おカルトお毒味定食 (河出文庫 ま 1-6 BUNGEI Collection)
- 河出書房新社 (1997年4月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (253ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309404974
感想・レビュー・書評
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この二人が組んだらさいきょうなんじゃないかとおもうんだけどどうだろう。笑
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「何かがわかりたくて小説を読むわけじゃない」に深く肯きました。わからないなりに無理にとらえてくる作品。これは小説に限らず音楽も映像作品もそうなのだけれど、改めてこれで良かったんだ、と思いました。
松浦理英子さんは読んだことがあるけれど笙野頼子さんは未読です。でも読みたくなりました、かなり。
おふたりともクレバーで面白かったです。ひとつひとつ訂正していって、でも〜と被せてまたそれを訂正して…のやり取りにヒヤリとするところも正直あったのですが、それでもおふたりがそれぞれ相手の事を好ましく興味深い人だなと思ってるのが覗えて素敵な対談でした。
多和田葉子さんは面白いよね、と松浦さんも笙野さんも仰ってる。面白いです。
フェミニズムも、ここで言及されてる考え方なら素直に受け入れられます。フェミニズムは元々悪くないのだけれどTwitter等で声高に主張し攻撃してくる方々のソレが() -
松浦理英子の本は少々読んでいるが、笙野頼子はとんと知らなかったものだから、始めは何がなんだか要領を得ない会話だった。
笙野頼子って何じゃぃ、これじゃ松浦理英子をいじめてないか!ってな具合。びしばし質問する笙野のいじわるっぽいのに、おっとりと真面目に応えている松浦さんの可愛い顔(ほら、本のプロフィールにあったものだから)が浮かんではらはら。
しかし、目次
1.なにもしていない馬鹿女(ナチュラル・ウーマン)の修業時代
2.物言う太鼓(トーキング・ドラム)のように
を読み進めるうちにお二人の特徴とかもす雰囲気が好もしくなってくる。
作家松浦理英子と笙野頼子の会話形式の『交友の一例』で、そう松浦理英子は名題したかったそうだが、なんとまあ『おカルトお毒味定食』とは(笑)
九十年代文学シーンをぬりかえたダブル・スーパー作家が、不遇時代や日々の生活、創作の秘密、フェミニズム観などすべてを本音で語りあいながら、つまらぬ世間をけちらして、読む者をふるいたたせるラディカルにして繊細な対話。(BOOK紹介文)
さらに
3.ペシミズムと快楽と
4.そして長電話は続く
と続くうちにすっかり笙野頼子に興味を持ってしまったわたし。だって打てば響くようなおもしろい会話でイニシアチブは笙野さん、どんどん「女性教カルトチック」(わたしが勝手につけた)と思える方向に進んでいくではないか。
笙野さんの「はきはき」さがいいよねぇ。
一度、食べたらやめられない。
ダブル・スーパー作家の乱れ撃ちジャンキー・トーク。(なんて紹介文も)
この語り合いで攻撃的な、さかんにご自分が野獣的だと言ってる笙野さんのお顔、興味津々ネットでさがしました。ありました。むむむ。
ともかくもすっかり笙野頼子にまいり、手に入った『幽界森娘異聞』を読み始めているわたし。
笙野頼子、芥川賞(1994年)作家でもある。まだまだ知らない(好きになるかも)作家がわたしにはある。この本は絶版とのこと。 -
90年代前半の対談集。好きな作家×好きな作家の対談だしたぶん再読だと思うのだけど昔すぎて記憶にない。1958年生まれの松浦理英子と1956年の笙野頼子、2歳差でほぼ同年代ながら、10代デビューの松浦理英子と、30代になってから三冠作家になった笙野頼子の辿った道は対照的。この対談当時はお二人とも30代後半くらいかな。
対談は4回おこなわれ、1回目はまあ顔合わせ、2回目は「レストレス・ドリーム」について松浦理英子から笙野頼子へのインタビュー、3回目は逆に「親指P」について笙野頼子から松浦理英子へのインタビュー。
4回目は「親指P」がヒットしてからのざっくばらんなトークとなっており家賃や年収の話などわりとなまなましい。「親指P」が売れたおかげでそれまで風呂なしアパートに住んでた松浦理英子が家賃15万の2DKに引っ越したとか、笙野頼子のほうは去年の年収360万、家賃8万8千円とはっきり数字まで。今から25年前の数字だと思うと、結構お二人とも稼いでらっしゃるのでは…。
フェミについての話題も多かったですが、目からウロコというほどの論説はなく。対談中で松浦理英子が「ペニス三部作」とおっしゃってますが、あれから25年、書かれていない現状…というか、親指Pのあと、かなり長い間ブランクがあったし、今も相当寡作のイメージ。一方で笙野頼子はものすごく多作で、そのあたりも対照的。今60代のお二人にまた対談してみてほしいな。 -
笙野頼子と松浦理英子の対談集。
90年代の刊行なので今とは状況が違っている部分も多くあるが、互いの作家性の違いが見えて面白かった。
当時(?)はどちらもフェミニズム的な作家と見られていたようだが、今、そういうことを言う人はいるんだろうか? -
笙野さんと松浦さんの対談集。
自分が本を読みだした頃は、女性作家で言えば笙野頼子、松浦理英子、多和田葉子がBIG3みたいなもんだと思っていた。ただ、当時の私にはいずれもなかなかするする読めるようなものではなくて、苦労しながらも「面白いなあ」と思ったり「なんかわからんけど面白いなあ」と思ったり「なんかわからんなあ」と思ったりの日々だったのである。で、対談となるとやっぱり読みやすくすごくありがたかったのも事実である。なぜか印象に残っているのは学生時代のバレーボールの時の両者のサーブの打ち方の話で、(どっちがどっちか忘れたのだが)上から打つ(ボールを放り投げてはたくようにして打つ)と難しいという話になり、下から腕を振って打てばいいのではみたいな話になって、上から派が「それ思いつかなかった」というところに終わる、ちょっとしたなんでもない会話である(全然上手く説明できない。。)
あとは、終わりのほうで笙野さんが松浦さんとの対談の感想を述べているようなところで「いつかはお互いにやっていることが離れていくかもしれない」というような意味のことを言っていたのが印象深かった。お二人ともやはりいろんなものと戦っている作家であり、馴れ合いで活動をするのはよくない、というような強い意志のようなものを一読者としては感じたのであった。 -
対談より小説が好き。
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私を笙野頼子と松浦理英子にはまらせた対談本。
当時は二人ともノリにノっていて、二つの個性のぶつかり合いは痛快そのもの。
どちらかの名前を知っている人は是非読むことをオススメします。 -
あの笙野頼子との対談集。
松浦さんの性格が垣間見えて楽しい。
日常生活から文学論まで幅広い内容。
そう思います。
「さいきょう」と平仮名にしているのは「最凶」も兼ねてるのかな?
そう思います。
「さいきょう」と平仮名にしているのは「最凶」も兼ねてるのかな?