服従の心理 (河出文庫)

  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (357ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309463698

作品紹介・あらすじ

ナチスのユダヤ人虐殺を筆頭に、組織に属する人はその組織の命令とあらば、通常は考えられない残酷なことをやってしまう。権威に服従する際の人間の心理を科学的に検証するために、前代未聞の実験が行われた。通称、アイヒマン実験-本書は世界を震撼させたその衝撃の実験報告である。心理学史上に輝く名著、新訳決定版。

感想・レビュー・書評

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  • ナチスへの服従によって、多くの人々がユダヤ人の虐殺に関わった。この行為の心理的側面を解明するために、アメリカのイエール大学で前代未聞の社会心理実験が行われる。本書は、通称『アイヒマン実験』と呼ばれたこの実験の内容と結果、考察についてまとめた本である。

    本書における基本となる実験の概要は以下のとおりである。
    まず、大学のあるニューヘイヴン地域から「記憶と学習の調査」のための実験として被験者を広く募り、職業構成、年齢のバランスを考えて採用する。
    被験者にはくじを引いて先生役と学習者役に分かれてもらい(実際は被験者がすべて先生役となるよう調整されている)、罰がどんな影響を与えるかを知りたい、と事前に説明する。
    学習者はベルトで「電気椅子」に縛り付けられ、学習者が解答を誤ると被験者は電流ボタンを押すよう指示される。誤解答が増えると、被験者はより強い電流ボタンを押すことになる(実際には学習者は演技をしており、電流は流れていない)。
    実験は、これらの内容を基本として、学習者(被害者)と先生役(被験者)との近接性の変更、実験の場所や実験者・学習者の変更、被験者と実験者の距離の変更、実験者と被験者の役割変更など、条件を様々に変えて行われた。

    実験の結果、条件によって被験者が服従する際の緊張状態に差異があったものの、驚くべきことに当初予想したよりも高い水準で服従の行為(高電流のボタンを押す)が見られた。
    この結果について著者は、人間にとってヒエラルキーが生存競争に有利だったため、人は服従の潜在能力を持って生まれてくる、という仮説を立て、通常時に自律的に動いていた要素がヒエラルキー的なシステムの中に取り込まれると、システムの一貫性を保つために自立要素は抑えられ、服従行為を生む、と分析する。

    こういった社会実験は結果をコントロールしやすいため慎重な分析が必要であるが、太平洋戦争時の九州大学医学部で行われた生体解剖事件や、近年の森友問題などを考え合わせてみても、この結果は腑に落ちる部分がある。
    他人に対する残虐な行為が、個人の資質や権力による脅迫という要因だけでなく、健全な状態の人間にも起こりうるものであるということは、我々皆が自覚しておかなければならないことであると思う。

  • かの有名なアイヒマン実験。
    非倫理的な命令をされた時、やはり私も権力に従うのだろうか。それを想像することはとても苦しい。
    自分だけは...と思う一方、自分もやはり凡庸な人間だと思う。

    一方、自分が命令する側になった時、その判断の重さを忘れずにいたいし、相手の地位に関わらず謙虚に意見を受け止めたいと思った。

  •  ミルグラムの社会実験とそれにおける分析をまとめたもの。実験概要は、被験者は先生役を与えられ、実験者である指導役に、学習者が問題を間違えるごとに電流を流すよう指示される。また間違える度に一段階ずつ電流のボルトを上げるよう指示され、電流のショックに呻く学習者にどこまで強い電流を流し続けるか?というもの。

     実験は色々なパターンを変えて行われたが、概ねの結果としては多くの人は実験者の指示に逆らえず最高レベルまで電流を流してしまうということだった。被験者は特別サディスティックな性質を持っているわけではなく、至って普通の人たちである。それでも指示されると服従してしまう、という怖い結果だった。

     そもそも服従とは個が権威システムへ組み込まれることによりエージェント(代理人)状態へ移行することだという。権威システム自体は家族、学校、会社、どこにでもあるし、その組織を安定させ秩序を保つためにはある程度必要かと思うが、その権威システムがイデオロギーを持って本来なら許されない物事にまで正当性を与えてしまうと、エージェント状態へ移行した際に暴走してしまう。そこには責任感の喪失、守るべきルールの変更があり、善良で平凡だったはずの人たちはその新たなルールのもとで感覚が麻痺していく。
     またどれだけ自分の行為は許されないことだと思ったとしても、それを途中でやめることは今までの自分の非を認めることであり、集団の和を乱すことでもあり、その集団から報復される危険性があることでもある。なのでやめられない。エスカレートするしかなくなる。
     そうした上記の一連はある種の"緊張状態"であるが、その緊張を解消する手段は大まかに2通り、1つは責任を回避する(命令に従っただけ、学習者が間違えるのが悪いetc)、もしくは学習者=被害者から徹底的に目をそらす、見ないようにすること。2つ目は、いよいよ非服従の選択をとることである。ただし後者はかなり精神的コストが高い。もうここまでくると服従する方が楽だ。服従する快楽はここにあるのだなと思う。とにかく"思考停止"の状態、権威者の言われた通りにしただけ、自分では何も考えない、これがその場を切り抜ける最もコストの低い選択なのだと思う。

