小説の読み方、書き方、訳し方 (河出文庫)

  • 河出書房新社
3.62
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感想 : 30
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309412153

作品紹介・あらすじ

小説は、読むだけで終わらせたらもったいない。読んで、書いて、訳してみれば、一〇〇倍楽しめるはず!"読む=書く=訳す"ためのメソッドを、わかりやすく、かつ実践的に解説。文豪と人気翻訳者が対話形式で贈る、究極の小説入門。

感想・レビュー・書評

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  • 柴田元幸さんの翻訳のお仕事に触れたのは、オースターのニューヨーク三部作とミルハウザーをひとつ、といったくらいです。印象としては、「透明な触媒」としての翻訳、です。翻訳者の癖というか、翻訳者自体の声や匂い色、もっというと人となりって、どうしても翻訳された作品からかすかにではあっても感じられがちだと僕は思っていて。それが柴田さんの翻訳だと、翻訳者は薄いフィルターとしてだけあって、外国人の作者のほうを大きく、そして近く感じるんです。翻訳者の存在が、無色無臭っぽい。

    柴田さんは翻訳を、原文が自分の中を通り抜けていく通過時間がゼロに近ければ近いほどいい、という考え方を本書で明らかにします。なるほど、体現なさっているなあとしっかり感じさせられるのでした。そして、村上春樹さんとお仕事仲間です。このあたりは、同志、と表現しても良いのかもしれません。

    いっぽう、僕にとって高橋源一郎さんのイメージは「競馬に詳しい人で、どうやら作家だ」というところからスタートしています。高校生の頃に日本テレビの深夜番組に出てらっしゃって、その頃の僕は現代作家にうとかったですし、ネットもなかったですから、彼がどういう人なのか知る由がなかった。なので、先入観として、作家の仕事は二の次の人なのかなあと見えてしまっていました。それが、だんだん年月の経過とともに、競馬に詳しい人、というよりも、作家、としての色合いのほうが僕の目には濃くなっていきました。

    本書を読むと、序章こそ言わんとしているものがよく伝わってきませんでしたが(序章は、文庫へ版を変えたときに最終章の位置から移したものなので、全体を踏まえて抽象的に述べられている言葉だからはっきり飲み込みづらかったのかもしれません)、エンジンがかかってからは明晰な眼力で「小説」を透徹して見ていることに、読んでいてびりびりくるくらいです。小説のコードに従う従わないか、コードを全否定するのは原理主義であり自爆テロみたいなもの(理想主義で、なおかつ完璧主義なのを原理主義というのですね)、近代文学において強い敵と戦うのが文学のテーマだったがある時期から戦う相手である「権威」が無くなってしまった、自他の分別をはっきりした非対称性の文学とその反対の対称性の文学(対称性の文学のほうが現代日本の文壇で勢いが増してきたのですが、そもそもアメリカ文学のほうでは対称性の性格が強い文学が主流)、リーダーフレンドリーの良さと悪さ……などなど。

    しかしながら、これほど厳しい美的感覚で「小説」をとらえてしまうと、自己規制や禁止条項だらけになってきて、書けるものの範囲が狭まりそうです。高橋さんの論理は筋が通っているし、ひとつの立場として見事な高さにまで築き上げられている(そこにはかなりの労力がかけられているでしょう)。だからこそ、オーソリティを持った意見として受け取りやすい。そして、そう無条件に受け入れてしまうと、高橋さんと同じ苦しみを背負ってしまうことになります。

    だから、読者は(そして書き手でもあるならば)彼のような見事な論理と美意識も、単にひとつの視座にすぎない、と踏まえたほうがいいと思うのです。本書で語られた、ほとんど隙のない文学論も、文学へ一方向か二方向から強い照明を当てたに過ぎないと言えるかもしれない。上手な光の当て方であっても、自分は自分として、また違った光を文学へ当てて眺めていいのではないでしょうか。高橋さんは、綿矢りささんの短編に非常に感銘を受けたと述べていますが、その感想は、これまでの彼の視座からは見えなかったものが世に出てきたことへの驚きを多く含んでいました。

    つまりは、彼を驚かすためには、彼の視座を忠実にトレースしててはいけない。というか、書き手は自分なりに自由であっていい部分はあるので、反論の言葉が見つからないといって、飲み込まなくてよいのです。

    といった前提で読む、高橋さんによる大江健三郎論がおもしろい。「言語のセンスがとても変わっている」のは、僕もはじめて読んだときに、文章を追えなくてなんだこれはと思ったから、つよく頷いたものでした。大きい狂気を抱えている人、というのもなるほどと。理知的な人というようなイメージで見られがちですが、高橋さんによれば、無意識のほうがずっと強い人だということでした。

