枕草子/方丈記/徒然草 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集07)

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制作 : 酒井 順子  高橋 源一郎  内田 樹 
  • 河出書房新社 (2016年11月22日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (512ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309728773

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枕草子/方丈記/徒然草 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集07)の感想・レビュー・書評

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  • 訳者がほぼ千年前の作者に憑依されてしまったのかってぐらいよくできている、日本三大随筆の現代語訳集です。

    ラインナップは、
    「枕草子」(清少納言著/酒井順子訳)
    「方丈記」(鴨長明著/高橋源一郎訳)
    「徒然草」(兼好著/内田樹訳)

    酒井訳「枕草子」
    読みだした時は、才気走って気の強い印象のある清少納言の言葉としては、落ち着いた静かすぎる語り口かなあ、と思いました。しかし、読み進めていくうちに、すぐに納得。

    八段目という、とても早い段階で(段の並びには学問的に諸説あるようですが)、清少納言が仕えた中宮定子が、父・藤原道隆の死と兄弟たちの失脚、そして、叔父・道長の台頭により、不遇の立場にいる最中に第二子(第一皇子)出産のため、実家でもない、ある身分の低い役人の屋敷に宿下がりをするしかなかった折、その役人の屋敷の手狭な造りや賤しい行為を皆でからかって笑った、というようなエピソードが語られています。

    その後も、繰り返し繰り返し、「春はあけぼの」に代表される清少納言の好きなもの・嫌いなものといった嗜好、宮廷人に褒められたというような自慢話のあいだ間に挟み込まれる、中宮定子やその家族に関わるエピソード。
    それらは、中宮一家の権勢が絶頂期のものであったり、不遇の時期のものであったりしますが、時系列は無視されて語られていきます。

    読み進めていくうち、明るさに貫かれているように思える枕草子の大半が、中宮定子の不遇の時代に書かれたものであったことがなんとなくわかり、その一部はもしかしたら、不遇の身の上のまま24歳の若さで世を去った定子の死後に書かれたものだったのかもしれないとまで思えてきます。
    しかし、基本的には、定子やその周囲が現実に直面していた悲しみや苦しみは、限られた状況描写などからうっすら滲み出ているに留まっています。

    今は亡き美しく気高い主人と華々しかった時代を思い出し、敬愛と寂寥の念を込めて書いたある種の懐古譚もしくは追悼書だったのかも、と思うと、酒井さんによる静かな文体は、どことなく感傷を呼び起こす点で、まさにぴったりだと思いました。


    高橋訳「方丈記」
    おっさんの中二病感が程良く絶妙に出ていると同時に、なんだかものすごく「しっくり」くる、斬新かつ見事な文体のおかげで、スラスラと読めた作品。
    平安末期から鎌倉初期の、源平動乱に加えて大きな災害が多発した時期に、不遇な一生を孤独に過ごした一人の男の人生観や時代の記憶などが、カタカナ英語混じりの独特な文体のおかげで、ものすごく身近に感じられます。
    表題の「方丈記(三メートル四方の庵のお話)」を「モバイル・ハウス・ダイアリーズ」、有名な「ゆく川の流れは絶えずして」を「リバー・ランズ・スルー・イット」と訳した高橋さんの挑戦に脱帽です。


    内田訳「徒然草」
    淡々とした文体が、徒然草の捉えどころのない、ある種飄々とした感じをよく表している作品。
    人生観や四季の風物の美しさだけでなく、意味不明な伝承や噂話、ちょっと皮肉だったりお馬鹿な話など、雑多な話を同列に記した徒然草らしさ全開です。
    毎日食べていた大根の妖精に窮地を助けられる男の話とか、言いっ放し感がすごく、だからなんやねん、とツッコミを入れたくなります。


    作品と訳者の個性が見事に噛み合っており、それぞれ全編を通して読むと、学生時代に有名な部分だけを習わされた時とは違う、深い味があって面白かったです。

    よくぞここまで!!と感嘆するほど、ぴったりの言葉で巧みに語ることができる人を訳者さんに据えた、池澤夏樹さんの見事なセレクトに恐れ入る、寄稿解説者の上野千鶴子さんの言葉をそのままお借りすれば、まさにキャスティングの妙に尽きる作品集でした。

