須賀敦子全集 第1巻 (河出文庫 す 4-2)

著者 :
  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (464ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309420516

作品紹介・あらすじ

『ミラノ 霧の風景』-須賀文学の魅力が凝縮した、不滅のデビュー作。講談社エッセイ賞、女流文学賞受賞。『コルシア書店の仲間たち』-60年代ミラノの小さな共同体に集う人々の、希望と熱情の物語。『旅のあいまに』-単行本未収録の連作エッセイ12篇。深いまなざしで綴られるさまざまな出会い。

感想・レビュー・書評

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  • 再読。
    須賀敦子といえばイタリア。そのイタリアに絡む作者自身の経験などを語っているエッセイなんだけれど、当時としては珍しい海外経験をひけらかすわけでも、夫を早くに亡くした苦労を押しつけがましく語っているわけでもなく、ぽっと温かな火が灯るように心に思い出された出来事を、優しく見つめ返しながら綴っているようなエッセイだった。須賀敦子の「経験」といったらそれまでだけど、そこにとどまらない何かがあるエッセイだと思う。何がこんなに多くの人を須賀敦子の文章に惹きつけるのか。それを考えながら読んでみたいと思って再び手に取ったけれど、すぐに意識は須賀敦子のイタリアへ飛んで行ってしまって、結局わかったことは、やはり須賀敦子の文章が好きだということ。まぁそれでいいか、研究者でも評論家でもないし。

    ここに収められているのは以下。
    ・ミラノ 霧の風景
    ・コルシア書店の仲間たち
    ・旅のあいまに

    ガッティ、カミッロ、ルチア、ミケーレ、ニコレッタなどなど、たくさんの友人知人との交流が語られており、須賀敦子が、当時としてはおそらく珍しいであろう日本人としてだけではなく、ひとりの人間として、多くの人に信頼されていたことがわかるようだった。そして色んな境遇の知人友人を受け入れる須賀とペッピーノの懐の深さ・・・。この、人と人の繋がりは、時代によるものなのか、夫妻の人柄によるのか、どっちもが作用しているように感じた。それにしても、知人友人を語る須賀の言葉の中に、それぞれの背景がしっかりと書かれていることに驚く。好奇心か、探求心か、はたまた本当にその個人が好きで知りえた事なのか、歴史的、地理的な事実を織り込んで語られる須賀の友人たちはいつしかしっかりとした「ひとりの人」となって胸に迫ってくる。

    誰がどう見てもあの時代にヨーロッパへ行けるなんて、生まれからして境遇に恵まれていることは間違いないのだけれど、それを自らのチャンスにしていった須賀敦子の強さに驚嘆する。淡々と書かれているから見落としがちだけれど、フランスに馴染めなくてイタリアに次の道を見出す強さ、イタリアの知識人相手に自分の意見を言ったり、認めてもらえたり、仕事をもらえたりする強さ・・・今の時代でもままならないであろうことをやってのけた須賀敦子の、そうか、その強さに惹かれるのかもしれない。

    彼女が飛びぬけて優秀だったことも間違いないと思うけれど、自分が選んだ自分の好きな道に邁進し、それだけでなくちゃんと稼ぐ力も身につけ、男性に頼るわけでもなく女性としてしっかりとひとりで立っていた、そのことに強い憧れと一種の気後れを感じる読書だった。

    それにしても、今まで、ぼんやりとしたイメージでしかなかった「コルシア・デイ・セルヴィ書店」がどういうものだったのか、再読してやっと少し、分かった気がした。

    • TEIKOさん
      文庫で読めるならよんでみたいなあ。
      文庫で読めるならよんでみたいなあ。
      2023/12/15
    • URIKOさん
      >TEIKOさん

      文庫本で読めますのでぜひぜひ!
      >TEIKOさん

      文庫本で読めますのでぜひぜひ!
      2023/12/18
    • TEIKOさん
      わぁい! 図書館でさがしてみますね!
      わぁい! 図書館でさがしてみますね!
      2023/12/20
  • 「ヴェネツィアの宿」がとても面白く、須賀敦子の他の作品も読もうと調べたら、8巻+別巻、計9冊からなる文庫版の全集があることを知り、まずは1巻目を買い求めた。
    本巻に収められているのは、「ミラノ 霧の風景」「コルシア書店の仲間たち」「旅のあいまに」の3編。いずれもエッセイ集。合計で約35編のエッセイが収められている。解説を含めても450ページくらいの本なので、一つ一つのエッセイは、長いものではない。
    小説ではないので、筋書きがあるわけではなく、また、どれもが驚くようなことが起きるという類の話でもない。当たり前だけれども、急いで読む必要もないというか、じっくりと味わいながら読むべきエッセイだと思うので、ゆっくりと、せいぜい1日数編というスピードで読み進めている途中。

