- Amazon.co.jp ・本 (188ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309414386
感想・レビュー・書評
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買ってから、自分は茨木のり子の詩が読みたいのであって、エッセイの方は特に必要ないと気づいてしまった。
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20160327-10
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茨木のり子は大好きな詩人だ。するどい尖った言葉で、人生を、社会を切り裂き、内部をこれでもかと見せつける。
そういう意味では、どんな人にも試走することを強制する詩人なのだが、それを受けて立ったのがヘーゲルなどの研究で有名な長谷川宏。かなり期待したが、ある意味、想像通り。あとがきで長谷川が書いているように、2人の考えが近いせいか、異質なモノが出会って火花を散らす感じが乏しい。むしろ十代の感覚で、茨木のり子に挑む人がいたほうが面白いかも。 -
2016/3/8
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茨木のり子の詩と、長谷川宏のエッセイ。
茨木のり子を扱うことになって、たまたま、新刊で出ていたので手に取った。
正直、「わたしが一番きれいだったとき」しか知らず、でも他の人がこの詩を読んだらどのように感じるだろう?ということに興味があった。
「思索」という名が冠されているけれど、長谷川氏と子供たちの記憶が書かれていることが多いように思う。もう少し、哲学に踏み込んでいても、面白かったかなあ。
「思索という言葉からは、なにやら深遠なものを想像しがちだが、たとえば女のひとが、食卓に頬杖をついて、ぼんやり考えごとをしているなかにも、思索は含まれると思うほうである。」
茨木のり子の詩を読む機会はこれが初めてなのだけれど、選ばれた詩には、どれもピンと張ったような強さがあるなあと思った。
それは、敗戦後の女性が見つめてきた強さなのか、分からない。
「幾千年」という少女のミイラのつぶやきが、すきだ。
「ああ まだ こんななの
たくさんの風
たくさんの星座をめぐり
たくさんの哀しみが流れていったのに」
幾千年を超えて、もう一度蘇った少女は、この世を一瞥し、呟いたのだろう。