     そういう意味では、ミルグラムの実験にあるように、とある権威のもとで服従の態度を見せ残虐なことをしてしまう危険性をどんな人間も孕んでいるということだ。では、どうすればできるだけそのような事態を避けられるのか、と考えると、「自分がそういう危険性を孕んでいる」ということを「知っている」ということではないか。この実験で比較的早い段階で非服従した被験者やその際に責任転嫁せず自分の非を全面的に認めた被験者がいたが、彼らは欧州出身でファシズム政権を目の当たりにした人であった。

     ただやはり、人間がある環境下において残虐な命令に服従してしまうことについては、その権威システムの強さだけではなく、生来からの「弱いものいじめ」欲がその権威のもとで正当化されて爆発している、という側面もあるのではないかと思う。歴史を遡ると弥生時代以降、いわゆる貧富の差が生まれて以降ずっと階級システムがあって、人は自分よりも下の者がいることで自らを保ってきた、と言うと露悪的だろうか。その気持ちが強大な権威システムによって正当性を与えられ最大利用されたのがファシズムでは…?なので「服従」という心理の一側面だけではないのではないか、とは思った。

  • ミルグラムの電気ショック実験。
    これは、ナチスのアイヒマン実験とも呼ばれ、権威者による命令が個人を従属させ、殺人のような重大な結果をもたらしかねないことをシミュレーションしたもの。

    解答者(役者)、被験者、指示者において、
    ある単語の問題に対し、回答者が不正解だった場合、その被験者は低い電圧から徐々に大きいで電圧(疑似)電気ショックを与えていく経緯について分析した実験。

    それぞれが置かれた立場、ヒエラルキー、権威によってどのような結果となる傾向なのか分析した実験。
    『典型的な兵士が殺すのは殺せと言われたからで、かれは命令に従うのが自分の義務だと心得ている。被害者に電撃を加える行動は破壊的な衝動から生まれるではなく、被験者が社会的構造に統合されてしまい、そこから逃げられないから生じるのだ。』
    当時のナチスが特殊だったわけではなく、現代の組織に於いてでも大なり小なり、同様のジレンマ(責任転嫁)が発生しているのは明白である。

  • 暗黙のうちに権威に従ってることに気づけた。上からの命令に従っているサラリーマンに読んでほしい本。僕みたいに何か気づきがあるかもしれない。

  • 読んでよかった。。。
    NOに比べてYESという方が楽。しかし時として人を殺めてしまうレベルに簡単に達する。その時の「従っただけ」という無責任なエージェント状態と呼ぶ。

  • アイヒマン実験という有名な心理学実験についての本。
    テレビで紹介されたこともあるので、知ってる人は多いと思う。

    ■どんな実験?

    一般の人に「学習と罰の関係を調べる実験です」と言って協力してもらう。
    一人は先生役、一人は生徒役に。

    生徒が回答を間違えたら、先生は罰として電撃のスイッチを押さないといけない。
    しかも、実験者から「間違えるたびに電撃をどんどん強くしてください」と言われる。

    生徒は実は協力者で、電撃が強くなると悲鳴をあげたり、痛がっている演技をする。

    さて、先生はどこまで電撃を強くするだろうか?
    どの時点で実験者(権威)に逆らって、実験をやめるのだろう?

    (※先生が罰をためらったり助言を求めた場合は、
     実験者が「続けて下さい」とうながし、
     それを4回言っても「やめたい」と言う場合、実験中止)


    ■結果

    「人が痛がってたら、無理してまでやらないだろう」という予想が多かったが、
    結果は40人中25人(62.5%)が最大の電撃を与えた。p54

    時に人々は嫌悪感を示し、強く緊張しながらも実験を続けた。
    なぜ実験者に反抗できなかったのか、一体何が人々を縛っているのか。

    つづき:
    http://haiiro-canvas.blogspot.jp/2014/05/blog-post.html

  • 世紀の実験論稿。社会性生物である人間のシステムは、権威への服従と同調を基礎に持つ。実験は、服従への抵抗を確かめるため、道義に反する、他者への電撃行為を、仕事だということで従わせるもの。抵抗し、電撃を与えなくなるまでが服従とする。様々な手法を取り、完璧な実験を仕上げる。成果は、上々だ。