    最初の「ミラノ 霧の風景」は、須賀敦子のデビュー作。
    1985年から1989年にかけて、日本オリベッティ社の広報誌に連載されたものが初出。加筆修正・書き下ろし追加などにより、単行本として発行されたのは1990年のこと。須賀敦子は、1929年の生まれなので、連載を始めたのは55歳を過ぎており、また、単行本発刊時には60歳を超えていたわけである。もちろん才能なのであるが、そういう歳になっても、何かを始められる、また、立派な仕事をすることができるということは、当時の須賀さんと同世代の人間としては、勇気づけられる。
    須賀さんは、イタリアに居住していたが、イタリア人の夫を亡くしたあと、1970年頃に日本に帰国している。「ミラノ 霧の風景」は、須賀さんがイタリアに住われていた頃の話をエッセイにされている。あとがきに、ご本人が書いておられるが、須賀さんがイタリアにおられたのは、二十代の終わりから四十代の初めまでの13年間。その13年間のことを、街を題材にとり、人を題材にとり、本を題材にとりエッセイに仕上げておられる。日本に帰国してからので、20年経過した後に書き始められており、これもまた、一つの才能なのかな、とも、また、このような味わいのあるエッセイになるためには、20年間寝かせておく必要があったのかとも思う。


    「コルシア書店の仲間たち」は、1992年の作品。書き下ろしである。この作品の書き出しは1960年なので、作品が出版される30年以上前のこと。
    物語は、「ミラノ」と題された、とても印象的な詩ではじまっている。
    /////引用/////
    石と霧のあいだで、ぼくは
    休日を愉しむ。大聖堂の
    広場に憩う。星の
    かわりに
    夜ごと、ことばに灯がともる

    人生ほど、
    生きる疲れを癒やしてくれるものは、ない。
    /////////////////
    詩須賀敦子の訳で、ウンベルト・サバという人の詩である。
    詩の最後の部分を言い換えると、「人生ほど、人生の疲れを癒やしてくれるものはない」という意味になる。もちろん、それだけでは、意味が通じない。
    休日に教会前広場で憩いの時を持ち、夜は仲間たちとの会話を愉しむ、そのようなことによって、人生は生きるに値するものとなっていく、という意味なのだろう。
    当時のイタリア、あるいは、ヨーロッパの思想的な状況が分からないし、須賀さんも特に説明をされていないので正確には分からないのであるが、コルシア書店は、教会改革運動に、シンパシーを感じる人たちの集まる場所であったのだと思う。ただ、実際の社会運動の主体というわけではなく、どちらかと言えば、サロン的な集まりであったのだという印象を持つ。それは、集う仲間・パトロンの中に、富豪や名家に連なる人たちがいることからも類推できる。
    コルシア書店に集う仲間は、多様であり、その多様性の記述だけでも読むに値する。そういった仲間との交流が、人生を生きるに値するものとしてくれるということを、最初の詩で示したかったのだろう。

    最後の「旅のあいまに」は、雑誌「ミセス」に1996年に連載されていたもの。他の2つの作品に比べても、1編1編が短いエッセイである。

    そして、本書の解説を池澤夏樹が書いている。
    須賀敦子が、日本に帰国後、20年経過した後で、「ミラノ 霧の風景」を書いたことについて、下記のように解説している。
    /////引用/////
    イタリアで生きた日々から作品が書かれるまでに経過した歳月の効果も大事だ。夫と死別し、なお四年間ミラノに留まって、結局は日本に帰ってくる。イタリアを思い、しばしば行き来しながら、それでも日本に定住して中年から老年への歩みをたどった。その間に思い出は鋭い角が取れて円熟し、味と香りは深みを増し、歳月をおいた分だけ全体の構図が整って、やがて最高の素材となった。
    ////////////////
    確かに、ここで語られている話は、作品になる前に、須賀敦子が何度も振り返り、考えたことなのだろう。振り返った分だけ、味わいが深まった、ということは、あり得る話だな、と感じた。

  • ただただ、須賀敦子という人に、圧倒される。
    すごい好奇心、行動力、人間観察力と文章力。
    1日でいいから、彼女になりかわって世の中を眺めたら、どんなふうに見えるだろう、と思わず考えてしまう。

    個人的に好きだったのは、若年から老年、またはその移り変わりを切り取った、さまざまな女性たちのエピソード。
    特に80歳近くになろうというときに、日本に須賀敦子に会いに訪れた古いイタリアの友人、マリア・ボットーニが、道中の京都旅については何も印象を語らず、日本という「みせもの」ではなく「ふだん着の私という人間に会いに来てくれた」とつづられる話(「マリア・ボットーニの長い旅」『ミラノ 霧の風景』所収)。
    時間を経ても、文中の人物が魅力的なのは、それだけ人の本質を捉えた描写がされているから、なんだろうなあ。

    「人生は、どうしても妥協するわけにいかない本質的に大切なものがすこしと、いいよ、いいよ、そんなことはどっちでも、で済むようなことがどっさり、とでなりたっていて、それを理性でひとつひとつ見きわめながら、 どちらかをえらんでいくものだ」
    (「Z—。」『旅のあいまに』所収)
    という一文が胸にささりました。

