クーデタ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 2-5)

  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (377ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309709574

作品紹介・あらすじ

北半分はサハラ沙漠、南の国境沿いに大河が流れるアフリカの内陸国クシュ。5年にわたる旱魃により飢餓に苦しむこの国を、クーデタで政権を奪ったエレルー大統領が支配する。アメリカ帰りの独裁者はイスラムの教義を信奉し、アメリカの援助を拒絶して独立国家として生きていこうとするが、4人の夫人と新しい愛人、先王エドゥムー4世、事実と数字の人間である内務大臣のエザナ、友邦ソ連の酔いどれ軍人などとの駆け引きの中で次第に自由を奪われていく。緑一色の国旗を翻して荒涼たる大地を経めぐる大統領のメルセデス。国境を越えて入りこむ7‐UpやCoca‐Colaなどのアメリカ文化。イッピ地溝帯にある「興味深い物質」とはいったい何なのか。コーランの朗誦が響きわたる冷戦時代のアフリカを舞台に、戦後アメリカ最大の作家が巧みに構築した物語。

感想・レビュー・書評

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  • 221128*読了
    池澤夏樹さんの翻訳。

    アメリカ人作家が、アフリカの架空の国クシュを舞台に、その国の大統領の盛衰を描くというのは、なかなかにおもしろい。
    アメリカからの援助を嫌悪し、一人のアメリカ人を焼き払ってしまったり、旱魃を宗教的に何とかすべく、王の首を切ったり、やることが横暴。
    そんな彼は過去にアメリカに留学して、アメリカで青春を謳歌したわけで。4人の奥さんのうちの1人はアメリカ人ときている。
    ついには、盗まれた王の首を見つけに、若い奥さんを連れて過酷な旅に出るときた。
    そして、クーデターを起こされ、ただの浮浪者と化し、我が国を去ることになってしまう…。

    彼の回想記という形式を取りながら、彼自身に肩入れしすぎることもなく、一歩引いた視点から語られている。その客観性もおもしろさの一つでした。
    自分と全く違う時代、違う国(アフリカらしくはあるけれど架空の国)、違う立場に置かれた人の人生や感情を体験できるのが読書の醍醐味だなぁとつくづく思いました。

  • アフリカとアメリカの混淆。

  •  歴史や社会に実験という事象が存在可能なのか不可能なのか分からないけれども、一般的に伝統を断絶して「人工的」に建設された国家といえばロシア革命に続くソヴィエト連邦と思われている。

     しかし原始的な資本主義の発展段階に付随するさまざまな弊害とその反発、またはロシア王家が象徴する王権の政治システムの金属疲労という点から考えると、ソ連はべつにマルクス主義を持ち出すまでもなく歴史の延長にあったと考えられなくもない。

     むしろ、歴史的スタートがビックバンのような過去との因果を飛び越えて始まったわけでなく、それは表面上はプロテスタントの民族移動という体裁をもちつつも真に人工的な国家と言えるのはアメリカではないかと思う。

     アメリカはイギリスからの独立という歴史を欲しがるかもしれないが、それはアメリカという国家が羽織るTシャツの柄のような存在で、アメリカという国会の身体を説明するものでは無い。

     アメリカの自由はヒューマニズムの具現という扉絵でもって語るし語られるきらいがあるように思われるが、実際のアメリカの自由は地球からロケットに乗って異星に降り立った新星人の他人からの干渉を否定するのではなく留保し、ひとまずはどんな生活が構築できるかを思考し、実践する仮のルールのようなものに近いのではないかと思う。

     その自由(仮)の論理が偶々なのか必然なのか、資本主義と広大な国土、伝統という慣習の不動点を持たない不安定さと連動した結果、発展と栄華を享受することになった。

     それは日本の政治システムが長らく、幕府という戦闘状態にあることを強引に仮想前提として続いたように、アメリカもその歴史建造からの留保という仮想前提を通して自由を存続させて今に至っていることと大きな枠組みは似ていると思う。アメリカは独立以来いまだ建国作業というモラトリアムを持ち続けている。だから、特定の人種、思想、lifestyleを容認しつつも、それをけっして固定化させない。それはあたかもアメリカが文化的、文明的に大きな器量を備えている証だとアメリカは表向きは誇るだろうが、実際は建国モラトリアムが完了することを恐れるユング的集団無意識のdnaのはじまりとも言える。

