好色一代男/雨月物語/通言総籬/春色梅児誉美 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集11)

  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (576ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309728810

感想・レビュー・書評

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  • 原文の一部が載ってるくらいので読みたいと思ったけれど、完全現代語訳。だけど、それぞれ訳された作家さんたちのセンスがキラリと光り、江戸文学のエッセンスがギュッと詰め込まれた、お値打ち品の一冊。

    好色一代男
    原作: 井原西鶴/ 現代語訳 島田雅彦
     七才の時、夜中に子守に連れられてトイレに行った時、足元が危なくないように蝋燭を持って付いていてくれた子守のお姉さんに「その火を消して、そばに来て」。「足元が危ないから、こうしているのに、明かりを消してどうするんです。」と子守。「恋は闇ということを知らないの?」。
    この頃から、クレヨンしんちゃん顔負けの天才好色男児、世之介!
    八歳の時に、伯母さんの家に暫くお世話になっていた時に、好きだった従兄妹のお姉さんに
    「この間、僕があなたの大切な糸巻きを踏んで壊した時に、腹が立ったでしょうに「全然大丈夫よ」と言って怒らなかったのは、何か内緒で僕に打ち明けたいことがあったからじゃないですか?もしそうなら、聞いてあげたいです。」という手紙を自分で書けないから、自分のお習字の先生のお坊さんに書いてもらって、下女を通じて従兄妹のお姉さんに渡した。お陰で、代筆したお坊さんは自分が誤解されて迷惑を被った。
    十歳の時には、早くも男色の気も現れ、十一歳の時には遊郭に出入りを始め…。あちこちで綺麗な人と「いつまでもいつまでも一緒にいようね。」と誓いあって、相手に血判を押した誓約書まで書かせるのだけど、世之介のほうこそ一人のひとに落ち着けないんだね。悪気はないんだけど。「子供が出来た」と言われれば逃げちゃうし。
    ろくでなしの女たらし。こんな物語でも340年も経ったものだと立派に“古典”として扱われるのか…と思ってふと後書きを読んでみたら、なんとなんとこれは「源氏物語」のパロディで源氏物語五十四帖を世之介の7歳から60歳までの好色遍歴54年になぞらえているらしい。そもそも日本文学というのは、イザナキ・イザナミの頃から色恋が大好きで、戦いと冒険ばかり描いていた「イーリアス」や「オデュッセイア」とは違うんだって。
    そういえば、世之介は光源氏に似てるんだ。ただの好色ではなく、生まれつきのイケメンで、おしゃれで、気が優しくて、くどき上手で、男にも女にもモテる人たらしなのだ。親に勘当されてお金が無いときでも、流しの歌手として身を立てながら、相変わらず色恋沙汰を休まない姿は憎めないし、親の遺産が入って大金持ちになったあとは、可哀想な遊女がいると、サッと身請けしてやり里に返してやるなど、男っぷりのいいことするし。吉原や島原で名だたる、当代一と言われた遊女たちの本命も“世之介様”だったし。
    中年になってから、いつもの遊び仲間と、あっちの遊女がいい、こっちの遊女がいいと品定をする会話の場面なんかは、源氏物語の「雨夜の品定」そっくり。
    最後には、愉快な仲間たちと舟に往年の遊女巡りの思い出の品を詰め込んで、恋風任せで船出して、行方をくらました。その前に「夕日影 朝顔の咲く その下に 六億円分の 光残して」という歌を刻んだ茶臼石に朝顔の蔓を這わせ、その下に埋めた六億円、まだあるのかなあ(京都の東山だそう)。

    あとの3遍も凄く良かった。書きたいことはいっぱいあるけれど、時間の都合で、紹介だけ。

    雨月物語
    原作: 上田秋成/ 現代語訳: 円城塔

    通言総籬(つうげんそうまがき)
    原作:山東京伝/ 現代語訳: いとうせいこう

    春色梅児誉美(しゅんしょくうめごよみ)原作: 為永春水/ 現代語訳: 島本理生  

    「通言総籬」は江戸っ子のリズム感がいい。落語を聞いている感じ。イナセ。今、江戸で流行っているファッションやイケてることなどがビンビン伝わってくる。
    「春色梅児誉美」は現代の人に分かりやすいように三人称を一人称に変えて訳すという工夫されたらしいが、現代小説と変わらない。泣けるラブストーリーであり、心温まる感動の再会、友情の物語。島本理生さんのオリジナル作品読んだことないけれど、興味が湧いた。

  • いまにも溶けてしまいそうな暑さが続いていますが、そんなときには、ひやっ~とする怪異談ですね(^^♪ といっても、ただの怪談ではありません。ホラー恐怖物でもないし、スプラッタ状態でもありません。まじめに冷やしてくれるのに、よよ~と泣かせてくれる、なんとも静かであはれな『雨月物語』!