    僕はまだ、高橋源一郎さんの小説作品に触れたことがありません。でも、好奇心はつよく持っていますから、そのうち何か手に取ると思います。柴田元幸さんの翻訳作品ではブコウスキーの『パルプ』が積読なので、こちらも楽しみなところなのでした。

  • 単行本で読み、文庫で再読。
    村上春樹を師と仰いでいるらしい柴田元幸と、「村上さん」に対して複雑な思いを抱えているらしい高橋源一郎が伝わってくる。
    例えば、柴田さんが言った一言に対し、高橋さんが「だとすればすごいですよね」と返すところなど。その点、同じ村上でも村上龍はもうちょっと手放しで評価してる。なぜなら無意識の世界の住人だから。大江健三郎もそう。そして、柴田元幸もまた、本書を読んで、無意識の住人なんだということがわかった。というのも高橋源一郎が過剰なくらいに理知的な作家だから。
    互いに互いを敬いながらも、なにか根本的に異なる部分が常にあって、村上春樹の代わりに柴田さんが対話しているんじゃないかと思われる瞬間もあった。
    どちらが自由かといえば、柴田元幸に軍配があがる。理由は、直観。

  •  これはすごい!

  • 小説家高橋源一郎と翻訳家柴田元幸が「小説」をめぐって対談したもの。対談ものは大概の場合つまらなくなることが多いが、この本は比較的面白く読めた。それは、両者の力量というものもあるのだけれども、しっかりとした筋が通った構成になっていることによることも大きいし、両者の興味の領域が合致していることも大きく、何よりも相手を小説家と翻訳家としてレスペクトしていることもまた大きいのであろう。

    本書の構成は、まずは柴田さんが高橋さんに小説について訊ねる形の対談から始まり、それを受けて後日高橋さんが柴田さんに翻訳について訊ねた対談をまとめた章が続く。そして、海外文学からそれぞれ30冊づつを選びそれらについて語り、日本文学からも海外に翻訳してほしいという観点からそれぞれ30冊づつ選び、それらについて語るという形になっている。

    序説に置かれた「読む」時の小説は、固定でできていて、「書く」時の小説は気体でできていて、「翻訳する」時の小説は液体でできているという比喩は、なんとなく理解できる。小説に限らず確からしさについて、自分が書くものがどのようにでも書かれることができるような気がするのに、他者によって書かれたものは、ある意味でこう書かれるより他なかったようなものとしてそこにあるような気がするからだ。
    本書では、小説に翻訳という異なる軸を加えることである種のケミストリーが生まれているように思う。実は高橋さんもジェイ・マキナニーの『ブライト・ライツ・ビッグシティ』を訳していて、とても素晴らしい小説だったという記憶がある(中身の記憶はないが)。高橋さんがなぜあの小説を殊更に訳したのかは聞いてみたい気がする。

    本書の中では、テーマが翻訳について語るということなので、海外の小説、特にアメリカの小説について取り上げることが多い。そのため、米文学からの影響を受けた上で、それを逆輸出している作家として、村上春樹の名前が挙げられることも多い。また同時に、村上春樹を日本文学において高い重要性を持つ作家という前提で話をしていることにも興味深い。特に高橋さんは、村上さんの小説を日本語に違和感を持ち込み、日本語を拡げるものであったと評価する。その作品が、それまでの日本文学ではないことが『風の歌を聴け』の1ページ目からわかったという。だったら、もっと高橋さんの文学批評に村上さんを評してもらいたいところなのだけれども、なぜか避けているかのよう。村上春樹とも関係が深い柴田さんは、村上春樹のことをカート・ヴォネガットに似ていて、高橋源一郎はドナルド・バーセルミに似ているとする。どちらの作家の作品も読んだことがないのだけれど、どちらにもとても先入観を持ってしまったので、ちゃんと読めるのか心配だ。

    海外小説60冊、国内小説60冊が紹介されているのだが、自分がその中で読んだことがある小説は海外小説4冊、日本小説6冊という低率(1割以下)だった。しかも、村上春樹関係3冊、高橋源一郎2冊とずいぶんと偏っている。やはり自分は小説読みではないのだと思う。