     阿弗利加の祖国、仮想国クシュの窮乏を憂うエレルーは、アメリカの留学生活から帰国し、国の災厄と考える政治腐敗とその土壌をなしていると考えるアメリカ的なるものを一掃しようとする。かつての伝統が取り戻せれば、国も再建できると考えるエレルーはクーデターを起こし、王を処刑する。しかし、処刑できたのは王の身体だけであり、それで国全体に広がる空気、勢い、歴史的必然を処刑することは出来なかった。それは台風に向けて風向きと反対側に息を吹き付けたところで何も変わらないように、大きな奔流はすでに引き返せないところまで来ていた。

     伝統のためなら、生活の不便を耐えられるであろうと考える
    のは間違いで、人の生活は宗教的儀礼も含めて根底は徹底的に生活的なものであることを理解できなかった。水と食料とエアコン、平和、まずは生活なのである。それ自体は思想と言えるものでは無いが、しかしどんな思想・科学・宗教・哲学よりも強く集団力学に作用する。

     結果、自分が起こした暴力的クーデターは穏健だが圧倒的な圧力のあるクーデターでふたたびひっくり返る。コカコーラやマクドナルドに代表される消費資本主義の武器を持たない革命勢力は結局は世界自体にクーデターを起こし、成功する。

     それが善か悪かはともかく、最強なのである。アメリカが製造した文化・文明的原子力発電所はいまや制御不可能な状態にまで進行し、アメリカに反感を抱いているはずの国や人の根幹的生活DNAを変えてしまっている。

  • アメリカ以外の国があることをアメリカ以外の国(アフリカ)の人間の視線で描く。それにしても男というのは欲張りなものですね。奥さん4人いればそれぞれに役割を持たせて。でも、もし4人の人格をひとりの女性に求めるとしたら求められたほうは大変だろうけど。

  •  ふだんは一気読み派なので、ひとつの小説をこんなに何ヵ月もかけて読んだのは、とても久しぶりです。巧みな比喩に彩られた美しい文章なのがかえって災いして、頭になかなか情況が入ってこなかったのが、一番の障壁だったかな。しかし読み終えてみれば、やはり感傷に満ちた、美しい小説でした。

     わたしの頭には、難しい世帯情勢はやや手に余るのですが、読まれる方に国際政治的な興味があれば、たぶんもっと味わい深いです。アメリカの援助が第三世界に何をもたらすか、というのが、アフリカの架空の国を舞台に、その国の独裁者の視点から語られています。西洋的な考えを無理に押し付け、消費の仕組みを持ち込むアメリカ合衆国を憎み、回帰を唱える主人公は、しかし合衆国への留学経験があって、かの国の豊かさへ憧憬を抱いてもいる。

     アメリカ人作家さんがそういうものを書かれたというのが、なんかすごいなと思います。外の視点を持つというのは、ちょっと考えてみる以上に、難しいことなのではないかという気がして。

  • ラテン・アメリカ文学には独裁者小説というジャンルがあると訳者である池澤夏樹が月報に書いている。ガルシア=マルケスの『族長の秋』、バルガス=リョサの『チボの狂宴』と、既読のものでも指が折れるくらいだから、多分ジャンルとして成立するのだろう。強烈な個性を持った一人の男が国を牛耳っているのだ。小説にする材料に事欠かないのはいうまでもない。とはいえ、作者のアップダイクといえば「ウサギ」シリーズで知られるアメリカ人作家。典型的なアメリカ中産階級の男女の愛とセックスを描いてきた、いわば都会派小説の書き手。まず、このミス・マッチが興味をひく。

    小説の舞台になっているのはクシュという架空の国。北アフリカ内陸部にあって、国土はジャングルでなく沙獏。元はフランスの植民地だが1960年に独立してイスラム社会主義国になった。大統領は、ハキム・フェリクス・エレルー。この小説の語り手であり、主人公である。エレルーは生粋のアフリカ人だが、孤児として育ち、外人部隊の一員として仏領インドシナで戦った後アメリカに留学する。帰国後昇進し1969年のクーデタで国の実権を掌握。三十六歳で大統領となる。

    クシュの現在の問題点は干魃による飢饉である。もともと沙獏地帯であるクシュに干魃はない。季節に応じて家畜を移動させる遊牧民的な生活が常態であった。それが、クーデタ後他国からの援助で井戸が掘削され、定住的生活が可能となったため、牧草地に生えた草を家畜が食い尽くすことで人為的な干魃が生じたのだ。善意の援助が、かえってその地域本来の生態系や文化を破壊してしまうという主張が全編を貫く語り手の問題意識である。これに冷戦時の米ソ双方の思惑がからむことでストーリーが展開していく。