    江戸時代、徳川吉宗の時世に活躍した上田秋成(1734~1809)。彼いわく、雨あがり、おぼろに月がかすむ晩春の夜に描いたという『雨月物語』には、美しくもまがまがしい月、しっとりした雨の情景がでてきます。
    わずか9編の短編集ながら、どれもこれも珠玉のできばえ。わくわくはらはら肝を冷やす面白さで、なかでも私が好きなのは、「白峰(しらみね)」「菊花の約(きっかのちぎり)」そして「青頭巾」。

    ***
    『白峯』は、行脚する西行の奇怪な体験からはじまります。保元の乱で敗れて配流になった天皇/崇徳院(すとくいん)の墓参をした西行は、そこで懐かしい崇徳院(亡霊)と対面します。和歌や言葉を交わすうちに、なにやら剣呑な雰囲気に……そうこうしているうちに、激しい論争がはじまります。どちらも一歩も譲りません。

    「(崇徳院)……出家して仏道に溺れ、目がくらみ、自身の解脱(げだつ)という私欲を満たそうとするのはお前のほうで、この世の道理を仏道のいう因果によって丸め込み、堯や舜(ぎょう/しゅん:中国神話の名君、儒教家の羨望の的*アテナイエの余計な注釈)のような聖人の教えと、仏法とを取り混ぜて朕(われ)に説教しようというのか」と声をあらげて迫った。
     これを聞いた西行は、恐れ気もなく膝を進めて、
    「あなた様のお言葉は、人の道を説くふりをしているだけで、俗世の私欲を一歩も離れておりません……」

    やれやれ……すさまじい応酬に開いた口がふさがらない。恨みつらみの崇徳院もどうかと思いますが、それを理路整然とさとす孔子然とした西行にもムッとする苛立たしさ……どんどん読み進めていくと、エンディングもこれまた冷える。

    『菊花の約』は、義兄弟の契りを交わした下級武士の左門と宗右衛門の人情譚。冒頭から薄霧でふわりと巻いた綿菓子のような雰囲気なので、ガサツな私の言葉で壊すのはやめておきます。読んでみてください、ちょっと泣かせます。

    『青頭巾』は、行脚中の禅僧が旅先で遭遇した人食い鬼の騒ぎからはじまります。村人に仔細を尋ねると、男児に迷い、鬼となってしまった僧侶がいるといいます。その話を確かめようと、うら寂しい山寺へむかう禅僧……(あぁ~~行かなきゃいいのに……でも行かないと話は始まらんし…)。

    9つの短編のどれもが確かに怪異談です。が、いや~吐息がもれそう。そこには彼岸も此岸もありません。死者や生者の境もありません。人間とはなんぞや?? 読めば読むほど唸ってしまう痛快さ。
    仏教の説法臭ささや、儒教かぶれもありますが、じつはそれさえも、『白峰』でみたように、崇徳院の痛烈でシニカルなセリフにして嘲笑する作者秋成の奇怪な声が行間から聞えてきます。人間を題材にして文学で思いきり遊んでいます。いいですね~こういう遊びは、楽しくて真剣でなくちゃぁ~いけません。まったく白黒つけられない、人間のいかんともしがたい性(さが)や業のすさまじさ、はたまた一見すると美談の「菊花の約」さえも、どこかがおかしい。「美徳」が醸す不穏さ、言葉にしがたい気味悪さ、ひやゃ~~巧いですね!

    善や悪をとりあえず脇においた、味わい深くシブい大人の怪談が楽しめます。円城訳もとても読みやすい。

    余談ながら、村上春樹の『騎士団長殺し』。冒頭から霧のように漂う面妖さは、まるで『雨月物語』から立ちのぼってくるまがまがしさにくるまれたようです。そこへ「蛇性の婬」や「青頭巾」あたりの「あはれ」を綯い交ぜたようなシブさ、とても興味深く読みましたよ♪
    ***
    <寂しさに秋成が書(ふみ)読みさして庭に出でたり白菊の花>――北原白秋

  • 冬期休暇のため長くて分厚い本が読める!と、気になっていた日本文学全集シリーズ。
    現代語訳のため相当読みやすく、休み前半で読めた。

    【井原西鶴「好色一代男」 新訳:島田雅彦】
    光源氏、在原業平の流を汲む色好みの世之介さん、幼少のころから60歳までに遊びに遊んだ女3,742人と男725人、使ったお金は現在価格で500億近く。
    そんな世之介さんの一代記(まさに一代限り。何も続かない、何も残らない)を
    7歳から60歳までを1年ごとに54章で書いたもの。

    昔増村保造監督、市川雷蔵主演の映画を見ました。
    映画での世之介役の市川雷蔵は実に自由で前向きで明くて良かった!
    光源氏や在原業平はいじいじグダグダしていて喝入れたくなったが(学生時代の授業での感想/ちゃんと読んでないから分からんが(笑))、この世之介さんなら一瞬の恋に燃えても楽しそう!と思えるような人物像でした。

    そんな世之介さんを期待して、かなりワクワクしながら読み始めたのですが…

    井原西鶴の原作もそうなのか新訳でそうしたのか、サクサクサクサク進み過ぎて世之介さんの心情も触れられず。
    大店の遊び人と遊女を両親として生まれた世之介さんは、まだ母と添い寝の頃から従姉や女中さん近所のおかみさんたちに色っぽいことを言ってきた。
    青年になって自然と遊女や人妻を相手にし、あまりにも度が外れた遊びっぷりに両親から勘当される。
    それならばそれで…と、日本全国その日暮らしながらも色事っぷりは増すばかり、坊主修行をするもののすぐ色事に走り、、たまにどこぞの家に婿のように入ったり、たまに子ができても女も子も捨て、旅の尼さんにも坊さんにも手をだして…と、まあこの時代は金も家もなくても遊び倒せたんですね。