    <海外小説>
    『心臓を貫かれて』(マイケル・ギルモア 村上春樹訳)
    『本当の戦争の話をしよう』(ティム・オブライエン 村上春樹訳)
    『ソドムの百二十日』(マルキ・ド・サド 佐藤晴夫約)
    『不滅』(ミラン・クンデラ 菅野昭正約)
    <日本小説>
    『君が代は千代に八千代に』(高橋源一郎)
    『海辺のカフカ』(村上春樹)
    『日本文学盛衰史』(高橋源一郎)
    『虚人たち』(筒井康隆)
    『枯木灘』(中上健次)
    『香子・妻隠』(古井由吉)

    ところで、日本文学を語るところでは、中上健次の存在について語るところが印象深い。彼らの言葉からも中上が異質であり、その存在が日本の小説へ大きな影響をもっていたのだなということがはっきりとわかった。もう少し長生きをすべき人であったのだと思う。

    高橋さんが「ニッポンの小説」を論ずるにあたり、かって評価した小島信夫の『残光』や猫田道子の『うわさのベーコン』、綿矢りさの『インストール』の中の小品『you can keep it』をここでも取り上げて、日本語を壊すものとして持ってきている。『さよなら、ニッポン』や『ぼくらの文章教室』で解説をしてみせているが、これを海外に紹介していいのか(できるのか)というもの。同じ面子が、ブコウスキーの『パルプ』をべた褒めするので、怖いものみたさで読みたい気もするが、やっぱり遠慮したい気もする。なにせ小説のOSを初期化するというものであるからだ。そういった議論の上で、小説を信頼し、その生き延びるためのいいかげんさを評価し、「小説より面白いものは、この世に存在しない」と語る高橋さんが素晴らしい。

    翻訳の問題を語ると、日本小説の問題も含めていずれも明治期の近代日本文学の誕生に突き当たる。高橋さん自身がそのことにもっとも意識的であろうとしているからこの対談でもそこに議論は行き着く。森鴎外、夏目漱石、二葉亭四迷が似ているというのはいずれも外国語とぶつかった経験からきているという指摘は面白い。「恋愛」や「青春」も「アメリカ」からの輸入品であったというが、その賞味期限ももはや切れた。そういった意味で、「歴史の本を読めば歴史がわかるし、法律の本を読めば法律がわかるんだけど、文学を読むとなぜか文学がわかるのではなくて人生がわかると考えられていた時期があった」という。それはある意味「不純」な読み方であり、今は正しい読み方と正しい読者だけが残っているのでは。「小説家は先生ではなくなった」が、「それはたぶんいいこと」だと。

    本書の中ではこの対談の前に試行錯誤をしていた『ゴーストバスターズ』や『日本文学盛衰史』について率直に言及をしていて、特に高橋さん自身が『ゴーストバスターズ』について「失敗した」と明言している。そして柴田さんもそのことを否定することをせずに対話を続ける。また、『日本文学盛衰史』は、最後のシーンを決めて書き始めたのだけれど、漱石の「修善寺の大患」を書く予定の回のときに偶然にも同じく胃潰瘍で倒れたことが原因でその予定が違ったものになったというのは初めて知った。「原宿の大患」と「息子の大患」は高橋さんにとても大きな影響を与える出来事だったが、小説にも直接的かつ具体的に影響を与えていたのかと。時系列としてはこの対談後に書かれた『銀河鉄道の彼方に』についてはどのように評価をしているのだろう。『銀河鉄道の夜』を試行錯誤の上の到達点であると自分は認識をしていて、これこそ海外に翻訳されるべきなのではないかと思っているのだ。そのためには宮沢賢治から翻訳していかなければならないのだが。

    どこか高橋さんに柴田さんが合わせたという感もあるが、日本文学を語るに翻訳の問題を絡めることで、日本文学のポジションについてもわかりやすさも出た良書。


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    後日、驚いたのだが、ここまで書評を書いても、この本をかつて10年ほど前に読んだ本だということに気がつかなかった。しかも書評まで書いている。びっくりして、自分の記憶力の欠落に少々呆然となった。

    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/430901917X

    でも10年間レビューを書き続けることで、自分の頭の中のOSがアップデートされたということなのかもしれない。ということにしよう。

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    『ニッポンの小説―百年の孤独』のレビュー
    http://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/416368610X
    『さよなら、ニッポン』のレビュー
    http://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4163736905
    『ぼくらの文章教室』のレビュー
    http://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4022510773
    『銀河鉄道の彼方に』のレビュー
    http://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4087714365

  • 小説に関する対談集。小説家と翻訳家の対談が読める、貴重な一冊。二人の読書量に驚いた。

  • 面白い!!