    だが、抜けがある。この実験は、予め、身体に影響が無いと通知されたものだ。被験者は、やや懐疑的になりながらも、自分の仕事をしたに過ぎない。自らの意思を超越し、権威に服従したのではない。この結果が本著が提起するような、アイヒマンのユダヤホロコーストやベトナム戦争での虐殺の免罪符には決してならない。考えても見てほしい。身体に影響の無い仕事への服従と、必ず相手が死ぬ仕事への服従。同義では扱えないだろう。それでも、人は服従するというのか。

    試験項目を変えてみれば良い。一時的に死刑執行人となり、それを遂行する仕事に。何人が服従することか。勿論、権威が試験機関ではなく国に代われば、服従度合いは変わるかもしれない。つまり、権威の形の問題だ。誰も平気な顔で核のボタンやガス室のボタンは押せない。ナチス党を当選させた民衆のユダヤ殲滅運動には、社会的正義が成り立つし、戦争も自国の理論での正義だ。本著がいうような権威への盲従ではない。時代の空気、プロパガンダ、正義の仕事の遂行に過ぎない。自らの意思を超越した権威に、嫌々服従したわけではないのだ。

    では、罪はどうなるか。戦争自体の罪は、戦争行為に加担していないものに対する加虐、残虐行為を裁けば良い。その対象からは、ただ命令に従っただけだから許されるという事を無くせば良いのだ。戦勝国の無秩序な違法行為が、許認される事は許されない。その意味で、時代が正義だろうが、命令だろうが、アイヒマンは罪人。北九州の通電殺人を命令された女性も罪人である。勿論、抵抗できる状態にあったかという定量評価や自己防衛の度合いの査定は要るだろうが。

  • 有名な「アイヒマン実験」。聞きかじった程度だと人間の内に潜む残虐性をえぐり出す心理実験だと思ってしまいがちだけど、じっさいは「権威への服従」の意味を再考させる示唆に富んだ実験であり、たいへん読みごたえがあった。
    また、ふむふむと本編を読み終えて思わずミルグラムに服従してしまいかけても、訳者が「蛇足」でニュートラルに引き戻してくれるという心憎いアフターケアもあり。
    たとえば(当事者としてではなく外部から見た)いじめ問題を語る上でも有用な教養が得られる書物だと思った。

  • 俗に言うアイヒマン実験をまとめた本。実験の全体像をちゃんと読んだのは(恥ずかしながら)初めてであり、豊富なアイディアとシステマティックな実験計画、そして揺るぎなき実行力に圧倒されました。ミルグラムすごい。批判者への回答、参加者からの手紙を載せた補遺も必読(心理学者にとっては、むしろココこそが読まねばならないところかも)。

  • 内容は悪くはないと思うが、なんだかイヤな感じのする読書体験だった。
    ミルグラムの心理学実験とは、こうだ。イエール大学の名前で、心理学実験への参加者を公募する。記憶・学習と懲罰に関する実験だという。
    「学習者」は電気椅子のようなものに固定され、「教師」から暗記をテストするような質問を出されて答える。間違っていたら電流を流し、「罰」を与える。間違えるたびに電力は上げられる。
    この「学習者」は実は雇われた役者で、電撃などはそもそも無いのだが、電気ショックを受けたふりをし、苦悶し、「もうやめてくれ」とうめく。
    公募された被験者は「教師」役で、背後にいる実験者(大学の心理学者)に指示されて「学習者」に電流を流すスイッチを押す。電撃の強度が増していくと「学習者」が異様に苦しみ、実験の中止を哀願するのに、実験者(心理学者)は「身体に永続的な損傷はないはずだから」実験を続行せよと命令する。
    板挟みになった「教師役」は、電撃を受ける学習者に同情し、この実験に抗議し、中断するのか、それとも、背後の権威=実験者(大学の心理学者)の冷酷な命令に従い続けるのか?
    で、実験結果は大半が「権威」に服従し、過酷な電撃ボタンを押し続け、被害者がもはや無言で反応しなくなってさえもなお、最大級の電流を送るという。
    実際は「電流はない」のだから、あくまでも虚構なのだが、しかし教師役の被験者は事実としてこのシーンを体験するのであり、私は読んでいて、とてもイヤになってきたのだ。
    ミルグラムは科学者らしく、様々に条件を変えながら沢山のデータを取っている。
    しかし、この本で言われている「権威」とは、結局なんだろう? その真の意味とは何か? これは心理学ではなく、哲学的な思考でないと見つからない解かもしれない。
    ミルグラムは何故かサイバネティックスを持ち出して、この「権威への服従の心理」の解説を試みているが、何となく不十分な気がした。
    心理学の本を読むといつも思うのだが、心理学者という人びとは出発点となるべき概念がじゅうぶんに解明されないままにあれこれと理論を進めようとするため、結局は深い考察まで到達できていないのである。
    そもそも、「自己」なるものを、個体=個人という生物学的形象に押しとどめているところに疑問を感じる。しかし「自己」とは、個体にとどまらず、周囲の誰かとの「あいだ」に形成される関係性そのものであって、だから、権威がどうこう、服従がどうこうというより、その「場所」において拡張し変形した「自己」がどんな統一性に傾くか、ということなのではないだろうか。
    「権威」なるものが存在していないはずの、暴徒化のような事例、すなわち集団心理として拡大・一体化した「自己」なるものの異様な行動も、そう考えた方が理解できる。
    そもそも、個体としての「自己」なるものは、本当に存在するのだろうか?
    読みながら解消し得ない問題につきまとわれた。

