海を失った男 (河出文庫 ス 2-1)

制作 : 若島正 
  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (467ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309463025

作品紹介・あらすじ

魔術的な語りで読者を魅了する伝説の作家、シオドア・スタージョン。頭と左腕を残して砂に埋もれた男は何を夢みるか-圧倒的名作の表題作、美しい手と男との異形の愛を描いた名篇「ビアンカの手」、墓を読む術を学んで亡き妻の真実に迫る感動作「墓読み」他、全八篇。スタージョン再評価に先鞭をつけた記念碑的傑作選。

感想・レビュー・書評

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  • なにが気に食わなかったのか今となってはわからないけれど、「成熟」で中断していたスタージョン『海を失った男』を突然引っ張り出して読了。

    「ビアンカの手」や「シジジイじゃない」は既読なので、後半四篇について軽く。

    「三の法則」は一夫一婦制に対する疑問を呈した作品の先駆として解説にあるが、制度というよりは一対一対応の対幻想として広く考えたほうがいいかもしれない。読んでいてなんとなく感じたのは、デイビッド・クロスビー作詞で、バーズに蹴られて、ジェファーソン・エアプレインで採用された Triad(三和音)。

    訳詩はJefferson Airplane普及委員会で読んでいただくとして(http://guinnevere.at.infoseek.co.jp/hukyuu2.htm)、単にフリーラブの肯定というだけでこの曲を思い出したわけではないのは、テキストで示されているように、詩の中に「水兄弟」というハインラインの『異星の客』の概念が使われていることだったりする。新しい人間関係のあり方のモデルのひとつとして、SF的アイデアがヒッピー・ムーブメントの中で採用されるという。

    そもそも、クロスビーはスタージョンの『人間以上』を愛読していたということをあわせると、こうしたモチーフは、性愛にとどまらない豊穣な共同性の構築という面が強いんではないかと思われる。
    このエピソードを知ったのは、ロック批評の名著、ポール・ウィリアムズの『アウトロー・ブルース』なんだけど、このポール・ウィリアムズが編んだの短編全集が、スタージョン再評価のきっかけになっているというんだから、人脈的にも微妙につながってたりする。


    かつて「あんたが浮気したら殺す」と言われたときに、「どんな理由があるにせよ、人を殺すということは決して正しい行為ではありません」とわたしは答えましたが、これは具体的なレベルではまったく返事になっていませんね。それはともかく。
    一対一対応の幻想の強固さは、その幻想に抵触するために頓挫するにいたったあれやこれやの(成就すれば意義深かったかもしれない)共同作業を振り返れば、あらためて感じざるを得ないところはある。陰謀家にしてみれば絶えざる策の源だろうけど。


    本作では行為としてはタブー・ブレーキングを回避しているけれど、1951年という発表年を考えればこういうものだろう。ジャンルにおける拘束力というものの強さは後からでは分かりがたい。


    とはいえ、こうした一対一対応から生まれる嫉妬や憎悪のドロドロしたところこそが、人間らしさの原点であるという気もしますし、スタージョンが示したような非対称の関係がセックスを基盤にして形而下的に現象した場合には、長期的には不均衡な隷属関係の固定化というようなものにしかならない懸念もあります。評価微妙。マンソンの話とかはいまさらうんざりだからしません。


    「そして私のおそれはつのる」も、ある意味では「三の法則」と同じ主題を扱っているのですが、視点が固定されて、少年の人格的な成長を追うことが出来る分、受け入れやすいところがあります。こっちのほうが好きかな。


    表題作は初読では途中まで何を言ってるのかよく分からないでしょう。ただし、レビューに多い「まったく分からない」という意見には疑問があり、最後まで読むと、SF的にはかなりはっきりと何が起こったのか書いてあります(背景などがよく分からないということはありますが、本質的な問題ではないでしょう)。あまり、おどかすのも考え物。

