坂口恭平を読んで、建築家の本をも少し読みたいなと、つらつら本屋で眺めて手にしたのが本書。
坂口の本『TOKYO一坪遺産』の中の、この発想がよいなと思ってメモってある部分がある。
「人間はただ広い空間に住めばいいのではなく、人体の延長線上にあるものと捉え、自らの手で作り、さらに改築、修繕を繰り返していけば、その人それぞれに合った、その人独自の家ができあがる」
本書の中でも著者は、
「まず第一に家には必ず改造の必要が生じる — ということで、これは僕自身の体験から何度となく自分の設計した住宅を改造する機会があり、それを通じて人間は変化し、変化しながら自分の変化に合わせて周囲の環境を変えていく本能と権利があることをさとらされた(動物は全部本能的に自分たちの巣やその周辺をそうしている)。」
1980年代の本だ。おそらくいろんな媒体に書いた文章を集めてのことだろう。となると、70年代ころの思想、社会情勢に影響を受けた内容だということは差っ引いて読んだほうが良さそうだ。
時代は高度経済成長をまっしぐら、後のバブル景気を迎えるまでの果てしない上昇機運の途上か。人々の暮らしは豊かになる一方で、狭い国土の日本おいて、国家としての住宅供給政策の脆弱さ、持ち家政策しかない視野の狭さ、そもそも街づくりに対するビジョンの欠如を多いに嘆きつつ、住宅設計のプロとして、理想の住まいについての思いを綴る、タイトルの、のんびりした印象とは異なる、なかなか骨太なエッセイだ。
半世紀近く前の時代背景もあってか、女性や家庭の主婦に対してはなかなか辛辣で、「日本の家が、”女の家”になってしまったということに関しては何度も書いた」と、今、公然とこの主張を振りまわせば、まったく客の寄り付かない建設事務所になっていたのではないか?(笑)
それでも、著者の本当に住みやすい家を求めて、時には施主とも対立しながら、それぞれの家庭環境に応じた、あるべき住まいのかたちの提案は示唆に富んでいる。
なぜリビングルームなのか?その機能は?その機能はお宅に必要? と、とことん施主と議論を重ねていく。 家とは、棲まいとは、巣とは・・・。一度、発想をゼロにして考える必要性に気付かされる。
坂口恭平も宮脇檀の影響を受けているのかな?「家とはこうあるべきという思い込みから離れてゼロから考えて作る」と言っていた。
いずれにせよ、パラパラと立ち読んで、これが良いなと思った本の中に共感できる記述があるのは嬉しいし、褒めたくなるよね、自分の選球眼の良さ?(いや、単なる偶然でしょ・笑)