- Amazon.co.jp ・本 (328ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309412061
作品紹介・あらすじ
五〇年で、八〇〇〇人もの赤ちゃんを取り上げた助産婦・前田たまゑ。彼女の産婆人生は、神戸の福原遊廓から始まった。堕胎が許されなかった戦前の遊廓、戦時下のお産、戦後すぐのベビーブーム、いつしか主流となった病院出産の時代…世話焼きおばさんの語り部から聞こえてくる助産の歴史は、昭和を背負った女性たちの肉声を伝え継ぐ。『さいごの色街飛田』を記した著者の原点。
感想・レビュー・書評
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大正7(1918)年生まれの助産師、前田たまゑの一代記。
出産というひとつの場面を通じて、昭和の時代の動きが見えてくる。少子化しか知らない現代日本人の目から見ると、人口が増え続けていた時代の有様が新鮮だ。
・毎日お産で呼び出され、5人6人産むのは当たり前。妊娠も出産も、現代よりずっと日常に近かったのだと思わされる。もっとも死もまた日常に近かった。前田自身も5回身ごもり、うち2回は流産や死産。
・女性が職業につくことが難しい時代の、女性の労働がどのようなものだったか。超一流の産婆であった竹信先生が徹夜仕事明けにも夫の食事作りをしなければならず(p92)、老後は財産も無くして気兼ねしながら息子夫婦と暮らす姿(p210)や、前田自身が激務の中で家事や家業の手伝い(p175)をするエピソード。
・昭和28(1953)年に保健所から、助産師を「家族計画実地指導員」にするというお達しが出る。避妊法を家庭に指導する仕事。これに先立つ1949~1950年頃の出来事として、中絶回数をあっけらかんと語り合ったり中絶を希望する主婦の逸話が登場。
・1955年頃から病院での出産が主流になり、助産師の仕事が減る。また昭和50(1975)年頃から、難産の人が増えた(p255)という話も。
「治療」をする医師でなく、妊娠中から生活や人生も含めたサポートに乗り、見守る役目の人というのは、現代こそ必要なのかもしれない。 -
尼崎で助産院をやっていて、著者もそこで子どもを産んだという助産師・前田たまゑさんの一代記。戦時中や戦後のベビーブーム、出産の場の主流が病院に移ったり、開業して理想のお産を求め実践したりという具合に、めまぐるしく流れていく時代のなかをいきいきと飄々と生き抜いた人物の記録として面白かった。
出産周辺のはやりすたりの激しさがまた面白い。前田さんが助産に携わっていた50年ほどの間に、出産の場所は自宅から病院へと移ったし、そのなかでもウーマンリブの風潮と相まって助産院での自由な出産が見直されたり、また、かつて自宅出産の時代は男性が普通に産み部屋にいたというのもびっくり(テレビや映画のそういうシーンでは「男の人はあっちの部屋で待ってて」みたいなことが多かったから)。助産の立場でありながら受胎調節や家族計画を勧めることへの違和感や、陣痛促進剤を簡単に使ってしまったり会陰切開を当たりまえのようにやる産科医療への疑問・不信、またそうしたことを当然ととらえてしまう助産師仲間への憤りなど、あけすけに話してくれている内容は、一助産師の経験や考えに過ぎないけれど、通説となっている表の助産の歴史より濃くて豊かで貴重な記録といえる。
しかし、初版時は改題されたこのタイトルときたらひどいもんだ。まあ、このタイトルゆえに手に取ったんだけど、前田さんが遊廓近くの産院にいたのなんて、見習いの頃の2、3年のことじゃないか。それを前面に出すのってちょっと不誠実。ちょっと苦しいけど、「遊廓の産院から(キャリアがスタートした)」という意味合いか? -
遊郭たいして関係ねー!
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遊郭の産院というタイトルから、遊郭近くの助産院で働いていた方についての本かと思ったのですが、そうではなく。
遊郭近くの婦人科から、助産師を目指した方の話でした。
戦中、戦後の日本史と、出産の歴史を感じられる本です。
昔の人は、本当に良く働いていたこともわかります。
辛くても耐える、とか言葉にすると当たり前なのかも知れませんが、その辛さが重い。
医学が、人間という生き物の全てをわかっているわけではないな、と感じることが多いので
西洋医学以前の、歴史に出産のノウハウがあって当たり前だし
生き物としての出産
日常生活としての出産
と感じられる本でした。
タイトルは「さいごの色街飛田」が好評だった、井上理津子さんの文庫化なので、そこからの購買を引っ張ったんでしょう。
とても面白く、引き込まれてページを追いました。