    構造的には、この前読んだライバーの「冬の蝿」をひっくり返したようなつくりになっていて、しかし今回は模型を持った少年は男を救えないわけです。


    おそらく、小説を読みなれていない人には分かりづらいかも知れないこの2篇、アンソロジーに2つ並べて入れれば突然理解が易くなるんじゃないかと思います。


    収録順は逆になりますが、一番面白かった「墓読み」は説明不要の短編。主流文学からはこっちのほうが評価されそうな気もするんだけど、そういうもんでもないのか。

  •  奇想コレクション
    「ビアンカの手」がおすすめ

  • 全8編のうち「ビアンカの手」(Bianca's Hands)と「シジジイじゃない」(It Wasn't Syzygy)は
    小笠原豊樹訳『一角獣・多角獣』(早川書房)で既読。
    ちなみに"It Wasn't Syzygy"の小笠原訳版邦題は「めぐりあい」。
    二編とも、こちらの新訳の方がわかりやすく、怖さがヒタヒタと伝わってくる。
    不気味な話、嫌~な気分になる話もあるが、
    冴えない日々を送る平凡な人間が、ふと、昨日まで目に入らなかった何かを見出し、
    その発見によって物事の捉え方を改めたり、
    価値観を揺さぶられたりするといった話もあって、
    残酷なようで温かく人間愛に満ち、しかも、ほろ苦い。
    淡々とした表題作が格別の味わい。

    ネタバレを含む各作品ごとの細かい備忘録は非公開メモ欄に。

  •  ギミックとして与えられた非日常の暴力に、どのように対応していくかという思考実験。思考実験としての小説のあり方は当たり前すぎて意識されないけれど、ファンタジーは完全な非日常に移行したところでの人間の行動の推察であるともいえるし、ミステリーは人間の行動を様式化し、それぞれが若干の乱数を含みながらさしあたってはプログラム通りに動くと前提された(前提することができると信じられている)状態での悲劇の推察であるともいえるし、とりあえず多くのフィクションが思考実験であるというのは、改めて言われずとも自明のことだろう。多分。
     SFの場合は基本的にはファンタジーと同様、完全な非日常における人間の行動の推察といった様相を呈すると思うのだけど、その非日常が科学的な知識を階梯にして日常とかなり具体的に接続されているから、非日常は「ありそうでない」という、可能性への希望を多くはらんだものになる。
     不可能なものへの祈りとしての、思考実験。
     スタージョンのSFを大雑把に定義するとそんなところになるんじゃないかなあ、と思う。

     たとえば「三の法則」や「そして私のおそれはつのる」はセックスを介在させない複数的な愛の形(もちろんこれは現実では不可能なものとされている)が、非日常の暴力を中継して可能的なものとして描かれるものだし、「シジジイじゃない」は純粋な等号形式としての愛の不可能性を問うものだ(ここでの祈りはむしろ非現実によって頓挫させられることになるけれど)。「成熟」はある固体が示し得る最大限の能力を始点に置くことで、成熟という語の定義の考察を可能にする、といった按配。
     で、そういうものだから、暴力的に介入してくる非日常そのものよりも、その非日常によって現れてくる不可能なものとしての人間性の一側面に光を当て、それを描く。それは勿論前提として不可能性を持ち合わせているものなのだけど、それでも、可能であって欲しい、と思わされる希望を含んでいるし、だからなんだか、祈りのようでもある。このような人間性の現出を、祈る。物語に託して祈る。祈るという行為は徹頭徹尾感情に支えられたものでしかありえないから、必然的に語りは湿り気を帯びてくる。エモーショナルになる。言葉が熱を持って接続されていく。そしてその祈りが、たいていは成就されて、終わる。
     
