柔らかい土をふんで、 (河出文庫 か 9-5)

著者 :
  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (276ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309409504

感想・レビュー・書評

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  • 帯には『官能的長編小説』と書いてありました。
    目次はなく、いくつかの章に別れていますが、それらの章はいくつもの出版社のそれぞれの雑誌に何年かにわたって発表されています。
    え?
    じゃあ短篇集なのでは?

    しかし13の章は、何度も同じモチーフを繰り返します。
    殺される女。
    叔母と少年の私。
    日曜画家。
    複雑なデザインのスカート。
    口紅、マニキュア、ラフィット・ヤーンの糸。
    などなど。

    極端に句点が少なく、長々と続く文章。
    気を抜くと、主語がわからなくなる。
    繰り返される同じような、もしかしたら少しずれているのかもしれない展開。
    5ページおきに読んでも感覚的には変わらないのかもしれない。

    湿った空気に感じるのは汗や血や吐しゃ物…つまり有機物。
    これが官能ってことなのだろうか。
    わからない。

    そもそもこの作品の舞台は日本だと思うけれど、妙にフランス映画っぽい気配を漂わせていたりもするのだ。
    どこが?と問われると答えられないのだけれど。

    私の苦手な恋愛小説×私の苦手なフランス映画=理解不能

    これがもし長編小説なのだとしたら、章ごとにいろいろな出版社で発表することの可能に驚く。
    けれど、あまりにも繰り返しが過ぎて、独立した短編小説というのは無理だろう。
    これを「コピペ」と断罪しないのは、純文学だから?

    超絶仕事が忙しい中、連日の高気温に思考停止になりかけながら読むと、頭の中が?でいっぱいになりました、という話。

  • 難解な小説である。連想のままに連綿と切れ目なく語られる文体は、この作品に限ったことではなく、いわば金井美恵子の特質であるから、難解さや感情移入の困難さはそのせいではない。ここには表層だけが提示されており、そこにまた新たな表層が半ばは覆いかぶさるように重ねられていく。そして、全体を支える構造がきわめて見えにくいのだ。その上に、自転車に乗る娘のように、繰り返し現れるイメージもあり、時間感覚もまた解体されるのだ。読者は、ジャン・ルノワールを背後にもつ、金井美恵子の思惟と世界に幻惑されるしか術がないかのごとくだ。

  • ゴダールの『カルメンという女』の表紙。この扇情的でありながら女の顔や乳が見えずどこか解釈を拒もうとしているところに、女性の精神構造や、この小説の意図があるのだと思いでもしなければ理解に苦しむ。
    いつ物語が始まるのだろうというもどかしさが、読了後も消えない。情景と自意識が混ざりあった嗅覚をそそる美しい雰囲気が途切れることなく永遠に続く。終わりがないので描かれていのは永遠なのだろう。「逃げ去る女」が主人公というが本当か? 話に筋があるようだが本当か? 登場人物全員が物語から逃亡しきったあとの形跡しかなかったように思える。

    もともとはジャン・ルノワール論として書き始められた映画論が「甘美な性交のように深く密着して息づいて」映画論とも小説ともいえない実験的な長編詩ができあがったようだ。あとがきには以下のような自注があり、著者自身この奇妙さを確信していることをうかがわせる。

    《『柔らかい土をふんで、』という小説は、映画によって私が体験した半世紀に少し足りない生々しい「愛」の歴史を批評などではなく、私の持っている全ての言葉によって語りたい、いや、それよりもそれと一致して合体してしまいたいのだという無謀で危険な欲望に、我を忘れてやみくもに従ってしまっただけの、「奇形の小説」にすぎないのかもしれない。》

  • 愛であるものの記憶。表象された、繰り返し書かれ、物語られ、映し出された、愛であるものの記憶。熱く、狂おしく、痛切な。ありふれていて、陳腐で、あらかじめ定められているかのようで、けれども激しく、まるで唯一のものであるかのように痛切な。"愛"の記憶。観て、読んで、それこそ生きるようにそうして、幾度となく生きて、生き直し続けた、記憶であり、体験と言うべきもの。最早自らの生と化している、自らもまたそこに溶け、一つになって、共に存在しているかのような、幸福な体験と言うべきもの。生きるようにして、書かれ続ける。幾重にも重ねて。複雑に、分かち難く、結び付いたすべてを、絡まり合うすべてを、余す所なく。例えばあのドレス。縫うようにして、作り上げるようにして、書かれ、書き続けられ、書き足されて行くあの。書き尽くしてしまう事などないのだと言うことを、瞭然と物語るかのように。曖昧な時間、整合性がなく、重層的である事、空間は引用の言葉からさえ膨らみ、広がって行き、或いは増殖する。あるものとないものの境目さえ超えてしまう、僥倖とでも言うべきコラージュの美しさ。見て、読んで、生きて、魅惑されたそのすべてを書きたい、描写したいのだと言う欲望、論じる事から小説へと、溢れる言葉によって、洪水のようになだれこむ事で完成した、唯一無二の小説、それを読むと言う事が、どれだけ幸福な事であるか。どれだけ豊かで、快楽そのものであって、痛切な事であるか。こちらもまた、生きるようにして読むほかのない事。読むたびに、増して行く。その確信、快楽も幸福も、読むことで自らの内より引き出され、やがて小説へと結び付いてしまうような記憶も体験も。読むことで、増して行く。
    繰り返し出会い、魅惑され、魅惑され続け、裏切られ続ける事。繰り返し生きて、生き直し続けた、あのすべてとでも言うべき濃密な、何もかもを、失い続けると言う事。無数の喪失の、常に唯一である痛切さ…。過去に読んだ記憶はすべて、幸福な既視感となる。繰り返しである事の、繰り返し魅惑され、生きて、生き直して、失い続ける事の必然さを、あらかじめ決められていて、逃れられぬ事を、或いは続いている事、途次であり、この先も続いており、繋がっており、繋がって行く事を、その曖昧で、けれども鮮烈な印象を以って、強靭に裏付ける、裏付けてしまう、幸福な、既視感となる。今、ここにおいて語られる事だけではないのだ。過去や、或いはこの先において書かれた、書かれるであろうすべてとも、決して無関係ではない。確かに続いているのだという事。〈長い長いひとつづきの小説〉であるのだという事。

