- Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309408293
作品紹介・あらすじ
純文学の守護神にして永遠の「新人」、笙野頼子。デビュー後暗黒の十年を経て、立て続けに受けた三つの栄光-野間文芸新人賞受賞作「なにもしてない」、三島由紀夫賞受賞作「二百回忌」、芥川賞受賞作「タイムスリップ・コンビナート」を一挙収録。いまだ破られざるその「記録」を超え、限りなく変容する作家の栄光の軌跡。
感想・レビュー・書評
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『毎日』の記事がきっかけで、「タイムスリップ・コンビナート」が目当てで購入。
https://mainichi.jp/articles/20210131/ddm/014/070/016000c
要は、西武新宿線の都立家政駅から鶴見線の海芝浦駅まで移動する話。私も海芝浦には行ったことがあるのだけれど、私には全く見えなかったものが作者にはたくさん見えているのだなぁ、と月並みな感想が浮かんだ。鶴見駅周辺が四日市に似ているという指摘は、風景論としても面白い。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
初めて読む笙野頼子さんの3つの小説。1981年に群像新人文学賞を受賞した後、書いても書いてもほとんど作品を認めて貰えず、沈滞した10年を過ごし、やっと本書収録の「なにもしていない」(1991)が突然野間文芸新人賞を受賞。さらに「二百回忌」(1993)で翌年の三島由紀夫賞、「タイムスリップ・コンビナート」(1994)で芥川賞を受賞と、いきなりの華やかな?受賞ラッシュを経験する。一般的な大衆小説ではないので一部の純文学界とその愛好者には認められて、今日に至るようだ。本書にはメルクマールな受賞作3つが収められている。
私がこの作家の名をはっきり認知したのは、私が制作した楽曲動画「前衛スギルキミ」に付けられた、見知らぬ人のコメントだった。
https://youtu.be/KwnrrHdndco
「しょうのよりこのnovelをおんがくにしてクルシェネックで濾過したみたいで平成耽美主義みたいでももう新時代なのにねぇ?」
現代音楽についてどうやらクルシェネクしか知らないらしい無知で粗雑なコメントに過ぎないが、「しょうのよりこ」という作家の作品が何か自分の音楽に通じるものがあるのか? しかし無教養なコメント主の程度の低い類推でしかない可能性が高いような。
今回やっとこの作家の小説を読んでみて、けれども巻頭の芥川賞受賞作「タイムスリップ・コンビナート」は私にはつまらない駄作にしか思えず、がっかりした。「マグロとの恋愛」というシュールなモティーフで少々いびつな生活空間を描出しているのだが、そこに深いものを感じなかったのだ。
読んでいてつげ義春さんのマンガを想起した。が、比較すると、表現の迫力や感覚のリアリティにおいて、つげ義春さんの方がはるかに優れており、芥川賞はつげさんにこそ出すべきだった、と独りごちた。
続く「二百回忌」もシュールなネタだが、面白いとは思わなかったので、かなり失望しながら読み進めた。が、最後の「なにもしていない」は私にはもっともぐっと来て、感銘を受けた。
本作は野間文芸新人賞受賞前の、暗澹たる「まったく売れない作家(と呼ぶには原稿依頼も雑誌掲載もほとんどない)生活の10年」における作者自身の体験を恐らく書いていると思われる。バイトもせずにアパートに引きこもる日々は、たぶん親からの仕送りを頼ってでないと成立しないだろう。ワープロで小説を書きつつも、ほとんど売れることのない原稿の生産という虚しい営みを自ら「なにもしていない」生活と痛感しており、精神はうらぶれて鬱屈としている。この虚しい感じと、茫漠とした日常の感覚とが、平日働いてはいるものの、自分の時間において楽曲創作励みながらその生産がほとんど評価されることのない私自身の精神生活に素晴らしくシンクロしていたのだ。むしろ、私も金さえあるなら仕事もやめて、こんな「無能の人」の生活に墜ちて行きたいようにさえ思った。
この作品はつげ義春さんの一連のマンガに通じるものが多分にあるし、それと同じレベルまで到達していると感じた。
特に、何故か手の皮膚が極度に乾燥しひび割れ、腫れて、ゾンビのような異様さに変形してしまう湿疹を体験する場面は、多分に誇張されているのだろうが、心理的にリアルでファンタジックであり、文学として素晴らしいものであった。後で調べてみると、笙野頼子さん自身が難病を持っていて、その体験が反映されているのだろうと思われる。
この「なにもしていない」を読むと、この作家の精神はなるほど、私にちょっと親近性があるのかもしれないなあ、と思うのだった。
逆に自由に空想を広げた芥川賞受賞作は私にはつまらなかった。作者自身の体験に基づいた私小説的なこの人の作品を、また読んでみたいと思った。 -
笙野頼子作品を人からすすめられたので、読んでみようと購入しました。三作品収められていて、どれも良かったのですが、「なにもしてない」が出色でした。皮膚科に行くのを日々先延ばしにするところが秀逸で、病院の診療時間を調べて保険証を準備して…その日はそれで終わりというあたり、「そうそう!」とうなずきながら読みました。母親の支配から逃れたいのに、母親が心配で実家に帰ってしまう、その葛藤もじれったいほどよく描かれています。
ほかに収められているのは「二百回忌」と「タイムスリップ・コンビナート」。前者は普段と逆の行動をとることが奨励される<イベント>を描き、女性が男性を投げ飛ばしてもOK、むしろよくやったと賞賛される…その意味ではファンタジーと言えるかもしれません。後者は夢と現実が交錯するような不思議な作品で、ある種けだるさのようなものも感じられました。 -
【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/682420 -
カニデシ、カニデシタ、カニデナイ、カニカモネ‥
「二百回忌」が良かった。
可愛いな、面白いな。
大学時代を思い出した。
こんな風に純文学を楽しめる時間が、涼やかだった。
「タイムスリップ・コンビナート」がどうしても読めなくて、しばらく遠ざかっていたけれど、今回は「二百回忌」が良かったな。 -
キンドルで読む。
偶然ながら、今まで住んでいた土地(鶴見、そして三重県)に繋がることを読み始めてから気づく。
ちょっとこれは、私は余り揺さぶられる部分がないのだが...
最近、名古屋では百回忌をするという話を伺って、本当にそんなに遡って法事をすることがあるのを知った。
真っ赤な着物、というのは実は私自身の夢に時々出てくるモチーフ。 -