  • 実験のレポートと考察が丁寧に書かれていて非常に読みやすかった。

    人が権威に服従するのは責任を権威のあるものに背負わせているからだと思う。
    責任の及ばない範囲で人は行動している。
    それが社会の仕組みなのかなと。
    逆に自由になりたければ責任を負わなければならない。(起業して社長になるとか)

    本編も面白かったけど、訳者の考察がとても良かった。

    実験の前提と本質に疑問をなげかけている。
    例えば、実験では人は性善説に基づいて行動している(根底には人を傷つけたくない心理がある)としているが、訳者は一般的にはそれは成り立つのか疑問を呈している。戦争なんかでは、略奪が目的だったりと、、、

    作者のスタンレーミルグラムはスモールワールド実験でも有名だったのか。
    6人介せば、誰とでもつながれるという実験。

  • 権威からの指示に、人がどれほど簡単に思考停止になり、ただ追随するのか、これでもかと実験している。

  •  通称「アイヒマン実験」の報告にあたる本著。ここで得られた実験報告は人は権威に対して服従する生き物であるという、目を背けたくなるような結果だったということ。厳密にいえば、この実験で行われた手法の正確さについて異論等もあるようだが、いずれにせよ確実なことは、権威という目に見えないパワーの強大さ。そして人間がそれに対して、社会システムの構造上指示に従わざるを得ないところにいるという点は否定しにくいのではないだろうか。
     日々、家庭、学校、会社、社会・・・あらゆる生活の場に権威は存在しており、その権威に服従して生きている。こう考えると、自分はさも奴隷かのように感じてしまうが、そうではなくて視点を変えてみれば、相手への信頼にほかならないとも言えなくもない。
     ただ、なんというか、協調や空気を読むことを大事と見ないしている日本においては、この実験を行ったらかなりの率で服従する人が多いような気がしてならないし、私自身、服従してしまう側なんだろうな・・・と思いながら読んでいたら、背筋がゾッとした。

  • 2022I026 361.43/M
    配架場所:A4

  • 4.03/1612
    内容(「BOOK」データベースより)
    『ナチスのユダヤ人虐殺を筆頭に、組織に属する人はその組織の命令とあらば、通常は考えられない残酷なことをやってしまう。権威に服従する際の人間の心理を科学的に検証するために、前代未聞の実験が行われた。通称、アイヒマン実験―本書は世界を震撼させたその衝撃の実験報告である。心理学史上に輝く名著、新訳決定版。』

    原書名:『Obedience to Authority; An Experimental View』
    著者:スタンレー・ミルグラム (Stanley Milgram)
    訳者:山形 浩生
    出版社 ‏: ‎河出書房新社
    文庫 ‏: ‎357ページ

  • ミルグラム実験については名前しか知らなかったが、近所の書店のフェアで表に出ていて気になったので購入して読んでみた。気持ちの良い話ではないが、とても興味深くて自分の場合はどうだろうかと考えさせられる本だった。

    権威に服従するモードに入ると普段のその人がするとは思えないような残酷な行為でも命令に従って実行できてしまうという心理学実験。権威に服従するというとナチスなどを思い浮かべやすいが、学校で起きるいじめとかでも同じようなことが起きていると思うと、明確な命令がなくても容易に服従してしまうのではないかという気がする。訳者あとがきの批判にあったように人間は残虐性を社会規範という権威によって抑えるようにしているだけなのかもしれない。