    映画では勘当されてからは「ここぞ!」とばかりに自由への道を邁進するんだが…、原作では父が亡くなった後母により勘当は解かれて、(現代価格に換算し)500億の遺産を「好きなだけ遊びつくしなさい」と渡される。
    そこで吉原、島原、下関など日本全国遊び歩き、名のある遊女と言う遊女は全員身請け、吉原一の花魁を正妻に迎えるが相変わらずの遊びっぷり。
    結局60歳になって遊び友達と共に、女たちの腰布で帆を作った船に乗り海へと漕ぎ出しそれっきり。
    それなりのいい男で金と時間はあり余り、遊ぶ以外にやることはないとなったらさすがの世之介さんも生きるのがキツくなったんだろうか。

    市川雷蔵の映画の世之介さんでいいセリフがいくつかあったので覚えてる範囲で記載。
    「(心中計ったが女だけ死んで)わたしもすぐに後を追うぞ!…でも先に三途の川を渡ったかな~今から後を追っても追いつけないかもしれないな~、よし!死ぬのは辞めた!」
    ⇒この前向きさ(笑)。きっと先に死んだ女性も許してくれるよ。

    (映画のラストは役人に追われて逃げるための船出)「この船の帆は今まで出会ったおなごたちのものや!おなごたちの加護がついている、さあ、女護島へ出発や~!」
    ⇒散々遊び散らしていますが、一人ひとりに本気で誰からも恨まれてない!という自信があるんですね。
    現代日本の道徳に同調している私でも「酷い男と酷い人生で添い遂げるより、一瞬でも世之介さんと遊べた方が幸せでは」と思った(笑)

    「おなごは鬼と罵れば鬼にもなる、仏と拝めば仏にもなる。それなら仏と拝んだ方がいいではないか、ありがたやありがたや~~~」
    ⇒これは人間に対する心持の理想ではないか。座右の銘にしたいくらいだが…私が全く実行できていないorz

    【上田秋成「雨月物語」新訳:円城塔】
    人の執着、無念により、死んだ後にも祟り神、鬼に変化して恨み言を語る。
    僧に出会って成仏できるか、恨みの相手を取り殺してどこかへ消えるか…

    最初に読んだのは高校生くらい??(もちろん現代語訳)だったと思うのですが、日本の古典としてかなりお気に入りだった。
    さらに当時流行った桃尻語訳シリーズかなにかで「作者の上田秋成は、わがままで嫉妬深くて困った男」みたいに紹介されていて、それがさらに雨月物語を興味深く感じていた。
    雨月物語では性の直接的描写はないので、高校生当時はそのまま読んでいましたが、
    その後大人になってからは「戦場ど真ん中の村に妻を残し都に登る男」なんて、妻が無事なはずなかろう、わかって捨ててるだろうと思うし(実際に溝口健二監督が映画化したものでは、妻は敵兵たちに…、という場面がある)、
    「少年に執着する僧」「義兄弟の契りを結び命懸けで約束を果たす男たち」ってやっぱりそういうことじゃないか!と思うし、
    文章の裏から浮かぶような性描写があるんですね。

    円城塔の作品を読んだことはないのですが、現代語訳版では、怪奇も変化も特別なことではなくごく自然にさらっと記載されています。
    もう少し情念を感じさせる文章でも良かったかなあと思う。

    【山東京伝「通言総籬(つうしんそうまがき)」新訳:いとうせいこう】
    話の筋としては、吉原で遊びに興じて生きたいと思うお坊ちゃまの”えん次郎”が、自宅で準備をして吉原の遊女に会いに行くまで、ということですが、
    タイコモチの”北里喜乃介(きたりきのすけ)”や、医者坊主の身なりはしているが実はヤブ医者のタイコモチ”わる井しあん”たちとの軽口やり取りを通して、吉原の名物紹介というガイドブック的側面、そして作者山東京伝の作品宣伝という側面を持っているらしい。
    訳者のいとうせいこうは、本文も軽口の応酬を書きつつ訳注を付けまくり楽しく訳している感じです。
    なにしろ訳注では「山東先生、この場面筆が乗ってます!」「現代だと○○みたいなもの」な訳者ノリノリ(笑)

    この読み物自体全く知らず…
    ガイドブックっぽいが、蔦屋重三郎がバックについての本当に宣伝本ということらしい。
    まあそういう本のスタイルを確立させて行った過程というような読み物、と言うようなものだろうか。


    【為永春水「春色梅児誉美」新訳:島本理生】
    吉原でそこそこ名の通じる店の唐琴屋に関わる人たちの人間恋愛模様。
    番頭に追い出された元若旦那丹次郎、丹次郎の愛人の芸者米八、丹次郎の婚約者お長、花魁此花、此花の御贔屓藤兵衛、髪結いの小梅のお由…達の間で繰り広げられる恋愛騒動。

    「春色…」は全く知らず、島田さんも初めて読んだ(そもそもこの名前、男性?女性?と思いながら読んだが、女性っぽいな)
    現代っぽい感覚で訳されていて、米八の口調など「○○じゃん」「さんきゅ」などと思いっきり現代風。
    話しの進み方も、章ごとに登場人物の一人称で語られていて、江戸時代にこんな書かれ方したのか??と思ったら現代語訳に際しての改変らしい、洒落た感じがでてた。

    しかし行動や口調が思いっきり現代恋愛ものであり、
    人の営みは何百年たっても変わらない、江戸時代も今の私たちも同じだと解釈するものなのか、
    現代語訳に当たって特に現代の人に感性を合わせた訳し方にしたのか。

