戦後日本史の考え方・学び方: 歴史って何だろう? (14歳の世渡り術)
- 河出書房新社 (2013年8月22日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309616803
感想・レビュー・書評
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「そのあとどうなったのか、わかっているところから、歴史は語られます。逆に言うと、「いま」から逃げられないのです。」
歴史とは何かというところから始まり、戦後日本史を様々な見方から考える本。
沖縄、女性等の立場からかなり丁寧に見直していく。
中学生くらいを特に対象にしているのだけど、大人が読むにも良い本だった。
娘が大きくなったら手渡したい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
中心・中央の歴史があり、周縁・他者の歴史がある。沖縄、女性、在日コリアン、水俣病など。
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教科書が時代順に並んでいる以上、避けられないことかもしれないけど、どうしてもおろそかになりがちな近代史、特に戦後史。ご多分に漏れず、自分の学生時代を振り返っても、小中高といずれにおいても、まともに向き合った記憶が殆どない。まさに現代に直結する諸問題が凝縮されているだけに、それじゃいかんだろってことで、今になって、本作のようなものも積極的に目を通すようにしている次第。歴史は、その観点によって形を変えるってことが繰り返し強調されていて、なるべく多角的な視点で描かれているのが心強い。素晴らしかったです。
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歴史についてはまだまだ勉強中。その過程でこの本は面白かった。
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学校では最後駆け足に学ぶことが多い戦後日本史。戦後の日本史についてまなべる1冊。
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私は理系コースに進み、センター試験の一世代前の共通一次試験を受けた世代です。歴史は元々好きではありましたが、公立高校だったこともあり、高校3年生であった週4時間の日本史の授業は、理系の科目を内職していました。そのため、殆ど授業を覚えておりませんし、年が明けて駆け足で行われた明治維新以降の歴史は全く記憶にありません。
そんな私も歴史を学んで数十年もすると、この本のテーマである「戦後の現代史」に対して徐々に興味を持つようになってきました。歴史とは膨大な実際に起きた事柄から、選ばれて語り継がれたほんの一部であることが、この本でも指摘されています。
また法令がだされたという事実は、それに反した行為が良く行われた結果であること、史実とは反対のことを言っていた人の記録は残っていない等、なるほどと思うことも記されていました。今後、歴史について書かれた書物を読むときの大事なポイントだと認識を新たにしました。
以下は気になったポイントです。
・たくさんの出来事から、ある出来事を抜出し、別の出来事と結びつけて説明することが、歴史である(p17)
・視点や立場が変われば、歴史のなかの出来事の呼び方が変わってくる(p23)
・戦後、アメリカ軍が主導権を持っていたが、中国地方と四国地方は、イギリス連邦軍(イギリス、オーストラリア、インド軍等)が駐留していた(p28)
・ポツダム宣言の受諾は8/14、8/15は放送日、9/2に降伏文書に調印であり、8/15の位置を強調しようという解釈がなされている(p35)
・終戦当時の人口は 7000万人、人口の1割程の600万人(兵隊・民間人)が日本に復員・引き揚げをした(p36)
・東京裁判で、戦争犯罪を行ったとされる期間は、1928.1.1-1945.9.2である、降伏文書の調印日を重視している、植民地責任は問われていないので、朝鮮・台湾総督府の責任者は問われていない(p38、41)
・最初の日本領土の占領は硫黄島、1945.3、アメリカ軍は日本軍守備隊を全滅させて占領した。その後、沖縄戦、ソ連は樺太・千島列島を占領した(p43)
・戦時中の食糧管理法により、政府の買い上げ価格は地主が売り買いする価格よりも上回ることもあり、地主がそれまで農村で持っていた力が急速に弱まった(p49)
・東条英機は戦況が悪くなっても徹底抗戦を唱えている、1944.7に辞職したことは、和平工作をしようとする人達が勢力を拡大してきたと解釈できる(p52)
・1948.10-1954.12まで、6年以上にわたって吉田内閣が維持された、その間にサンフランシスコ平和条約に調印した、同時に日米安保条約も締結した(p71)
・革新において、分れていた左派と右派が一緒になって日本社会党を結成、日本民主党と自由党の保守が合体して、自由民主党ができたのが1955年であり「55年体制」となった(p74)
・三種の神器が生まれる背景は、夫は工場に勤めて、妻は専業主婦になる、余暇が生まれて「将来設計」という考え方が出てくる、そして都市化が進んで「団地」がつくられる(p107)
・そのあとどうなったか、わかったところから歴史は語られる、つまり「いま」から逃げられない(p146)
・1947.5.2、日本国憲法の施行される前日に、大日本帝国憲法下で外国人登録令(最後の勅令)が出され、植民地にあった人々を外国人として扱われ、1952.4.28において外国人と登録された。これは、2012年に廃止されて、在留資格制度となった(p176)
2013年10月13日作成