    〈畸型の小説〉だと言う。自らの〈無謀で危険な欲望〉に、自らが映画によって体験した「愛」の歴史を、自分の持つ〈全ての言葉によって語りたい〉〈いや、それよりもそれと一致して合体してしまいたいのだ〉と言うその欲望に、〈我を忘れてやみくもにしたがってしまっただけの〉、〈「畸型の小説」〉…小説は無論、映画だけでなく、書き手の生をも含む、多くのものを含んでいて、分かち難く結び付いた、多くのものを含んでいて、言葉はそのすべてを描写し尽くそうとばかり洪水のように溢れ出し、また継ぎ目なく続いて行くし、それを読むと言う事は、やはり読む事で生きる、生き直している状態に陥る事なのだと思う。

  • 最初から最後まで理解できなかった。

  • インタビュー:矢野優
    柔らかい土をふんで◆水の色◆水の娘。浴みする女◆青い青い海◆ふかいみどりの、ひろい部屋◆ホリゾンズ・ウェスト◆銀河、やさしい娘。◆外套と短剣◆ロング・グレイ・ライン◆スカーレット・ストリート◆「できごと」、「恋」◆ブルー・ガーディニア

  • <blockquote><a href=http://www.waka-macha.com/entry/2014/10/19/171221 target=_blank>金井美恵子を読むとことばへの執念というか、執着というか、それがえげつないな、とおもう。読者が、書く、ということを作家と共に経験するというか、そういう感じの小説におもう。一文の長さや煩雑さに途方にくれるひとも多いだろうけれど、一文のなかにある世界の深さにふれることができる小説はなかなかないと思う。</a></blockquote>

  • ストーリー云々じゃなくてひたすら文体の実験的な要素が強い。目に映るものを「描写する」ことに対する変質的なまでのフェティシズムに陶然となります。

  • 3年前に挫折して、今回やっと読破できた…!
    でもやっぱりぐったり。
    小説の浅い部分しか見ていない自分は、平手打ちされた気分。
    何度も繰り返されるイメージ、描写の洪水、「。」や「、」のない文字の羅列、引用…

    「織物」

  • 目白雑録を読んで、「小説までこんなに一文一文脱線するとしたら、私の貧弱なおつむではついていけないかもしれない…」と不安になり、いざ本作を手に取ってみて、まさかしょっぱなから6ページにも及ぶ一文を読まされるとは思いませんでした…。

    それはまあ、置いといて。

    あとがきから読むんじゃなかったですよ…。
    自分の書いたものについていちいち元ネタを説明したがるなんて、作者本人も自覚してるみたいですがナルシシズムの発露もいいとこです。

    ジャン・ルノワール、ロラン・バルト、フランソワ・トリュフォー
    からの出展、引用、オマージュ、コラージュ、パスティーシュ、エクリチュール…
    そんなので埋め尽くされた小説です。

    映画好きの女子大生がディレッタントを気取りたくて知ってることをいちいち小説に盛り込むくらいなら可愛いんですが、いい年こいたおばさんがそんなことしても衒学的なだけですよ。
    しかも金井美恵子さんて「こんな事も知らないなんて、読者の方が頭悪い」みたいなスタンスっぽい(小説論では評論家に対してそういう態度でしたけど)ので余計にうんざり。

    ここまで書いてそれでも「あとがきから読むんじゃなかった」と書いたのは、ネタばらしさえ読んでいなければ良い小説だったなぁ、と思うからなんです。
    断片的なイメージが、あちこちに散って重なって歪んでいるところを最後にかけて収束していくところは、思わず眼が冴える程刺激的でした。
    もう一回読んだらもっとたくさんの発見があるんだろうと思いますが、どうしようかな。
    まさかここまで作品の良さがあとがきに邪魔されるとは思いませんでした。

    12.02.06

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著者プロフィール

金井美恵子
小説家。一九四七年、群馬県高崎市生まれ。六七年、「愛の生活」でデビュー、同作品で現代詩手帖賞受賞。著書に『岸辺のない海』、『プラトン的恋愛』(泉鏡花賞)、『文章教室』、『タマや』(女流文学賞)、『カストロの尻』(芸術選奨文部大臣賞)、『映画、柔らかい肌』、『愉しみはTVの彼方に』、『鼎談集 金井姉妹のマッド・ティーパーティーへようこそ』(共著)など多数。

「2023年 『迷い猫あずかってます』 で使われていた紹介文から引用しています。」

金井美恵子の作品

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