    私は現代恋愛ものは読みたくないので、途中で「江戸時代の文学を読むつもりが、思いっきり現代ものではないか!!」とちょっと焦ったわ。

    色々拗れるのでラストは悲恋か?心中しちゃうか?とこれまた焦ったが大団円だった。
    しかも「○○は実は上流武家の隠し子!」とかのビックリ情報明かされまくり(笑)
    江戸文学ではこういう「実は○○!」というのが流行っていたらしい。

  • 「日本文学全集」の一冊として江戸時代の小説を集めた巻。円城塔訳の『雨月物語』が読みたくて手に取りました。んで期待通り『雨月物語』はすごく面白かった。『好色一代男』もはちゃめちゃで楽しいけど、収録された4作のなかでは文学としても物語としても『雨月物語』は圧倒的強い。江戸時代に書かれたものということもあり、この時代の文化、例えば遊郭とか年貢とかが話に関係していることも多々あり、時代小説にあまり触れてこなかった身としては新鮮さもありました。なんというか内面的なことでくよくよ悩む人はあまりおらず、外的な要因で駆動する話が多い印象。その分、ストーリーの躍動感や、会話のテンポに重きが置かれている気もして、現代の小説との違いを楽しみました。
    以下では、個々の作品の感想を書いていきます(長いよ)。


    『好色一代男』訳:島田雅彦
    3742人の女性と、725人の男性と戯れた好色な男の一代記。有名な作品ですが、実際読んだことはありませんでした。京都の裕福な家に生まれ、幼いころから遊郭に通いつめて様々な人々と契りを交わし、放蕩しながらひたすら性を求め続けた男。あらゆる事象が「性」と結びついており、たくましいやらどうしようもないやらで男の性(さが)、人間の性、生き物の性がこれ以上ないってくらい描かれております。最後は俺の戦い(性行為)はこれからだ!ってな具合で女護島に向け船が出航してエンド。桁外れの放蕩ですなあ。文学っつうか、浪漫小説といった方がしっくりきます。『源氏物語』の影響が強いと感じる部分が多々あり、あちらが基本的に「契り」を”秘め事”として描いていたのに対して、『好色一代男』ではあえて「俗」なものとして捉えている気がします。おそらく江戸時代版光源氏(やんちゃ度高め)をやろうとしたんだろうなあ。時代によっては低俗小説といわれたり、奇書に分類されたり、官能小説にあてはめられたりするんじゃないかと思いますが、そんな「俗」を突き抜けて書くことで、何かが反転する感覚を味わえました。



    『雨月物語』訳:円城塔
    これすごーく面白かったです。幽霊がよく出てくるんですが、それ以外にも幻想譚あり、冒険譚ありと充実度が高い。不思議な説話集といった体裁の本ですね。いま読んでもぜんぜんモーマンタイな純粋に面白いお話ばかりです。私が読んだこの円城塔訳は読みやすく格式もありーので、むずかしさは一切ありません。序文で上田秋成の言葉として『源氏物語』を引き合いに出し、そこから自身の世界を作ろうとしている印象。論語や詩歌なども引用され、お金についての議論なんかもされ、だいたい100ページちょいくらいしかないのにすごい満足度でした。ありがとう上田秋成。ありがとう円城塔。とても良かったので、さらに9編1話ごとの感想も記しておきます。

    「白峰」
    ある旅人が白峰(しらみね)という場所で新院という偉い人の魂を供養しようとしたらその人の霊が登場し会話をするというお話。なんでも新院は朝廷に対する怨みが残ったままなので、生前に身につけていた魔道を使い祟ってやるつもりらしい。基本的にこのふたりがこの場所でするミニマムな会話のみで話が進んでいくのだけど、背景にある政(まつりごと)や『詩経』からの引用、歴史に関する知識、仏道、単純な恨みつらみ、そういった部分を交えながら「いかに説き伏せるか」が見どころとなる。10ページくらいしかないのに満足度高し。

    『菊花の約(ちぎり)』
    せ、切ない……。清貧な生活を良しとして、母とともに暮らしている左門。勉学の才能はあるものの、何事にも高望みはしない性格なのかつつましい暮らしに身を置いていた。ある時赤穴(あかな)という旅人が隣人の家で病に伏していると聞いた左門は、病気が感染ることも厭わずかいがいしく看病にあたる。元気になった赤穴は左門の人柄に惚れ、左門も赤穴を兄のように慕いふたりは義兄弟の誓いをたてる。ちょっとBLみを感じる仲の良さが微笑ましく、さらさらと信頼感が深まっていく様子は読んでてしあわせな気持ちになりました。しかしその後赤穴は使命のために出雲国へ戻ることとなり……。
    赤穴を信じる左門の心と、左門との約束を何としてでも守ろうとする赤穴。ちょっと『走れメロス』っぽい要素もあるので、この作品も地味に後世の作品に影響を与えているのだろうなと思います。最後はそんな上手くいくか?と思いましたが、これくらい勢いのある締めのが読んでてスッキリするので好き。

    『浅茅が宿』
    溝口健二の映画作品『雨月物語』の元ネタとなった短編。
    内容は「菊花の約」の変奏のようなもので、商人になるために妻を家に残して京に赴いた夫と、戦乱の地にあってひたすら夫を待つ妻のお話。戦場となった自分の家で妻はもう生きていないと思い込み、近江国で7年も人様の世話になりながら暮らす夫はしょうもない奴だと思うけど、それ以上に妻の精神力が(色んな意味で)凄まじくてびっくり。もっと怒ってええんやで。でもそこで恨みを晴らすような展開にはせず、夫の心に寂寥感を残して去るからこそ、余計胸に迫ってくるのだと思います。
    ちなみに夫を待つあいだ妻の家に寄ってくるのは狐や梟くらいだったようで、じゃあさみしくなかったじゃんねと、勝手に意訳しながら読みました。