    集団を作って生きていく上では服従の全てが悪というわけでもないが、会社でも、社会でも、自分が自律して行動できているのかどうか、服従モードに入っていないか、自分に問うていきたいと思った。

  • 異常に興味深い。
    組織で言われる主体性が必要だ云々という話を前提からひっくり返す話でもある。
    そもそも人は権威に従属するものであり、そういった進化を辿ってきている。
    それは進化の過程で必須の要素であり、進化を経て強化された。

    自律モードと、組織モードがあり、組織モードを「エージェント状態」と言い、
    自身の価値観に関わらず盲信的に権威に従ってしまう状態で、これは社会的な動物としての生存有利性から発生していると。

    一方道徳心・良心などといった個人に属するもの(と筆者はいい、訳者はそれも社会的な権威であるというし、それが正しいと思う)は、2次的なものになると。

    訳者が権威をそもそも定義していないという話はその通りで,自身の感覚も含めると、権威とは「自分が知らないもっと上段の崇高な目的を知っていて状況に合わせて正しい判断ができる。またイレギュラーな決断においても責任が取れる」ということのみであり、単純に白衣を着てればおkということでもないと思う。

    かなり示唆深いし、とくに「エージェント状態」の言語化は俊逸以外の何者でもない。

  • 個人の道徳観の力は、社会的な神話で思われているほど強いものではないっていう本。


    この有名な実験について大枠しか知らなかったが、人や場所や状況等のパターンを変えてみたり、被験者の実験時の言動が細かく書いてあったりと、ミルグラム実験の詳細が知れる。
    尚且つ元々の原文が良いのか訳者が良いのか最後まで飽きずに読める。



    p.22〜p.23

    道徳律の中で「汝、殺すなかれ」といった能書きはずいぶん高い位置を占めるが、人間の心理構造の中では、それに匹敵するほど不動の地位を占めているわけではない。新聞の見出しがちょっと変わり、徴兵局から電話があって、肩モールつき制服の人物から命令されるだけで、人々は平然と人を殺せるようになる。


    p.67

    あるいは過去には、物理的に近くにいる相手への攻撃的行動は、報復による懲罰をもたらし、それが最初の反応形態を打ち消したのかもしれない。一方、遠くにいる他人への攻撃は滅多に報復をもたらさなかったのかもしれない。

    p.209

    事前条件の中には、その個人の家族的な知見や、非人格的な権威システムに基づく一般的な社会環境、そして権威の遵守が報酬をもたらし、非遵守が罰につながるような報酬構想との長期的な体験がある。

    エージェント状態

    p.244

    非服従の代償は、自分が信念を破ったという身を切られるような思いだ。
    道徳的には正しい行動を選んだとは言え、被験者は自分が引き起こした社会的秩序の破壊に困惑したままであり、自分が支援を約束した目的を放棄したと言う感覚を捨て去ることができない。
    自分の行動の重荷を感じるのは、従順な被験者ではなく、服従しなかった被験者なのである。

    p.276


    人は自分の独特な人格を、もっと大きな制度構造の中に埋め込むにつれて、自分の人間性を放棄できるし、また必ず放棄してしまう、ということだ。

    p.303


    いずれにしても、何か単一の気質面での性質が非服従と結びついていると思うのは間違っているし、親切で善良な人は反抗するが、残酷な人は反抗しないと思うのも間違っている。
    目下のプロセスにはあまりに多くの点がありすぎ、またそれぞれに対して人格の各種構成要素が複雑な形で関係してくる可能性があるため、あまりに単純化しすぎた一般化はまったくできない。
    さらに、それぞれの人が実験にもたらす成功は、行動の原因としておそらくほとんどの人が考えるほど重要ではないだろう。
    というのも今世紀の社会心理学は大きな教訓を与えてくれるからだ。
    その教訓とはつまり、しばしば人の行動を決めるのは、その人がどういう人物かと言うことではなく、その人がどういう状況に置かれるかと言うことなのだ、ということである。

  • 実験報告みたいで読んでいて面白かった。
    何も考えず権威に服従してしまうのは怖い。状況ごとに自分の意思で選択したいと思った。

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著者プロフィール

Stanly Milgram 1933年、ニューヨーク生まれ。心理学者。74年、本書における研究業績を理由に、アメリカ科学振興協会より社会心理学賞を受賞。84年没。世界的な反響を呼んだ通称アイヒマン実験や、ソーシャルネットワーク理論の先駆となったスモールワールド実験他、数々の有名な実験を行った。

「2012年 『服従の心理』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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