【現代思想の現在】レヴィナス ---壊れものとしての人間 (河出ブックス)

著者 :
  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (246ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309624488

作品紹介・あらすじ

ホロコーストを生き延びたことの罪悪感と向き合い、人間を「そもそも壊れやすいもの」とする一方、他者の苦しみを受けとめることの意味を追究し続けたレヴィナス。その哲学の核心は、あらゆる人が出会いうる「傷つきやすさ」にある。介護・看護といったケアや自閉症研究など、他者との接触の分析に、レヴィナス哲学を取り入れてきた気鋭による、二十一世紀に残るべき思想としてのレヴィナス入門。

感想・レビュー・書評

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  • 哲学、現代思想、現象学などにはきわめて縁の薄い私なので、読むのが大変でしたが、なんとか最後まで興味をつなげて読めました。
    最後の部分、『レヴィナスは不条理な世界のなかで意味を確保するために四つの装置を要求したことになる。(…)これらの外傷に対して対抗するための装置が場合によっては「妄想」のような姿を借りて語られたのだった。』というところは、
    大井玄『 「痴呆老人」は何を見ているか』の中の「ヒトは与えられた環境で、本人にとってもっとも苦痛が少ない状態で生きようとする」という箇所と、どこかでつながっているように思いました。

  • 特異な立場から書かれたレヴィナス論。
    それは医学、介護をフィールドとした現象学者という立場だ。
    精神病理の視点を持って、これまでより納得できるレヴィナス論がところとごろ展開されていた。
    しかし、期待が大きい分、難解な部分への失望は大きい。内田さんの論の素晴らしさを改めて噛み締める。

    末尾の、レヴィナスは不条理な世界のなかで意味を確保するために四つの装置を要求した、のまとめの一段落が大事。←個人的メモ。

  • 人間の思考って複雑、でも共感できる感情はあって、親近感はあった。
    ところどころ哲学の難しい言い回しで、理解しずらい。

  • 自分が考え、付き合ってきたさまざまな問題と、それに対するアプローチについて、レヴィナスという強い味方を得たという感覚。人生の中で何度か立ち戻ることになるだろう1冊になった。後半になり、問題と語り口が晦渋になるにつれて著者のテンションが増していくのが分かる。やめられない。非常にクリアーな見通しと鋭利な論点。p.87あたりで、『全体性と無限』を5行ほどで要約し得ているのには度肝を抜かれる。

  • 外傷や意味の再生の話が良かった!しかしレヴィナスは分離(個性化)を勧めたけど統合に関しては死にかけの女との愛を除いては極めて否定的ということのようだ。最適戦略が何かの変数によってどこかで別れるとしたらそれはなんなのか、そして双方を含んだ新しい理論はどこにあるか。


    壊れた世界から出発して壊れかけのこの世界を作ろうとする。無意味から意味に変わる可能性。世界の終わりから不安定な世界をつくる。建物や社会制度を作り直しただけでは世界の意味は回復できなかった。形を失った質量とは世界から文節を排除した姿。

    死者と死にゆく人との交換が他者の限界値。
    ハイデガーの無への恐怖と対立される存在してしまうことの恐怖。何ものかではないような何ものかの餌食になり引き渡される。

    共にいることから逃れて行く者との関係、これがこの共にいることの逆説的定義。

    時間論
    停止と持続を同一視。瞬間が移ろうことなくなったとき瞬間が持続してしまう。時間は対人関係においてのみ存在。感性の自己差異化の運動は同時に時間の停止、永遠への封じ込め。
    偶像崇拝の禁止は時間の不在から時間を救いだし、壊れた世界に秩序をもたらす。

    師匠とは崇拝する対象でなく全力で新たな思考をぶつけて師匠に対して論争を申し込まなくてはならない。人格と思考の多様性こそ重要。
    教えることは何らかの思考の伝達でない、伝達になってしまうと発話に対して思考が前もって現実存在するために否応なく予定調和になる。
    教え、創造、選びは密接に関係。神は文明化する力。

