んでしまった母親に対する罪悪感があって
その内面的な葛藤にさらされている。
最後には主人公の肥満を嫌う心が陵辱されるんやけど
そこで主人公はある種の解放を得ることになる。
ってか、感想を書いてて思ったけど
この本って物語の体裁は全部青春を描いているけど
裏側の内面性は全部がSM的なもののような気がしてきた。
そういう作者なんかな・・・(笑)。 -
「葬儀の日」は初期作品らしく硬い。「乾く夏」は松浦作品の原点といった感じか。「肥満体恐怖症」は水木のキャラが印象的だが、母親の問題を絡めてくるのはありがちか。