英霊の聲 オリジナル版 (河出文庫)

著者 :
  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309407715

作品紹介・あらすじ

などて天皇は人となりたまいし-天皇に殉じた青年の魂の復権をめざし、天皇制批判の問題作として"イデオロギー小説か、芸術小説か"と騒然たる物議をまきおこした表題作と、「十日の菊」「憂国」を合わせた二・二六事件三部作。エッセイ「二・二六事件と私」を完全復活させた待望久しいオリジナル版文庫。

感想・レビュー・書評

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  • 小説と対峙する。魂が向き合う。いや、正直に言うと、短編それぞれが強烈で、惹起される感情は一言では纏められない。しかし、三島の芸術の域にあるその文体が、死に行く特攻隊の空母間近なその差し迫った緊迫を見せ、烈夫烈婦の壮絶な最期を見せるのだ。まさに人生からドラマを抜き取り、それを利用し、陰に陽に、見せ、語るのだ。

    天皇が人間になってはいけなかった、二つのタイミング。三島はここに多分に主張を盛り込む。私の意見は今は良い。三島は、こだわったのだ。そしてまた、自害をリアルに描き、なぞったのだ。

    小説とは恐ろしい。何故なら、その世界において疑似体験を味わせ、目を伏せたいシーンまでも、見せるからだ。まさに、三島は自ら見たかったのだろうし、見せたかったのだろう。

  • 自分は初め、この小説が好きではなかった。自分たちの「大義」のために昭和天皇を利用した奴らの怨み言にしか思えず、気持ち悪さを感じたからだった。それに、この小説に英霊として登場する二・二六事件の青年将校たちや神風特攻隊として死したものたちが昭和天皇を批判する意味もわからなかった。同時にそれは、三島の意図がわからなかったということでもある。
    だが、付録のエッセイ「二・二六事件と私」を読んで気がついた。
    以下にそのヒントとなった部分を引用する。
    「文学的意慾とは別に、かくも永く私を支配してきた真のヒーローたちの霊を慰め、その汚辱を雪ぎ、その復権を試みようという思いは、たしかに私の裡に底流していた。しかし、その糸を手繰ってゆくと、私はどうしても天皇の「人間宣言」に引っかからざるをえなかった。
    昭和の歴史は敗戦によって完全に前期後期に分けられたが、そこを連続して生きてきた私には、自分の連続性の根拠と、論理的一貫性の根拠を、どうしても探り出さなければならない欲求が生まれてきていた。これは文士たると否とを問わず、生の自然な欲求と思われる。そのとき、どうしても引っかかるのは、「象徴」として天皇を規定した新憲法よりも、天皇御自身の、この「人間宣言」であり、この疑問はおのずから、二・二六事件まで、一すじの影を投げ、影を辿って「英霊の聲」を書かずにはいられない地点へ、私自身を追い込んだ。」

    二・二六事件の青年将校や神風特攻隊の人たちにとって、天皇は文字通り「神」であった。それは彼らの行動や死、そして何よりも命に意義を与えてくれるものでもあった。だからこそ青年将校たちは決起したし、事態収拾のために自刃せよとの勅使を願い出た者も現れた。だが、昭和天皇は「人」として二・二六事件の首謀者たちを裁いた。また、神風特攻隊の青年たちは敗戦が濃厚であり無駄死にになる可能性が高いことを自覚しながらも血を流すことを受け入れられた。だが、昭和天皇が人間宣言で天皇を「人」としたことで、その意義も失われた。

    三島由紀夫は1925年生まれである。三島と同世代には戦争で死んだ人たちがたくさんいただろう。あるいは、死こそせずとも何らかの形で戦争に組み込まれていかざるをえなかった世代でもある。もちろん三島も例外ではない。
    彼らはなぜ戦争というつらい時代を闘い抜くことができたのか。なぜ彼らは青春を非合理な死に捧げることができたのか。それは天皇が「神」であったからである。後世を生きる我々がバカバカしいと思ったとしても戦前の教育で培われた天皇観は確実に彼らの存在意義であった。それを否定される、つまり昭和天皇が人間宣言で「人」となったことは彼らの存在意義を否定したと三島は考えたのではないだろうか。三島は彼らの命の意義を取り戻したかった。だからこそ「英霊の聲」で昭和天皇を批判したのではないだろうか。そしてそれが三島事件にもつながっていったのではないか。
    「などてすめろぎは人間となりたまいし」
    英霊たちによって繰り返されるこの怨み言は三島の切実な思いだったのかもしれない。

  • 二・二六事件3部作。

    『英霊の聲』
    二・二六事件で殉職した将校たちの霊を口寄せするお話。

    「などてすめろぎは人間(ひと)となりたまいし」
    (なぜ天皇は人間になられてしまったのか)
    という呪詛が印象的。

    あえて現代的な観念で言わせてもらうと、英霊たちは、自らの死をただ正当化・美化するために天皇を“利用”しているという自覚はないのだろうか。正直に言って、おこがましいナルシシズムにしか感じなかった。