    『夢応の鯉魚』
    絵の名人として知られる興義という僧が主人公。ある年彼は病気にかかり7日ほど寝込んだあとで息を引き取ってしまう。しかし体温はあたたかいままなので、まわりの者は万が一ということを考え3日程見守っていたら、なんと再び目覚め、その上自身が「魚になっていた」という話を語りだした……。
    不思議な話なのに妙に真実味があり、読んでいる私自身とりことなりながら耳を(目を)傾けました。夢と現の狭間をたゆたう物語。まさに夢見心地な感触があって素敵です。

    『吉備津の釜』
    奥さんの怨みによって呪い殺されそうになり、身体に文字を書き、家のまわりに呪符を貼り難を逃れようとする、という展開なのだけど、これって『耳なし芳一』ですよね。どちらが元ネタなのか、あるいはさらにもっと古い元となった話があるのかはわかりませんが、こういう話が一種の流行りだったということなのかしら。あと朝になったかと思ったらまだ夜で、騙された側は禁を破ってしまうって展開は現代のホラーでも見かける手法(怖がらせ方)なので、強いフォーマットなんだなあと感じます。最後はぜんぜん救いがなくて逆にすっきり(すっきりすんな)。

    『蛇性の婬』
    いままでで一番長い話(といっても25ページくらいですが)。ちなみにこれも溝口健二の映画作品『雨月物語』の元ネタのひとつです。内容はうだつのあがらないおっとりした性格の男が妖怪の蛇に見そめられ付きまとわれるというもの。いわばヤンデレ系ストーカーみたいなもんですな、この蛇女さんは。展開が多く、解決したかと思ったらまた何らかの出来事が発生→何とかして逃げるor倒すというのを繰り返していきながら、事態はどんどん大ごとに。エンタメ性が高く活劇要素、ホラー要素、恋愛要素(?)と色んな要素が入っているのも楽しい。もしかしたら蛇は純粋に豊雄のことが好きで、他にやり方を知らなかっただけかもな、なんて思いながら読んだので、最後はちょっと悲しかったな。それくらい気持ちが入った状態で読みました。

    『仏法僧』
    息子に家業を継がせ頭を丸めた男が、息子と一緒に高野山に出かけたときのお話。夜も遅くなり、泊まる場所も見つからなくなってしまったので野宿をしようとしたら、「殿下」と呼ばれる者に付き従う武士の集団に巡り合う。なんとその集団は悪逆を重ね切腹の死罪となったはずの"豊臣秀次"の一派であり、男と息子は恐れおののく……という内容。10ページもない短いお話で、他の話と同様、死霊と遭遇する展開になります。お父さんと息子よりも死霊たちの方が生き生きしてるように見えて、その様子がなんだか面白い。一番最後に「実話である。」という言葉で締めてるのもなんだかじわじわくるぞ。

    『青頭巾』
    その村には鬼と言われ恐れられるお坊さんが住んでいた。旅で訪れた高僧は人々が安心して暮らせるようにするため、例の鬼坊さん(仮称)に会いに行く……。
    なんかちょっと変な話だった。悪い意味ではなく、現代私たちがよく接している物語の文脈から微妙に外れているという意味で。怪異譚として書かれたはずなのだけど、冒頭で村に訪れた高僧が鬼坊さんと間違われて村人がみんなして逃げ出すシーンの面白さとか、鬼坊さんと会ってみたら意外と素直な人だったこととか、極めつけはラストシーンで、言い付けを1年も守ってから成仏するシーンとか、全体的にコメディっぽいです。不思議な感触が妙にくすぐったく感じる話でした。

    『貧福論』
    お金に対し独自の哲学を持ち、お金を大事に貯めこむ男のもとにお金の聖霊が現れ、お金について議論を交わすという内容。お金お金って……と思われそうだが、お金を持つ者の役割や、仏教の輪廻、天下を取った武将についてなど意外な方面にまで話はおよび、単純に面白く、ふむふむ言いながら読みました。雨月物語版『資本論』ですね。
    てか最初の方の場面で枕元に老人が座っているのに気づいた佐内が「そこにいるのは何者か。わしにたかろうとするのは”筋肉馬鹿”くらいなものだ」とか言ってるし、これ笑わせようとしにきてますよね? なので教訓話の面を持ちながら、冗談話みたいな体裁も持っています。

    以上。いずれも読みやすく、とても面白かったです。



    『通言総籬』訳:いとうせいこう
    読み方は「つうげんそうまがき」。いわゆる洒落本というジャンルの本で、江戸時代の遊郭についてや、風俗・言葉についてをテンション高めにテンポよく書き綴っていきます。洒落本というくらいだからたぶん笑える本ということなのだと思うけど、正直笑いどころがわからないものが多かった。どちらかというと会話のテンポの良さの方が読んでいて楽しかったのだけど、それは訳者のいとうせいこうの功績な気もするし、もう少しこの時代の文化に対する知識や、吉原に対する興味を持って読んだ方が良かったかもな、と思いました。



