謎解きゴッホ: 見方の極意 魂のタッチ (河出文庫 に 10-3)

著者 :
  • 河出書房新社
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感想 : 6
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  • Amazon.co.jp ・本 (213ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309414751

作品紹介・あらすじ

二千点以上描いて、生前に売れた絵はたった一点だけ…。多摩美術大学教授の著者が、画期的な鑑賞術で現代絵画の創始者・ゴッホの作品を読み解きます!

感想・レビュー・書評

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  • 東京都美術館で開催中の「ゴッホとゴーギャン展」の売店で購入。

    炎の画家、不遇の天才、ゴッホの様々な謎に多角的に迫った力作。

    「ゴッホは、なぜ売れなかったのか」
    「ゴッホは、なぜひまわりを描いたのか」
    「ゴッホは、なぜアルルを日本と思ったのか」
    「黄色い狂気」
    「ゴッホは、なぜ耳を切ったのか」
    「ゴッホは、なぜ愛されるのか」

    存命中、全く売れなかったゴッホ。心を病み、コミュニケーションに苦しみ、全く理解されないなかで、独自の手法で描き続けた天才。

    炎のような情熱に焼け焦がれそう。

    失意のまま自らの生命を絶ったゴッホ。
    彼を精神的にも経済的にも支え続けた弟・テオ。
    兄を追うようにこの世を去ったテオの遺志を継いで、ゴッホの遺作を守ったテオの妻・ヨハンナ。
    そして息子のフィンセントの戦いが、ゴッホの作品を世界に知らしめることになる。

    なんと壮絶な大河ドラマか。
    時代を越えた執念の塊のような信念。

    全くの素人だった私を、ゴッホの世界に引き込んでくれた快作。

  • 黄視症説始めて知ったーー!
    分かりやすくて読みやすい

  • 画家として活動したのはわずか10年。その間に2,000点以上もの作品を生み出し、その中で生前に売れたのはたったの一点。

    親身な弟テオのサポートを受けながら、明るい色彩や豪快なタッチで描かれる作品は、当時は狂気の産物としてしか受け止められなかった。ゴーギャンとの別れ、耳切り事件、そして自死。

    炎の画家と呼ばれたゴッホの生涯、その画風の真実に迫る。画家の人生、思い、時代背景を解読する鑑賞ガイドである。

    ・画商となったものの失恋、そして失業。失意の中で牧師をめざす。炭鉱地帯の貧しい人々と同化するように絵を描き始める。牧師の道は閉ざされる。

    ・画商となった弟テオの兄への愛・献身。
    ・浮世絵に印象派は影響を受け、その印象派の画家たちをゴッホに紹介したテオ。《タンギー爺さんの肖像》の背景には浮世絵。自然を主役とする日本文化、自然を信仰する日本人観がゴッホには大きな影響を与えた。フランスにおける日本は、陽光輝く南仏アルルにあると、アルルでの共同体生活をめざす。浮世絵の分業体制をゴッホが誤解した可能性もある。
    ・ゴッホのタッチは早描きに特有のもの。早描きは油絵に不向き、生乾きの絵の具が混じって色が濁る。ゴッホは絵の具を直接画面に絞り出す手法を確立した。
    ・早描きが渦巻くような筆致に変容していったのはアルルでのこと。配色はドラクロワの補色理論を忠実に守っている。
    ・さらに厚塗りのモンティセリに影響を受け、黄色に燃え立つ《ひまわり》を描いた。目を眩ませるような黄色には、黄視症(視野が黄色くなる色覚)が生み出したと言う説がある。アプサントの過剰摂取による副作用の可能性がある。
    ・《ひまわり》は黄色、そして緑色のみで描かれている。そのことにほとんど気づかせない、考えられないほどに豊かな色彩。それは多用していた白の絵の具の効果である。白の上塗りにより、画面を浮世絵調ないしは日本画風に変えられる。つや消しの質感を画面に与えられる。(黄色の上塗りは油絵の具やニスの光沢を思わせる色で統一して、古い油絵のような深みを与え、灰色の上塗りは白黒写真のような落ち着きを与える。)

