思索の淵にて (河出文庫 い 36-1)

  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (188ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309414386

感想・レビュー・書評

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  • 買ってから、自分は茨木のり子の詩が読みたいのであって、エッセイの方は特に必要ないと気づいてしまった。

  • 20160327-10

  • 茨木のり子は大好きな詩人だ。するどい尖った言葉で、人生を、社会を切り裂き、内部をこれでもかと見せつける。
    そういう意味では、どんな人にも試走することを強制する詩人なのだが、それを受けて立ったのがヘーゲルなどの研究で有名な長谷川宏。かなり期待したが、ある意味、想像通り。あとがきで長谷川が書いているように、2人の考えが近いせいか、異質なモノが出会って火花を散らす感じが乏しい。むしろ十代の感覚で、茨木のり子に挑む人がいたほうが面白いかも。

  • 2016/3/8

  • 茨木のり子の詩と、長谷川宏のエッセイ。
    茨木のり子を扱うことになって、たまたま、新刊で出ていたので手に取った。

    正直、「わたしが一番きれいだったとき」しか知らず、でも他の人がこの詩を読んだらどのように感じるだろう?ということに興味があった。

    「思索」という名が冠されているけれど、長谷川氏と子供たちの記憶が書かれていることが多いように思う。もう少し、哲学に踏み込んでいても、面白かったかなあ。

    「思索という言葉からは、なにやら深遠なものを想像しがちだが、たとえば女のひとが、食卓に頬杖をついて、ぼんやり考えごとをしているなかにも、思索は含まれると思うほうである。」

    茨木のり子の詩を読む機会はこれが初めてなのだけれど、選ばれた詩には、どれもピンと張ったような強さがあるなあと思った。
    それは、敗戦後の女性が見つめてきた強さなのか、分からない。

    「幾千年」という少女のミイラのつぶやきが、すきだ。

    「ああ まだ こんななの
    たくさんの風
    たくさんの星座をめぐり
    たくさんの哀しみが流れていったのに」

    幾千年を超えて、もう一度蘇った少女は、この世を一瞥し、呟いたのだろう。

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著者プロフィール

1926年、大阪生まれ。詩人、エッセイスト。1950年代より詩作を始め、53年に川崎洋とともに同人雑誌「櫂」を創刊。日本を代表する現代詩人として活躍。76年から韓国語を学び始め、韓国現代詩の紹介に尽力した。90年に本書『韓国現代詩選』を発表し、読売文学賞を受賞。2006年死去。著書として『対話』『見えない配達夫』『鎮魂歌』『倚りかからず』『歳月』などの詩集、『詩のこころを読む』『ハングルへの旅』などのエッセイ集がある。

「2022年 『韓国現代詩選〈新版〉』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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