    『春色梅児誉美』訳: 島本理生
    読み方は「しゅんしょくうめごよみ」。なんちゅうかあれです、ジャンプに載ってるラブコメ漫画みたいな話です。ある男が遊郭にいる女性と許嫁とのあいだで右往左往する話でして、男にとって都合のいい展開が多い気がしました。まあこの小説が評価されているポイントは軽妙洒脱な会話の部分にあると思いますので、そこを楽しんでなんぼなのかもしれません。んが、だからこそストーリーにはあんまり惹かれるものはなかったな。

  • 名所旧跡というものがある。人の口に上るので、自分では特に行ってみたいと思っていなくても、一度くらいは行っておいたほうがよいのではと思ってしまう、そんなようなところだ。古典というのもそれに似たところがあるのかもしれない。学校の歴史の授業で名前だけは聞いていても、『雨月物語』はともかく、色恋や女郎買いを主題とした『好色一代男』や『春色梅児誉美』などは、文章の一部すら目にしたことがない。ましてや山東京伝の名前は知っていても廓通いのガイドブックである『通言総籬』などは作品名さえ教科書や参考書には出てこない。しかし、出てこないから、大事ではないということではない。

    「色好み」というのは、日本の文化・伝統というものを考えたとき、まず最初に指を折るべきところ。何しろ『古事記』の国生みからして、その話から始まるのだし、世界に名立たる『源氏物語』は全篇「色好み」の主題で貫かれている。というわけで、十七世紀から十九世紀にかけての日本文学を代表する作品として選ばれているのは、浮世草子、読本、洒落本、人情本というまあ、今でいうエンターテインメントばっかし。面白くないはずがない。そうはいっても、怖いもの見たさで現代語訳を読んでみた『雨月物語』を別として、あとの三作は原文はおろか訳文すら目を通したことがない、という体たらく。

    それもそうだ。『平家物語』の書き出しのように人口に膾炙しているわけでなし、『源氏物語』のように、何度も映画化されていて、原作を読まずともある程度のストーリーに通じているといったキャッチーなところが少ないのだから。まあ、世之介という主人公はけっこう有名で市川雷蔵主演の映画でそのキャラクターも知ってはいたが。『源氏物語』五十四帖をパロディにした、こんな愉快な物語だったとは、現代語訳を読むまではとんと知らなかった。

    これは、江戸時代前期の日本各地を舞台にした一種のピカレスクロマンではないか。女だけではなく若衆、つまり男も相手にした好きものの男の一代記。日本が諸外国と比べ、性に対してあけすけなのは知っていたが、これほどまでとは知らなんだ。ところかまわず、相手かまわずことに及び、子どもが生まれたら捨て子にし、どれほど一生懸命に口説いた相手でも、時がたてば別の場所、別の女にいれあげる。この世之介という男、とんでもない男である。その一方で、女にまことを尽くし、どこまでも連れ添おうとする律儀なところもある。価値観というものがそんじょそこらの男とはちがっているのだ。

    長い戦国時代が終わり、徳川の世になったことで天下泰平の時代の空気のようなものがそうさせるのか、「金もいらなきゃ名誉もいらぬ、わたしゃも少し背が欲しい」というギャグがあったが、世之介が欲するのはただただ色事に尽きる。歌枕を訪ねるように女を求め日本各地を漂泊する前半も読ませるが、親の遺産を蕩尽しようとして果たせぬ後半のアナーキーさがニヒリズムさえ漂わせ凄みをみせるのが、「好色丸」と名付けた船で女護ヶ島目指して旅に出る最後の場面だろう。バイトやヘルプという俗語も自然になじむ島田雅彦の現代語訳は読みやすい。各巻七章で八巻のみ五章の構成。短い章立てがテンポよく、飽きさせない。

    中国白話小説を翻案し、日本を舞台にした怪談集の体裁をとる『雨月物語』は、円城塔訳。儒仏道の薀蓄を散りばめた上田秋成の原文を格調を失わない現代文によく移し変えている。「白峰」にはじまる怪異を描いて鬼気迫る迫力を見せるが、軟文学でないという点で他の三作に比べると異色。

    いとうせいこう訳による『通言総籬』は訳者も言うように田中康夫の『なんとなく、クリスタル』を髣髴させる当世カタログ風の出来。通人が当時流行っていた遊郭にあがって太夫を呼んで騒ぐ午後から夜明けまでの一部始終を、当時最先端の風俗をこれでもか、というように次々と繰り出してみせる、山東京伝の才気走った一篇。見開きページの右に本編、左に脚注を配した「なんクリ」ならぬ「ツーまが」。いちいち脚注に当たるのは面倒という向きは、本編だけでも読める程度に噛み砕いてくれているので安心。しかし、脚注で事細かに語られている当時の風俗、流行が何より興味深い。ちらちらと目をさまよわせて読むのも一興。

    島本理生訳の為永春水は、かなり原作を改変しているようだ。といっても話の内容をではない。語りを、三人称ではなく主要な登場人物の一人称の語りにした点である。そうすることで、視点人物の感情が読者と共有され、まだるっこしいような男女間の情愛や、女同士の義理立て、意地の張り合いが、一気に分かりやすくなった。人情本本来の情調とは若干異なるのかもしれないが、時代小説のノリで読めるのはありがたい。多分、原文だったら最後まで読み通す気にならなかったと思う。