    ・ゴッホはゴーギャンとの画家共同体をめざすが、ゴーギャンの関心はテオからの援助。わずか2ヶ月で破局を迎える。風景やモデルなしに描けないゴッホと、画室で構成を吟味して描くゴーギャン。激情型のゴッホと理性派のゴーギャン。プロテスタントの牧師の家に育ったゴッホと、カトリックのゴーギャン。あまりに対照的な二人であった。

    ・耳切り事件の後、自ら精神病院に入って描いた代表作が《星月夜と糸杉のある道》。ゴッホならではの細かく寸断されるタッチが渦巻いている。早描きを維持しつつも、絵の具が濁らないために、筆致の寸断が必要だった。
    ・オーヴェールに暮らし始めて、ごく普通の教会を描いた《オーヴェールの教会》。その渦巻くタッチに画家の揺れ動く心理が視覚化されている。
    ・テオ夫妻に子供が生まれ、自分以上に保護を必要とする家族が誕生したことにゴッホは不安を抱いていたに違いない。さらにゴッホの前で、テオ夫妻は珍しく、テオの独立・収入をめぐって口論をしてしまう。それは経済的に無能なゴッホには、弟夫婦にとって重荷である自分を痛感させる議論であったに違いない。麦畑の絵を仕上げた後に、ピストルの銃弾をみずからに撃ち込んでしまう。

    ・兄を失ったテオは取り憑かれたようにゴッホの作品を世に出すことに没頭するが、理解されなかった。そして正気を失い、精神病院で亡くなる。

    ・テオ亡き後、残された妻ヨハンナによる兄弟の膨大な書簡が整理された。ヨハンナは生活の困窮と戦いながら、ゴッホを認知させる展覧会を開催、20数年の編纂を経て書簡集を出版したことが、今日のゴッホの評価の礎を築いている。
    ・テオとヨハンナの息子フィンセントによってゴッホ美術館が設立された。ヨハンナが各国の美術館にゴッホの絵を所蔵させようとしたのに対し、フィンセントは作品の売却を行わず、所蔵する全作品を国家に譲渡した。それによってゴッホ美術館は開設された。
    ・生前のテオの援助、死後のヨハンナの執念、フィンセントの信念によって、今日のゴッホをめぐる環境は生み出されている。

  • 世界の名画がどうやって引き継がれているのか、気になって仕方ない

  • 2016.9.30「本嫁の会」で紹介。

  • わずか10年の画家人生で2000点以上の絵を描いたゴッホ。その生涯と描かれた絵の秘密と謎を解き明かす。背景を知ることで新たな魅力を見出すことができる。

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著者プロフィール

多摩美術大学名誉教授・版画家

1952年生まれ。柳宗悦門下の版画家森義利に入門、徒弟制にて民芸手法の型絵染を修得、現代版画手法としての合羽刷として確立。日本版画協会展、国展で受賞(1977・78)、リュブリアナ国際版画ビエンナーレ五十周年展(2006)に招待出品。作品が雑誌「遊」(工作舎)に起用されたことを機に編集・デザインに活動の幅を拡げ、ジャパネスクというコンセプトを提唱。1992年国連地球サミット関連出版にロバート・ラウシェンバーグらと参画、2005年愛知万博企画委員。著書『絵画の読み方』(JICC)、『二時間のモナ・リザ』(河出書房新社)等で、今日の名画解読型の美術コンテンツの先鞭をつけ、「日曜美術館」等、美術番組の監修を多く手がける。著書多数、全集「名画への旅」、「アート・ジャパネスク」(共に講談社)を企画、共著にシリーズ「公共哲学」(東京大学出版会)がある。

「2024年 『柳宗悦の視線革命』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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