  • <枕草子>
     「平安時代OLのブログ」らしく、酒井順子訳がしっくりくる。
     積もった雪がいつまで保つか賭けた話や「・・・そんな定子様が素敵」で終わるシリーズもよい。「こっそり書きためていたのが出回ってしまった」というくだりは笑った。

    <方丈記>
     まさかのカタカナ英語まじり訳。「モバイルハウス建てた」とはそういうことか。

    <徒然草>
     たしかにつれづれなるままに書いてある。出家の話、達人の話、妖怪の話、豆知識...。「ダメな奴は何をやってもダメ。見苦しいから人目につかないようにすればよい」とは誰もが思っていることかもしれない。現代は好き好んで目立とうとしているのではなく、無理やり競争の場に追い立てられて悪目立ちする結果になっている人が多いような気もするが。

    1000年前も現代も人の心はあまり変わっていない。

  • 訳すということは、普段、ただ文法通りに当てはめていくといった直訳から始まる。
    けれど、人が書いたものである以上、その人が抱いたイメージをどう「解釈」するか。
    また、その解釈をどの言葉を選んで表現するかという所に、訳者と作者の憑依なくしては得られないものがある。ように思う。

    そう考えると、池澤夏樹が、この三人に憑依を頼んだことがまず、面白いではないか。

    特に私が触れることの多い、高橋源一郎と内田樹に至っては、こりゃあ買わないと、と思わせるグッドチョイス。

    日本古典三大随筆が、一つの巻に揃って、尚且つ面白い憑依が見られるなんて、お買い得すぎます。

    青色大好き清少納言は、自分の自慢話を隠しきれない女性と評されているけれど、そうかなぁ。
    この時代において日記ではなく、これほど詳細に身の回りを描き、またその感情を温めていた女性を愛おしく思う。

    内田樹の『徒然草』は、テンポが良い。
    それが兼好法師のシンプルさにつきづきしい読み心地に仕上げてくれている。
    人から離れきれなかった兼好法師の愛着を見る人もいるが、それでも平安期の男女の想いとはまた違った、つれなさ?をこの文章からは感じる。

    高橋源一郎の『方丈記』は、どう読まれるか。
    一口では異色。だけど、鴨長明の偏屈さがそこにあるような気がして、楽しい。
    一体、どれほどの人が方丈の庵を作っていたのか。
    この人だけのことだったのか。
    けれど、心身共にストイックな生活において、鴨長明が思い及ぶ世界は広大無辺である。

    古典に学ぶ思いは必要である。
    けれど、古典を楽しむことが出来ると尚素敵だ。
    この時に、こんな人がいたんだな、と身近に感じさせる憑依の達人たちの一冊。
    面白かった。

  • 離れに引き蘢ってギターかき鳴らす高校生みたいなもんとも言われてきた?鴨長明の「方丈記」なので、ポップな訳も違和感ないような気がする。
    天災に苦しめられたり遷都がうまくいかなかったり、現代と変わらないよね。

    「枕草子」も、「まさか人が読みはすまいと思って(略)書きためたもの」と言いながら、好きなものや好きじゃないものを並べてるわけだけれど、それが着眼点も理由もうまい文章で、今の素人ブログの比じゃない。ただ者じゃない筆の運び。

    古びとたちとその暮らしが近く感じられる。

  • 高橋源一郎のスーパー「方丈記」の凄さで星5つ。それにしても。人間って千年経っても考えることは余り変わらないんだねえ。
    枕草子はいわば殿上人の世界であり、わかりにくい。
    徒然草は教訓集として大変価値があるのではないかと感じた。

  • 「枕草子」の冒頭を知らぬ者はおそらく居ないほどなのに、その本当の内容を知っている者は、果たして日本人の何%なのでしょうか。

    春はあけぼの、から自然を語って数ページで終わり、ではなく、正に延々と(宮中から見える)世の中の森羅万象を、清少納言の価値観で評価付けする所謂百科全書みたいなものだったのである。いわゆる自然と生活描写だけでなく、日記あり、掌小説あり、なのだ。私の思ったのは、これは日本最初の大衆雑誌ではないか?或いはヒルナンデス、或いはバイキング。時に知的で、時に下品、時に独断専行。1番の読者は中宮定子だったかもしれないが、いつからか宮中女房全員に読者は移ったのかもしれない。