    読まないでいてもいっこうに困らない、という点で名所旧跡にも似た四篇だが、まあ、一度読んでみても損はない。それどころか、日本文化が本来持っていた軟らかさ、なまめかしさ、艶っぽさ、仇、粋、といったあれこれが目の前に立ち現れてくるのがなんとも心地よい。極上の酒を、気の利いた肴をあてに口にしているようで、いやあ極楽、極楽。武張った今の世の中が、いかに日本を忘れてしまっているかを思い出させてくれる警世の書というべきか。

  • 江戸時代に出版された物語が4つ、収められている。
    大雑把に江戸時代とくくっても、「好色一代男」から「春色梅児誉美」まで150年の間があって、江戸という時代の長さに改めて驚かされる。
    どの作品も今回の新訳ではじめて読んだ。予想以上に面白かった。
    『好色一代男』では世之介の無節操ぶり・無茶っぷり・エロっぷりにあきれ果て、これが源氏物語のパロディだとは学がないため巻末の解説で指摘されるまで気づかなかった。世之介に夢中になる遊女とか、見てくれがよくて金を持っていたとしてもこんなあほな男のどこがいいのかと思うけれど、まあ総資産500億円だしな。当時の江戸の「いい男」の基準が不思議過ぎて面白い。
    『雨月物語』では、亡霊や悪霊が迫力たっぷりに登場してきて、この物語の展開は現代でも十分通じる、と物語の基本というものはこの時代からすでにあったのかと唸らされる。
    『通言総籬』はいとうせいこうの弾けた注釈が面白く、現代作家が描いた時代物で当時に思いを馳せて想像するのとはまた違う、当時の流行り、「江戸の粋」の羅列を追うことで江戸時代という文化が垣間見える気持ちになる。
    『春色梅児誉美』では訳者の島本理生が言っている通りずいぶん男に都合がよくて、こんないい加減な生産能力のないダメ男のどこがいいんだと思いつつ、ついつい物語に引き込まれてしまう。「実は誰それの御落胤・・・」という都合のよすぎる流れはもうなんか古い昼ドラのようで、こういうストーリー展開は江戸時代からあったのかとおかしくなる。(巻末で池澤夏樹が「作者が全体の構想などなく」何にも考えずに書いている、と断じているのも笑える)
    いずれの作品も訳者の力がすごく大きいのだろうけれど、それでも、物語自体の持つ力、面白さ、というのは時代を経ても変わらないものがあるんだなとしみじみ思った。
    こんな機会がなければなかなか知ることもなかった作品だけに、出会えたことがありがたい。

  • 江戸期は市民の時代であり、先取りされた近代であった。日本の小説は既にこの時期に完成していたのかもしれない。

  • 230804*読了
    今巻は江戸時代の文学。
    「好色一代男」は江戸版源氏物語。主人公の1歳ずつの短い色話が五十四篇。
    源氏物語をすでに読んでいて、そこまで話が重なっているところは多くはないように感じたし、この話の方がかなり俗っぽい。
    一人の人生でここまで!?と驚くほどの男女問わずの肉体関係。そのうちの数人とのやりとり。
    永遠の誓いをしたのにほどなく捨ててしまったり、勘当されて出家したのにすぐにやめたり…おいおいと言いたくなるエピソードだらけ。
    その破天荒ぶりがおもしろいのだけど。彼の最期もきっと恋と愛にあふれていたのだろうな。
    「雨月物語」は、ぞわぞわとする物語が九篇。中国の話になぞらえているそう。
    人間の怨念は恐ろしい。昔はよりこういった話がリアルにも感じられて、読む人を震え上がらせたのだろうな。
    「通言総籬」は訳者さんの思いが強い。強すぎるあまりの注釈の多さ。注釈って勉強になるし、より深く知ることができる点は良いのだけれど、すらすらと話を読めなくて、没入感が薄れてしまうのが難点だなあと思う。
    今で言うゴシップネタ。芸能ニュースや流行を伝える記事のようなもの。
    当時は歌舞伎と吉原などの花柳界から流行りが生まれていて、この時代でも今みたいに言葉を略して使っていたり、流行語、その場所だけで使われている言葉があったりしておもしろい。
    日本の文学は言葉をたくさん並べたり、美しい服装について詳しく記述されたりしているところが特徴的で日本人らしさを感じる。
    話そのものよりも、当時、この読み物を楽しみにして、これで情報を知ろうとしていた人たちを想像したり、当時の女遊びがリアルに浮かび上がったりするところがいい。
    「春色梅児誉美」は、島本理生さん訳がなんとも素敵。島本理生さんといえば切ない恋愛小説のイメージ。
    三人称で書かれた話をあえて、その場面ごとに一人称を語る人物を決めて、その人の視点から書くと言うアレンジが巧みすぎる。
    収録されている四作の中で一番現代っぽく仕上がっていて、読みやすかった。
    この小説はなんといっても女性たちが主役。うだつのあがらないなよなよとした女好きの男性に惚れ込む米八とお長。こんな男ほっといたらいいのに!と思っても、ついつい尽くしてしまうのが恋心。わかる。
    いろんな立場の女性の恋模様と、強く生きていく女性たちの様子が鮮やかに描かれていて好き。