    二・二六事件で殉職した将校の死が美しいとは思わないが、鬼気迫る描写は圧巻。

    『憂国』
    新潮文庫版でも読んだけど、やはり凄い。
    間違いなく三島由紀夫の最高傑作の一つに数えられる名作。

    『十日の菊』
    二・二六事件で命を狙われて生き延びた大臣の目線で描いた戯曲。
    大臣の家で働く女中頭の菊は、大臣の愛人でもあった。
    大臣を殺害しようと大臣宅に押し入った将校の一人は菊の息子で、菊は大臣の寝室のベッドの上で、我が子と対峙する……。

    なんつー話だ。ゾクゾクするじゃないか。

  • 三島由紀夫の問題作、英霊の声を表題に2.26事件を題材にした作品を収録。ぼくは三島由紀夫のいい読者ではないのだけど、読んでおいてなんだけど、なぜこんなことが問題になるのかがわからないというか、ただの妄想でしかない。まあ、時代の空気といえばそうなんだけど、妄想に取り憑かれて死んだり、憂国のように青年将校に応えて自死したりと、精神性はわかるけど、キッチュな感じは否めない。やっぱり浅田彰が言うように、あえてやることで突き抜ける戦略だったと読む方が三島由紀夫には可能性はあると思う。

  • 「などてすめろぎは人となり給いし」
    天皇の聖性を夢想して昭和維新を目指した将校の亡霊が、後に人間宣言をして聖性をみずから捨てた天皇にぶつける質問は怨みなのか、憧れなのか。
    二二六事件三部作。

  • 表題作の『英霊の聲』を含め、ニ•二六事件を題材にした他二作『憂国』『十日の菊』を収録。
    戦争を挟んで前後に分断された昭和の連続性に固執する三島はその礎を神格化された文化的天皇像に求める。「などてすめろぎは人間となりたまいし」がリフレインされる表題作には、天皇の人間宣言により忠義の宛先を無くした神風特攻隊とニ•二六事件の青年将校らの怨念が神憑りした川崎くんを死に至らしめる。

  • 英霊の声: 最後の川崎君の顔は示唆的である。死んだのは青年将校たちでも特攻隊の青年たちでもない。”猥褻であやふやな国”に成り果てた日本そのものである。

    三島は決して戦争や軍国主義を美化しているのではない。彼がこの作品で訴えたかったのは、対米追従でちまちまと生き延びるいっぽうで、”架空”なる概念に踊らされ死んでいったものたちの怒りそのものである。
    彼らの死に報いるには何があっても天皇は(本当は人であったとしても)神であると言い続ける必要があったという切実なまでの願いである。
    その精算を行わずして戦後社会は可能かと言う怒りである。

    つまり、今日的文脈では極めて左翼的ですらあり、ひたすらに軍国主義を美化し、歴史を改竄し、死を死として向き合わぬ安倍晋三的保守勢力への痛烈な批判でもある。この曖昧に終止符を打つための思想的闘争が、彼のクーデター訴えと自決という帰結を呼んだのだろう。 

    憂国:切腹に徹底して美的視点を持ち込んだこの作品も、これらの美が失われたことへの痛烈な批判である。最もその美の価値観に果たして本当に価値があるのかという議論は成立するが、三島は少なくともそれを猛烈に信じていた、あるいは顕在させねばならぬと病的なまでに思っていたのであり、その試みこそがこの作品である。

  • 【英霊の聲】

    天皇親政を正義と信じるその裏側にある政治の腐敗。
    この時に若者が感じた政治の腐敗は、実は2021年の今も何ら変わっていないように思う。
    単なる叛逆の罪に落ちた二・二六事件は、日本にとって大きな転換点だったのだろうか。
    深く考えさせられる三島からの未来への提言。

    【憂国】

    今の時代は、戦前に比べ何もかも豊かになったように感じているが、実はそうではないのかもしれない。
    この小説を読むと、今の時代に足りないものが明確にわかる。
    それは「美」だ。
    「美」をもって生きる。
    それはある意味、窮屈な生き方だ。でもとても大切な事のように思った。

  • 三島由紀夫の短編小説集
    226事件の前後作3本を短編にまとめた。
    皆血生臭い小説で、この思想が自決事件につながったのだと思うとなかなか感情移入が難しい。
    テレビの特集で、今三島由紀夫が読まれているという記事を見た。自分の今の年代で、もう少し作品を読んでいきたいと思う。

  • 三島由紀夫作品は手を付けていなかったのだが、なんだか読むと一気に疲れる作品だ。
    「憂国」の切腹描写なんかは、読み終わると非常に疲れを感じた。まるで自分も経験したかのような感覚に、この作家は、感覚描写が上手いな、と納得。
    (三島本人も自殺の時にはこのように感じたのだろうか)

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著者プロフィール

本名平岡公威。東京四谷生まれ。学習院中等科在学中、〈三島由紀夫〉のペンネームで「花ざかりの森」を書き、早熟の才をうたわれる。東大法科を経て大蔵省に入るが、まもなく退職。『仮面の告白』によって文壇の地位を確立。以後、『愛の渇き』『金閣寺』『潮騒』『憂国』『豊饒の海』など、次々話題作を発表、たえずジャーナリズムの渦中にあった。ちくま文庫に『三島由紀夫レター教室』『命売ります』『肉体の学校』『反貞女大学』『恋の都』『私の遍歴時代』『文化防衛論』『三島由紀夫の美学講座』などがある。

「1998年 『命売ります』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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