    清少納言の知性は、隠しようがない。しかし、その知性は世界を作ろうとしない。その代わり、世界を語り尽くす。思うに、日本の女性の本性を描いて、日本は突然その高みの頂点近くまで行ったかもしれない。嘘だというのならば、現代の放送作家で、彼女よりも幅広く、深く、エンタメに、ホンを書ける人がいたら教えてほしい。

    「方丈記」は、三大随筆の中で、全文を読んでいる唯一の作品である(短いからね)。訳者は、大震災を経た現代、この人しかいないでしょ、と思える高橋源一郎。流石、ポップな現代文に蘇った。そうやって読んでみると、大震災の描き方が、ルポ的な というのだけが特徴ではない。前半の「現代の首都・京都」という大都会の有様そのもの(大厄災・飢餓・貧困)が、そのままストレートに現代の日本に繋がっているのである。大都会の人間どもが1000年経っても同じことをしている証しだと思われる。高橋源一郎の料理の仕方面白かった。

    「徒然草」は、もしかしたら他の訳書で全文読んでいたかもしれない。至る所に聞いたような事が、書かれている。しかし、読後の感慨は新たなものだった。兼好坊主はこう云う。「どれも『源氏物語』や『枕草子』などに繰り返し言われていることであるが筆に任せて書き散らすよ」と。これも、当時の週刊誌的な傾向を持っているが、枕草子のような繊細さはない。かなり説教くさい。もちろんエンタメ志向なので、ユーモアもある説教である。俗言も多いが、例えば第92段のような卓見もある。

    三大随筆。こうやって訳書でスラスラと読んでわかるのは、1000年前に日本語は突然随筆の頂点近くまで登ったのだということである。

    2017年10月読了

  • 中高時代の国語の授業で習ったけれど、ろくに読んだこともないまま名前だけを知っている古典を、改めて新訳で楽しく読んだ。

    枕草子では清少納言が身分の高い人を褒めそやして、低いものについては蔑むような言動をとるのだけれど、この残酷な面はこの時代のスタンダードだったんだろうかなどと思う。貧乏人の子沢山や老いさらばえてしまった人を蔑む文書があるのだけれど、それ、仕方ないだろうと読んでいて思ったりもする。
    清少納言に限らず、女房達はみな気ままだし残酷だ。
    しかし、彼女自身が才能を褒められたり称えられたりした自慢話も、藤原道隆が亡くなり、定子の立場が危うくなっていくこの後の時世の流れを思うとなんとも物悲しい。

    方丈記はかなりアヴァンギャルドな新訳になっていて、思い切ったなと思う。この訳も今だからこそ受け入れられるのだろうけど、四半世紀もしたら古びて感じられるのかななどと思う。
    それにしても鴨長明、現代にも通じる真理を論じている。それだけ人間が進歩していないということなんだろうけれど、災害が起きた後に喉元過ぎれば熱さを忘れて教訓を学ばない、というくだりなんかは身につまされる。
    京都が一時期神戸に遷都しようとしていた話なんて初めて知って、自分の無知に驚いた。学生時代に習っていたのに忘れてしまったんだろうか。

  • 貴族も人間だから、ないものねだりをしてやさぐれるのだなあと、時代が変わっても、社会環境が変わっても、脳みそはあんまり変わらないのだなあと、実感するといい感じに脱力出来ます。

    酒井順子さんの枕草子は、清少納言の肉声を聴いているようなみずみずしいリアリティがあって好きでした。

  • 「先生と先輩がすすめる本」

    「モバイル・ハウス・ダイアリーズ」――鴨長明「方丈記」を高橋源一郎はこう訳す。本書は古典を、ただの現代語訳ではなくポストモダンな語り直しとして見事に蘇らせた。全てを灰燼に帰した大火や大震災を乗り越えて暮らす人々。仏像=フィギュア、掛軸=ポスターを部屋に飾る鴨長明。八百年前も今と大して違わない、むしろ驚くほど似ている。でもなぜかほっとするのは、鴨長明も苦しみ迷い悩みぬいて、その軌跡を自由な筆致で残したからだ。稀代の訳者を得た古の言葉は現代の私たちにそっと寄り添う。古典がその温もりを失うことはない。(教員推薦)

    ↓利用状況はこちらから↓
    http://mlib.nit.ac.jp/webopac/BB00539470

  • 枕草子(酒井順子)
    方丈記(高橋源一郎)
    徒然草(内田樹)
    月報:上野千鶴子・武田砂鉄

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