    デリダによる批判。暴力なき終末論的世界、メシアの時間は絶対的暴力ではないか?
    外傷の哲学から狂気の哲学へ。

    絶対:世界からの分離
    思い出すことも忘れることもできない外傷体験との関係で主体は規定されている。

    主体の個体性を抹消する暴力を全体性と呼び、そこからの離脱の可能性を探った。ところがいくら全体性から分離しても主体は再び全体性に飲み込まれる。

    狂気の構造
    1 苦痛を出発点として主体を作る。極度の苦痛は他者のために苦しむという形になったときに意味を生み出し、再び主体の出発点となる。
    メシアニズムの方向では統合失調症で出現する迫害妄想や誇大妄想と類似するような世界の苦痛や罪悪を一身に背負いこむ。

    2 ある、の無意味を意味へと反転する方向
    他者との関係が不可能になったときに、これを他者との関係へと反転しようとしたときある種の精神疾患の症状と似る。
    対人関係の完全な不可能性ではなく、解体を隠蔽する症状を狂気と呼ぶ。精神病は外傷体験から脱却するために必要な装置。

    メシアニズムの否定
    キリスト教を否定するのはユダヤ人の虐殺までもイエスの受難の名において了解されてしまうから。

    救済があるとすれば永遠の生命や不幸の解決などでなく、無意味のただ中での意味の再発見のこと。私の生をないがしろにしてでも他人の生存を確保する。

    絶対的未来とは生存不可能な世界にあって、なお生存を可能にするための条件、無意味の中での意味の可能性を確保する構造。意味の再生に対する期待?

    意味とは生きる意味の確保と外傷や疾患、暴力といった無意味の克服が主題。

    自己性を破壊する(分離)苦痛は他者から切り離されるときには外傷体験となるが、対人関係の中で生じるときには自己を個別化するために必要な極限値。このとき自己そのものの契機として極限の苦痛が要請される。

    意味を発見するための装置

    1 私が苦しむ極度の苦痛は他者のための苦痛に反転したとき意味の出発点になる
    2 ある、あるいは他者の不在
    3 生者の中に死はよぎり死者とも出会いなおすことができる。生と死を包摂する地平がある
    4 不条理な無意味を今ここで一挙に反転して意味を構想する。妄想。

  • 難解と言われるレヴィナスの思考の跡を辿るには、最良の入門書ではなかろうか。決して、わかりやすく書かれているわけではないが、主要な著作を年代別に取り上げながら、レヴィナスの思考がどのように変遷していったのかということを丁寧に解説している。
    実際にレヴィナスの著作を読む前にこの本読んでおくと、その著作についてのおおよそのことについての見当がつくだけでも、この本を読む価値はあると思う。

  • 配置場所:摂枚普通図書
    請求記号:135.5||M
    資料ID:95120888

  • 序盤でレヴィナスが歩んできた一生をインタビュウ記事やエピソードを適宜引いたあと、彼の思想を概観し変遷を辿る。

    読んだが理解しているかどうか別だとはよく書くのだが、今回もそのパタンになる。読んだが理解しているかどうかは別だ。断片としては理解しているつもりだが全体通して理解しているかと問われれば微妙な所であるし、時折理解が追いつかないまま読み流してしまう部分もある。ただ、一応は読める――というところから、そこまで読みにくいわけではない。むしろ読みやすい部類に入るか。再読検討中。

  • 『レヴィナス 壊れものとしての人間』村上靖彦氏。精神病理学の専門家たる村上さんが、レヴィナス哲学を、徹底的にテクストにしたがいつつ、「書かれていないものle non-dit」まで読み取る。入門書として、と氏は言うけれど、濃い!

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著者プロフィール

1970年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士後期課程満期退学。基礎精神病理学・精神分析学博士(パリ第7大学)。現在は、大阪大学人間科学研究科教授。専門は現象学、精神医学。著書に『治癒の現象学』(講談社メチエ)『レヴィナス』(河出ブックス)『摘便とお花見-看護の語りの現象学』『在宅無限大』(医学書院)『仙人と妄想デートする 看護の現象学と自由の哲学』(人文書院)などがある。

「2023年 『客観性の落とし穴』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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