- Amazon.co.jp ・本 (492ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309411804
作品紹介・あらすじ
「しゃべるところ以上のところにふみだすことが、しゃべることを保つためにも必要だ。」戦時下の抵抗、ハンセン病の人びととの交流、ベ平連、朝鮮人・韓国人との共生…。さまざまな行動の現場にコミットし続けてきた鶴見俊輔。その思考と身ぶりの軌跡を初めてまとめたコレクション。文庫オリジナル。
感想・レビュー・書評
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著者は、1922年生まれの哲学者。毎日の生活の根元を掘り起こし、自分以外の誰にもできない実践と思索を積み重ねること。この本はその様な行動と思索を実践したとして、著者が評価する人々の記録である。時代が我々に課す課題に絶対の正解はない。しかし、人一人の命には限りがあっても、その課題がいかに難問であっても、「肉の歴史を次の世代に手渡す者は倒れることによってもひびわれをうずめる(高村光太郎)」のである。特にオススメはカスタネダの師、ドン・ファンの教え(pp.21~30)。
文学部 N.K
越谷OPAC : http://kopac.lib.bunkyo.ac.jp/mylimedio/search/book.do?target=local&bibid=1000876823詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
鶴見俊輔氏のような行動する知識人は日本ではほとんど稀有な存在ではないだろうか。本書では戦時下の抵抗、ハンセン病の人びととの交流、べ兵連、朝鮮人・韓国人との共生と、ほとんどの人が避けてとおりたい、見て見ぬふりを決め込みたい問題にごく自然体にコミットしていく姿が印象的で、ほんとうに志の大きな素晴らしい人だと思います。また、Ⅴ章「先を行くひとと歩む」にある『田中正造』の小伝を通じて、荒畑寒村著『谷中村滅亡史』を読んでみる気になりました。こうして知りたいことの連鎖が繋がっていきます。
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鶴見俊輔さんの書かれたものはいつか読まねば、
と思い続けて本日。
やっと買うタイミングになりました。
なぜ鶴見さんの作品の中でこの本を選んだかと言えば、
本屋さんで面出し棚に並んでたから、です。
単純なものですが、それがなかか大きい。
さらにタイトルです。
「身ぶりとしての抵抗」
その言葉にぐっときました。
とても‘身体的’な言葉として僕の中に入ってきました。
最近この‘身体的’という言葉であり、考えに凝っています。
要は「自分の身体の届く範囲で生活、思考しなさいよ」ということなのですが、
それにこの本のタイトルがとても近いとこにあるように感じました。
昨今‘つながる’という言葉をよく耳にします。
SNSがその原因なのでしょうが、僕にはなんとも胡散臭く感じられてしょうがないのです。
その理由は、そこには‘身体性’がないからです。
その担保がないものは胡散臭い。
手が届く人、モノしか、僕は信じようと思わないし、特に必要にも感じられません。
自分の身体が届く範囲、交友関係の中で生きることが、まさに身の丈にあってるのです。
そんな僕にとって、
「身ぶりとしての抵抗」という言葉はぐっとくるのです。
身ぶり、という自分の視界の中で確認できる=自分の身体が届く範囲にとても安心を感じます。
鶴見さんの書かれたものに触れるタイミングになったことを嬉しく思います。