     ペダントリーや発想の奇抜さで、世界に対する、現象に対する驚きを演出するものではないから、ジャンルの枠組みの中では異色作家にならざるを得ないところはあるのかもしれないけれど(ただしジャンルの枠組みが必要ない、ということではない。むしろその枠組みがなければ生まれ得なかった作品たちである)、それでも人間の姿を、そこに祈りまで内在させて描こうとするこの作品群に触れることは、一つの特別な体験だったと思う。私には。
     ただ、今回再読してみて、今までは登場人物たちのめんどくささというか、ある意味人間性の中でもどうしようもない部分を、あまりちゃんと読めていなかった感じがしました。そしてまたそのめんどくささをちゃんと感知できないと物語の動きもなかなか追いにくい構造になってる感じもした。
     よく難しいと言われるけれど、その難しさってそういうところにあったりして。確かに、その辺読みこなすのは難しいというか、私には難しかったです。今回の再読ではかなり霧が晴れた気がするけれど、またきっと、いずれ読み返すだろうし、何度も読み返すことで読めたという部分を増やしていくのが、正しい楽しみ方なのかなあ、と思います。

  • スタージョンの短編集。『不思議のひと触れ』ほど感動してないけど、胸を打つ作品もいくつか。
    「ほどを知るのが成熟」かあ。腹に落ちるぜ。

  • 「奇妙な味わい」と評されることの多いスタージョンの短編集.
    表題作「海を失った男」については,本書の編者である若林正のあとがきにあるエピソードが,全てを表わしているように思う.以下,引用.

    『「海を失った男」を教えたときのことだ.授業が終わってから,ある学生がわざわざ教壇のところまでやってきてこう言った.「先生,この短篇,さっぱり何が書いてあるのかわかりませんけど,でも凄い!」』

    彼が言うほど『さっぱりわからない』ことはないと思うが,スタージョンの作品はSFというジャンルには収まらない幅と広がりを持つように思う

  • スタージョンの傑作選

  • 2006-00-00

  • 初のシオドア・スタージョン。不思議な後味、新鮮な読書体験です。文章は読みやすいですが、妙に生々しくグロテスクな部分や、よくわからない部分、考えさせる部分も多く、価値観を揺さぶってくる。

    『ビアンカの手』『成熟』『そして私のおそれはつのる』がお気に入り。

    『ビアンカの手』
    ある女性の手を愛してしまった男の物語。エロスと狂気を感じる幻想小説。これは傑作。

    『成熟』
    アルジャーノンを思わせる天才を扱うSF短編。天才だがホルモン異常で子供の精神を保っていたロビンは、ホルモン治療を受け始めることで精神的に成長し変化していく。ロビンが人間の成熟について思索を深めていく様子は興味深い。

    『そして私のおそれはつのる』
    不良少年が不思議な力を持つ老婦人に啓蒙され成長していくが、少年がある少女と出会ったことをきっかけに、老婦人との関係に亀裂が生じていく。ストーリーに一番引き込まれた作品。

    ほかに『シジジイじゃない』も面白い。奇跡的に自分にピッタリの女性と交際を始めたレオだが、やがて不穏な状況に。首だけの男が助言に現れたりとレオといっしょにわけわからん思いに包まれながら読み進めると意外な結末に。

    『三の法則』も好みではあるのですが、退屈なところもあり、もう少し短くするかテンポよくエンタメに振り切ってくれれば面白いのにと感じた。

    表題作『海を失った男』は、後書きにもあったように、なんかよくわからんけどすごいという感じ。なんだろうこの爽快感。

    別の作品も読んでみたいです。

  • 「音楽」★★
    「ビアンカの手」★★★
    「成熟」★★★
    「シジジイじゃない」★★★
    「三の法則」★★
    「そして私のおそれはつのる」★
    「墓読み」★★★
    「海を失った男」★★★

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著者プロフィール

シオドア・スタージョン(Theodore Sturgeon):1918年ニューヨーク生まれ。1950年に、第一長篇である本書を刊行。『人間以上』(1953年)で国際幻想文学大賞受賞。短篇「時間のかかる彫刻」(1970年)はヒューゴー、ネビュラ両賞に輝いた。1985年没。

「2023年 『夢みる宝石』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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