  • 短いエッセイを集めたものなので、眠る前に少しずつ読んでいった。
    基本は1話だけ。でももう1つ読みたい、この話は短いし、などと言い訳してつい夜更かししたことも。箱詰めのチョコレートを1粒ずつ大事に食べるのとよく似ていた。もう1つだけ、ほかより小さいのだから、と摘んでしまう。
    読み終わるたび、残りが1つ減ってしまったと寂しくなるところも、チョコレートの箱のようだった。どこまでも落ちついて静謐な文章はカカオの多い上質なビターチョコレートのようで、眠る前にちょうどよかった。

    読んでいて愉しいのだけど、独特の読後感も癖になっている。いつもエッセイの最後は蝋燭の火が消えるみたいにふつっと終わり、静かな余韻がゆっくりいつまでも残っていて、それを感じているのがとても良い。こういう読書体験のできる本にはなかなか出会えないと思う。

  • 美しい文章とはこういう文章のことを言うのだという事を、認識させられる美文である。翻訳という仕事の中で、日本語を練る作業が美しい文章として結実しているという感じがする。
    勿論、作者の人柄、美意識など人間性に裏打ちされていることは言うまでも無い。没後、ますます評価が高くなっていることも充分肯ける。何度も読み返したい本だ。

  • 遠い国の、遠い時代の、知らない人たちの出来事に、
    こんなにも引き込まれるとは、涙するとは思わなかった。情景描写が優れていることもあるが、彼女の文章には常に「死」が影の部分としてある。
    親しかった友人の死、恩師の死、そして夫の死。
    須賀敦子自身ももうずっと前に亡くなっているが、
    数々の別れを経験した後に書かれたものだから、
    そこには通奏低音のように、逃れられない悲しみが横たわっている。

    ゆっくりゆっくりと全巻読んでいきたい。

  •  20代後半から40代、イタリアで過ごした日々のエッセイ。言葉にあたかみ、芳醇な表現で脱帽であり、読んでて安心で楽しい。過ぎた日、もう死んでしまった人たちへのオマージュ。この表現力、語彙は翻訳からの鍛錬か。
     昭和5年生まれの、聖心女子大を出たバイタリティーある文学者、すごいの一言。

  • 1章ずつじっくり読んだ。どの話も終わり方が印象的で、まるで風船の紐が手からスルリと離れていったような感覚をおぼえた。

  • 須賀敦子さんのことは、何の本だったか、以前BSで放送されていた「週刊ブックレビュー」で各レビュアーがことばの美しさを絶賛しているのを見て以来、ずっと心の片隅に存在していたが、今回ようやく読む機会が訪れた。

    もっと早く読めばよかったなという後悔もあるが、まだあと7巻も味わうことができるという喜びが勝っている。というのが読み終えた今の気持ち。

    何というか、感性が直接筆を動かしているような文章で、いい意味で力が抜けているというか、少しも気取ったところがなく、自分にも書けるのではないかという大いなる勘違いを抱かせてくれる。

    登場するのはみな個性豊かで'濃い'人たちであるが、誰もが戦争の傷を持っていて、色々と考えさせられる。
    また、死や音信不通による別れの場面を読むにつけ、人との出会いをもう少し大切にしないといけないなと心から思った。

    「週刊ブックレビュー」に感謝。中江さん、復活させてくれないかな~。

  • 同級生は緒方貞子。寄宿舎生活で英語だけが使用を許される厳格な環境で、『自分のなかに東洋と西洋が半分ずつ』生まれてきたという。「須賀さんは西洋の言葉の壁とぶつかり、石を積むようなく問うを体験してから日本に戻ってきた。単純に文章が美しいのではない。ゆがみやきしみを含んでいる」と孤独感や寂寥(せきりょう)感漂う静謐(せいひつ)な文章は高く評価されている。

    『夕方、窓から眺めていると、ふいに霧が立ち込めてくることがあった。あっという間に、窓から五メートルと離れていないプラタナズの並木の、まず最初に梢が見えなくなり、ついには太い幹までが、濃い霧の中に消えてしまう』

    「須賀さんは見たものから何かの本質を直感的につかみとった。随筆家というより詩人でした」知的でゴシック建築のように深い精神世界。彼女のデビューは61歳と遅かったそうだが、深い教養と芳醇(ほうじゅん)で透明感をたたえた文章で文壇に旋風を巻き起こしたという。いつか、こんな文章をかけるようになりたい。

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著者プロフィール

1929年兵庫県生まれ。著書に『ミラノ 霧の風景』『コルシア書店の仲間たち』『ヴェネツィアの宿』『トリエステの坂道』『ユルスナールの靴』『須賀敦子全集(全8巻・別巻1)』など。1998年没。

「2010年 『須賀敦子全集【文庫版 全8巻】セット』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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