    小説・評論を書くコードは同じだとか、
    小説は書けても詩は書けないとか、
    文章そのものに興味がある人は楽しめると思います。

    小説にも3種類あって、
    1.コードをコードのまま書く(起承転結・物語)
    2.コードを用いつつも、それとは異なる次元のテーマ描く
    3.コードを破棄する、またはコードはコードだとネタ晴らししちゃう。
      さらにいえば、コードの仕組みを解説したり、脱構築したり、実験しちゃったりする。

    というもの。

    こうわかりやすく書いて頂けると一目瞭然。
    私は、あきらかに2・3が好きで1にはあまり乗れません。
    あまり実験的過ぎてもダメなのですが・・・。
    好みの幅が狭いんですね。。。

    まだ読み途中ですが凄く面白かったので、
    柴田元幸さん訳の「パルプ」を早速アマゾンマーケットプレイスで購入しました笑

  • 作家・高橋源一郎と、翻訳家・柴田元幸の対話集。タイトル通り、読み方、書き方、訳し方の章に分かれていて、「小説の書き方」は、柴田元幸のほうから作家の高橋源一郎にインタビューする形、「小説の訳し方」は逆に高橋源一郎が翻訳家・柴田元幸にインタビュー、「小説の読み方」は海外文学編と日本文学編に分かれていて、それぞれお気に入りの30冊を選んで、それについて対談という感じ。けしてこれを読めば小説が書けるようになるとか翻訳ができるようになるとか、そういった類いの入門書ではありません(笑)。

    とにかく全部の対話の内容が濃い!痒いところに手が届いたり、目からウロコが落ちたり、全てのページにラインを引きたいくらい面白かったです。もうずっと「へええ!」とか「ほほう!」とか感心してました(笑)。

    個人的には、高橋源一郎の文学観もすごく面白いんだけど、柴田元幸の翻訳者としての視点が、自分にはないものなので新鮮。本を読むときに「これを英語に訳したらどうなるか」とか普通は考えながら読まないですもんね。確かに町田康のあの独特の文体なんかを別の言語に訳すとしたら一体どうやって伝えればいいのか、皆目見当もつきません(苦笑)。たとえばあの関西弁を標準語に変換するだけでも面白さ半減なわけだし。それをつきつめると結局「文学は思想ではなく文体」ってことになっちゃう、みたいな話をしていて、ああなるほど、と思いました。物語(すじがき)や思想は翻訳でも損なわれないだろうけど、文体となるとねえ、うん、難しい。そういう意味ではエンタメ作品のほうが言語に制約を受けないのかもと思ったりもして。

    後半の「読み方」は、日本文学史全体の流れをつかみつつ、じゃあ次はこの作家のこの作品を読んでみようというブックガイド的にも使えるし、お二方の村上春樹評や、大江健三郎、中上健次、金井美惠子なんかの捉え方が独自で面白く、今後ちょっと視点を変えて読んでみようかなという気持ちにもさせられました。海外文学のほうは、どうしても米文学に若干偏ってしまうので、あんまりマニアックだとわからなかったりしたんですが、あの作家ってそういう位置づけなんだ~とか、知らないことを知る楽しさがあったかな。

  • もっといろんな本を読みたいと思った。
    文がコードで書かれている、という考えはたくさんの本を読んだ人だからこそ出てくる発想だな。

    読み、書き、翻訳が、固体、気体、液体であるという考え方も面白かった。

    これだけいろいろなことがわかって本を読んでいくのは、余計なことを考えちゃうっていうのもあるけど、分類分けとか楽しそうだなって思った。
    海外のこの作家と日本のこの作家は似てる、とか。

    読んだことない作品がたくさん出てくるけど、二人の会話をもっと聞いてたい。
    出てきた作品を読んでみたい。

  • 小説の読み方、書き方、訳し方、その面白さ、そしてそこからの自由さ。

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著者プロフィール

1954年生まれ。東京大学名誉教授、翻訳家。ポール・オースター、スティーヴン・ミルハウザー、レベッカ・ブラウン、スチュアート・ダイベックなどアメリカ現代作家を中心に翻訳多数。著書に『アメリカン・ナルシス』、訳書にジョナサン・スウィフト『ガリバー旅行記』、マーク・トウェイン『ハックルベリー・フィンの冒けん』、エリック・マコーマック『雲』など。講談社エッセイ賞、サントリー学芸賞、日本翻訳文化賞、早稲田大学坪内逍遙大賞を受賞。文芸誌『MONKEY』日本語版責任編集、英語版編集。

「2023年 『ブルーノの問題』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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