  • 雨月物語のみ読了。

    白峰 崇徳院というのは日本最大の怨霊だと読んだことがある。崇徳院を慕う西行が、その霊と出会い、あさましくも怨霊となった姿を嘆く話。

    菊花の契り 約束の菊の花の時期に間に合わないから、と自害するかぁ。ちょっと自体感覚的にちがうものを感じる。

    浅茅が宿 この物語を踏襲する後代の話は多いね。

    夢応の鯉魚 鯉の絵を上手に描く僧侶が、鯉になって泳いでいたら釣り上げられてしまったという話。奇妙な味、といったところか。

    仏法僧 旅の僧が出会った霊たちの酒宴。例の正体が豊臣秀次だったあたり、描かれた時代かなぁ。最近だと秀次像、かわってきてるし。

    吉備津の釜 これもまた、後代に下敷きとする物語が多い気がする。助かったと思って外に出たら、まだ夜だった、という恐怖。

    蛇性の婬 これもバリエーションが続いた話。映画の雨月物語も、この話と浅茅が宿を混ぜた感じだったね。

    青頭巾  この話の前半は知っていた。愛する稚児の死によって、死肉を食らう鬼になった僧侶の話。禅僧によって、最後は成仏するんだね。

    貧福論 蒲生氏郷の家臣で岡佐内という人物が、武士として優れているんだけど、吝嗇で評判が悪かった。だけどあるとき、身分の低いものが大金をもっていると聞くと、それだけがんばってためたのだろう、と褒美に十両出したという。ただのケチじゃなかったんだ、と評判をあげ、さらには金の神さまが現れて、お前は正しい、と・・・これはなんとも解釈が難しい気がした。倹約することに武士の立場から意味を見出す議論、といったところか。

  • 好色一代男
    江戸時代前期1682年成立。井原西鶴の処女作。翻訳者は島田雅彦。
    主人公世之介の7歳から60歳までの好色を1話1年で描く。

    雨月物語
    江戸時代中期の1776年出版、出版時の著者名義は剪枝畸人であるが、作者は上田秋成とされる。翻訳者は円城塔。
    中国の白話小説などを素材に9つの物語からなる。

    通言総籬
    1787年出版。山東京伝作。読みは「つうげんそうまがき」。翻訳者はいとうせいこう。
    京伝のヒット作のキャラクターたちを使いながら、吉原遊郭の最新情報を語らせる。

    春色梅児誉美
    全4巻で1833年に完結。為永春水作。読みは「しゅんしょくうめごよみ」。翻訳者は島本理生。人情本、いわゆるハーレクイン小説のようなものの代表作といわれる。

    好色一代男
    主人公、世之介は、はじめは気障な二枚目で、風流を極め浮名を流す。江戸時代版「源氏物語」かと思いきや、二枚目なのは最初の数話だけ。あとの50話近くは、浮名は流すが肝心なところで間抜けを晒す三枚目。
    大きく二部に分かれ、前半は女の尻を追い回し続けて身をやつす流浪編。後半は首が回らなくなった世之介に突然遺産500億円が振り込まれ、遊女たちに放蕩三昧を尽くす遊郭偏。
    前半のほうが主人公が動き回って面白い。大金をもつと物語としては何でも融通が利いて、かえって面白くなくなる。
    それでも最期は立派だ。大尽しても余った金をばらまき、自分はエロ本と精力剤をたんまり乗せた船でまだ見ぬ女を抱きに船出する。六十歳にして中学生のような欲望を持ち続けた様は男の鑑。

    雨月物語
    最初と最後の漢詩の訳し方に円城塔の文字渦を見る。
    物語としての完成度が出色して良い。翻訳がいいのか、元がいいのか。
    冒頭「白峯」からして良い。これは放浪する西行と崇徳院の怨霊が対話が中心。
    権力争いに負け流刑の地で斃れた崇徳院の怨霊が語る恨みと、それを諫める西行のやり取りは、怨霊とはいえ天皇を前にした西行の緊迫感や双方の素養の深さが臨場感あふれる筆致で描かれている。
    もう一つ印象に残るのは「仏法僧」。野宿する親子のもとに幽霊が現れる怪談だが、単なる幽霊で終わらせず、それが悪行で知られ殺生関白とあだ名され切腹した豊臣秀次の幽霊であり、彼らと連歌させられるという、作者の教養ぶりを感じさせる一作。

    通言総籬
    注釈も面白いので一度目は注釈をみながら、二度目は訳者いとうせいこうのリズムに合わせてピューと読みたい。
    今風でいえば風俗ウラ情報誌のようなものという触れ込みで始まるが、内容としては、洒脱な主人公たちの衣装や小物、花魁たちの服飾や雅なしきたりの様子が事細かに記載されていて、どちらかといえば、現代のファッション雑誌やトレンド紹介ブログを思わせる。
    主人公たちが流行を発信する最先端。吉原遊郭でみんなの憧れの江戸セレブリティを体現させている。
    肝心の遊郭レビューの内容がないのだが・・・。

    春色梅児誉美
    恋の三角四角五角関係。昔から女性はこういうのが好きだったのね。
    江戸の女性も自分の運命を切り開くためによく動く。女性向けだからだろうか、男性側は何とも頼りなく、また操も立てずにその場に良いように取り繕う。なぜこんな男のために尽くすのか。ダメ男を好きになる女性が一定層いるのも昔からなのだろうか。
    後半は怒涛の展開にご都合主義の大団円。実はあなたは誰それの由緒ある家の御落胤だったのです!なんてね。
    恋愛小説なのに、三角関係のまま一人はお妾さんに収まってもハッピーエンドにできてしまうのが当時の疑似一夫多妻制の良いところ。

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著者プロフィール

作家

「2018年 『現代作家アーカイヴ3』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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