    エレルーは、アメリカに留学中にイスラム教に帰依している。イスラム教を信奉し、イデオロギー的には社会主義というのは簡単にいえば反アメリカということだ。これに対し、エレルーの片腕で主席大臣を務めるエザナは、イスラム教が認めない絹製のスーツを身に纏い、アメリカに対しても親近感を感じているようだ。クシュは、霊的にはエレルーが統治し、外交や財政といった現実的な政治はエザナが担当している。

    独裁者小説といいながら、政治的な駆け引きや権力闘争の気配が希薄なのは、そちらはエザナの担当だからだ。エレルーは、千一夜物語のカリフよろしく、旅の物売りに扮し国内の様子を見回るのが仕事だ。ある時は沙獏の隊商の中に紛れ込み、またある時は、井戸掘り職人の一団に加わって、問題が起きている土地に直接乗り込み解決をはかる。最後には、自分がエレルーだと名乗りを上げるのは水戸黄門と同じである。格さん助さんならぬオプクとムテサという二人のボディガードがメルセデスに乗って少し後ろから付いてくるのまでよく似ている。もちろん女性もいなくては話にならない。四人の妻のうちの一人一番若くて小柄なシェバと、新しく見つけてきたクトゥンダが、旅に同行する。

    沙獏の地下にソ連が作ったミサイル基地が忽然と現れたり、ほとんど秘境といってよい不毛の高地を訪れたり、ある面でこの小説は秘境小説であり冒険小説的な香りが濃い。回教寺院の尖塔から流れる晩祷や、王宮の迷路のような抜け道といった基本的な設定から、沙獏の稜線に幻のように現れる二つの金の放物線(マクドナルドの看板である)や、イスラム社会主義国の中に秘密裡に作られていたアメリカ村や油田の存在といったマジック・リアリズム風の書き割りまで、読ませる工夫に溢れている。

    一夫多妻の許されるイスラムの国だから、エレルーには四人の妻がいる。年上で母や姉のような存在のカドンゴミリ。王女であったシッティナ。アメリカから連れ帰った白人の妻キャンディー。それにシェバ。それぞれがエレルーの分裂する人格を照射する働きを持たされている。それを象徴するように、エレルーは、四人の妻に別の名で呼ばれている。一番新しい女であるクトゥンダへの嫉妬から、エレルーとエザナの間には亀裂が生じ、それがもとでエレルーは失脚する。

    エレルーにはラテン・アメリカの独裁者のような強烈な個性があまり感じられない。自分を引き立ててくれた王の首を斬るにあたってもハムレットのように悩む。四人の女の間を往ったり来たりするエレルーの姿はウサギと似ていなくもない。舞台をアフリカに置いてはみたが、結局アップダイクの問題意識は「男と女、宗教と死」にあるのだろう。米ソの冷戦期、アフリカの内陸国に起きたクーデタを材料に独裁者小説のジャンルを借りて、外から見たアメリカの像を描いて見せたアップダイクの問題作である。

  • 2011年4月21日読み始め、2011年4月26日読了。
    世界文学全集の1冊。読みにくいことはなかったけど、うーんよくわからなかった。中東の架空の国が舞台。主人公はアメリカ留学経験のある中東の人間で、クーデタの後に大統領になって…みたいな話だけど、中東の話というより、アメリカの中の中東というかエキゾチズムみたいな話なのかなーと思いました。
    今読むと、ちょっと古い感じもします。

  • 難しいのでちょいちょい読んでいたら、分からなくなって最初から読み直さざるをえなくなった作品。読んで損はない、面白いとは思いますが、もう一度読み直すには時間がかかりそうです。

  • 池澤編世界文学全集のなかで一番ページが進まなかった本。言いたいことは分かる。外側からアメリカがどう見えるか、ということなのだろうけどそのテーマはもう新しくない。文章も巧みだし構成も素晴らしい。しかし読んで退屈してしまっては元も子もないと思う。
    他にアップダイクは読んだことないので何とも言えないのだけど、池澤編全集にはその作家の代表作が収録されているわけではないことはここまで読んで良く解った。それが吉と出たり凶と出たりすることも解った。もっともそれは私の好みの問題なのだが。

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